柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

無能の連鎖

2006-10-31 08:39:05 | Weblog
日米野球、まったくコケにされています、当のプレーヤー達から。出場辞退ばかりです。松坂、齋藤、ダルビッシュ、八木、福留・・。日程見てこれまたびっくり、巨人戦ですよ、いきなり。大リーグ対巨人。誰が見るんです?アジア選手権なんてのもつまんない話。どうして、こういう旧態に、古い枠組みにいつまでもぶらさがるんでしょうね。大リーグがこれだけ身近になれば、有り難さも神秘さも何もなくなっているというのに。巷間のイメージで言えばナベツネの権力未だ衰えずでしょうか。ますます巨人が世の中の流れから置いていかれますね。ざまぁみろなんですが、これが日本の縮図であると見ると笑ってばかりもいられないわけです。
 TVで未履修分の補習を映していました、まばらな教室に日本史の授業です、なんと縄文土器の話・・笑いました。どうしてこんな面白くも何ともないところから始めるんだ?もっとも、聞いている方も身が入ってないですから、どうでもいいんでしょうが、こんな時間無駄でしかないですよね。無駄と分かって無駄に流す。時間こそが人生で一番大切にしなければならぬものと信じている私には、腹立たしい、くやしい、敵意を感じる。まだ、子供たちにはそういう意識は少ないのでしょうが、お定まりに縄文時代から始めるところ、そのセンス、何とかならぬかと思うわけです。万事この調子なんでしょうね、これじゃぁ日本史選択しないわね。日本史を馬鹿にしすぎです。昔石原慎太郎が言っていました、歴史の授業、近代から逆に教えろと。昭和の戦争から逆に向かうんです。何故戦争が起こったか?大正時代の文化は?明治の戦争に何故勝てたのか。明治維新はどういう仕組みだったのか。面白いですよ、自分の爺さん婆さんが生きていた時代の話ですもの。ま、そのあたりの感想は措いて、こんな事態で縄文時代かい?と笑いました。やはり気の毒なのは生徒達です。こんな補習受けさせられる不利益です。教員達そこまで腐っていたか・・です。おまけに校長が自殺です。こういう奴がトップにいるんです。よくなるはずがありません。責任をとるということは、最後まで事を自分で始末することです。辞めることじゃありません、ましてや死んで済むことではありません。馬鹿なトップの共通点はこうです「あんた達の好きにやって下さい、責任は私が取ります」なんて言って何もしない奴。問題起こればさっさと辞表書く奴。そしてこうやって死ぬ奴。同情の余地はありません。ここまで腐っているのです。怖ろしいことです。
 で、福岡の自殺した中学生の学校長こう言ったそうです「人の命は地球よりも重い」これまたびっくり。なんたるアナクロ。かの福田首相が過激派の飛行機乗っ取り犯の要求に応じて、政治犯を解放したときのセリフです、そのまま。こんな言葉が誰の心に届きますか?こんな上っ面のそら言で何をどう解決しようとするのでしょうか。いや、この程度の連中にはこの程度のことしか思い浮かばないんでしょうね。まったく能無し。能無しをトップに据え続ける無能。無能の連鎖。笑い事ではありませぬ。
 貸金規制法の利子のグレーゾーンを何とかしようという法改正で、8年やら9年やらの猶予期間を作るなんて気の長い案を自民党が出しましたよね、最近修正されたんでしたか。あれもどうせ族議員の仕業じゃろうとは思っていましたが、今日の毎日新聞に出ました、貸金業会の顧問に、古賀誠、山崎拓、麻生太郎。あらら、こんな連中が旗振ったら陣笠どもが靡くはずだわ、の図です。クソな話です。借金まみれの奴を助ける理由もないんでしょうが、だからといって法外の利を取って時代錯誤の取り立てを続ける(金がないなら腎臓売れ、とやら、時代劇さながらの、体で払えとやらね)業界を守る理由もないですよね。そこで政治家先生方の出番なのですよ、これも時代劇そのまま。お代官様~です。越後屋、おぬしも悪よの~。この顔ぶれ見て、妙に納得するでしょう?決してクリーンじゃない連中です。とほほ、です。
 これが日本です。正義、ですか?真実、ですよね。どこにあるんでしょう。どこに行ったんでしょう。諸姉諸兄、如何お考えか!
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底なし

2006-10-30 08:38:45 | Weblog
いじめ事件と幼児虐待事件、そして単位未履修事例、底なしの様相です。出るわ出るわ。自殺はおそらくこの過剰報道が煽るんでしょうね、「俺もやったる!」となるんでしょう、元来拗ねる気持ちが主体でしょうし被害者の心持ちは。所詮子どもですよ、拗ねて、誰も助けてくれないと悲しくなって、仕返ししてやろうとやってしまうんです、遺書書くときのあの悲壮感とヒロイズム(ヒロイニズム)が後押しします。教育評論家連中の出番じゃないんです。政治家が枠組み考えてもだめなんです。役に立つのは現場の教師なんです。でも、きっとこの流れ(いじめたのは教員だ!)は教員をより一層萎縮させますね。守ってやれなくなります。なぜか?例えばいじめられている子を守るでしょう、相手を叱るでしょう、すればどう言うと思いますか?「証拠は?」「勝手に向こうが思っているだけだ」「いわれなく怒られるのはおかしい」くらい気の走る奴なら言いましょう、で、誰かが知恵を付けて「それは逆いじめだ、人権問題だ!」なんてね。人権にどれだけ弱いか、あの現場は。手も足も出なくなります。いや、実は簡単ですよ、少々のことは言わしておけばいいという肚を決めることと、いじめられている子の後ろに付いてやればいいんです。負けるな、噛みつき返せ!と。ま、そのまた後ろに、再教育の要るような両親が控えてもいるんでしょうが。教育委員会じゃなくて、現場の教員です。十年二十年先を睨んだ対策をうつべきです。
 不思議に思うこと、日テレがさかんに言ってました、日本シリーズ第5戦の瞬間視聴率73.5%(あの日の放送は朝日系列だったですよね、他社の宣伝して立派なことです)。どうやって調べるんでしょうね。ああいう大きな、分母を社会全体、国全体にしようとするデータは、二千や三千の調査で代用できると何かで読んだことがありますから、モニターをそれだけの数、常においているんでしょうかね。それなら納得もできますが、いつもこの手の数字は比率を、数字そのままを出すだけ、分子分母は出されません。仮にちゃんとモニターからのデータを集めているにしても、そのモニターにバイアスかかってないのでしょうかね。なんだか考えれば考えるほど胡散臭い数字ではあります。でも、この業界はこの数字が基準なんでしょう?となれば、この数字自体に利権が発生しますね。調査会社の気持ち一つ、という関係。どうか一つよろしく、という関係。じゃぁ、今回はこういう数字にしておきましょう、いつもお世話になっていますから、なんてね。ありがちでしょう?今回も、数字が高くないと話題になりませんもの、何度も言いますが数字は、特に比率はどうにでもいじくれます、仮にちゃんとした生データがあったにしても、どうぞよろしく、よっしゃよっしゃ、の関係、あるいは、こんな数字は要りまへんか?おお、もらいましょう、の関係じゃないんでしょうかね。こんなものまで売り買いの関係なのです。都合のいいものを買いますわね。今回の数字は目くじら立てる程のものではないですが、何だかなぁと思ったことでした。
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生の力

2006-10-29 09:47:31 | Weblog
脳死移植が平成9年に合法的に行われるようになって50例目の「記念すべき」移植が行なわれたという記事です。十年で50例です。如何思われますか?少ないなぁですか、こんなもんじゃろうですか。関係者やら移植を待つ人にとればこの遅々として進まぬ国民への周知、移植「治療」への気運の停滞が何とも腹立たしいでしょうね。きっと「国は何をしている?!」と人の所為にするんでしょうね。でも、もう十年も経ってこの状態です、この制度何年経ってもこのレベルでしょう。年に5、6例。五つの心臓、十の腎臓を巡る、その順番を巡るドラマ。くどいですが私は臓器移植を治療とは思いません。ですから「当然の権利としてある治療を受けられなくて困っている」「公平平等に欠ける」なんて謂には反対します。ましてや「移植は人生最後の最高のボランティア」などという表現には敵意すら感じます。この欺瞞に満ちた美化には偏向思想すら感じます。この手段は待つしかないことです。人が死ぬのを待つしかない手段です。こういう一歩目からの無理を何とか押し込もうとするわけです。移植推進団体の持って行き方、推進する方向、訴え方がお座なりなんでしょうね。国民に伝わらないのです。世の中には私のような偏屈ばかりじゃありません、でもこれだけ普及しないということは、宣伝が下手なんです。やり方が間違っているんです。スタッフを更迭するべきじゃないですか。決して国の、医療行政の責任ではないですぞ。
 当地で昨夜和太鼓の公演がありました。世にはたくさんこの手の演者がいますし、有名な団体もいくつかあります、関係者に言わせると小さい素人の集まりまで考えたら町に一つは和太鼓同好会はあるとのこと。そういう状況ですから、こんな片田舎の小さなイベントに来るようなのじゃぁ、なんて斜に構えながら見に行ったのです。びっくり。きっちり大きな音を重ねられると、耳だけじゃなく体で聞く状態になると、なんだかよく分からないけれども腹の底に眠っていたものが呼び起こされるような感覚になります。単純に太鼓の音だけです。時に横笛が混じります。そして静かに、邪魔にならぬように和服姿の若い娘の踊り。マイクなんぞは使いません。唄も地声のまま、会場に響くまま、太鼓の音と競合します、でもよく聞こえます。きっと、こっちが聞こうとしているからでしょう。肚に響く太鼓の低音、きれいに溶ける横笛の高音。そして静かな踊り。太鼓の音の中静かに現れて、やがて太鼓が静まる。娘は踊り続ける。静寂の中、柔らかい踊りが続く。伴奏なく、唄もない、静寂の中の踊り。観衆は息を呑みます。釘付けです。数分でしたでしょうか。ああ、いいなぁと思いました。こういう間なんですね。こういうコントラストなんでしょう。単純な組み合わせが、あれやこれや機材を使わない設定が、本来の力を出すんでしょうね。人は自分の目や耳で、体で感じるばかりなんです。どう訴えるか。巧まざる所に人の体はちゃんと反応するんでしょうね。音響や照明技術をまず受け容れて評価してそういう前提の元で見聞きする場面と、単純に音や踊りを見聞きする場面の差。うむ、感じるものがありました。どう伝えるのか。勉強になりました。
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腐っていきます

2006-10-28 08:40:10 | Weblog
天声人語は新庄を「外連味のある大輪の二割打者」と評しています。うまいですね。熱するのも早いけれどその倍の速さで冷めていくのが世の中です、さて新庄いつまで人の記憶に残れるか、ですね。
 昨日の新聞には35都道府県249校でした。今朝のニュースでは41の403に増えていました、必修科目未履修事件。岩手県教育委員会は「虚偽の申請報告もやむなし」といった趣旨の、びっくりするような見解を出しています。まぁ生徒には咎がないのですから、こんな事で受験できないなんて事態になる方がうんと理不尽です、こういう処理は十分に予想されたことですが、しかしみっともないことです。当の校長は「受験に向けて生徒のためと思ってやったこと」というこれまた順序を逆転させた屁理屈を言い張っているようです。そんな理屈が通るなら(尤も通ってきたんです何年も、見て見ぬ振りを十年も続けてきたんですから)、世の中に規則はいらなくなります。確かにどの社会業界でも、どうしてこんな無駄をせねばならぬのかと訝しく思う工程や手順がありましょう。むろん化石のような規則もあるでしょうから改正すべきは直していけばいいんですが、だからといって銘々が勝手にショートカットしていいとはなりません。つまり上部決定機関(調査査察機関)たる県教育委員会の怠慢であるのです。と見ればこの事件、県の全教員つるんでの大詐欺事件です。姉歯事件と同質です。現場も、調査認定部門も皆つるんでの大嘘。構造汚職ならぬ構造詐欺。生徒のためなんて屁理屈、大義にも何にもなりません。どう責任取るんでしょうね。見ものです。と思えば、どこかの教育委員会が自分の管轄する教員の行動(ある生徒を叱るに、他の生徒にこの生徒に喋りかけるななんて言ったそうです)がいじめに当たると認定し、担任から降ろし、授業もさせないという処置しました、と記者会見です。とうとう教員が生徒を「いじめる」時代が来ましたよ。公式発表ですから。もっと他に言葉がないかなぁ、どこもかしこも馬鹿ばっかりですか?こんな連中に子ども預けているんですよ、皆様。とほほ・・。
 奈良の病欠役人事件。何と速攻で懲戒免職だそうです。なによ、馘にできるんじゃないの。何を今までしていたんだ?間抜け市長!で、このとんでも役人、部落解放同盟奈良支部協議会の幹部だそうです。この報道しているのが産経(一番早くて10/25)、実名入りで一番詳しいのが毎日、そして日経。身元を明かさないのが中国、読売。なんと朝日は懲戒免職の記事すらありません。この差、態度の違いが面白いでしょう?そうでもないですか?新聞報道はさて措いて、なんとも後味の悪いというか、やっぱりねぇというか。先の大阪市の事件とどうしても繋いでしまいます。というか、おそらく同根です。差別を糾弾して周りを蹴散らして、自分たちはずっと差別の埒内に居座る、無体を働く。周りは仕返しを怖れて黙るだけ。みんな気づいています。差別の撤廃を言いながら、差別の向こう側から無茶な要求を続ける。大阪の事件もこの奈良の小役人の事件も、周りが見て見ぬ振りすることを見透かしての無体、同根です。教員やら公務員は罷免から強く守られています、それは民間から見ると理不尽なくらいです、ですからこういう事件にはまことに腹が立つんですが、でも拍子抜けするくらいの素早い馘首。できるんなら、とっととやれよ!誰かに言うてもらわんと自分たちではできぬというていたらく。黙っていれば誰にも分からんからと組織ぐるみで隠蔽する体質。臭い物にはとにかく蓋しろ!その中でうんと腐っていくんです。一年や二年でトップがクルクル代わっていく(人事異動という恒例)のも、体質保全に寄与していますね。ああ、日本が腐っていますよ。諸姉諸兄、あなたの職場はいかがですか?あなたの与する社会は如何?
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Time goes by

2006-10-27 08:40:53 | Weblog
日本ハム一気でしたね。新庄言うように漫画のシナリオの如き運び。しかし、札幌ドーム凄いこと、まさに揺れて揺れて。北海道に移転して3年ですからね。さぞや反対があったでしょうし、今日の新聞に書いてありましたが札幌円山球場といえば巨人戦、そして巨人ファン一色、そんな土地にパリーグの不人気マイナー球団が行くという大冒険、よくぞの決断と思うことですが、この結果。こんな短期間で形を出せたのはやはり新庄の力なんでしょうね、これはいかな天の邪鬼の私でも認めざるを得ません。ドームをファンで一杯にしたいという目標に向かって、なりふり構わず客寄せパンダ役を続ける。斜に構えて冷や水を浴びせる連中(例えば野村とか正論吐くばかりの評論家達)からのあまたの批判もものかわ、あれだけのことをやり続けることは並じゃできません。地方の潜在力という観点で言えば、思い知らされましたね。阪神の京阪神(近畿一円)、ソフトバンクの福岡(九州)に続いて札幌(北海道)も中央(東京)に立派に対立並立しました。些か寂しいのは中日の名古屋、カープの広島ですか。楽天も今に戦力揃っていけば仙台ですからね、すぐでしょう。こういう流れも、田舎に住む者とすれば心強いことです。感想も色々です。
 大木金太郎とは何と懐かしい名前、訃報が報道されました。私はプロレスが好きで、藤波長州の対立で人気があった(古館伊知郎が実況アナウンスでのし上がってきた時代)頃までは詳しいです。若い頃の蝶野やら橋本やら馳やら前田やらがセコンドでジャージを着て画面の端に映ったり消えたりする時代です。当時から「キムイル大木金太郎」と紹介されていたし、実況の際もそうでした。ああ韓国人なんだと知らされるわけです。頭突き頭突き。原爆頭突き。この人とボボブラジルの頭突き合戦の面白かったなぁ。でもこの人は頭突きだけの選手じゃなかったですよ。キーロックといって相手の腕を足と腕で閂のようにきめて、リング上をぐるぐる回転する技が得意でした。余り大きくない人でした。一度チャンピオンになりました。馬場の猪木のがいる時代にです。ああ、懐かしいことです。でも、人が死んで人は昔を思い出すわけです。そしていつか自分も思い出される方に回るわけです。ううむ、そう言ううちにも時はどんどん流れていきます、今この目の前を流れていきます。嗚呼。合掌。
 高校未履修事件、山口県教育委員会のお粗末。「我が県にはそのような事例は決してない。調査の必要もない」などど宣言した途端に華陵高校に発覚、雁首並べて陳謝陳謝。なんたるお粗末。妙な強気は眉唾です、そんなことは皆知っていますが、新庄じゃないですがこうも漫画のようにひっくり返ると嘲笑するばかりですな。きっとまだまだ出てきますよ。今までの卒業生は受けていない授業を受けたことにして(虚偽申告して)それが堂々と受理されてきたわけです。いわば現場と上部組織つるんでの事例、これぞ構造汚職。日教組さん、どうするんですか?きっと労働問題以外は関知しないとか、それは校長専決事項だとかなんとか言い逃れるんでしょうね。こりゃ大鉈ふるわん限りだめですな。でもう一つ不思議に思うこと、なんで世界史ばかりの未履修なんでしょうね。つまりなんで世界史が必修で、日本史が必修でないのか。日本史=軍国主義という短絡、恣意的排除なんでしょうね、左翼連中の。もっとも、明治維新以降を教えないような歴史講座もつまらんことですけれど。そうでしたよね私達の頃もローマやギリシャ、縄文の弥生ののことばかり詳しくやって、明治からこっち、特に先の戦争のことなんか授業で聞きませんでしたよね。わざとなんでしょうね。本当のことを教えずに、日本は侵略して悪いことばかりしてきた、だから原爆が落とされた、それを反省して戦争放棄を憲法で謳っているんだ、なんて一方的な大嘘を教えられて来たわけです。こちらもひっくり返してもらいたいと強く思うことです。
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緩み

2006-10-26 08:38:59 | Weblog
当地屋代島(俗称大島)からJRバス撤退だそうです。その昔、日本で初めて離れ小島に国鉄バス走った所です。離れ小島に県道がついたのも珍しい部類じゃないんでしょうか。まだ架橋ができていない時分から(大島大橋は昭和50年にできました)、対岸から海を渡って繋がっていると「みなして」県道扱いしたと聞いたことがあります。山口県の道路事情のよいことは昔から周知の事実、どれもこれもおらが国さの宰相、岸・佐藤両氏に負うものであることも皆周知のことでした。で、時は流れて今回の撤退。田舎に行くほど公共交通機関の利用率は下がります。当地はその典型。高齢過疎化はマイカー化を促進するばかりです。小さい軽トラックが走り回ります。バスやら鉄道の利用は学生や盆正月の帰省客に限られる、その学生もどんどん減る。撤退やむなしでしょう。時は流れるわけです。そして自分も歳をとる・・。
 ソフトバンク、新聞一面に広告です。来ますねぇ、満を持してですか。広告文面がいいです。こういう具体的な内容がいいと思います。TVのCMも気に入ってました、vodafone のロゴが掲示板が裏返るように順に softbank に変わっていく。説明一切なし、画面だけ。いいと思ってました。さて、孫社長の会見も鷹揚迫らずの態で、二年三年の勝負じゃない、五年十年先の結果だと言い放ちます。トップがこの自信です、下は安心して食らいつきましょうね。もちろんこういう効果を十分に踏んでの行動に違いないのですが。この人は見ていて面白いです、そう思います。
 高校の未履修事件はいかがですか。調べれば出るわ出るわ、そんなことでしょうねぇ。受験至上主義の影なんて切り口しかマスコミはしません、被害者は生徒、加害者は受験第一主義。謝るは校長、顔をしかめるは教育長、驚いたのは首相。はいはい、です。何が原因ですか?未履修でもいいわい、なんとかごまかせるから、という心根の腐りです。土曜が休みになったから時間が足りないのだ?馬鹿言うんじゃないです、休みを増やしたのはあんた達教員の勝手でしょうが。自分たちは楽をしたい、そればっかり。岩手の校長は「こっちには予備校も何もない、その機能を高校が全部賄わなければならないのだ」と言いました。だからといってやるべき事を削り取っていいとはなりません。やるべきをやって、その上で時間を作る工夫をする。どうしてそう考えないですかね。安直に流れるのでしょうかね。緩んでいるんです。規則を守ろうという気持ちが。ずるを許す卑怯、それを子ども相手に大のおとなが、しかも説教垂れるべき教員がやるんです。何をかいわんやですが、ま、子どもはちゃんと見ていますから。どう責任をとるのか、今度は大人が試される番です。どうせ特例などと言って、生徒にはなんの咎もないからなんて理由で、連中の卒業と受験は保障されるんでしょうから。
 奈良の病欠役人事件。これは役所がやりそうなこと。労働組合のやりそうなこと。いや、組合がやったというのではなくて、こういうことには黙んまりを決め込む、口を拭うということです。規則に準じているだけと嘯くばかり。仕事への気概も恥も何もない連中です。仕事が大事じゃなくて、ましてや公のためになんてことは表向きは頷いているけれども毛ほども思っていない、要は自分たちの生活が楽ならいい、給料多く休みも多く仕事は少なく、です。ま、この事件は診断書書いた医者も同罪です。診断書を全部公開すればいいですね、すぐわかりますよ、どういうからくりだったか。役所は能無し達の生活を保障する安全装置だ、と喝破した人がいましたが、それにしても、それはそれで仕方ないことと民間人は収めてくれるにしても、やはり税金です、5年間で8日にか出勤せず、給料は満額2700万円などとワイドショーが言うと、この野郎!ですね。日本中の役所で当たり前の制度なのでしょうね。笑うしかないですよ、民間とのこの格差は何なのだ?どうしてこんなにしてまでクズどもを守らねばならぬのでしょうか?労働組合さん、どう答えますか?
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肚ひとつ

2006-10-25 08:41:21 | Weblog
TVも新聞もまるで今始まったことのように、いじめの虐待のと騒ぎを煽っています。メディアの通り一遍さには怒りすら湧きます。事が起これば犯人探しして、それが公機関であれば(今回のように公立学校やら児童相談所やら)叩きまくって、それで終わり。いつもいつもその次がないんです。大騒ぎして終わり。可哀想だ、哀れだと情に訴えて終わり。役所は、行政は、国は何をしているんだ?とお定まり。で、いじめはいけない、こんな親は鬼だ!なんてつまらない抽象論で、外野の大放言で終わりです。それで済むから、暫く頭を下げてじっとしていれば嵐は過ぎていくと連中知っているから、当事者達みんな簡単に平謝りして、人ごとのようなコメントして終わり。「今後この様なことのないように努力したい」なんてね。何人死ねば殺せば気が付くんだ?この能無しども。いつまでこんな役立たず達に仕事させるんでしょうね。イライラします。具体策ですか?子どものいじめは単純な面白がりなんですから、まともな教員にその子の後ろ盾にならせて、その子を鼓舞して闘わせる。いじめる連中には先の鹿児島の馬鹿教員じゃないですが、からかいやすいからなんていう理由くらいしかなんです、で、いじめられる側が相当の(相手が喜ぶような)反応するから延々と続くんです。だから勇気を出して連中に歯向かう。そこをまともな教員にフォローさせる。こういう一つ一つの潰ししかないでしょう。教員のレベルアップなんてのは迂遠に過ぎます。ダメ教員の排除ならすぐにできそうですが、これまた「何を基準に決めるんだ?人権問題だ!」なんて言い出すんでしょうね、左翼の巣ですから敵さんの組合は。虐待については、安倍さんが肚を据えねばなりますまい。両親の意向に逆らえない、だからまた虐待されると分かっていても保護施設から鬼親に返さなければならない、そういう繰り返しのようです、まともな児童相談所であれば。だから、安倍さんの強権が要ります。個人情報保護法で代表される個人主義至上の流れを断ち、例外的に権力が民事に介入するんです。鬼親の親権停止するんです、やればできることが証明されましたから。そして大金を落として収容施設を充実する。いつまで?鬼親に身も心も十分抵抗できるようになるまで。つまり成人するまで。憎んで成人後その親を叩き殺すもその者の自由。抵抗の術のない幼子であるから、もちろん抵抗しないと分かっているから鬼親は虐待を続けるのです。その時期を守ってやる。「子は国の宝である」と高らかに宣言すればよろしい。児童相談所に有能な連中を配して、権限を強化する。むろんこういう制度を作れば望ましくない例も必ず混入してきます。例えば、金がないという理由で施設に簡単に入れるとか(これは母子家庭制度やらその医療費免除やらの現存の事例で証明済みです)、児童相談所役人の越権行為、強制無体などです。でも、殺される子の数はきっと減りましょう。そこが大きな目的ですから。で、その施設ではちゃんと育てる。卑屈にならないように十分に愛情を持って育ててやる。いや、こんな事は簡単です。役人に任せるから腐るしお座なりになるだけで、ちゃんとした所に民間委託すれば、里親としてちゃんと育ててくれる人はわんさと居ます。要はそういう金を落とす肚があるか否かです。
 私はそう思います。鬼親を誹っていても始まらないのです。なんとか子を鬼親から引き離さねばならないのです。いじめもそうです。皆さん、如何お考えでしょうか。
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姑息と幼稚

2006-10-24 14:57:12 | Weblog
何度目でしょうか、今日も昼に書いています。朝いつもの時間に突然の停電騒ぎでドタバタしてました。こういう不測の事態には勝てません。心静かに対応するばかりのことです。
 巨人の四番、残留ですって。金積んだなぁ~?もっとも、終盤は怪我してホームラン王をウッズに持って行かれましたからね、こんな状態では海の向こうには高く売れないと踏んだのでしょうか。とまれ、巨人ファンの方々、おめでとうございました。この人だけですものね、当てになるのは。
 姉歯事件に懲りた筈の関係団体、どういう対応するかと思えば、一級建築士の資格基準を厳しくするんですって。NHKニュースで聞いたままですので詳細にわたれませんが、受験資格の基準をきつくするのに加えて、何でも、人の道に外れないように教える倫理講座をちゃんと受けた者に限ると、厳しくするんだそうで、一級建築士になんちゃら冠するらしいです。忘れましたが、構造一級建築士とか正統建築士とかなんとか。いかがです?いかにも馬鹿役人の考えそうなことですねぇ。笑ってしまいます、なんて馬鹿馬鹿しいこと。人が住む建築物を作るに当たり倫理的道義的に必要なことは何かを講習受けるんですって。聞いてみたいですね、一体どんなことを教えるんでしょうか。こういうのを唾棄すべき幼稚さと言うんです。場当たりの姑息と言うんです。姉歯も姉歯なら、管轄する役所役人もちょぼです。トホホです。大丈夫かなぁ。あの事件、発注する奴から作る奴、監督する奴、それをチェックする奴、全員つるんでの大詐欺隠蔽事例でしたからね。建築士だけの問題じゃなかったですよね。どいつもこいつも金に目が眩んだわけですから、そして黙ってりゃ誰にもわかりゃしないと皆口を拭ったわけですから、そう言う心根は、一級建築士の受験資格の問題ではないですよね。いくら有り難い倫理の講義を受講しても寝ていれば終わり、試験さえ通れば終わり、金儲けに走る心根は全く別問題。業界の黒幕専制構造を、口利き談合体質を潰すのが先だろうにと、誰でも思いますよね。姑息までにも至らないでしょう、まったく方向違いの大間抜け。世間の目を欺くこともできぬ事と思いますが、一応対応しますので、でいいんでしょうね。役人のやりそうなことではあります。日本、危ないかな。
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亡国思想

2006-10-23 08:37:35 | Weblog
言うたしりから、というのはこのことです。またまた児童相談所の不作為事件です。連中は法に沿って、マニュアルに沿っての処理と言い張るのでしょうが、現実に子が死に続けます。少子化なんて徒に世の中の不安を煽っておきながら、役に立たない足し算の方策を小田原評定するばかり、かたやでこんな引き算(減少)が堂々と罷り通る。児童相談所も警察も虐待親の前で足が止まり、見ているばかり。いや、見ようともしない。いい加減に安倍さんが強権発動しないと、「命は何よりも尊い、命は地球よりも重い」なんて博愛正論をぶん回す一方で、個人主義を公秩序に優先させようとするこの馬鹿げた流れは止まりません。児童相談所あたりにいる小役人には(前にも書きましたが、今回も間抜け面を並べて謝罪しています。ネクタイもジャケットもなくえらくラフな姿。ああ、これでは伝わらない。人は見た目だ、なんて本がありましたが、あれでは謝罪の意が伝わりません。で、紋切り型の、明らかに誰からかに指示されたとわかる物言い。でもなによりこの所長、できる顔じゃないです。おそらくこの役職は連中の業界では閑職なんでしょうね。こういう時に出てくる顔が皆一緒ですわ)何の責任もなければ、何も新たに事を起こしません。何の情熱もないのでしょう。哀れなのは子です。親に殺される、世の中に見捨てられる。抵抗の術のない弱い者いじめには本当に心の底から敵意が湧きます。どうすればいいのか、ですか。安倍首相に「子は国の宝だ」とでも言わせて、収容施設に大金を落とす。その後の育成に大金をかける。昨日の記事の如く「親権停止」をもっと「乱発する」。馬鹿な親と闘う気概がなければ収まりますまい。毎度毎度の繰り返しを見るにつけ、60年間行政中枢に蔓延しきった亡国の左翼思想に怒りを感じるばかりです。
 で、その本丸朝日新聞、今日は唐突に「歴史と向き合う」というシリーズものでいきなり大見出しです。「朝鮮人に強いた報国」「学校で母国語禁じ「忠誠」丸暗記」「「劣等」扱いに反発 特攻を覚悟」「「親日派」今も憎悪の的」と、朝鮮併合後の支配形態の糾弾これでもか!の感。古い写真も載っています、日本語を学ぶ女性たちというキャプション付きです。「労働力の供給源」との見出しもあります。よくもこれだけ書けますねぇ。今、このタイミングで何が言いたいのでしょうか。反日、抗日丸出しです。朝鮮を植民地化したと連中の前提ですが、イギリスがインドを、フランスがベトナムを、オランダがインドネシアを植民地化して略奪と搾取の対象にしたのとはわけが違います。台湾もそうです。そういう違いには一切触れずに、連中はマルキシズムに無理矢理に当てはめようとするだけのことです。階級闘争への置き換え、軍部対国民、搾取者対被搾取者、強者対弱者。時の権力を問答無用に暴力をもって倒さんとする思想です。途中のいきさつなどどうでもいいのです。連中にかかれば明治維新も階級闘争ですから。下々が王侯貴族を倒した革命と決めつけます。フランス革命に並べます。全然違いますよねぇ。ま、それは措いても、当時戦争を国民に対して煽りに煽ったのは他ならぬ朝日新聞であり毎日新聞であるのです。悪名高き本多勝一なんて与太記者のおかげで中国で百人斬りの汚名を着せられて(当時はやんやの喝采だったのでしょうが)今なお遺族が係争中であることご存知でしょうか。戦争責任なるものが本当にあるとすれば、朝日新聞と毎日新聞も同罪です。国民はラジオと新聞からしか情報を得られなかったのですから。如何に報道規制が強かったにせよ、軍部に逆らえるのはジャーナリズムだけじゃなかったでしょうか。でも、この二紙は大翼賛勢力でした。国民に国のために死ねと言い続けてきたのが朝日毎日なのです。その前身を完全に棚に置いてこの物言いです。しらじらしいというような柔らかい表現では足りません、この記事には悪意敵意が満載です。ほじくり返して蒸し返すばかり。現在の中韓の反日態度を下支えしているのはこの勢力なのです。全くおぞましいこと。おぞげが立つとはこのことです。しかしどういう意図の記事なんでしょうか、やはり北朝鮮関連ですかねぇ?
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偽善各題

2006-10-22 11:56:24 | Weblog
今日はオムニバスで福岡のいじめ教員じゃないですが「偽善」何題かを。
 (1)中国新聞三面記事「手術拒否の親、親権停止」の大見出し。何でも宗教的な理由で子の脳の手術を拒んだ両親に対し、妙に児童相談所が強気の処理して(親権の乱用!)大阪家裁が表記の保全命令を下したというものです。「手術を受けさせないのはネグレクト(養育放棄)に当たる」との病院からの訴えを受けての児童相談所の「似合わない」迅速な行動。手術してその子はその両親のもとで元気になっている、こんな事もできるんだよ!なんて自慢しているような記事内容ですが、さてさていかがですか。なんとも狡いというか、こういうやりやすい所だけ権威を振りかざすわけです。つまり、今回のようにまぁ言えば羊が思想上の理由で拒む(思想と言っても、神様にお借りした体にメスを入れることはできない、といった代物のようですが)ようなケースなら、行政は居丈高ですよ、記事にあるように「ネグレクトだ!」なんて病院からお墨付きをもらえば百人力です、親権停止なんて思い切った手に出ます、子供に命には替えられない!なんて火のような使命感に燃えて。両親が連れ帰ろうとしても阻止するわけです、強気強気。でも、世の中には虐待死する子供が後を絶ちません、児童相談所は何もしません。子が死んでから言い訳するばかりでしょう?何が違うか。単純です。相手が羊か虎かの違いです。行政の連中は弱い者いじめしかできませんから。理不尽な相手には全く無力。「法律で禁じられています」と言っても「なーにィ、馬鹿たれ!!」と怒鳴られたらすごすごと引き下がります。子供が目の前で殴られていても帰るのでしょう。実の親がそう言うんだから仕方ない、とかなんとかぶつぶつ呟きながら。かたや羊と見るや親権停止!、かたや怒鳴られると見て見ない振り。一応言いましたけど・・です。そうでしょう?全くもって馬鹿馬鹿しいこと。実際に暴力振り回す、食餌も与えない鬼のような奴らにネグレクトとよう言わない。あんた達は誰に向いて仕事している?偽善というか、弱い者いじめというか。
 (2)21日の朝日新聞に、昭和33年の新生児取り違え事件について東京高裁が都立病院に損害賠償の支払いを命じた控訴審判決に対し、都(石原都知事)が上告しないと決めたという記事です。もちろん原告は取り違えられた人です。記事によると一審では取り違えを認めたが損害賠償を認めなかったそうで、この時石原都知事は、おそらく義憤を感じてのことでしょう、本当の親探しに協力すると言ったそうです、持っている情報は開示すると。でも、今回都知事は「ことを荒立てて、ほじくり出して、傷口広げてどうなるもんじゃない」と言ったそうです。うむ、この知事の判断は正しいと思いますが、さて、何十年も前のことを、しかも育ての親がいて(育ての親も嫌がっているのなら話は別なんでしょうが)、さらには取り違えられたもう一人がいて、その後ろにはその人の育ての親がいる、そういう言わば平静な暮らしを敢えて崩しにかかる意味が、波風立てる意味が、そんなに迫った理由があったのでしょうか。多大な精神的苦痛を被ったなんて、文章にはできます。でも、五十前の男のやることでしょうかね。何が目的なんでしょうか。はっきりさせて何が得られるんでしょうか。ううむ、余程にこの男の半生が不幸であったのか、今取り敢えずの金が入り用なのか。もちろん、訴訟に至るには何回にも渡る交渉があったはずで、都の対応がおそらく硬直紋切りだったのでしょうね、そこの腹立ちは分からぬでもないですが、五十年生きてきた男としての「成熟」はないのでしょうかね。新生児取り違えなんてあってはならぬことです。そこには誰も異議ないでしょう。そのことによって精神的被害を受けたと言われれば、否定する手立てもありません。そこに立脚して、当初の都知事のように義憤に駆られて、公の責任を隠蔽などはしないと言うのは容易いこと、大声で振り回せます。でも、だから言い立ててもいいんだとはなりますまい。賠償額は二千万円だったそうです。高いか安いか。これも偽善ですよね。
 (3)今日の日テレの徳光さんの番組で、奈良の妊婦たらい回し死亡事件を取り上げてました。コメンテイターの外科医がしょうもないことを言うのでがっかりしましたし(こいつ現場を知らないんでしょう、所詮ジャガー横田の髪結いの亭主ですから)、意見述べるのがどこの馬の骨かの医療ジャーナリスト「原因は産科医不足」だそうです、とほほ、もっと勉強しろ!!。よくもこれだけ本点ずらして言えるものです、とどめは徳光さん「どうしてこういう時にこそヘリコプターなどを使わないのか?」いやいや、結果的に遠くへ搬入されただけのこと、一等最初の県立医大が受け入れていれば事は済んだのです。彼はいいことも言ってます「満床だからといって、医者はいるんだろう?」その通り!馬鹿な外科医が妙にまとめてました、こういう事故は不都合な偶然が重なって起こるのだと。でも、今日の特集は当事者の夫の言葉を多く紹介していました、そばにいた彼が一番腹立たしいでしょうね。言を左右して一向に動こうとしない入院先の町立病院の医者達。その気持ちを思うと、先の知事じゃありませんが怒りが湧き出します。原因は産科医の初期判断、初動の誤り、そしてそれを受けての県立医大の対応の悪さ。この両者でしょうが、前者が大半です。産科医はきっとこの妊婦の状態を誤診して、さらに転送依頼の際にも大間違いの認識を披露したのでしょう。ここがポイントですが、おそらくここは出てこないでしょうね。結果が結果ですからね。連絡を最初に受けた県立病院の当直医が口を開いてくれればいいのですが。産科医は緘黙しましょうし。この問題は産科不足の事例ではありません。きっと救急体制の不備の事例でもありますまい。単に町立病院の担当産科医の誤診です。すぐに大きく大きく事を拡大して、論点をぼやかせる。これも第三者による無用の偽善でしょう。ヘリコプター空輸についての笑い話を一つ。緊急患者を病院に運び込むのは救急車、山越え谷越えやっとの思いで病院に搬入して、挙げ句脳死の末に取り出した臓器はヘリコプターでさぁーっと運ばれていく。どっちが大事か、答えは明らか。これが世の中です。
 (4)同じ番組で箱根駅伝の予選会の話。44校うち9校しか出られない。むろんレベルの差は歴然たるものなのでしょうから、正味は15校くらいの争いなんでしょう。全部で500人余りの一斉スタートで20km走る、各校速い十人のタイムを合計して少ない方から選ぶという、まぁわかりやすいルール。でも、聞いていてあれれ。6位まではこの予選会のタイムだけで速いチームの順に選ぶけれど、7、8、9位はこの予選会のタイムに、この一年間のその大学の陸上競技の成績をポイント化して加えて総合判断するとのこと。陸上競技というからにはトラック競技、長距離競技だけでがなく投擲競技などの成績も加わるそうです。何で?嗚呼、よくある偽善ですね。こうやって恵まれないチームを救済しようと言うわけでしょう。これでいいですか?違いますよねぇ。連中と全く関係ないところでしょう。一年中走って走って、正月TVに映りたいばっかりにきつい練習に耐えてきた連中に全く関係のない事を加味する意味は何?極めつけの偽善ですね。で、おまけにTV向けの結果が出るんです、9位と10位の差がたったの1秒。1秒ですよ。司会の女アナウンサーが距離にして50センチなんて馬鹿言ってましたが、そんな事じゃなくてどういうポイント化だったのか、どういう基準でやり投げやら砲丸投げやらの記録をこの単純で極めてわかりやすい速いか遅いかの競争に「加味」したのか。そこですよね。この1秒が意味するのは何なのか。全くわかりません。くだらない、馬鹿馬鹿しいルールのあったもんです、こんなルールが何十年も続いているんでしょうか。いえ、シード校が10校に増えたのはきっと最近のことでしたから、こんな偽善溢れた規定もこの時に加わったんでしょう、救済措置として。石頭の左翼連中の考えそうなことです、平等至上です。こんな事は平等でも何でもないです。とっとと廃棄すべきでしょう。今までがどうであれ、この予選会の成績だけで決める、これが一番わかりやすくて誰もが納得できる基準です。いつぞやの(今もそうなんでしょうが)日本陸連のマラソン選手選定基準の如き不明朗、不鮮明、灰色さです。こんな所にも、格差を悪と位置づける左翼思想が顔をのぞかせているのです。あの1秒を説明してくれと、必ず行きなさいよ、拓殖大学のキャプテン君。
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