柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

生半

2011-09-30 08:18:18 | Weblog
正心誠意。勝海舟の言葉だなんて知ったかぶりするんじゃない、新首相は後ろにいる勝海舟の末裔だとかいう勝某なる財務省事務次官の傀儡化しているんじゃないのかなんて深読みまでされて馬鹿馬鹿しい、と一刀両断です。産経新聞でバッサリやられてます。どの分野でもそうですが、半可通やってしまうと斬られます。漢文(漢学)と言えばこの人という教授にあっけないほどに吹き飛ばされてます。生半可を偉そうにぶつとしっぺ返しは倍返しです。現代に常用する「誠心誠意」はもともとの正心誠意が俗化したものだそうです。そして出典は大学だと。四書五経の大学。論語、中庸、孟子と並ぶ大学。有名な八項目です、格物、到知、誠意、正心、修身、斉家、治国、平天下。この順に引用されることが多いので、ものをしっかり理解して使いこなして誠意と正しい心で生きて家を為して構えて国は治まり天下は平和になるという処世訓(統治学、帝王学)。でもこの教授は逆に読んでました、国を治めるにはまず家を(暮らしを)調えて、そのためには心身ともに鍛え修めて、という順。すれば正心誠意と続きます、そういう意図でしょうか。それは措いても、勝海舟がどこかでこの有名な(当時)文言を引用しただけのことだということで、殊更に勝海舟がというほどのことではないとの喝破でした。知らぬのなら使いなさんなと軽蔑半分、皮肉三割、警告二割といった書きぶりでした。知ったかぶりの怖ろしさです。どんなことでも自分よりよく知ってる人が必ずいる。自分より優れている人が必ずいる。ですね。だから間違いなくしなさいよ、思い込みでやったらダメですよという教訓ではあります。もっとも、こっちに徹底すると当たり障りのない言葉ばかりになって面白くないことになりそうですが。いえ、斯く言う私もこの正心誠意には噛みついてました。どうして誠心誠意じゃないんだ?奇を衒ってどうする?って。つまり私も半可通だったというわけです。格物到知というくだりは何度か見聞きしてましたが、身についてないのでした。まだまだ足りません。そう自戒することでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

記録

2011-09-29 08:19:57 | Weblog
イチローの記録が途絶えます。機を同じくして羽生さんの王座位連覇も19で止まったという話題です。将棋は全く門外漢、差せますが動かし方を知ってるだけです。たまにNHKの教育(今はこう呼ばないんですよね)で日曜日の昼に将棋の番組がありますね、あれをぼんやり見ていることもあるのですが、感心するのは感想戦というやつ、一等初めから二人で振り返るヤツです。この時にこう考えてこう指したんだけど・・の感想です、反省です。ある場面を設定すると二人ともがパチパチパチとあっという間に駒を並べる。歩がどこにあって、その時に香車や桂馬がどこに居て、なんてのも皆覚えてるんですねぇ。これびっくりします。もっとたまげるのは、将棋盤使わずに二人が目をつぶってどんどん指して行く、あれです。ああやって将棋指し達は鍛えてるんですね。ああいう頭になってるんです。そろばん上手の暗算力と同じことですか。人の頭ってのはものすごい潜在力です。凡な私はそのほとんどを眠らせたままですが(いや、もともとないのかもしれませんが)。その頂点に立ち続けてきた羽生さん。若きリーダーとしてトップを張って何年なんでしょうか。大山さん(この人くらいは私でも知ってます)の大記録を塗り替えようという人です。その人にも終点が来る。そういう事実です。記録はやがて止まる、破られる。誰もが知ってることですが、そこのところの醍醐味なり悲しみなりを知るのはその人のみです。記事によればイチロー、94年から続いた3割打率も途絶えるんだそうです。16年!3割打つのに汲々としている者ばかりの中で梅はスイスイ16年です。改めてすごいこと。16年現役張るだけでもすごいことでしょうに。連続が確定に変わって、また新たな輝きを放つ、なんて書いてますが、ま、そういうことですね、継続中から固定値に変わるわけです。昔こういうことをやった人がいる、という人になるわけです。イチロー38歳だそうです。盗塁は30越えてるんでしょう?まだまだだと外野は勝手に思いますが、こういう特殊な人の美意識というのがどういうものか、これまた興味のあるところですね。凡人は口開けてあんぐり見ているだけですが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

邪教

2011-09-28 08:17:30 | Weblog
除霊だそうです。父親が体抑えていたってんですから、この娘も災難で。と、まるで落語の枕のような話ですがいえいえその娘は窒息死したんです、事は重大です。除霊。こういうオカルトに嵌る人が多い(本当に多い、あなたの周りにも沢山いるでしょう?)のは、これが人の心を魅くからです。不可知に魅かれる。ないものをないと証明できない科学の盲点を突く、それが科学の限界です、だから人は魅かれる心を止められないんえす。言い訳できないからです。そんなバカな、で終わる人の方が多いのですが、超自然現象があるかもしれないじゃないか、に傾く人もいるわけです。で、一旦こっちに傾くと、「そういう目で見れば」の目になってしまう、あばたもえくぼ状態に陥ってしまう、という流れ。そして必ずそこには金が絡んできます、嘘っぱち宗教の常です、多額の金をふんだくられれば獲られるほどに信じ込んでしまうという人の心理です。もう一つは集団心理。構えを美しく仰々しくする、多くの人を同席させる、大きな声を出す、とっぴな行動を要求するなどなど、こっちはトランスさせる方向の効果。この似非教祖も悪いんでしょうが、こいういうのに引っかかる方がもっと馬鹿だと、普通は思いますね。だからこの父親こそが大バカで。父親は言ったそうです、除霊目的の行為だ、我が娘を殺そうとするわけがないじゃないかと。さよう、殺人罪が成立するためには故意が必要です。殺そうと思う意思、殺意です。捕まる覚えはない!と言いたいのでしょうね。もっとも、これは罪状量刑の判断の話です、この父親が自分の娘を殺したことには違いはありません。教祖が水をかけ続ける、父親が嫌がる娘を抑えつける。そこだけ想像すると鬼畜の振る舞いですが、本人達は至って真面目だったんでしょう。だから怖いんだという話ではありますが、もちろんこの父親にも情状酌量の余地はありそうです、娘が登校拒否してだんだん言うことを聞かなくなることに焦ってたんでしょう、記事によれば。医者よりも祈祷という人が、これまた多いのですよ現代においても。親を選べない不幸。この父親にすれば娘が普通でない子になっていくことに罪悪感なりがあったのでしょうが、子を選べないというよりやはり、親を選べない不幸でしょう。虐待等々を持ち出すまでもなく、こういうことはおそらく未然に防ぐことはできないのでしょうね。可哀想に。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明快

2011-09-27 08:17:03 | Weblog
上関町長言います、原発に代わる財源はないと。平易にして明快。もう箱モノは造らない、とも。こちらは気付くのが遅かったですか。まぁ、後出しのじゃんけんは勝つのが道理ですのでこれ以上は言いません。身の丈論に行きつきますね結局。「身の丈に合う暮らし」をどう定義するか。交付金のない状態でのものなのか、税収の何十倍も降り落ちてくる交付金がある状態を基準にするのか。中電もコメント出します、豊かな暮らし、街づくりに協力したいと。そのままです。危険の代償は十分にしますって。あれほどの事故が起き、何十年もそこには住めないなんて事態が現に目の前に発生しているのに、そうは言っても金がないんだもん、が優先される人の世です。事故が起こらなければいいんだろう?と言い訳してすり替えて忘れようとします。いえ、こう書くと選挙結果を非難批判しているようですが、そういうつもりではありません。あのダブルスコアの意味は大きいと思います。今までで最高の得票差の意味するところは大きいのでしょう。一度手に入れた利便、サービス、行政からあれこれの名目で配られる金銭等々は強毒です。手離せません。これが国や電力会社の懐柔策と知りつつ嵌っていくわけです。浜岡原発の再稼働に向けて、隣町(市)の議会が原発反対の議決しました。近隣自治体の賛成がないと動かせないんだそうです。その隣の市にはスズキの大工場があるのですが、こんな危ない所からは移転させるなんてあの名物社長が発言したことも大きく影響しているという報道ですが、そこの市長が言います、そんなに安全だと言いきるのなら東京に造れ!って。首都圏に電力の殆どが送られている現実はこういう意見を生みますね、もっともこういう意見はこういう議論の際には必ず出てきたもので、ことごとく無視されてきたものです。暫く新設はできないでしょう。が、再稼働はどうでしょうか。日本の国力維持という最優先事項は国民の安全保持を凌ぐのか否か。それとも比べるものではないのか。いかがですか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

選択

2011-09-26 08:13:48 | Weblog
ダブルスコア。こんなのは初めて見ました、上関町長選挙、記録的にもそうだそうです。55対45あるいは60対40で推移してきた選挙でしたが、きっちりダブルスコアです、大敗です反対派。結果論であれこれ言うのは簡単でしょうからそれは避けて。ここで私なりにあれこれ書いてきましたこと、反原発の風が上関に届いているか、身の丈にあった暮らしとは何か、という点から愚見をひとくさり。風はきっと届いていたんでしょうが、そうは言うけれどという本音が上回ったわけです。つまりもう元には戻れないという意思です。便利になったらそれ以前には戻れないのです。携帯電話然り、スマホしかり。なくすなんてことはできませんから。一旦手に入れた便利はなくせません。それが原発誘致の(向こうから言えば原発維持の)罠なのですが、どこもかしこもまんまと嵌る。候補者二人の身の丈論を見比べてもその差は明らかでした。貧乏でいいじゃないかと山戸さん、貧乏に戻るのか?と柏原さん。もちろん戦略的に、交付金がなくなった時の事も考えるなんて訴えたのも奏功したのでしょう。このフレーズが多くの人達の背を押したのだと思います、ダメになっても何とかしてくれそうだという「言い訳」です。人の行動の第一の動機はうまく理屈がつくか、すなわちうまく言い訳ができるか、です。一方の山戸さんはまっすぐ反原発でしたから。元の暮らしに戻ればいいじゃないか、でしたから。これはこれで潔い、わかり易い論でした。反原発の風は届いていましたが、日々の暮らしという現実を崩せなかったということですか。言い訳に弱かったということでしたか。もう一つ。好き嫌い。これが筆頭に来るべきなのかもしれませんが、敢えて次席で。候補者への好き嫌い。人は見た目が90%なんて本が出たくらいで、しかも山戸さんは反対派のリーダーとして長く張ってきた人、知名度は抜群、それは固定のイメージができてるということでもあって。現町長が印象よかったのか、敗者がそうでなかったのかはわかりません、あくまで相対的なことですから。でも、訴えの内容がどうのこうのの前に見た目や雰囲気やらでバン!とシャッターが降りてしまうことありますよね。だから選挙は難しいのであり、面白いのでもありましょうが。さて上関、国の施策に今後も振り回されることになりました。どうなりましょうか。
 男子マラソン。2時間3分38秒ですよ。またまたケニア勢。すごいなぁ。先の世界陸上での活躍が目に新しいうちの、またまたケニア。2時間3分台ですよ。日本勢は未だにサブテン(2時間10分を切ること)が話題になるレベルですから。世界はサブ5を遥かに超えているんです。敵う筈がないです。7分違うんですよ。距離にして2.5km。トラック7周分。ハハハ、ですね。駅伝見て楽しんでいるのが関の山です。そうしましょう。そうしてますね、もう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

真理

2011-09-25 08:44:31 | Weblog
ニュートリノ承前。ああいう話題はコラム子を刺激するんでしょう、多くの朝刊が採り上げます。で、新聞が採り上げてくれるとちゃんとあれこれ調べて書いてくれますからこちらは勉強になります、知識が増えます。光速といえばアインシュタインです。相対性理論が世に出たのは彼が26歳の時、1905年だったそうです。日露戦争が終わった年です。ううむ。世界が大きく変わっていく時代ですね。白人支配の帝国主義の一角を崩した日本が一等国にのし上がっていく時代。物理学のパラダイムが大変換する、まさに画期的な時代。えらく前の話です。その理論をもとに積み上げられてきた現代技術ですが、別にどこかで齟齬を生じたわけではないのでしょう?理論通りに進まない技術ってのがあったのでしょうか。アインシュタイン自身が言っていたそうですが、理論が正しいことを証明することはできないのでしょう。あるものはあると証明できるが、ないものをないと証明することは困難だという謂いと同じことと思います。再現できること、反証できることが科学の条件だと言われますが、相対性理論はそのチェックをずっと受け続けて他に「より正しい」(おかしな言い方ですが)理論があるかどうかはわからないけれど、これがアインシュタインの言うことでしょう、少なくとも現在までの科学を支えてきた、誰が実験してもこういう結果が出てきたんでしょう?それとも誰も反論ができなかっただけでしょうか。アインシュタインの言う「正しいことの証明はできない」のココロは、対する理論が出てくるまではという時間的猶予を表すだけのことなのでしょうか。発見者の謙遜ではなくて、真理(と思われていること事)というのはそうでない真理が出てくるまでの一時的な了解なのだと。だからアインシュタインの理論が役に立たなくなるのではなくて(現に役立ってるんですから)、彼が定義した光速より速いモノはないということが覆される(かもしれない)だけで、そこからは今までの常識のいくつかが覆されていくだけのことなのでしょう。全て崩れて一から始まるのではなくて、積み上がっていく。E=mcxc(cの二乗)、私でもよく目にする有名な公式です、何かの宣伝にも出てましたね、アインシュタインに似せた俳優を使って。これが覆るのではないのでしょう?そこのところが素人には窺うことすらできぬことですが、もっとも、どっちに転んでも明日の暮らしには困りませんが。専門の学者たちは慎重な態度だそうです、そりゃそうでしょうね。胃の中からヘリコバクターピロリ菌が見つかった時の騒動に似てましょうか、あんなところに細菌などいない!という何百年に亘る強固な常識が覆ったのでした。新聞にありました、ノーベル賞とった爺さん学者のカミオカンデのコメントです、私達の実験結果では遥かかなたの星から届くニュートリノは光と同時にやって来ていた。この新しい知見にあてはめればもっと早くに届いている筈だと。この新しい知見は730kmの距離で測ったものでした、そこで一億分の一秒速かったというものでした。これが何光年、何十光年離れたものだったら・・、掛け算ですね。一光年は9.46x10の12乗kmだそうですから、一光年の距離で測れば、一億分の一(1/10の8乗)x9x10の12乗=9x10の4乗秒、つまり9万秒。25時間。ニュートリノの方が一光年の距離でも25時間早く届いている筈だということです。なるほど。再検証が必要というわけです。タイムマシンが現実のものになるかも知れないという話だそうです。私達が見ているのは光そのものですから、それよりも速く進むものから見れば昔の自分(景色)が追いかけてくるということでしょうか、凡な頭ではこのくらいの想像しかできませんが。SFに全く不向きな頭ではこういう時に想像ができません。全然わかりません。SF好きな方々や物理に造詣の深い方々にはきっと興味の湧く話題なのだろうなと思いながら、回らぬ頭で書きました。失礼しました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

理論

2011-09-24 08:20:43 | Weblog
大相撲、琴奨菊と稀勢の海が勝ち進みます。さすがにあの大騒動の後ですから、見え見えの昇進はできません。でも前半でポロリポロリ落してしまうと、後半で帳尻合わさねばなりません。現在の大関陣では勝ったところで印象がとても薄い、となれば横綱に負けてもらうが一番です。二人の同時昇進はないことなのでしょうから、とりあえずは今回は琴奨菊、もう一人は今場所成績を積み上げておいて次、その次という計算でしょう。日本人大関の誕生が焦眉の急という協会の判断ですか。おそらくガチンコが徹底されているんでしょうね、それは横綱がかかった日馬富士があれだけ勝てぬが証明しているのでしょう。モンゴルばかりはもう要らぬとの協会の意思だったのかもしれませんが。なにせ注射禁止。だから最後の最後に大操作。上手に負けるも強さのうち、ですか。
 光より速い素粒子。相対性理論と矛盾。新聞に大きく見出しです。興味のある人達、こっちをかじってきた人達にはすごい話なんでしょうが、私のような凡には何~に?です。アインシュタインの理論がひっくり返るかもしれない事実、だそうです。光より一億分の一秒速く飛ぶんだそうですニュートリノ。ったく、???の連続ですが、面白がって書いてます。一億分の一。百万分の一がマイクロです。ミリとマイクロという単位は放射線量の報道で耳タコでした、ミリシーベルト、マイクロシーベルト。ナノテクノロジーとよく言われますが、ナノとはマイクロの千分の一、10億分の一です。ですからそういう表記をすれば10ナノセカンド(秒)。もっとも時間にこういう単位をつけるのはあまり見受けませんね、習慣上のことなのでしょう。タイムトライアル競技でも、100分の一秒差、千分の一秒差なんて言い方ですからね。と、話題の中心から脇に逸れるは知識が届かないからです。ニュートリノって、日本の爺さん学者がノーベル賞獲った研究じゃなかったですかね。カミオカンデかカンダか忘れました、何を噛んだて?と突っ込んだことでしたが、何も知らないからのことでした。光速より速い。あるんじゃないの?とぼんやり思いますが、そうなると現在の物理理論がひっくりかえるという大事なんだそうです。面白いこと、なんでしょう?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

身丈

2011-09-23 08:27:16 | Weblog
当地昨日は何とも快適な秋空、澄んだ景色と空気。台風一過(雨風は幸いひどくならすに済んだのでしたが)とはこのことかと、いきなりの季節の転換に驚くほどでした。今朝も寒いので目が覚めました。季節の変わり目です、ご自愛ください。
 中日落合監督、10月31日で契約切れ、退任(新聞記事によれば馘首ですが)だそうです。監督を8年続けて(中日では歴代一位だそうです)、3回リーグ優勝して、一度もBクラス(4位以下)に落ちたことがない。名選手必ずしも名監督(伯楽)ならずのジンクスを破った人と記事は持ち上げます。確かに名選手。三冠王を三回も獲った人です。ここに異論をはさむ人はいないでしょう、と言うか挟めない。王、長嶋でも届かない人ですから。けど面白くない。玄人受けはしたんでしょうが、華のない人でした。華を作ろうとも添えようともしない人でした。だから客が来ない。一時、夫人があの独特のキャラと風貌でマスコミに面白がられてましたが、そう言えば最近はさっぱり見かけません、すっかり飽きられちゃった態です。球団とすれば強いチームにしてくれたはいいが、どうして客が来ない?どうして儲からない?なのでした。おまけにこの監督のギャラが3億円以上だそうで。極めてわかり易い解任劇でした(成績不良によるものではなく、興行不良による)。もっとも再契約しないというものですから、解任とも違うのですかね。契約通り。落合監督のコメント通りですか。義理の人情のしがらみのでズルズルいくより、涙の解任劇(長嶋、王、原)よりずっとこの人らしくていいですか。次は?中日は高木守道だそうです、この人は中日はえ抜きです、客は戻って来るでしょう。でも、こういうところが日本人の浪花節好みのところ、落合のような人をはじいてしまうドロドロの気質なのでしょうが。で落合は?こういう人を必要としている球団。楽天ですかねぇ。星野じゃだめってわかりましたから。
 野田首相の夫人、写真が新聞に載ります。ファーストレディーとしてのデビューだそうで。ああ、そっくり。デブなところもそっくりで。夫婦は長くなると段々に似てくるとよく言いますが、私には異論があります。そうじゃない、似たもの同士が好きになるんだ、夫婦になるんだと。元々似ているんですから歳とってくるともっと近づく。街でぼんやり人を見ているとカップル、これは若いのも年寄りもそうです、まぁよく似た顔が多いこと。一度そういう目で見てごらんになれば納得していただけると思います。同じ所に住んで同じものを食べるから段々に似てくるんだという理由(想像ですが)を聞いたことがありますが、違うでしょう?美女に野獣。確かにこういう例もあります。確かにびっくりするような綺麗な奥さん連れてるブ男をみることがありますが、どんな法則にも例外はあるのです。野田首相夫婦は私の法則通りの方々でした。
 アメリカの人工衛星、20年前に打ち上げたのが落ちてくるんだそうです。それはそれでいいんですが、26個の破片に割れて、それがどこに落ちてくるかわからない。人に当たる確率が1/3200なんだそうです。今朝の天声人語も余録も採り上げてましたが、これ大きい数字ですよね。でも特別な人(あなた)に当たる確率は1/22兆なんだそうです。???。いつもこういう数字に噛みついてますが、まず26個の破片。どうして個数までわかるの?どんな壊れ方するか、それこそわからないでしょうに。それとも26のパーツにしか割れないようになってるんでしょうか。26個しかパーツがないんでしょうか。1/3200。これは大きい数字ですよ。どこに落ちるかわからないと言っても、あのハヤブサの時のように、またスペースシャトルのように、大概は予想通りに落ちてきますよね。カメラが待ってる所へ落ちてくる(だから私達は映像を見ることができる)。今回は何故わからないの?800km半径内とかなんとか記事にはありますが、どの辺りという推測はついているでしょうにね。人に当たる確率。何ともラフな大雑把な言い方。それぞれの地区の人口密度で割ってるんでしょうか、それとももっとラフに世界の人口で割って?人が住んでない広大な地域は計算に入ってるの?それとも人口の密集地を対象に割り出してる?いつも言ってますが、この分母と分子はそもそも何?それがあなたに当たる確率となると(これはあくまで数字のお遊びでしょう。まさか世界中のどの人も同じ確率で危ないなんてことにはなりませんから。地球が爆発するんじゃないんですから)1/22兆。世界の人口が今何人です?60億ですか?3200X60億=19兆2千億。こういう計算ですね。ということは3200の割り出しは人の住んでるところ(密集地)とそうでないところの比率なんでしょうか。26個あるんですから、3200÷26=123。人の住んでいる地域と人のいない地域(太平洋とか南極とか)の比率は1:123?そんなことないですねぇ。海はもっと広いですよね。この計算は間違いでしょう。でもくどいですが、アフリカのジャングルに住む少数原住民に仮に当たっても、その人達は計算に入ってないということです。想定外の人々。もっと緻密な計算に拠っているのでしょう(その確率の方が高いのでしょうが)が、この数字、ラフに過ぎませんか?わかりませんもの、第一。
 上関町長選、新聞に両候補の意見が載ります。読売が面白いです。原発反対派の山戸さんが頻りに交付金に頼らない身の丈にあった暮らし、町政をすればいいと訴えるのを受けて、現町長推進派の柏原さんが言ってます。原発は暮らしを豊かにするための手段に過ぎない。過疎化で税収が減っていく中で町民の暮らしをいかに守り、豊かにするかが重要だ。交付金なしで身の丈にあった生活をおくってもらえるのか。厳しいだろう、と。さらに、原発交付金に匹敵する財源はない、今の税収レベルではそれだけで財源を維持するのは困難だと思うと言います。わざとなんでしょうけれど、「身の丈」の認識が違います。山戸さんのキャッチフレーズに対抗する反論するのでしたが、わざとすれ違わせてます、ねじれの位置。山戸さんの言う身の丈は、金(交付金)がなければないなりの暮らしをすればいい、今まで通りの暮らしで工夫していけばいい、上関に似合わない無用の箱モノで無駄遣いするなということでしょう。一方柏原さんは現在の状態を身の丈と定義してます、交付金をたっぷり受けた現状こそが上関の身の丈だと。ここで交付金が途絶えたら、貧しい暮らしに逆戻りだ。それは上関の身の丈ではないのだと。どの原発誘致地域もこの理屈で、このアリ地獄で国に搦め取られているのです。元々金のない(税収の乏しい)貧乏過疎地を狙ってのことです、ドカンと落して一時の快楽に耽らせて(あちこちにバラ撒かせて)、後は借金取り立てで脅していく、もう一つ(一基)作りますか、また金出しますよ。どの原発も何基もずらりと並んでますよね、一つも五つも同じことじゃと言い訳してるんでしょうが、その実は金が足りなくなるからです。元々金のない所なのです、大借金を返すあてなどありません。今まさに上関が陥っている罠です。そこを山戸さんはイデオロギッシュな反原発の金切り声ではない、理を詰めた情に訴えるキャッチフレーズで戦っているという図ですか。もう一つ、これは私が気に入ってるだけですが、上関をカミノセキと片仮名で呼ばせないようにというフレーズもあります。新聞には載りませんが。いえ、山戸さんに肩入れするつもりはありませんし、別のインタビューでこの人は反原発の世論の波は上関には届いていないと言ってました。選挙の結果には非常に興味がありますが、決めるのは上関の人達ですから。が、読売の記事を読む限りは原発政策の罠にはまった現状が浮き彫りにされている、それが図らずも町長自身の口から出ていると思ったことでした。ご一読をお勧めします。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

謙虚

2011-09-22 08:15:47 | Weblog
天災被害も田舎型と都会型がありましょう。大きな川が溢れて堤が切れれば、これは都会も田舎もありませんが、山が崩れる、家が潰される流される、道路がふさがる、ひと村が孤立するなんてのが田舎型、あちこちが崩れ壊れるのではないけれどインフラの機能不全でたちまちあちこちが立ち往生するのが都会型。停電や断水による影響は人口の多い都会により甚大でしょうが、特に昨日も象徴的でしたが電車が止まることの危なさ。先の大震災での帰宅難民なるものの多さ、つまりこれが震災対策の遅れだと糾弾もされたことでしたが、この再現でした。もっとも今回は時間限定でしたが。見る見る駅前に溢れる人、人、人。人口の差に改めて圧倒されたことでしたが、これ台風だから過ぎるまでを待てばいいのでしたが、これまた「本降りになって駆け出す雨宿り」の謂いです、あの雨風だから集まって来るのかもしれませんが、しかし、この場面はきっとまた次の大天災で再現されるのでしょうね。そして人が多くなればなるほど流言飛語に惑わされる、いわゆるパニック。名古屋の大洪水もすごいことでしたね。大きな街には大きな河があるわけです。いや、順が逆です、大きな河の周りに人が集まり街ができるんですね。だから治水は最大の行政事業です。でも溢れる。堤は切れる。人知は及ばないのです。私もくどいですが、科学は万能なんかではないのです。人知は天にはとても届かないのです。強くそう思います。謙虚にならねば。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人知

2011-09-21 08:12:43 | Weblog
今回も台風、うまく当地を避けてくれました。でも他所のどこかに向かうわけです、明日は我が身という考え方は大事なのですが、人は(私は)勝手なもので過ぎたら終わりです。何年か前の当地の大水のことはまだ記憶に新しくて、冠水浸水の経験はTVに写される被災した人達の驚きや落胆やの思いを理解させます。治山治水は人が大地に住まいを構えて生きていく限りの永遠の課題と知ります。暴れ川(河)と昔から呼ばれてきた川はこの科学の時代においても暴れ川なのです。護岸工事がどれほどの役にも立たぬことを知るわけです。あの堂々たる防潮堤が脆くも潰された様に呆然と立ちつくした如く。人知はまだまだまだまだ天に届きません。謙虚に生きねばならぬのでしょう。驕ってはならぬのでしょう。
 九電のやらせメール事件、えらくしつこく新聞が採り上げます。朝日などは一面トップです。そんな大事かい?私もくどいですが、これが大マスコミの恣意だと思うのです。向こうの勝手な選択によって世論が作られていく。もちろんその力を敵さん方は重々承知の上ですから、堂々とやってきます。原発を再稼働させたくない、んでしょうね。そうでなければこんな話題は無視しておけばいいんですから。所詮は九電のやる「個人的」な調査です。でも、もっと事情もあるんでしょう。知事を失脚させたい。玄海原発騒動の責任を全て知事におっ被せて、知事が辞めることで終息させたい(もう十分世の中の興味は失せてますのに)。もっとエグイこと?九電と佐賀県知事とのズブズブぶりをもっと暴きたい?それでマスコミ達が何かで煮え湯を飲まされたことでもあって、その意趣返し?九電を叩くというより明らかに獲物は佐賀県知事ですから。九電を潰すわけにはいかぬし、潰れもしないことではありますが、九電はマスコミにとっては大スポンサーでもあることで、下手につつき過ぎて我が身に累が及んではならぬという含み、一層矛先は知事に向かうという絵ですか。しつこい。このしつこさの意味するところは?深読みする悪趣味ではなく、そう思われませんか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする