柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

手続き

2007-09-30 12:11:33 | Weblog
ミャンマーの邦人カメラマン「流れ弾でない至近距離」射殺事件、いかがですか。外相が、流れ弾ならいざ知らずといった趣の憤りを述べています。現在のミャンマー政権に対する「平和的」デモ、しかも当地では位の高い僧侶達がデモした、それを有無も言わさず弾圧しているという図柄、まずそこを非難して、次にどうして至近距離から、つまりどうしてわざと、しかも関係のない人間を撃とうとして撃つのか、という非難です。そうですよね。邦人(自国民)に対する他国の故なき無体には厳として抗議対応するという大見得(スタンドプレー)には一応肯きますが、でもこっちであれば北朝鮮の拉致問題へのとんでもない弱腰はどうなんだ!?という数百倍の反撃喰らいましょう。彼の地の軍事政権が如何に独裁であれ、スーチーさんの長期軟禁という共産国さながらの時代錯誤が横行している地であれ、余所の国が口挟むは要らぬお節介にすぎぬのです、今後どう展開していくかはいざ知らず(この揺らぎから現政権が崩壊するかも知れません、スーチーさんが首相になるかも知れません、不屈の民主化の象徴として)、ソ連やポルポト、中共の天安門事件、北朝鮮と歴史上の前例はうんとあります。高村さんが胸張って憤りを表明しても、向こうの外相が悪かったと言えばそれで終わりです。死んだカメラマンですか。あんな所にあんな軽装で無防備に出ていく事自体おかしいですよね(サンダル履きだったでしょう?)、あれがいつものことだったのなら余計にです、慢心過信でしょう。自分は撃たれない、自分は死なないという過信。違いましょうか。末端の兵士に高い倫理感やら規律やらを期待しているのですか。日本兵の悪行とやらをあれだけ言挙げし口を極めて非難するのに、こっちの兵隊は紳士だとでも言いたいのでしょうかね。上から命令されて、あいつら(デモの連中)を追っ払え、一人二人殺しても構わん!なんて送り出されて来たんでしょうに。で、目の前にカメラもった外人、プレスとわかる格好ならいざしらず、普通の半袖シャツ羽織ったサンダル履きがうろちょろしている、くそ!邪魔な奴!ズドン。あり得る話ですわ。こんな端々の、殺気だった場面に、どんな倫理観を要求しようとするのでしょうか。外相同士、首相同士の、国と国の間の手続きとしての非難にすぎません。手続きといえばこれもそうでしょう、日本新聞労働組合連合が「虫けらのように記者を射殺し、言論を抹殺するミャンマー軍政の暴挙に対し、厳重に抗議する」そうです。言論の抹殺?馬鹿馬鹿しい。あの兵隊はそんなこと考えてませんよ。長崎市長射殺事件が民主主義への挑戦に化ける、あれです。茶番ですね。このカメラマンには気の毒でしたが、本望でしょうに。全面的に自己責任問題です。そう思います。
 沖縄、すごいこと11万人(全人口の一割ですって)集めたんだそうです。教科書検定、集団自決は軍の強制だったという文言の削除に対する抗議集会(県民大会)です。すごいなぁ、11万人です。比較が不遜ですが、ウッドストックか?ってツッコミです。サイモンとガーファンクルのセントラルパーク、ローリングストーンズのハイドパークのライブもびっくりです。朝日と毎日が大きく一面トップです、そうでしょうねここは本家の登場です。県議会が主催するというのもへぇ~と思う一因です。この話題も何度か書いてきましたが、よく国やら権力側が使う方便で定義云々があります、決してごまかそうとするのではなくてでもやはり強制の意味をちゃんと定義しないと話が浮き上がってあらぬ方向に進みます。手榴弾による自決を強制されたという訴えです。今朝の毎日新聞にもありますが手榴弾を役場で渡されたとか、軍の玉砕命令が(住民に対して)出されたとか、あるいは軍人から手渡されたとか(広く知られている事です)、そのことをもって「日本軍の関与は覆い隠すことのできない事実」と沖縄知事は言い、「正しい過去の歴史認識こそが未来のしるべとなることを知るべきだ」と那覇市長が言い、高校生に「うそを真実と言わないでください」と言わせます(毎日)。手榴弾はまぎれもなく日本軍から渡された、民間人の手に渡らなければ集団自決はなかったと確信している、との生き抜いた人の証言を載せます。私の知識はおそらくなまなかなものでしょう、本で読んだだけですから、それをお断りしておいて、軍の命令を否定する学説もあるという事実も一考に値すると思っています。そのままにいれば米軍に殺された、でも日本軍に逆らえば日本人に殺された、という話も知っています。守ってくれると信じていた日本軍に略奪され無体を強いられ反抗すると殺されたという話も知っています。米軍ではなく沖縄の人達にとってより身近な敵は日本軍だったという話も知っています。が、戦後沖縄タイムスやら大江健三郎らによって名指しで非難された軍責任者の無実を(無実かどうかは別の判断です、事実に誤りありとの指摘というべきでしょうか)曾野綾子をはじめとして多くの証言が裏付けていることは現実です。具体的に個人名を出すと、具体的に検証できると言う理屈です、この人が一体どういう人だったのかという検証になります。端々の無体の責任は総括者(部隊長なり師団長なり)のものですが、その人の命令かどうかは別問題です。一言も弁明せず粛々と罪を被った長もいたに違いないのです。そういう人の名誉は回復せねばならぬのです。ただ端々の一兵士にまで軍規なり命令なりが届き且つ守られていたかどうか。所詮はその個人個人の素養知識品性人格によることです、その場でどういう兵隊に誘導されるか、確かに怖ろしいことですがそういう運命でもあったのではないですか。天皇陛下絶対の教育の元、軍隊の支配下(強制下と言ってもいいでしょう)にあった日常という環境は、沖縄だけが例外じゃありません、日本中がそうだったのです。軍隊に歯向かえば日本軍(日本人)に殺されたのです。手榴弾が民間の手に渡ることに軍が関与しないわけがありません、そんなことは私のような暢気な余所者でもわかる因果です。そこをまで否定しているのではないです教科書検定は。そこが大きく膨らみすぎて(平和問題にすり替えて)、沖縄ばかりに負担を強いるな、沖縄から基地をなくせ、の方向に行く、というか持っていきたい恣意ですね。この膨らみ具合を見て思うのは、そしていかにもマスコミ受け、大向こう受けを狙った高校生の発言を聞いて思うのは、機に乗じた団体示威行動という本音です。もちろんこんなことは裏読みでも深読みでも何でもない、そのまんまの解釈なのかも知れません。でも、沖縄に生まれ住み生きるということは、そういうことなんじゃないかと思うのです。それぞれの歴史の上に今の暮らしがある。私達は今この時を生きていくばかり。そしてその先には連綿と時間が続いていく。今、比較すればのほほんと事なく暮らしている者が言えたことではないのでしょうが、その地に住んでいる生きていることはその地の歴史を思わず踏みしめていることです。現代、現在の環境の物差しで当時を測るは間違いです。高校生辺りの年回りの子供にそういう要求はとてもできません。おそらく才気煥発の二人を選んできたのでしょうが、可哀想だ、信じられない、あり得ない!なんて感想が関の山でしょう、年端が行かぬということはそういうことですから。原爆記念日に子供に喋らせるあれと同じ、ただの演出です。主催者の恣意でしょう?
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らしさ

2007-09-29 08:42:17 | Weblog
本日午後六時からキャバーンの野外ライブ行ないます。ビートルズのコーラス曲を聴いていただきます。お近くの方々(もちろん遠方の方も)、お時間の合う方々、どうぞお越し下さい、お待ちしております。詳細はこのホームページにて。
 大相撲の所轄は文部省だったんですね、びっくりしましたが、でも考えるにこれ以外の省庁ではもっとおかしいですか。今回はえらく素早い対応です、理事長呼びつけて今まで顔も名前も見たことのない大臣の初仕事、ああしなさい、こうしなさいと具体的に要求です。不祥事が重なっていましたから、そのタイミングではあったにせよ、先に書きましたがこんな事はこの業界の慣習であって、だから今まで大した問題にせず(マスコミも取り上げず)闇に葬られてきた事例だったのでしょう。一体何人死んでいるのでしょうか。急死、今回のように急性心不全と隠されて。この診断書書いた医者がいるんですよ、これも怖いことでしょう?一目見れば虐待云々は想像がつこうもの、でもお抱え医者、御用医者にかかればこんな事はいつものこと、不審死ではないというわけです。闇から闇とはこういうことです。入り口から出口までつるんでしまえば、死亡診断書を受け取るしかありません市役所は。怖いことです。朝日の写真笑えますよ、北の湖理事長ふんぞり返って、大臣が深々と頭下げています、キャプションが太字で、謝罪しているのは北の湖理事長、ってご丁寧に。この理事長らしいってわけですか。
 朝青龍、完治したと思うと本人が言って、医者も最も軽症の精神障害だったと宣もうたそうです。おお、仮病でしたって白状したようなもんですな。ぶすけていただけ、誰かに入れ知恵されて
こうすればモンゴルに逃げられるって。まったく協会幹部も舐められたもんです。日本の精神科医じゃぁ治せなかったて馬鹿馬鹿しいおまけを付けて、きっと今後は鬱病にはモンゴルの温泉療法がいいぞって話になって、こんどは鬱病患者向けのモンゴルツアーが組まれて大儲け、あの施設朝青龍が儲かる仕組みじゃないんですか?この男正直な奴で、モンゴルに逃げて日本の記者から解放された途端に顔が違ってましたからね。結局、協会が狂言回しという顛末。馬鹿馬鹿しい、解雇です解雇。
 ミャンマーで殺された(死んだ)記者の話。「最後までカメラ放さず(読売)」「真っすぐで強い正義感(日経)」インタビューに応じて、父親はふにゃふにゃ言ってるけれど(ミャンマーの政府にちゃんとしてもらいたいとかなんとか)、母親の普通の言葉こそが真実です、言うことを聞かないから、と。危ないところにどうして行くのか?危ないから止めなさい。それを聞かずに行くんですから、いい大人がやることです、本人の責任ですわね。子供にでも分かる理屈。殺す方が悪い?そんなところに当事者でもない奴がノコノコ出ていく方が悪いですわ。こいつはこんなにいい奴だったのにどうしてこんな理不尽な殺され方しなければならぬのか?ってこぞって森田健作してます。何ーにを言うとるか!以前、イラクで若い役人が殺されましたね、あれとは公か私かの違いが大きいです。カメラマンも殺されましたね、あれと一緒。自己責任です。それはそれとして。すごいですよ、今NHKの映像、射たれて倒れる場面流してます。いいの?こんな映像。新聞の写真がまた面白いです。昨日今日とロイター配信の写真が各紙の一面を飾っているのですが(どれも同じ)、昨日の毎日新聞のキャプションは、警官に追われて逃げまどう人々から少し離れて倒れている男を指して「負傷して倒れながらそれを撮影する人」なんて暢気に報じています(確かに右手を挙げてカメラ操作しているようにも見えますから)が、実はこの倒れている人こそが撃たれて倒れて直ぐの当のカメラマンだったという顛末、今朝の朝日はその人を指して「倒れている長井健司さん」とキャプションです。これは面白いんじゃないですか。同じ写真を同じように載せて解説が変わっていく。情報とはこういうもんですが、飛びついた思い込みというのはやはり注意せねばならぬということです。それを聞く方もそう構えねばならぬということです。
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悪意

2007-09-28 08:40:55 | Weblog
ミャンマーの軍事制圧、いかがなものか、ですが、しかしスーチーさんも軟禁が長いですねぇ。北京と同じく民衆蜂起というのはなかなかできぬことなのでしょう。私達にはフランス革命、ジャンヌダルクのイメージが強いからでしょうか、なんだかはがゆいことですが、ベルリンの壁は落ちましたが、天安門事件はすっかり制圧されましたからね、鉄砲打ってくる奴ら相手に、いきなり「屍を超えていけ!」ってならないでしょうし。こっちが戦車用意できるまでの時間、用意しようとする奴がいるか否か、そここそが律速問題なんでしょうけれど。文化度、民度、国民性、どれでしょうね、私は国民性が一番の鍵と思います。むろん国民に情報がどこまで伝わっているのかという国力の問題も大きいでしょう、情報網などのインフラの問題です。先進国、後進国の違いでどこまで線を引けるのか。ミャンマーの出来事を、あのレベルの事柄と整理してしまうのが普通ですから。スーチーさんも歳をとっていくんです、いつまでも花飾りを髪に挿していられないでしょう。これも天の時待ちでしょうか。この人に天が微笑むのでしょうか。どちらが先に疲弊しましょうか。関連して、NHKが盛んに報道するのはいいのですが、僧侶に向かって発砲を、ずっと「僧りょ」と表記します。これは明らかに恣意です。新聞は全て(朝日も日経も毎日も)僧侶と表記していますから。醜い、見難い、不細工、漢字文化の冒涜・・なのですが、それよりもNHKの悪意が見えます。当用漢字、常用漢字がああのこうのという理由付けてくるんでしょうが、漢字とはそうじゃないですよね。一つ一つに意味があって、組合わさってまた別の意味を加える。それが日本文化の根幹をなしているんです。難しい漢字にはルビを振って、知らぬ者に教えてやる。先に書きましたが、携帯電話やワープロの漢字変換の功罪の功の方、こういうときにはこういう漢字で表すのだと教えていく。新聞やらTVやら、読む見る情報媒体にはそういう役目が必ずあると思うんです。それを十分に知りつつ、逆手にとる、一種の愚民政策です。悪意でしょう?そう思うのです。
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業界

2007-09-27 08:43:02 | Weblog
新聞一面広告、永ちゃん、例の顔で決めてます、マンダムの広告です。マンダムといえば未だにチャールズブロンソンとあの唄を思い出す辺り、如何に化粧品を使わないか、如何にこっち方向に興味がないかの証拠でしたが、いや、紙面に大きく踊るキャッチコピーににやりとしたのでした。「あんた、男の、どこらへん?」いいなぁ。いいと思われませんか。矢沢永吉が斜に構えて言いそうなセリフですよ、やんなきゃダメよ、そこんとこヨロシク、なんてね。
 時津風部屋の新弟子死亡事件、これは逃げられないですわ、またまたタイミングの悪いことで、北の湖理事長ご災難。17歳、入門3カ月目、兄弟子が怖いと前日に電話があったと父親が言う「俺が殺したようなもんだ」と涙を誘う、馬鹿な親方は確かに昨日ビール瓶で頭を殴ったなんてぬけぬけと言う、かわいがってやれと唆したと平然と言う、叩いてくださいって言っているようなものです。隠さないところ潔いと言えるのかもしれませんが、いえ、罪の意識がないという方が正しいのでしょうね。何が悪かったんだろうか、部屋から逃げようとした奴を懲らしめただけ、いつもやっていることなんだけど・・です。そういえば俺も殴ったけど、いつものことですよ、なんて認識。いや、だからいけないとはなりません、その業界のしきたりは外から見ると理不尽なことが多いものです、あなたの業界にもあるでしょう?二十歳に満たない子供たちを相撲に縛り付けるには相応の手段が要ります、外から見ると暴力、脅迫、拘束、抑圧、内から言えば辛抱、修練、躾。逃げ出したくなるを抑えるには、懇々と説得するより、こんな真似するとこんな目に遭うぞ!と思い知らせる方がより直接的、より効果的です。みんなそうやられて、先輩になれば下のものに当然のこととしてやってきた慣習事です。だから逃げ出そうとする方が悪い、これくらいのしごきに負ける方がおかしい、って理屈になります。だって、みんなが通ってきた道ですから。これは私がよく言う、医者のなり立て当初のハードワークにも当てはまります、労災なんて言われるとがっかりする、あの感覚です。あそこを通り抜けないと一人前になれない、という辛抱です。でも、それを強要することがいけないって事になるんでしょうね、被害者扱いですから。そんな事しなくても一人前にはなれるだろう?なんて外からの屁理屈がねじ込まれます。さてさて、理事長、今度はどう立ち回りましょうか。ここで下手やると今度は自分の辞任騒ぎでしょうね、お気の毒。
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参謀

2007-09-26 08:41:54 | Weblog
斧で父親斬りかかる事件重なります。長野の中学校長の会見(言い訳)聞いて天仰ぎました。生徒の皆さんには、精神的に耐えられなくなったら派遣されてきているなんちゃらいう専門家に早く相談してください、って。馬鹿かあんたは?生徒の皆さん、だ?誰の生徒なんだ?誰が責任持って教育している?県から派遣してくる怪しげな専門家に丸投げするだけ。私は知りませんって。校長というのは皆こんな奴らですか?役人以下の役人です、全て人の所為にする。親に何も言えないばかりか、生徒の皆さんとくる。そんなことしていいと思っているのか?!との一喝もくれてやれないんでしょうねぇ。子供は誰の言うことを聞けばいいんです?お前の好きにしたらいいよなんて誰からも言われ続けて、ちゃんとした大人になりますか?いや大人になる前に道を平気で外してしまう。外しちゃいけないと誰も言わないんですから。ったく、つまらんことです。肚の据わった校長の一人も出てきて、それをマスコミが取り上げて、という風待ちですか。そうか肚の据わった首長待ち。後者の方が期待できそうですが、いやそれにしてもはがゆいこと。もっとしっかりしろよ校長!
 福田さん自ら「背水の陣内閣」と呼びました。居抜き内閣、選挙管理内閣とも書かれています。朝日が面白く見出しです「上書き保存内閣」。ワープロの over write ですね、上書きしていいですか?YES ってノリです。自民党存亡の危機だ、一つの間違いが命取りになりかねない、と新総裁は言います。そしてこの組閣。伝わりますね。いいんじゃないんでしょうか。派閥政治です、まさしくその様相ですが、危なっかしさがない分、総出という一種悲壮感というか、若い役者達がドタバタで荒らした舞台に「しょうがねぇな」と押っ取り刀でトリを取れる役者達が出てくるような「待ってました」感のある分、鳩山やら社民党女党首の評価も、安倍さんの時にはあれだけジャストだったのに何だか歯切れの悪いことふにゃふにゃ言ってるところ、落ち着きを取り戻すにはよい布陣でよいフレーズと思います。この線で押せば、小沢さんがここでひるまず次々に妙手を打たなければ、世論は落ち着き安定に傾きます。危機だと認識しております、しっかりやります、見ていて下さい、というアピール。この方向のしたたかさ。つくづく参謀の力量差を感じます。つまり読みですか。段取り、手続きです。福田さん、適当でしたか。嫌いな人ですが、天の時、人の和を得ているんでしょう。こういうところも、本当に勉強になりますねぇ、人の世の中です。舛添さん、しっかりやって貰いたい!!
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落ちた犬

2007-09-25 08:43:10 | Weblog
阪神絵に書いた如きJFK使いすぎ。この大事な時につけが回りました。いっそのこと3位に甘んじてJFKずっと休ませるってのはどうでしょうかね。でも、そんなことすると巨人中日にも楽させることになるんでしょうね。
 パラサイト虐待という言葉を初めて見ました。丁度私くらいの年代(四、五、六十代)の息子や娘が同居している老親を虐待することだそうです。仕事もせずに酒びたり迷惑かけ通しのぼんくら、ごくつぶしの類だけじゃなく、リストラ喰らって自分で金稼げない能無し、結婚もせず自立もしない行かず後家、そして離婚してこぶつきで帰ってきて堂々と居座っている出戻り娘(女に限りません、男もそうです)・・。老親のなけなしの貯金やら財産やらを食いつぶすまさに寄生虫です(本来の寄生虫はこんな一方的な搾取形態ではなく共生形態が多いのです。サナダムシにも劣る奴らです)。ま、しかしそういう子に(大人に)育てた因果はこの人達(老親)にしか返ってきませんから、仕方のないことではありましょうか。間違ってもここに格差社会がどうのこうのという屁理屈つないではいけません。すぐれて個人的問題です、この家庭の問題です。社会の所為にするはそこへの非難が終わってからのことです。
 福田さんやりますねぇ、面目躍如です。朝日が社説で書いていますが、誰が見ても派閥政治の復活です、小泉さんぶっ潰したはずの自民党でしたがとんでもないこと抑えつけられていた者達の巻き返しです、キングメーカー気取りの森さん鼻高々ですね。伊吹さんというのは力のある人なんですねぇ、幹事長ですよ。でもやはりあの顔ぶれを見れば古賀さんです、しかも選対委員長とはまたうってつけ。あそこが要職でしょうね、小泉チルドレン達の横着を一喝できるはこの強面でしょう、楽しみですねぇ。岐阜とか静岡とか、また楽しみが増えましたね。次は麻生さんが外相あたりに残るか、舛添さんやら増田さんやらが留任できるか、ですか。舛添さんには是非やらせて欲しいと思いますね、この人くらいですから仕事が国民の目に見えるのは。
 安倍さん、どこまで落ちましょうか。体力の限界、だそうです。もっと他に言い方、言うことなかったかなぁ。病気で落ちていく者に同情は集まりません。自分でそこに堕ちていってどうするんですかっ!本当に参謀がいないんですね、お目付役がいなかったんですね。嘘でいいんです、今次は天の時を得られなかったが私が訴えてきたことは日本の国家百年の計である、やがて再び私の時が来よう、とかなんとかぶち上げたらよかったんです。そうすればきっと次の目もあったでしょうに。病気でした、なんて情けない。病人が出てくるな!って話です。総理大臣ですよ。ああ、最後までKYでKS(言葉知らない)でkw(空気わからない)人でしたね。ひょっとしたら議員辞めるって言い出すかも知れません。でも大丈夫、あそこには林芳正っていう駒が控えてますから。
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惹句の嘘

2007-09-24 08:04:07 | Weblog
心配していたとおり阪神息切れです。今季からは三位にいればという気楽さですが、興行収入的には一位と三位とでは大違いらしいです、そうですわねぇ、全部ホームゲームなんですから上位チームが。おまけに相手が阪神なら間違いなく球場満杯になるし。安藤の福原のが足引っ張りましたね最後まで。
 福田さんでした。麻生さん、善戦なんて書かれてましたが、負けたら一緒です。でも、出ないと勝ち負けすらないんです、小泉さんの例もあり、いつ大風が吹いてくるか分かりません、これも大きな実績なんでしょうね。さて福田さん、あれだけ派閥を復活させたんです、それこそ「ばらまき組閣」せざるをえないのでしょうが、居抜きするべきは居抜いてほしいところ、舛添厚労相、増田総務相あたりは是非。この二人のお手並みを確かめたいと思うわけです。古賀の谷垣のの古い顔達がどこかに就いて、石破さんもまた防衛相辺りに戻る、そういう図柄ですか。挙党態勢。トップダウンから調整型へ。つまりは見えにくい政治の復活です。やはりがっかりしています。
 昨日の朝のTV番組で、癌が取り上げられて、例によって早期発見早期治療と叫び、癌は決して治らない病気ではなくなっている、なんてテロップ流していました。些か極論に類するであろう持論を述べます。まず「早期発見、早期治療」の嘘です。キャッチフレーズとしては相当でしょう、対句構成で分かり易い、反論しにくい正論ですから。つまりその逆であればまずいと理解できるからです、早期発見しなければ(検査しないで放っておいて癌が知らぬ間に生え大きくなってしまえば)治療もできなくなる、手もなく死んでしまうだろう。もちろん、学者もマスコミも厚労省もせっせとそう宣伝します、TVはドラマやドキュメンタリーで後押しします、手遅れになった人の話、早く見つかって治療して命長らえている人の話、癌と闘って挙げ句死んでいった人の話を美談英雄話仕立てでこれでもかとばかりに流します。ワイドショーで紹介される健康マニア達の群もご承知の通り。これは正確には「早期発見して早期治療すれば早死にしないですむケースもある」と言い換えるべき事です。早期発見して医者の言うままに早期治療始めたけれど、手術して放射線を当てて抗癌剤をたっぷり使われて、その治療の所為で(ここがポイントです)髪は抜け食事はできず痩せるだけ痩せて寝返りもできぬほどに衰えて、癌は小さくなったのですが、なんて言い訳医者から言われながら死んでいく人が、早死にしないですんだ人ときっと少なくとも同じだけはいるはずです。もっとも、そんなデータをわざわざに学者達は集めませんでしょうから、これは数字の根拠のない推測です。でも癌が日本人の死亡原因のダントツである事実が雄弁に物語っている事だと思います。そして、癌は治らない病気ではなくなってきている、なんて曖昧な表現です。一例でも治ればこういう言い方ができますよね、まったく狡いと思うのです、素人を騙すのもいい加減にしろと言いたいのです。治る例もある(白血病などの血液癌やら胃がんの一部やら、確かに治療により長生きできる例が多いものもあるのでしょうが)、それはそれで正しいのでしょうが、少なくともそれと同じだけ治療の甲斐なく(この謂も医者、医療側の勝手な言い方ですが)死んでいく人達がいるわけです。治療の甲斐なく、というのはこうも言い換えられます、癌が見つかるまではあれだけ元気でいた人が、たまたま癌が見つかって治療始めたばっかりにどんどんやせ衰えて、医者は検査検査で癌の大きさの変化しか見ていない、本人はどう見ても潰れていくばかりだ。一体、何をどう治療しているんだ?本人は衰えていくばかりじゃないか。家族や周りはそう訝ります、しかしそんなこと口に出せません、医者がへそ曲げます、本人の気持ちを挫くわけにはいきませんから。本人はきっと治るんだと信じて、吐き気に耐えます、髪が抜けても命に替えられぬと思い直します、ここで死ねるか!と治療によって弱らされ潰されていく体を、気力を奮い起こします。医者?癌が小さくなることばかりが関心事です。治療の対象は癌の縮小(消失)です、当人の今の辛さ苦しさなんかじゃありません。それで何とか命長らえればいいんです、でも癌で死ぬんでなくて、治療という名の毒で死んでいくんです。それが言い過ぎだとするなら、癌の治療とは体を弱らせること、その治療に耐える人だけが命長らえる可能性を持つというのが現実でしょう。その人が立ち向かわねばならぬのは癌だけじゃない、癌を潰すための治療そのもののによる攻撃にも耐えねばならぬのです。いえ、人は癌から治るためにはと思って耐えます、皆そう思って耐え我慢しておられましょう、でも、たまたま小さな癌が見つかった時を境に、二度と元の暮らしに戻れずに憾みを残して死んでいく人も多いのです。くどいですが、医者は癌しか見ていませんし、治療効果も本に能書きに書いてある確率でしか見ていません。この治療をすれば治る確率は何%です、なんて言い方しかしません。それしかできないのも確かなことではありますが。早期発見早期治療の嘘を分かっていただきたいと思うのですが、しかしきっとこういう反論がありましょう、早期発見早期治療とは言っているが早期治癒とは言っていない、この惹句の真意は早く治療しましょうと促すことであって、早く見つければ治るんですよとは言っていない、と。癌は治らない病気ではなくなってきていると表記した通りで、治る病気であるとは言ってない、とか。あなたがどう受け取られようかは当方は関知しない、表記したとおりの趣意である、なんて。所詮は誰の責任でもない国の施策なのでありました。踊らされるはいつも国民という結末です。癌にならぬ最も確実な方法は何だと思いますか。医者にかからぬ事です。健診などで見つけに行かぬ事です。ブラックですか。皮肉に過ぎますか。私は真実だと思っています。些か極論でありました、御批正お受けいたします。
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問題発言

2007-09-23 10:05:08 | Weblog
スキャンダラス山拓が言ったそうです、昨年の北朝鮮の核実験について、やらせてよかった、核を持っているかどうかがはっきりした、と。当然の如く、文句言うべき人達が文句言ってますが、あらら不思議なこと、先の久間さんの「しょうがない」よりも罪が軽いんですって。長崎の元大学教授は、山拓が北朝鮮問題に取り組んできたことは知られている、久間さんとは問題の根深さが違うと不思議な擁護をし、長崎の原爆関連団体代表は核の保有が明らかになって、国際社会が北朝鮮に厳しく核放棄を求めることができるようになったのも事実だ、なんてこれまた無茶な屁理屈言って「戸惑いを見せた」んだそうです(毎日)。ああ、あの時の安倍さんの速い正確な対応を皮肉っているだけ、安倍さん失脚した後だからこそ言える台詞と知らねばなりません。自分に風が吹いてきたとでも思っているんでしょう。俺は今のやり方にずっと反対してきたとでも言いたいんでしょうか、勝手に一人で北朝鮮に行ったり、訳の分からぬ行動しておいてこれじゃぁ、あんた北朝鮮からいくら金握らされているんだ?と疑います。これと同じ所に福田さんがいます。拉致被害者の家族の人達の落胆いかばかりでしょうか、こんな奴らが政権に就こうとしています。久間さんの発言とどれだけ違うんです?この二つを比べれば久間さんの方が容認できると思ってます、もちろんどういう風に受け取るかの違いです。あれだけの人が無差別に虐殺されたのにそれをしょうがないとは何事か!!という取り方と、原爆が発明されて、戦争も終点が見えてきて、日本がどうのこうのより先に終結後のパワーバランスが優先事項になって、もちろん巷間言われるようにドイツに落とさなくて日本に落とした根元的理由もあったでしょうが、果たして広島長崎に投下された、それらはすべて歴史の必然としてしかたなかったのだという考え方。戦争、特に日本の場合は国を挙げて、全国民を巻き込んでの総力戦、疲弊戦という非日常下のできごとです、後知恵での評価はほどほどにしないと見誤ります。でも、だからといってあんな酷い非人道的な大量虐殺が許されていいはずがない!ですわね。そう思います。私もアメリカが後で居直っている如き、原爆投下することによって戦争が終結した、その後計画されていた日本本土上陸作戦が未遂で済んだ、日米あわせて何十万人の命が救われたのだ、なんて言い訳には与しません。史上最悪の大量虐殺には違いないことですから、殺傷数ではアウシュビッツやソ連や中共の粛清という名の大虐殺、ポルポトの虐殺など上回るものがあるにせよ、です。あれで戦争が終わったんだからよかったじゃないか。これは無茶された側が言うセリフじゃありません。そういう「しょうがない」はいけません。原爆投下に対しては日本からアメリカに向かって常に糾弾し続けねばならぬ事と思います。あの原爆記念碑の言葉は間違いです。でも3年半の戦争の末の出来事として、そういう世界環境の中の出来事としてしかたなかったじゃないかという意味であれば私は肯ぜます。久間さんがどちらに拠って口にしたのか、それは分かりませんが。かたやの山拓。広島長崎のことでなく北朝鮮の話です、自国民には何の実害のなかったことです、いわば今後のこと将来のことです、事例の質が違います。だから有識者なり関係者が「戸惑う」のも分からぬでもないですが、いいえ、昨年リアルタイムで安倍さんがあれだけ抗議し素早い対応見せた事例です、六カ国協議が思うに任せず、アメリカが妙に北朝鮮に寄っているおかしな今この状況で、拉致問題をとにかく速く解決しようと安倍さんが頻りに旗振って引っ張ってきていたことに対して、平然と冷や水ぶっかけるような発言です。こちらの方こそ問題発言でしょう。今後どう展開するかわかりませんが、年金に始まって松岡から連続した議員経理問題、発言問題は、安倍降ろしの集団暴力の中で増幅、ワイドショー化されたものでした、福田さんが政権を獲ればこの手の発言は産経新聞が取り上げるばかりになっていくのでしょうか。山拓の猟官行動、福田さんへのリップサービスの類なのでしょうが、安倍さんの足を引っ張っていたのはこういう連中だったんだという証明でもあります。北朝鮮に向けての態度、国としての態度の問題です。軽率の誹りなのですが、さてKYと言えるかどうか。こんな文句言う方が、福田内閣誕生前にしてKYな奴なのかもしれませんね。悔しい。トホホな気分です。
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言葉

2007-09-22 08:36:29 | Weblog
こぶし、演歌のあのこぶし、こぶしが回る、こぶしを利かすのこぶし、小節って書くと恥ずかしながら初めて知りました。まさか拳じゃないだろうけど、辛夷の花に引っかけての言葉なんだろうかとぼんやり思っていたことでしたが、ああ、こう書くのね、でした。小節。小腹がすく、小鼻が利く、小器用、小綺麗、小汚い、小一時間の小です。a little ですが、量的なものだけでなく質的にも少ないというイメージです。小節があれば大節があって、おおぶしなんて言葉はないのでしょうが、全体の節回し、歌唄うことの上手い下手が「大節」で、唄の途中でテクニカルに弄することを小節というわけです。おお、腑に落ちました、すとんと胸に落ちる漢字表記でした。
 福岡の三児事故死の両親、女児出産の記事、今日は写真入りです、三大紙に載ります。命また抱けた(朝日)、愛児また抱ける(読売)、命の重み ずしり(毎日)。母親の満面の笑み、父親の会見(TV)での複雑な表情。去年の8月の事故でした。ううむ。
 安倍さんまだ入院中ですって。おいおい、大丈夫かい。そういう弱っちょろけだったのかい?機能的胃腸障害なんてごまかさないで、はっきり言えばいいのに、ストレス性障害だって、鬱病だって。美しい国づくりの委員会が解散したとの記事、今に改憲問題も消えていきます。ああ、本当に期待していただけにがっかり度も大きいわけです。朝日に作家の古川薫(下関在住の作家)が書いています、パンドラの禁断の蓋を勢いよく開けようとした事への代償か、と(「憲法改正 触れた代償」との見出しです)。恨みの、呪いの、という話になって、当の本人が犠牲者なんてすり替えです。よくある流れです、深読み裏読みの定石その一です。所詮はそのタマじゃなかったという現実です。あの地位にいてこその発言であり力であったわけです、あの地位に何とか居続けなければならなかったのです。ううむ、再び三たび悔しいことです。
 昨日の日本記者クラブ主催の麻生対福田の討論会、面白かったですね、途中までしか見られなかったのがとても残念でした、夜のニュースでダイジェスト見ても面白かったです。初めの小三十分実況見てました。総論を語る部分、福田さんはもう勝ちを確信しているのでしょう、流す流す。原稿も碌に書いてないんでしょう、噛んで噛んでの話ぶり、人を馬鹿にしている感じ。時間を余して、司会にまだありますよ時間と促されても、もういい、と余裕(と言うより、他に言うことも用意もなかったんでしょう)。対して麻生さん、日本人の誇りを全面に出して大演説の風。江戸時代の話、得意の漫画の話(キャプテン翼なんて具体的に名前出してました)、日本人は辛抱と工夫に優れた民族だ、前に進んで行かねばならぬのだという話(だったと思います)。ああ、伝わりました。福田さんとの比較論だけじゃなくて、この人の言葉が伝わりました。天声人語はボロカスに書いてますが、いいえ、聞いていて私は身を乗り出しました。原稿読んでいるのが気に入りませんでしたが(小泉さんは、この人しか話し言葉で比べる人がいません、こういう場面では一切原稿なぞ読んでなかったですよね、国会答弁を除けば)、うんと響きました。そして司会に促されての質疑応答、年金問題について福田さん不明瞭な答えしかできず、拉致問題については、5人が帰ってきたとき、あなたは直ぐに北朝鮮に帰せと言っていたな、という麻生さんの突っ込みに福田さんむっとしながら、でもしどろもどろの態、あの時はそういう約束だったんだと言うばかり。ああ、麻生さんうまいじゃないの。にやにやしながら見てました。どうにも福田さんというのは喋り口が人を小馬鹿にしている風で嫌ですねぇ、麻生さんは見下した風で態度でかいという言い方もできましょうが。あの討論会は麻生さんの勝ちでした、私はそう思いました。福田嫌いというバイアスが大きくかかっている拙見ですが、言葉の大切さ、話し言葉の大切さをまたまた教えられる場面でした。
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大嘘

2007-09-21 08:36:14 | Weblog
暑いですねぇ、どうしたこと・・夜中になるまで熱気が冷めないのが辛いところです。10時になっても11時になってもモワッと暑い。窓開けても風がない、ぬるい外気が淀んでいる感じ。明け方になってやっと涼風が立ちますが、6時には陽射しが勝ちます。日は確実に短くなって、5時にはまだ外は暗いのですが、一時間後にはもう暑くなり始めます。真夏のまんま。もうすぐなんでしょうが、9月の季節は秋じゃなくて夏に変更したらどうですかね。ここ何年を振り返るにそう思うことです。6月から9月までが夏。まだ夏なんだから、と思えばこの暑さも我慢できるというもの、もう秋なのに・・と思うから腹が立つ。ですよね。
 昨日の大相撲のおばちゃん闖入事件、しつこいですがもう一度。NHK実況途中の出来事だったようです、見なかったことがとても残念です。皆びっくりしたんでしょうね、でも今日の新聞は何の反応もないし(三面にもスポーツ欄にも)、TVでも報道しませんね。昨日も書きましたが、思想犯(犯人なんでしょうか、不法侵入ですか)じゃなかったから、意味不明のビラもっていたからでしょう、「変なおばちゃんの事件」で黙殺です。でも、こういう時に感じることがあります。あれをやっちゃいけない、これだけはいけないなんて脅されて止められてきた行為にはなんの裏付けもないってことです。女人禁制なんてのがその典型です。本で読むことですが、あの終戦の日、神国日本が負けるわけがないと教えられ心底信じ切っていた人々にとって、あの日は天割れ地裂けるんじゃないかと本当に思ったそうです。でも何も起こらない。じりじりと夏の暑い陽射しは昨日のまま、蝉のすだきも昨日のまま。静けさだけが印象に残っているという話です。ノストラダムスのひと騒動もそうでしたね。あれに準じた事件が韓国であって報道されましたね。この日この時間に世界は滅亡するなんて教えでもって人を誑かし金集めてきた教団で、その日のその時間を多くの信者が泣きながら待っている、果たしてその時刻が来ても何も起こらない。やがて暴動化する、ってドキュメントでした。まこれは騙しですが、この神社のこの祠は絶対見ちゃならない、見たら目が潰れるよ、とか、山に、土俵に女が入っちゃならない、なんてのは何かしらの箔付け、権威付けにすぎぬ事で、やってしまっても何にも起こらないのは当然、でも人は分かっていながら拍子抜けしている、何か起こるかも知れないと思っていたというわけです。今回も何にも起こりはしません。横綱が急死したり、怪我ばかり起こったりすれば話は別で、面白いことですがね。こうやって迷信のベールが剥がされていくなんていうと大仰でしょうか。為政者の大嘘が剥がされていく、こちらは正しいようですが。
 
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