柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

月日

2010-12-31 08:24:08 | Weblog
またまた月並みな話ですが、理屈こねるのではなく素直に、今年も有難うございました。一年が早いのです。結果としてこういう区切りの時には「一年が」という言い方になりますが、ひと月が、一日が、時間の経つのが、ということです。歳とるということじゃそれが、とラフに大雑把に括ってしまえばそれで終わりなのですが、理屈っぽく「科学」的に考えるなら、これを突きつめれば現在ただ今の時の流れが速いのだ、どういう風に早いか、という考察になります。そこをどう評価するか。時計で実際に測ってみても同じに違いないです。当然ながらこの感じはあくまで主観的なものです、感覚です。環境に因するのか、それともあくまで自分の感じ方に過ぎぬのか。若い時はそういうことを思いもしなかったですよね。次に次にと駆け上がっていく頃には時が早く過ぎるは好ましいことですからね。ということは環境因ですか。学生時分は卒業するという終着点に向かう枠組みがあり、仕事始めてからは仕事覚えてペーペーの下っ端から階段をあがっていく(押し上げられていく)という流れに組み込まれる。若い頃には環境の変化が大きいから、一年一年の達成感(変化成長するとう感覚)が歳をとるという感覚に優るのでしょう。年齢を加えれば加えるほど時の流れの速さを痛感するのは、自分を取り巻く環境が変化しなくなるからなんでしょうね。これは相当に正しい論に思いませんか。自分にあてはめても、そう言われればそうじゃのう、じゃないですか。じゃぁ、環境の変化の激しい人、例えば歳とってから新しい事業起こした人とか、逆に落魄した人とか、そういう人はどうなのか。そういう人にも同じだけの時間が過ぎているわけです。もう一年が過ぎたか・・という思いはおそらく同じくらいあるのでしょうね、これはあくまで想像ですが。なれば、歳とってからの「時間の早さ」は環境因にばかりには帰すことはできませんか。自分の問題、個体としての変化、ですか。体内時計が早まるとか。ううむ。若い時の自分と比べるのと、加齢による変化として考えるのとでは観点が違うようです。が、後者にしても環境因は大きいと思います、自分が歳をとっていくということを思い知らされ続けますから。後輩が増える、子が成長する、やがて子が結婚し孫ができる、自分の周りは一年一年大きく変化していくのに自分は去年と変わらない。自分が何かするというより、周りの出来事に振り回されることが多くなる。そして今日のように、ええ?もう大晦日かい?という感想になって。安物の学者の陳腐な結論に似て、「そのどちらの要素もそれぞれに大きく関与していることが窺われる。今後の研究、データの蓄積に待ちたい」と終わるしかないのですが、でも、歳をとるのは悪くないですよね。また一つ歳を重ねること、私は嫌じゃありません、どころか歓迎します。若い時と同じように、早く歳をとりたいと、今尚思ってます。若い頃に戻りたいとは、これっぽっちも思いません。昨日にも戻りたくないです、突きつめれば一時間前、一分前にも。私はきっと特異な、おかしな奴なんでしょうが、そうこう御託を並べているうちにも時はどんどん過ぎていくわけです。私達は所詮流れ流されるしかないわけです。そして決して悲観的に思うのではなく、肯定的に受け容れねばならぬわけです。
 今年一年のご愛顧に深く感謝いたします。読んで下さる方々を思えばこそのモチベーションです。有難うございました。謹んで御礼申し上げます。
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人気

2010-12-30 09:02:43 | Weblog
何日か前にM-1グランプリ、漫才番組がありました、ご覧になりましたか。10回で終了する、今回が最終回だということでそれなりに事前の煽りが大きかったですが、終わった後もTVやら新聞やらで例年になく論評を多く見聞きします。興味のない方には、何の話か?というもので申しわけありませんが、今日はこの話題で。論評の内容は、大上段はお笑いブームの終焉の象徴としての位置づけ、小は笑い飯への好き嫌い論(笑い飯というのはコンビ名です。今回一位になったコンビです)。80年代に大漫才ブームがありました、私がまだ学生の頃で、私の世代が一番はまってました、私もその一人でした。やすきよ(横山やすし・西川きよし)を頂上に据えて、いとこい(夢路いとし・喜味こいし)やらダイラケ(中田ダイマル・ラケット)などを正統派しゃべくり漫才と定義して名人的顧問的な存在として脇に配しての「虚構」(当時はそういうTV局の策略にまんまとかかってましたから何の疑問もなく、そういう序列で自然に見てました。でも、その後誰かの評論でこういう書き方を見て、なるほどね、やすきよ一番てだれが決めたのよ?の話じゃのう、と気付いたことでした)を作りあげて、若い者たちが名人の域に向かって技を競うという、単に誰が面白いかという競争ではない、いわば青春スポ根ドラマに通る、日本人好みの切磋琢磨の物語を付加して、あれだけの大ブームを作りあげたのでした。ま、単純に面白かったし、大声出して腹抱えて笑ってました、それでよかったのですがね。当時の一番がぼんち、B&Bでしたか。ぼんちはとにかく面白かったですよ。関西で学生してました、ブームの前から関西では普通に平日にも漫才番組があって、売れる前のぼんちやらB&B、のりおよしお、紳助竜助らをよくTVで見てました、そういう素地があって余計にあのブームはこちらも煽られたのでしょう。ひょうきん族という番組、タモリがやってる「笑っていいとも」の前身番組の「笑ってる場合ですよ」、花王名人劇場、ぼんちは歌を出してベストテンに出てましたからね、そうなんですよ川崎さん、あれです。でもあれも、乗り遅れたコンビ(巨人阪神とか)を積み残したままあっという間に終わりました。島田洋七ががばいばあちゃんで売れた時によく言ってたような、大苦難時代が押しよせて、最後まで残ったのは紳助、たけし、さんまだけだったという図です。その時代との比較論です。ブームはわっと燃えいきなり消える。今回もあれだけあったTV番組が時を同じくして一気に消えた。その象徴としてこの番組、M-1があるという論。笑い飯が何年もずっと決勝に残っていてのにいつも勝てなかった、そういうドラマの決着点、大団円としてこのコンビの優勝で終える、そういうドラマ。紳助は、芸人に諦めさせる(自分に才能のないことを知らしめて、別の道に進ませる)ためにこの番組やってきた、もうその役目は終えた、なんて言ってました。笑い飯は下ネタで自爆していたことが多かった(というこれも今から考えれば筋書き通りのことだったのでしょうが)ところ、ここ一番それなりにやって見せて、結果的に辛勝しました。関西ではローカル番組に多く露出するのでしょうが、鄙の地にはとんと見えない顔です。だからブームという大波が全国に広がっていくのでしょうが、人気商売水商売の厳しさ切なさはかなさを同時に思うことでした。あなたは笑い飯でしたか、それとも沖縄のニューウエーブ?後者は捨てがたかったですよね。
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親分

2010-12-29 08:26:59 | Weblog
小沢さん急旋回です。見ている分には面白い、と呑気にも言ってられないですが、経緯が縒れればよれるほど菅さんやら岡田さんの遠慮というか、先生の前に立った生徒のような竦みが露わになって、どっちがトップなのよ?!と月並みな不平を鳴らすのですが、よく考えれば所詮親分は小沢さんなのでしたね。民主党政権は小沢さんの傀儡でしかなかったわけです、鳩山さんはそのまんま、菅さんは少しは反対色を出そうとしますが結局手足を何重にも縛られていて。闇将軍と言われた師匠田中角栄そのままに、陽に陰に、隠然且つ顕然たる黒幕。学級会か大学のどっかのセクトよろしく、離党勧告なんて青っ白いこと言い出すのが、左翼原理主義者たるこの二人です、言わせとけ!と知らん顔していたのですが、やはり世論との綱引きは無視できぬことと見えます。で、刺し違えたろう、という提案、俺も政治倫理審査会に出るから仙石辞めさせろ。さて、こういう手順が通用するのかこの二人に。否、こういう青っ白さだからこの手の恫喝がビンビンに効くとも言えましょうか。斬りますかね菅さん。どちらを?そりゃ、仙石さんを、でしょうに。違いますか?
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天唾

2010-12-28 08:22:20 | Weblog
菅さんヨタヨタです。社民党はどうしたんでしたかね、福島さんは手を握ったんでしたか。武器三原則がどうのこうのでこっちも頓挫しているんでしたか。立ち枯れ日本にもきっちり袖にされました。与謝野さんの一本釣りでは意味がないわけですね、あそこの何人かが要るわけですから。与謝野さん本人の力を云々ではないことが明らかなのにまんまと籠絡されそうになっている姿を見ながら、どうして俺に言わない?と平沼さんがすねちゃった図ですか。少数党の悲しさそのままですが、この爺さん達が民主党と組んだ日には、それこそ若い奴らだけでなく年寄りからも矜持や誇りや意地といったものがなくなって節操無くなっちゃったのかい?という文化破壊、秩序破壊の象徴になります。拗ねているんでも何でもいいから平沼さん、蹴ってくれてよかった。この手の食言にはうんざりしているのです国民は。鳩山さんに始まってずっとこれですから、民主党政権は。せめて平沼さんだけでも、小泉改革のあの大旋風の中で一人(じゃなかったんでしょうが)反旗を翻した硬骨さを示して欲しいことです。痩せても枯れても正論を吐く、天下国家を憂える態度、言動を繰り返してほしい。拉致担当大臣のポストを差し出したそうですが、こういうバーターそのものに菅さんの、民主党のいやらしさが露呈しているわけですね。自分達ではやりたくないんですね。そりゃそうでしょう、今までずっと知らん顔してきた連中ですからね。という、どれもこれもみんな自分たちが今まで悪態ついて唾吐き散らかしてきたことなんですね。それが全部自分に返ってきている始末。ざまぁみやがれ!なんですが、しかし日本が沈みます。いけないです。ですよね。
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鬼畜

2010-12-27 08:22:19 | Weblog
幼児虐待は、もう聞くのも嫌、ならば話さなければいいじゃないか、なんですが、女の2歳の連れ子を踏んだり蹴ったりで殺す男の記事には改めて怒りが湧きます。新聞には肝挫滅と載ります、どんなに蹴りあげてたんだ?こんな奴にはそのままやってやればいいといつも思います。死ぬまで、本当に死ぬまで腹を蹴り続ける。そうしないとこの子が浮かばれない、もっとも2歳の子にそんな理屈は通りはしませんが。記事には母親は傍に(別の部屋で)寝ていたんだそうです、知らなかったって。バカ野郎!んなわけないだろうが!結局母親も共犯なんですね。疎ましかったのか。それほどにこの男が大事だったんでしょうね。ったく、反吐が出ます。セックスだけで繋がってる犬畜生(なんて書くと、きっと犬が怒りますが、こういう昔からの言葉遣いですから)にも劣る下衆野郎ども。仕方ないからと産む。後は知らない。本当に犬畜生にも数段劣る連中。男とひっつくためにはこの子が疎ましい。で、殺す。・・子は親を選べません。この絶対的真理の残酷さです。親も子を選べないじゃないか、なんてしたり顔で言う輩がいますが、子はお前達(母親、父親)以外の何物でもないのだ。子に対する一切の責任は間違いなく産んだお前達にある。子はどんな馬鹿親でもそこにいるしかないのだ。そして子はいじらしくも悲しくも、踏まれようが叩かれようが、親に許してもらおうと乞うのです。鬼畜。まさに鬼畜。動物に大きく劣る鬼畜。桃太郎侍は出てこないのか?
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寒雪

2010-12-26 10:14:53 | Weblog
昨夜のクリスマスロックンロールパーティー、おかげさまで多くの方々にご来場いただき、盛会のうちに終了することができました。有難うございました。心より感謝いたします。13回を数えることができておりますのはひとえに来場いただける皆さまのおかげ様です。当方は(毎年代わり映えのしないことではありますが、こう見えても)あれこれ趣向を凝らしているつもりなのですが、やはり皆さまの「熱さ」に負うところ甚大であります。来年も必ず開催いたしますので、どうぞまたお越しください。今年残念ながらお顔を見ることのできませんでした方々にも、来年にはお会いできることを期待しております。有難うございました。
 昨日は寒かったです。TVには北日本の大変さが映されますが、温暖の当地も雪がちらついて寒い昼、寒い夜でした。ホワイトクリスマスなんて気取ってましたが寒い。今年は(去年もだったんでしょうけれど)温い日があり寒い日があり、学者達が口を揃える地球温暖化という虚構にやはり気持ちが傾きそうにはなるのですが、いいや冬はこの通り寒いんじゃ!と肩をすくめて強がってます。そうですよね。インフルエンザが流行し始めたとTVは煽ってますが、例によって全国の数値を単純に平均しての報道です、あなたが住んでおられる地域の流行具合とは全く違います。が、この正月の民族大移動によってビールスがあちこちに運ばればら撒かれそういう内に均されて全国的に流行ということになるわけですが。しっかりうがいしてください。そして手洗いです。お気をつけて。
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体質

2010-12-25 08:24:28 | Weblog
本日クリスマスパーティーです。沢山の方にチケット買っていただきました、有難うございます。しっかりやります。お越しの予定の方々には十分にお楽しみいただきますよう。
 来年度の予算案が閣議決定されましたが、何のことはない今まで自民党がやってきた通り、自分たちが歯を剥きだして噛みついてきた借金予算そのままです。税金収入を上回る国債発行してやっと歳出と釣り合うなんてのはとんでもないこと、新聞やTVがよくやる庶民向けの教育的比喩、家庭の収支で考えたら・・なんてことしなくても、支出を抑えたらどうだい?と子供でもわかる理屈です。そしてそれでよしとする連中の感覚には呆れを通り越して怒りが湧きます。ここをきちんと削れるんだろうと、自民党の長年のあちらこちらの業界へのしがらみを無視して、思い切って歳出(支出)を削るんだろうと期待しましたよね、だからこその政権交代だった筈です。鳩山さんも菅さんも口角泡を吹き飛ばしながら無駄を削れば財源は確保できる、借金しなくてもすむ、なんてこと言ってましたね。何のことはない、こっち(民主党)はこっちのしがらみで身動きが取れないのでした。事業仕分けなんて空っぽの芸をするだけでした。そして何より連中の体質、人の所為にしてそれでよしとする気質そのままに、鳩山も菅も二言目には、こういう状況に追いやったのは自民党政権だったじゃないかと気色ばむ。だから思い切った政策が実行できたはずなんです、少々の無茶でも許してやろうと国民が言ってたんですから。我慢してくれと言いながら、ガンガン歳出を削って(国会議員の給料や数を減らすといった隗から始める態度がまず必要ですが)行けば、国民は従ったでしょうに。そういう期待だったということに気付かないというか、ようしない。つまり国家天下を考えてない、単なる権力闘争に遊んだだけ、たまたま敵がこけて勝っただけ。そういう絵ですか。何も出来ぬこと、これでとことん満天のもとに晒されました。たちがれ日本の爺さん達に秋波送っているようではどうにも・・もう辞めろよ。ですね。
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仰見

2010-12-24 08:19:59 | Weblog
ロンドンの(行ったことありませんが)あの横断歩道、ビートルズのアルバム「アビーロード」のジャケットの背景になってる、世界一有名な横断歩道が、イギリス政府により歴史的遺産に指定されたんだそうです。今に世界遺産になるんでしょうか、富士山より早くに。イギリスに旅行した人はほとんどがここでジャケットと同じ格好した(四人が並んで歩いている絵です)写真を見せてくれます。ビートルズなんて関係ないって人までが勧められて歩いてます。それほどの歴史的な場所なんですね、それは確かなことでありまする。あのアルバムの凄さ、ビートルズというバンドの歴史的偉業というより、ジャケット写真のわかり易さではあるのですが、未だに(解散して40年ですよ)大量の観光客を呼ぶ、つまり多くの外貨を稼いでくれる、あのMBE勲章授賞理由と変わらないところが凄いところではあるのです。私レベルのビートルズ好きでも、まだまだ喋れますが、この辺りで。
 レスリング吉田沙保里選手、これまた凄い。別次元の強さであることはよく知ってましたが、昨日TVで放映されてました、高々と抱え上げてクッと捻りながらマットに叩きつけるあの技の凄み。その前にポイントをとられて自分に怒りが湧いたというコメントです。それまで1ポイントも取られずに勝ってきた人なればのセリフですか。しびれますね。勝ったらいいんだのレベルじゃないということです。ここまで極めれば凄いの一言でしょう。負けた選手も相当のレベルだそうですが、こんな強い人がいると出てこれません。気の毒ですね。そういう強さ。仰ぎ見ます。
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慶賀

2010-12-23 09:58:50 | Weblog
天皇誕生日です。今上天皇には喜寿におなりあそばされまして・・天皇誕生日なんて言い方もよく考えれば失礼な言いっ放しで、うちの亭主の誕生日という風情です、もっとも亭主の誕生日は休日にはなりませんが。戦後の、あの左翼たち(進歩的文化人達)の跋扈による日本文化の大破壊の一つです。昔は天長節です、こう言うべきですね本来は。天皇陛下の存在意義は?こういう問い自体が不遜なのですが敢えて申さば、象徴なんて、占領軍のどっかの安物のチンピラ役人が作った simbol を直訳して曖昧の彼方に置いてしまったわけですが(もっともその昔も御簾の向こう側に鎮座ましまして下々にはお姿をお見せにならなかったのが天皇様でしたけれど)、民草、国民の安心安寧のそれこそ象徴であられることでしょう。美智子皇后さまはそこのところを一番に体現されていると思うのです。国体や何ちゃら植樹祭やらの記念行事での挨拶や、国賓の接待などではなく(これは国家元首を擬制されているのですね)、天皇様がもたらされる本来の有難味は被災地への慰謝慰問といったところなのでしょう。被災者がお二人のお姿を見た時の感動はいかばかりかあらんと思います。優しいお言葉もおかけになるのでしょうが、それよりなによりそのお姿の有難さです。首相やら担当大臣が来たって文句を言うばかりでしょう、なぜもっと早くに来ない?!とか早く何とかしろ!とか。天皇様にはそんなこと言いませんよ。お姿を見ることで安心や有難さが湧き上がることでしょう。理屈ではないところです。憲法や法律でいかように貶められようとも、我々日本人民草の心にしかと根付いている尊敬敬愛の情はなくなりはしないのです。これは宗教とも違うのでしょう、これが民族の共有する精神なのです。共産党をはじめ、へなちょこ左翼たちがいかに言葉や行動で誹り蔑ろにしようとも私達下々が持つ無意識無条件の尊敬敬愛の念は消せません。連中が捏ねくり上げる搾取だの階級差別だのという次元とは全く違うのものだからです。天皇制なんて言葉に騙されてはなりません。天皇を頂点にする権力ヒエラルキーなんて制度は日本にはなかったのです。天皇様がおられただけ、権力と権威という区別がよく使われますが、物の道理として、物事諸事の秩序の基準として、心の拠り所たる権威として、ずっと存在してこられただけです。昭和天皇を戦争犯罪人にしようとする東京裁判を受け容れてはなりませぬ、左翼の扇動に乗ってはなりませぬ。日清日露戦争を侵略戦争などと呼んではなりませぬ。明治天皇も昭和天皇も国を国民を第一に考えられてきたに違いないのですから。と、平和の御代平成の今上天皇様御誕生日に当たり、お祝い申し上げました。
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顛倒

2010-12-22 08:20:48 | Weblog
冬至です。一陽来復です。朝早く起きていると季節感を実感できます。当地は6時半過ぎないと明るくなりません。夜明け前が夜は一番深い(暗い)なんて抒情的叙景的表現を思い出しながら、そうかなぁと疑わしく思ったり、温かい雨だったり、冷たい雨だったり。でも確かにひえ~と言うほど寒い朝は多くありませんね。学者が言う通り地球温暖化現象たるものは存在するのでしょうか。
 鹿児島出水、シベリアからの鶴の飛来地で有名なところ、そこの鶴から高病原性鳥インフルエンザビールスが検出されたんだそうです。さてこりゃ大変なこと。この地も、当地山口県の八代盆地がそうであるように、鶴の飛来が(その観光が)最高最大の「地場産業」でしょう、どうするんでしょうね。いや、この鶴達をどう処分するかの決断です。問題はここだけです、興味の的もここです。新聞にありますが近くの養鶏場に即検査が入って調べているんだそうです。ついこの前島根か鳥取かで大量殺処分だありましたね、あの流れでしょう。じゃぁ、鶴も?そう思いますわね。でも新聞に学者のコメントが載ってます、こういう場合に鶏に対しては殺処分せよと法律に決まっているんだそうです。宮崎の口蹄疫のときの農相の強い態度も法律を後ろ盾にしてのものでした。でも野生生物に対しては規定がないそうです。だから悩ましい、んだそうです。バカな・・鶏なら牛なら平気で殺して、他は可哀想だから殺すなですか。牛や豚は腹いっぱい食いながら、イルカやクジラは殺すなという外人たちの独善偽善そのままです。あのかわいい目をどう思う?なんてね。牛や豚や馬や鶏は可愛くないのか?って理屈です。新型インフルエンザで高毒性致死性のものは鳥インフルエンザだってあれだけ学者達が脅迫じみた警告していると言うのに、いつ流行するかわからないって脅しているのに、これぞ鳥インフルエンザじゃないのかい?お鶴様は殺せないって?きっと馬鹿馬鹿しい論議が始まって、法律の不備とか何とかに問題すり替わって、あれよあれよという間にあの辺りに蔓延して・・見えるようですね。お鶴様は強い。人間様より大事。ですか。
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