またまた月並みな話ですが、理屈こねるのではなく素直に、今年も有難うございました。一年が早いのです。結果としてこういう区切りの時には「一年が」という言い方になりますが、ひと月が、一日が、時間の経つのが、ということです。歳とるということじゃそれが、とラフに大雑把に括ってしまえばそれで終わりなのですが、理屈っぽく「科学」的に考えるなら、これを突きつめれば現在ただ今の時の流れが速いのだ、どういう風に早いか、という考察になります。そこをどう評価するか。時計で実際に測ってみても同じに違いないです。当然ながらこの感じはあくまで主観的なものです、感覚です。環境に因するのか、それともあくまで自分の感じ方に過ぎぬのか。若い時はそういうことを思いもしなかったですよね。次に次にと駆け上がっていく頃には時が早く過ぎるは好ましいことですからね。ということは環境因ですか。学生時分は卒業するという終着点に向かう枠組みがあり、仕事始めてからは仕事覚えてペーペーの下っ端から階段をあがっていく(押し上げられていく)という流れに組み込まれる。若い頃には環境の変化が大きいから、一年一年の達成感(変化成長するとう感覚)が歳をとるという感覚に優るのでしょう。年齢を加えれば加えるほど時の流れの速さを痛感するのは、自分を取り巻く環境が変化しなくなるからなんでしょうね。これは相当に正しい論に思いませんか。自分にあてはめても、そう言われればそうじゃのう、じゃないですか。じゃぁ、環境の変化の激しい人、例えば歳とってから新しい事業起こした人とか、逆に落魄した人とか、そういう人はどうなのか。そういう人にも同じだけの時間が過ぎているわけです。もう一年が過ぎたか・・という思いはおそらく同じくらいあるのでしょうね、これはあくまで想像ですが。なれば、歳とってからの「時間の早さ」は環境因にばかりには帰すことはできませんか。自分の問題、個体としての変化、ですか。体内時計が早まるとか。ううむ。若い時の自分と比べるのと、加齢による変化として考えるのとでは観点が違うようです。が、後者にしても環境因は大きいと思います、自分が歳をとっていくということを思い知らされ続けますから。後輩が増える、子が成長する、やがて子が結婚し孫ができる、自分の周りは一年一年大きく変化していくのに自分は去年と変わらない。自分が何かするというより、周りの出来事に振り回されることが多くなる。そして今日のように、ええ?もう大晦日かい?という感想になって。安物の学者の陳腐な結論に似て、「そのどちらの要素もそれぞれに大きく関与していることが窺われる。今後の研究、データの蓄積に待ちたい」と終わるしかないのですが、でも、歳をとるのは悪くないですよね。また一つ歳を重ねること、私は嫌じゃありません、どころか歓迎します。若い時と同じように、早く歳をとりたいと、今尚思ってます。若い頃に戻りたいとは、これっぽっちも思いません。昨日にも戻りたくないです、突きつめれば一時間前、一分前にも。私はきっと特異な、おかしな奴なんでしょうが、そうこう御託を並べているうちにも時はどんどん過ぎていくわけです。私達は所詮流れ流されるしかないわけです。そして決して悲観的に思うのではなく、肯定的に受け容れねばならぬわけです。
今年一年のご愛顧に深く感謝いたします。読んで下さる方々を思えばこそのモチベーションです。有難うございました。謹んで御礼申し上げます。
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