柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

現実

2009-08-31 08:09:52 | Weblog
政権交代という民主主義の証しを示す時だという思いが堰を切った、と新聞は書きます。昨日午後8時に民放が打った出口調査からの結果予想は民主300自民100という惨憺たるものでした。それより前に週刊誌やTVで評論家が予想していた通りです。どこかで、まさか、と思っていたのでしたが、この現実です。特に当地山口二区、二回続けての現職民主党追う自民党新人の図式でしたが、8時にいきなり当確出てました、他の山口三選挙区と同様に。あらら。これじゃぁ比例復活も覚束ぬ事、でしたが果たして落選でした。広島の中川さんが小選挙区で落ちたことの割を喰らいました、惜敗率ではいいところだったんじゃないんでしょうか。と、ブツブツ悔やむのですが、負けに不思議の負けなしでありますゆえ、負けるべくして負けたのでしょう。これは自民党にそのまま当てはまります。さんざ昨夜のTV中継で叩かれ、評論家がたっぷり解説してくれてましたので今更繰り返しませんが、どこかの局で「解散時期を間違えたのじゃないか。10月に解散していたら今回落ちた人たちの多くは落ちなくてすんだんじゃないのか」なんてえらく直接にぶつけてました、麻生さんはいつものように政局よりも政策を選択したと繰り返すばかりでしたが、結果論で斬られるは敗者の常ですが辛いところですね。あれだけなりたかった総理大臣にやっとなれたんです、選挙管理内閣なんて言われようがどうだろうがそう簡単に手放すわけはないです、そのうちにあの大経済ショック、大不況です、いい口実ができたわけでした。が、その後はこの人の人徳の為せるところでしょう、それでなくても民主党の外圧がどんどん高まる中で、内側から公然と麻生降ろしの声が上がる、理由も麻生では選挙を戦えないなんていう為体。これでとうとう国民も呆れちゃったということですか。反麻生の旗を振った人は殆どが落ちましたね、愛媛の元幹事長がギリギリでした。それにしても前回の郵政選挙の真逆というのがびっくりするやら象徴的と嘆息するやらです。大物がどんどん落ちていくのは、TVで水戸黄門を見ている気分で痛快ではあったのですが、民主党、票を獲り過ぎて比例候補が足りないなんて事態、前回の自民党の杉村某のような粗製乱造の様相です。どうなりましょうね。日教組と労組。現実になった以上、ここが本当に心配です。ここが権力持つことが心配です。新自由主義の害毒くらいのことでは済まないだろうと怖れることです。ここがまず第一の心配です。いかがですか。
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善意

2009-08-30 08:47:41 | Weblog
マイケルジャクソン、他殺と当局断定したそうです。つまりお抱え医者が殺したと。つい何時間前の、あの踊りまくる映像、後ろの踊り専門のダンサー達よりもレベルの違いを見せ付ける(そういう奴らを選んでいるのかもしれません、マイケルが霞んじゃ意味ないですからね)あの映像からは、病死は考えられません。誰もが自殺か殺されたかと考えたところでしたが、他殺との断定。なんて事を・・ですが、どれもこれも伏線があってのことでしょうしね、他人が窺い知れぬ彼らの日常物語があるわけです。で、あれだけのビッグネームが死んでいなくなっても、当初はあれこれ大騒ぎでしたが、誰の場合も同じことですが一気に潮が引きます。そして何も起こりません。これですね。プレスリーも時も、ジョンレノンの時も、シナトラの時も(レスポールやらどんどん名を挙げたいですが)そうでした、いかに歴史を作った人であってもその人が現在支えている部分はごく小さい、というか晩年は歴史の一ページでしかないという現実です。ジョンが死んだ時はよく覚えてますが、それでもそれだけの事でしたからね当然ながら。こんな文章読んだことあります、戦争に負けたと知ったときに神国日本の天裂け地割れるのかと真剣に恐れたが、真夏の照りつける日差しとすだく蝉の声は昨日のままだったと。あれですね。とんでもないことが起こっても、夜はいつものように暮れ、朝はいつものように明けるのです。人が死んでも、大災害が来ても、です。国破れて山河あり。この詩の重さですね。私達は今、このとき、この時刻にたまたま生き合わせているだけなのです。誰かがいなくなっても、時は流れ流れていくばかり、繰り返していくばかりなのです。
 NHK朝ドラの話を先日少ししました。運動部につきもののレギュラーと補欠の葛藤、その深いところに触れるのかと興味を持って、今後の展開次第だがと留保したことでしたが、まったくつまらぬ三流安物の「よく頑張ったね物語」でした。「チームは試合に出られない君達の力があって成り立っているんだよ物語」でした。胸の悪いことでした。目を背けるものでした。脚本家の引き出しの浅さは相当のものでした。知らないなら手を出すなよ、です。外から見ている分には、試合に出られないのはかわいそう、なのでしょうが、実際その場にいる者が自分の力を一番知っています。自分より上手な奴が試合に出る。当然です。そこをわかって、毎日毎日練習に行くんです。試合に出るために、ではないんです。そこです。そこに踏み込まないと、こんな安物になるんです。君にもできることがあるよ、なんて問題すり替えてもダメです。希望を捨てちゃダメだよ、って誰も捨ててませんから。もっと言いましょうか、下手が試合に出たらどうなります?その惨めさを一番知っているのが本人達なんです。下手くそで、試合に出してくれ出してくれっていう奴がいたらそれはおかしな奴です。そういう順番、実力差によって扱いが変わるという社会の仕組みを自然と知るわけです、大きく言えば。そこにバカ親が出てきてうちの子を試合に出せ!なんてわめくは大間違いなんですね。馬鹿な大人が出てきて、子どもに思い違いさせるような「やさしさ」を振り回す。無邪気に励ますことに何の恥も衒いも無い奴らこそ、佐藤愛子の言う「底抜けの善意には勝てない」の類、ええ加減にせい!と後ろ頭をはたきたいことです。弱者こそが一番の強者という風潮下にあればありがちな流れですが、老人、病人、障害者だけでなく才能のない者までを弱者扱いして励ましてる、この偽善者達の集まりは何なんですかね。胸の悪いことです。
 
 
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経験

2009-08-29 07:59:54 | Weblog
昨日の天声人語に、データばかり見て現物を見ない専門家の話がありました。気象予報官と医者とが例に挙がっていました。示唆に富む話でした、つまりはありふれた陳腐な対置ロジックですが。どんな業界にもこの二通りの人間がいましょう、とにかく足を運んで自分の目で確かめるを本分とする現場主義者と、今の時代自分が集められる情報など非常に限定されたもので、もっと広く集めてそこから分析導出するが良いに違いないと言うデータ至上主義者と。前者には視野狭窄な独善に陥りやすい、自分の経験事例から外に出られないと言う批判、後者には個別の現実との乖離を避けられないという批判。どちらにも利点欠点はあり、またどうにでも捏ねられます。あなたはどちらですか?と言う話ではあります。コラムには医療業界の例を引いています、前者は目の前の患者さんをしっかり診て話して考えるタイプ、後者は検査結果だけ見て患者さんを診ない(見ない)タイプ。後者が増えてきている、特に若い医者はそうですが、それは科学的根拠に基づく医療が行き過ぎたからだという脳梗塞に倒れた世界的免疫学者の多田富雄さんの言葉を載せています。この人は患者の立場から現在の医療行政を強く批判し続けている方です。EBMという文字言葉をお聞きになった方々多いでしょうか、evidence based medicine 科学的根拠に基づいた医療の意です。これに対するものは経験主義です。はっきりした根拠は無いけれどこういう症状にはこの薬を、この処置をすると経験的に知っている、教えられてきたことで対応する。科学的根拠なんて言い方するから、まるで後者が時代遅れの旧式の間違った原始的な無茶な・・といった印象をかぶせられます。でも、「科学的」なんて言葉の罠で、大きな数字で比較しているだけのこと、何千人何万人のデータをまとめてその塊同士で比較してどちらが多いかと言っているだけなんですよ。つまりあなたにその結果が当てはまるかどうかなんてこと、どこにも保障はないんです。ある薬がある病気に効くと科学的に証明されたとしましょう、つまり効く人が多かったと言うことなんですが、それは100対0では決して無くて、80対20、あるいは65対35なのかもしれないのです。統計学的有意差、小難しいことですが数字のこねくりまわしです、が出ることが科学的根拠です。あなたがその効く方の人なのか、効かない方の人、もっと言えばこの薬でひどい副作用が出る人なのかを保障するデータではないのです。大きな塊(集団)での数字上の比較なんです。これが「科学的根拠」の正体です。危ないでしょう?この方向ばかりはやはりまずいと言うことでそこで学者達が考え出した言葉が、NBM narative based medicine、naration ナレーションに基づきなさいと。その人の話す物語に耳を傾けてその人に沿った対応をしなさい、というわけです。何年も前から雑誌に載る言葉ですが、笑っちゃうでしょう?じゃぁあんた達(医者)は何を聞いてたの?診察室で何を聞いてたの?ですよね。ったく馬鹿馬鹿しい。さらにコラムは、今時は患者ロボット相手に対話の練習する医学部の講義のことを紹介しています。これには私もびっくりしました。ああ、そこまで医者の質が落ちているのか。本物の人間(おかしな言い方ですが)相手にうまく喋れない奴がいるそうです・・。そんな奴を医者にするな!!そんな「最先端」は願い下げだというのがコラム子の言い分ですが同感です。ったく情けないこと。目の前の人に合った言葉、合った対応、合った治療があるはずです。それは教科書には書いてありません(書けませんわね)。インターネットにも載ってません。そこで連中手を挙げてしまうんですね。そこを探っていくのが職業冥利なのに。情けないことです・・
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効果

2009-08-28 08:12:46 | Weblog
インフルエンザ、またぞろ大臣が慌ててます。ということは厚生官僚が慌てているということです。悉皆、総ざらえ、万全主義。想定されうる危険を回避する為にという大義の元、鶏(雀かもしれないですが)を割くに牛刀を持ち出す体質。いい加減にしてくれ。でも古館のような奴がいるから、役人(官僚)とすればその口をもふさごうとするしかありません。昨日古館が例の口調で(今にも溜息をつこうかという低いトーンで、情けないことだという感情をありありと表情に出しながら)言ってました、バタバタと大臣が対応要請する報道の後に、一体あの大掛かりな水際作戦の後、厚労省は何をやってたんだ?って。何ーに言ってるの?ちゃんとやってましたよ。いつものインフルエンザと違わないから慌てないでと。構えを段々小さくして、普通に診なさいと医療機関に通知して、それで大事無く過ぎてます。人が死んでるじゃないかって?毎年毎年何万人も死んでるんです。30歳代の若い人の死亡例が仰々しく新聞記事になってますが、この人もいわゆるハイリスク群、心臓病糖尿病等で治療していた人です。いつも言うように、元気な人がバタバタ倒れ死んでいくのではないのです。沖縄でインフルエンザ脳症が出ている?これも毎年出ることですから。沖縄での大流行は予防できたのではないのか。もっとちゃんと対応できたのではないのか?医療関係者の端くれとして言い訳するわけでも厚労省を擁護するつもりもないですが、流行を食い止めるなんてのは水際作戦止めた時点で、発熱外来を止めた時点であきらめてるのです。もうそういうレベルではなくなったと判断していたのです。重症化しないようにハイリスクの人たちは留意下さいと何度もアナウンスして、そうでない人たちは罹ったらうちでじっとしていてくださいと対応してきたのです。何をやってたんだ?という謗りは無茶苦茶です。台風や水害が来た後にどうしてくれる?行政は国は何やってた?と言うのと同じです。あれだけ何度も痛い目にあってきた天災に対してまた今年も・・・と、防ぎようがないのが実情でしょう。何とかできると思ってること自体が妄想に近い空言なんです。いいですわねこの立場の「言いたいこと言い」はお気楽で。怒って見せればいいんですから。この男の独善さは時には痛快でもあるのですが、こういう場面では正義の味方ぶる俗物から一歩も出られません。事実を事実として捉えろ、知識不足や経験不足で考察できぬのなら余計に事実をそのまま伝えろ、です。何もやってないじゃないです。効果が無いように見えているだけです。これが普通なんです。
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残酷

2009-08-27 08:06:29 | Weblog
飲酒運転事故が絶えません。特に警察関係者(警官)に多いように思いますが、実際に割合にしたら多いのかもしれませんがこれは象徴的に大袈裟に採り上げている要素も大きいことでしょう。飲酒運転検挙者の職業別割合、なんてのがどれだけ意味があるやら。好餌的に(スケープゴート的に)挙げられるのは警官、役人といった公務員で、これは読み手を(観客を)十分に意識したものです、この野郎!と思わせること、溜飲を下げることなどなど目的は色々あるでしょうが。今回のアル中警官もまさに美味しいネタ。罪状否定して後、一転して前言翻すなんてのもドラマ仕立てです。さてね。あれだけ法律きつくしたら、私のような気弱で、普通の損得勘定できる奴らは酒飲んで車運転する危険を犯しやしません。飲み屋が悲鳴を上げるほどにバッタリ行きません。でもそこのブレーキの利かない奴らが必ずいる。それは社会の前提です。だから規則で締め上げるんですが。いたちごっこですか。いいえ、罪を逃れようと法の目をかいくぐるということじゃありません、敵さんただ工夫も何もなく酒飲んで運転するだけです。止められませんか。止められませんね。少なくとも法律いくら変えても止められません。
 NHKの朝ドラでチャレンジという題目で、サッカークラブで試合に出られない少年を励ます筋やってます。レギュラーになりたいという願いを応援しようなんて筋で、そこにこの少年の気持ちを考えろとやら掬ってやれとやらの、スポーツ根性ドラマでのお涙頂戴場面の如き「君が頑張っているから私は応援するよ」なんて、本題(下手だから試合に出られない)から問題すり替えて気持ちが大切なんて話にする、嫌な展開です。今後違う方向に話が落ちるのかもしれませんが、技量が下手で試合に出られない者にスポットを当てる安易さには辟易します。高校野球筆頭にこの手の根性モノ辛抱モノ忍耐モノ縁の下の力持ち礼賛モノには、関係のない他人のぶしつけな野次馬根性を、拍手にごまかした差別意識、ひいては優越感にひたるいやらしさを感じます。スポーツは残酷です。それは単純明快だからです、上手い下手だけで決められる順位だからです。サッカーは11人、野球は9人、バスケットは5人。それ以外は皆補欠です。でも試合に出られない者たちは何故自分が出られないかよーくわかっています。ひとえに自分に技量がないからです。これは理屈じゃないのです、感情が入り込む余地がないのです。努力してどうこうなることじゃないのです。でもそのクラブをやめないのは、もちろん人いろいろに理由があるのですが、試合に出ることだけが目的じゃないからです。それだけの事です。試合に出られない、活躍できないのに、チームのためにそこまでやって、偉いね。レギュラー連中は感謝しなさいよ!なんて方向です。そんな事言われて一番困るのは当の本人です。力の足りぬものを別の面から持ち上げる風潮が続きますが、レギュラー連中の技量の高さを誰も褒めません。これは本末転倒です。言いすぎです。私はいつもこの手の物語を見聞きするたびに違和感を覚えています。
 
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名前

2009-08-26 08:01:21 | Weblog
新聞に久しぶりに和田春樹の名を見ました(中国新聞)。名だたる進歩的文化人。特に北朝鮮擁護派として名を馳せる人です。最近とんとその名を聞きません(見ません)でした。ああ、まだ生きてた、という感想ですらありましたが、プロフィール見るに1938年(昭和13年)生まれ、ああまだ死ぬには早いか、やっと70歳です。いえ、歳がどうこうではなくて。この人の名をよく見たのは拉致された5人が北朝鮮から帰ってくる前後、小泉さんが訪朝した頃でした、月刊誌やらその他のオピニオン雑誌に北朝鮮擁護側の筆頭論客としてひっぱりだこでした。私も当時は月刊誌を沢山読んでいて、「世界」も「論座」も「潮」も「中央公論」も「文芸春秋」も何もかもという状態でしたから余計によく見る名前であったわけです。こっち側(保守系)の本には仇敵、蛇蝎の如き象徴として登場することが多かったですか(正論、諸君!、voice、sapio)。とんと名を見なくなったのは、この人が書かなくなったのか、それとも私が読まなくなったのか、どちらかです。後者であることは否めません、「世界」にはついて行けなくなって何年も読んでませんし、そういえば左側の本を読んでないです、この感想は当然と言えばそうかもしれません。とまれ新聞記事です。金大中の死亡についての論文です。太陽政策を唱えて、宥和策を採った人であれば賛辞の嵐かと思いましたが、淡々たるもの、エピソードをなぞるだけの面白くもなんともないモノ、これなら新人記者でも書けようかいといった代物でした。もっとも最後の部位では「金大中氏の葬儀は金大中氏の道を進むしかないという思想の巨大なデモンストレーション」だと括ります、この辺りは片鱗を見せてくれてはいますが。文章(内容)よりも名前に感心してしまうということはそれだけビッグネームだとういうことです。私もそういう前知識だけで見ているのでしょう。でも名前見ただけでワッと感情が湧いてくるというのはそれはそれなりに凄いことだなと思うわけです。
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大嘘

2009-08-25 08:16:21 | Weblog
日本人間ドック学会(なんと嫌な名の学会でしょう)の発表によると、昨年の人間ドック受診者のうち「異常なし」とされた人の割合が集計を始めた84年以来初めて10%を割って9.6%だったそうです。おお大変と、この学会の名誉顧問(つまり名ばかりの爺さん、昔の名ばかりで生きてる爺さんということですが)が解説します「生活習慣を乱す原因となる職場ストレスなど、生活環境の悪化が最大の理由ではないか」と(中国新聞)。他には60歳以上の受診者数が39歳以下を上回っていること、つまり年寄りが多いデータであることを挙げてはいます。生活習慣に関係する6項目(というのがあって)、高コレステロール血症、肝機能異常、肥満、高血圧、耐糖能異常(これが昂じると糖尿病ということです)、高中性脂肪血症だそうですが、異常者の割合は前の三者が26%台、あとの三つは順に17.7%、16.3%、14.6%だったそうです。この6つともが異常値ではないなんてのは本当「至難の業」ですね。この異常なし、とか異常でないという言い回しがまたずるいと言うか気をつけてるなと思うと言うか、正常値とか基準値とかの単語がこの記事に出ません。もちろん異常かそうでないかの境は正常異常の違いではありませんからね、言葉尻を捕まえられぬようにとの学会側の配慮は感じられますが、それよりなにより、なんですが皆様はどうお感じになりますか。ああ、やっぱり飽食日本は、ストレス日本は健康を蝕んでいるんだ・・と溜息つかれますか?そもそもの「異常なし」の定義です。異常なしなんて言ってますがその実は正常、健康と言ってるんですわね、正常人が10%以下?!一つ、どういう基準なのよ?二つ、そんなに煽って誰を利するの?誰のためにやってるの?後者は明らかに薬屋、その後ろにいる医者。敢えて冠すれば御用医者、ノンポリ医者。学者の言いなりに薬出し続ける馬鹿医者。前者は高コレステロール者が全体の4分の一もいるような基準ってありですか?みんな元気に生きてるんですよ。人間ドック行くくらいの人たちです、病人じゃありませんよ。その4分の一が異常?んな馬鹿な。そんな馬鹿な線引きがありますか?学者の机上の数ころがしで出てきたデータをそのままぶちまける。人を、個人差を全く無視して、大きな数字の計算だけで決め付ける。肥満が4分の1?ったく馬鹿馬鹿しい。メタボなんてのは大嘘ですよ、皆様!!マッチポンプもいいところです。
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特典

2009-08-24 07:58:42 | Weblog
昨日の甲子園は久しぶりに泣かせましたね。悲運の好投手、怪我に散る。あれだけ相手に打たれれば(もちろん絶対のエースが投げないわ、相手は名だたる強力打線だわでは見えていた結果ですが)かえってさばさばもするのでしょうが、でもそれも外野の勝手な推量で、花巻の選手は皆泣きじゃくってましたね。昨日は実況アナ(NHK)も上手でした、試合終了のコールと同時にこらえていたものが溢れ出ます菊池投手、なんて名調子。私はここ何年か前からすっかり涙腺が弱くなっていますのでもうダメです。画面が霞んで困りました。彼が登場した場面はしびれましたね。彼はとても投げられる状態じゃなくて、それは自分が一番わかっていて、それでもあのピンチに彼しかいなくて、監督も体の事考えるに迷ったでしょうが、ここまでチーム引っ張ってきた奴に最後投げさせぬわけにはいかなかったんでしょう。と、あれこれ見ているものに思わせるところ、彼が役者だったということです。監督がブルペンで投げている彼に指示する、行け!と指差す、彼がマウンドに走る、万雷の拍手。ブルペンではキャッチボールの体もなしていないような投げ方だったのに、マウンドではびゅんびゅん来る。解説者が終了後の彼の涙姿を評して、菊池君は責任感が強い子なんでしょう、この最後の場面にマウンドにいられなかった口惜しさと申し訳なさに涙しているのでしょうと言ってました。今朝の新聞に、菊池は選手としては飛びぬけた才能を持っているが人間としての才能も高いとの監督のコメントがありました。誰が見ても彼の力でのしてきたチームでしょう、ワンマンチームなんでしょう。でも、彼のベンチでの態度仕草見ていると、先頭に立って声出しているように見えましたし出ている選手を迎える姿も守備が始まる前のベンチ要員のお決まりの動作も他の補欠連中と全く同じように率先してやっている、これは偉いもんじゃなと私もそう見てました。チームの花形が、全国レベルに注目されている選手が、なかなかできぬことじゃないんですかね。昔のドカベン香川やそこのピッチャー(名前また忘れました)、報徳の金村やらPLの清原、近いところでは大阪桐蔭の中田なんかのやんちゃ(つまり横着横柄)ぶりとの対極です。田舎の子の純朴さなんて括りは違うことでしょう。今時そんな地域差は一般論になりません。彼の資質です。もう一つあるとするなら親のしつけ、監督の教育。こういう「好ましい例」を見るときにこそ教育の大切さを知るわけです。高野連を褒めるのではありません、親を、この監督を褒めるのです。ううむ、それにしても昨日の試合は久しぶりに泣かせました。甲子園のあの大きな拍手がきっと彼の勲章でしょうね。羨ましいことです。才能のある者にだけ与えられる特典ですから。
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咆哮

2009-08-23 07:24:23 | Weblog
昨日日本人の心根なんて書きました。月刊誌正論で今月号まで佐藤優氏が教育的啓蒙的連載をしていました「国体」です。佐藤氏が皮肉っていたように国民体育大会しか思い浮かばなくなっているほどに日本人の日本人たる気質、国民性、拠って立つところ、即ち日本人とは何ぞやを示す「国体」。氏の言葉を借りれば言葉にできないもう一つの憲法です。国民一人ひとりが高天原と繋がっているという概念思想。こう言い換えると何だか怖いもののように、現在社会が忌避する、というかGHQに始まり左翼勢力が維持し続けてきた誘導、つまり皇国史観軍国主義への回帰の匂いがしますが、そういう匂いを感じること自体、この手の誘導に毒されているということなんでしょうが。心根。平易には勤勉で従順で・・といったものです。島国で国境争いから自由でいられたという環境の要素、海や大地からの恵みが豊富であったことが狩猟民族の猛々しさよりも農耕民族の事なかれ主義を産んだというう説等々どちらが先かという疑問はいつまでも残りますが(元々がそういう民族だった、肇国の始めから備わっていたものというのか、そういう環境が作り上げたのかというのか)日本人とはこういうものだ、だから今後もこうやって生きなければならないと、本来は言葉にせずとも万人の心に湧きいづるものであるけれど敢えて言葉にする(国体明徴)といった体裁です。日本人と一般的にくくる時には、猛々しさよりも優しさおとなしさが強調されますね。日本人を語るときには天皇の存在を外してはできません。高天原と直接繋がっているのが(万世一系です)天皇であり、天皇が民を統べるのではなくて民の安全ひいては国の弥さかを祈る。中国の易姓革命禅譲放伐、欧米諸国(といってもアメリカ辺りの歴史の浅い国とは比較にもなりませんが)の覇権主義とは全く違う体制のもとで日本人は暮らしてきた、だから争いなく・・という結論ですが、これも外国との比較に過ぎません。日本にも武士の時代があって覇権を争った時代があるのです、天皇の権威が閑却された時代です。何故今更にこんなこと言い出すのかというと、天地人(NHKの)見ていて、秀吉が秀次の一族郎党を皆殺しにする場面、謀反者は根絶やしにするのが武士の習い、なんて嘯く場面を見たからでした。知らず知らずのうちに日本人はおとなしい性格で争いごとが嫌いな民族なんだと思い込んでいることに気づいたからでした。いえ、総論として語る際には色んな切り口があって、どの時代のどの出来事を取り上げるかでどちらの側にも立てます。中学生のディベート並の話になってしまうのはわかった上で、国民の独自性(優越性)を言い立てる裏には、差異を強調しての誘導統率目的や他国に比べて何か大きく欠けている事柄を隠す目的があるのだろうと眉に唾をすべきだということに気づきました。日本人とて十分に猛々しく残酷で残忍である(あった)わけです。中国人やヨーロッパ人を笑えないわけです。個人差は太古の昔から歴として存在し、性善な人性悪な人相混じった社会であり続けています。が、生き方の基準規範が時代によって変わる、その時代に住む人々はそれに合わせて生きるしかない、そういう単純則にうちに人は生きてきたのですから、普遍的に好まれるであろう平和平等公平ばかりを最高位においての批判もどうかなと思うわけです。喧嘩屋より友好人が好まれましょう。殺し合いより話し合い。言葉(文章)にすれば必ず反論が生まれます、これは宿命です。だからその解決策として言葉にしないという手段が、言挙げしない国だなんて古い文献の文言を象徴に取り上げながら続けられてきたというわけですが、私は信じていますが、本当に日本人に特有な、どんな悪い奴おかしな奴にでも「話せばわかる」素地が皆に備わっているのかしらと、心根なんて言葉、好きで使ってますが、その存在は危ういかなと思うことです。恣意に使えますからね。
 ここで終わるつもりでしたが、TBS番組の映像です。世界選手権で男マラソン、中電の佐藤敦史、北京オリンピックの最下位を雪辱する6位入賞でしたが、このおとなしい男がゴールした後に吠えて吠えて(この人はこんな動作しませんよ、駅伝でもマラソンでも走り終わったらトラックに一礼する人です)、その後のインタビューでも吠えました、これがいいセリフ。屈辱を受けてもそこから這い上がるのが会津人だと人に言われて頑張りましたって。この人福島会津の出身です。昨日萩と会津の話をしたところ、このセリフはいいですね。屈辱云々のくだりは戊辰の役の負け戦を指します。あのテニスのナブラチロアが強い時に言い放ったセリフ「勝ち負けは二の次とか言う人は勝てない人が多いわね」を思い出しました、頑張りましたじゃだめなんですよ。もっとも佐藤も勝ったわけじゃないんですが、さぞや五輪後周りにとやかく言われたんでしょう、今回期するところがあったんでしょう、だからこそのあの迸る咆哮でした。なかなか。
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危惧

2009-08-22 08:07:54 | Weblog
萩市と彦根市とが百何十年ぶりに「手打ち」という話題です。萩市と会津市との長年の遺恨は有名(でもないですか、山口県人だから知ってることなんでしょうか)ですが、彦根?くどく説明しますが、対会津関係は明治維新前の戊辰戦争、上野の山の戦い、白虎隊の遺恨です。薩長土肥の倒幕側、会津藩中心の佐幕側の戦い。それを象徴して長州対会津、中でも維新の志士を多数輩出した萩市対その名を残す会津市です。あの時の手打ち式もなんだか物々しく、相対する爺さん連中の顔がこわばっていて面白く見ていましたが、今回は安政の大獄がらみの因縁。井伊直弼対吉田松陰の構図です。なるほど彦根か・・。でもTVに映る両市市長はニコニコとして端から友好ムード。何でも井伊家の当代当主もやってきていて、日本史発掘の趣。今更遺恨も因縁もないんですが、明治(より前の話ですけれど)は遠くなりにけり、なのでした。
 新聞の予想は過激度を増してきました、自民党100が危ない、民主党320に迫るかって。前回の無茶苦茶解散の真逆ですか。100を切るってどういうことになるんでしょうか。もっとも今回の比例名簿は現職が優先されていますから、仮に紙上火がついている危ない大物達(武部、町村、中川(北海道も広島も)、与謝野、久間、古賀、山拓などなど)が小選挙区で負けても、大負けしない限り惜敗率とやらで比例で復活しましょう、しかしそれも比例票を沢山得られての話です。小選挙区は自民、比例は公明なんて約束ですからね、あちらさんたちは。さてこの人たちは体中に大汗かきながら首筋は常に冷たいんでしょうね。本当に前回の小泉劇場のそのまま裏返しです。この風、勢いは強いです。一気に流されましょう。でも、確かに自民党も情けないしちゃんと対応できなかった咎は大きいのですが、さりとて民主党がそれに優るかと問われればそうはいかぬでしょう?あれだけの右から大左までの寄り合い所帯です、特に外交、憲法問題なんかが沈滞するのが目に見えてます。そして象徴的に危惧するのが教育です。きっと参院の民主党の親玉輿石さんが相応の役に就きましょう、この日教組の権化のような人に教育を握られる恐怖です。日の丸、君が代が消されるかもしれません。日本人の心根がすっかり抜かれるかもしれません。子どもが危ない!!こちらの危惧は極めて大きいことだと思っています。どうかその辺りよろしく御高配いただきたく思っています。
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