柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

公約

2019-04-22 08:26:32 | Weblog
当県周南市長選、女性候補の勝ちでした。宇部市に続いて二人目の女市長の誕生です。女市長なんて呼び方自体が長年続いてきた男女差別を示しているという謂いなのでしょうが、確かに男市長なんては言わない、男性候補なんてもわざわざに言わないです。クオータ制など女性の社会進出を促す風潮です、今次も行政組織の幹部(役付き)や議員に女性よ出でよ!の流れの中のことでした。もちろんそれだけで勝てるほど甘くはないことで、当人の資質が大事なのは言うまでもないこと、新市長は県議を長くトップ当選してきた実績を引っ提げての堂々の勝利でした、現職に一万票差をつけての圧勝でした。外野が無責任に評論するに、新市長の一つの明快な公約が効いたのでしょう。現職が、街おこしの意味でしょう、周南市を周にゃん市と読み替えてキャラバン組んで宣伝してたんです。猫のにゃんです。猫のイラストをちりばめて。え?周南市(徳山)って猫の街だったかい?唐突の感でしたよ、余所者が聴いても。全国あちこちでゆるキャラの名前や着ぐるみを大真面目に募集して作ってのトレンドです、それに棹差しての政策だったのでしょうが、反発も大きかったというわけです。新市長はすぐに廃止するときっぱり公約してました。それ以外の政策はきっと似たり寄ったりに違いないですからね(しっかり読んだのではないです)。これが第一の勝因だったんでしょう、何より分かり易いですよ。と、素人解説ですが、選挙の風っつうのはこんなことじゃないのでしょうか。
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国母

2019-04-21 10:10:01 | Weblog
マスコミの好きな「カウントダウン煽り」です。平成もあと十日だと。今上天皇と皇后さまの写真記事が頻りに新聞に載ります。学者の一面、昭和天皇との違い、云々かんぬん。30年の月日は長いです、特にお二人には老いゆく30年ですから映像上の変化が残酷です。沖縄訪問時の爆弾騒ぎ、ハンセン氏病施設への訪問、そして島原雲仙岳の大土石流に始まっての大災害の数々、そこここでお示しになったお二人のお姿は昭和天皇のそれとは大きく異なり、それはそれで非難の対象にもなったことでしたがしかし民草にはお心が十分に伝わり、陛下が事あるごとに言われる象徴天皇としての務めの具現を我々は見てきたわけです。そして皇后さまの存在の大きさです。史上初めて民間から皇室に入られて、当初はさぞやいじめに遭われたでありましょう。宮内庁は単純に役所でありましょうから家柄出自は問われないにしても、天皇様の日常はそれこそ奈良平安時代からの習わしでガチガチに固められておりましょう、大奥こそ存在せずともお付きの女官は遠く藤原の血筋をひく由緒正しき家柄の者(五摂家九精華の門閥です)が居並ぶのでしょう。どこの馬の骨?粉屋の娘風情が何を偉そうに。日常些事に亘るこまごましたしきたりをいちいち咎められ、知らぬを蔑まれ、排斥の圧力が常にかかる。いえ、見てきたような私の勝手な推測ですが、皇太子妃が適応障害になって公務に出られなくなってしまっているのはこの環境因が理由に違いないことでしょう。だから余計に皇后さまの「強さ」が際立ちます。昭和天皇は旧来の帝王学をそのままに体現されて、戦後の劇的な地位の変化にも習い性となるままに振舞われ、あの独特の喋り口は幼少時の私の耳にも異様ではありました。が、今上陛下はアメリカが作った憲法にある象徴天皇のモデルを作るべく常に意識されてこられたわけで、皇后さまも昭和の皇后様とは違う行動をなさってきた、それを咎めて週刊誌や女性誌が大バッシングを展開し言葉が出なくなるほどの心痛を負われたこともありました。皇太子妃がそれとは逆の、あまりに公務を放棄することに対して非難を受けているのは周知のとおりですが、「前職」との比較という点では同じ観点です。益荒男ぶりと手弱女ぶり。男と女の評価の一つですが、上品で知的で且つ嫋やかさを備えられた皇后様こそ国母という名にふさわしい「名君」であられたと思うことです。
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制限

2019-04-20 08:26:46 | Weblog
東京の交通人身事故、運転してたのが87歳爺さん、助手席には老妻が乗ってたそうで。こんな事故がなければまぁお元気で仲のおよろしいことでと言葉をかけるべき絵柄です、頭ごなしにこの野郎!と怒鳴れないようで、だから運転やめとけと言うたのに・・というこの夫婦に近い人たちのつぶやきも聞こえるようで。新聞は高齢者の運転の危険として括って批判します、ま、こう来ますね普通。まず認知症、次にてんかんなどの持病の有無への詮索。ぶつけた後に、あちこちぶつかってやっと止まった後にすぐに息子に電話してたそうですから、てんかん発作じゃないですね。そしてこの反応の速さは、この年齢ですから少々の認知障害はあるにせよ「運転やめろ!」というほど程度ではないのでしょう。アクセルが戻らなかった、そうです。ブレーキはどうした?どうしてこっちを踏まない?今後寄って集っての批判が浴びせられるのですが、だから年寄りは運転するなという声がどうしても大きくなりましょうね。人権と世の安全との天秤かけです。強制的に年齢だけで免許剥奪できないでしょうこの権利社会では。だから頻りにあの手この手で警察は自主返上させようとしてるんです。でも、事件は次々に起きる。失敗は原因を個人に帰していたのでは根絶できぬというのが失敗学の教えるところです。ちゃんと運転できる高齢者も多くいる、なんて甘いこと言うてるからダラダラと死人が出続ける。どうしますかねぇ。80歳以上は運転するな。こうしますか思い切って。権利屋達の仕事を増やすばかりですかねぇ。
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帰化

2019-04-19 08:26:36 | Weblog
天皇皇后両陛下の伊勢神宮行幸啓をTVが伝えます。カメラが入れないところがもちろんあって、ここや出雲大社の遷宮式典の時のような神秘さに包まれます。中で何やってるんだ?昔は天皇陛下を直に見ると目がつぶれるなんて本気で言うてたとの話もありますが、この手の神秘のベールは必要ですな。何でもかんでも見せればいいというのではないです。で、伊勢神宮の祭主がサーヤさん黒田清子さんというところが目を引くことでしたが、お役目とは言えやり難いことでしょうと民草は勘繰ることでした。行員が恭しく三種の神器の二つを捧げ持ち歩く姿は背筋が伸びる思いがしました。神話が目の前で展開されているんです。
 さすがの白鵬の業績をもってしても帰化しないと(日本人じゃないと)親方になれぬ規則が曲がらぬと踏んで、日本国籍取得に動き出したんだそうです。一代年寄りは間違いなく手に入ります、後はあの大鵬をはるかに凌ぐ成績残しているところで日本人以外でもと特例扱いを期待していたのでしょうが諦めたというわけで。二重国籍ってのはダメなんですかね、蓮舫はどうだったんですかね。と、あらぬ方向に進みますが、やはり平成の大横綱は相撲から離れたくないでしょうねぇ。
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神話

2019-04-18 08:23:33 | Weblog
天皇皇后両陛下が天照大御神に譲位の報告をされに特別列車を仕立てて伊勢神宮にお出ましになる(これも行幸ですよね)、三種の神器のうち剣と勾玉を行員が恭しく捧げ随行している光景です。言葉をなくして見入る、その後遅れて厳粛な気持ちが沸き上がったことでした。天照大御神ですよ。失礼ながら大の大人が大真面目に大人数で、です。天皇様の仕事は神話(伝統)を守ること、それは国民の安寧のために祈ることとよく解説されますが、三種の神器を持参されるところフィクションがどうのこうのの批判をすっかり抑え込んで見つめてしまいます。もう一つの八咫鏡は伊勢神宮に鎮座ましますわけで、そこに行かれることで万世一系の正統の証明にもなるという大物語です。いいですねぇ。草薙の剣は熱田神宮にあって、皇居にあるのはその形代だとググって知りました。八尺瓊勾玉は本物が皇居にあるのだそうです。何と神話の世界よ。古事記を読み返しましょう。そういう気分になります。この科学全盛の時代に神話は歴と生きています。何と嬉しいことです。背筋が伸びる気分です。
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損賠

2019-04-17 08:25:57 | Weblog
仏のノートルダム寺院の大火災は門外漢の私にも「えらい事感」が強いですが、昨夕に阿蘇山の噴火がTVのテロップに流れて、その後のラジオでも避難勧告が云々言うてましたが朝刊には全く載らず、TVも何も言わず。なぜ?大事じゃなかったということなのでしょうが、こんなにすっかり無視する?他の大事件に飛ばされたというのでもないように思いますけど。仏の事件を受けて日経のコラムは金閣寺の全焼事件を比較に出して三島由紀夫、水上勉の作品について蘊蓄垂れてます。定番ですなぁ。
 タイガーウッズの復活劇を皆が喜んでます。TVも長尺だ。どん底からの復活と。誰かが解説してましたが、不倫事件や交通事故などの不祥事でスポンサーが相次いで撤退した中でただ一つナイキだけはずっとついてたんだそうです。今回もナイキの帽子、シャツでしたねぇそう言えば。一時はあのマイケルジョーダンよりもAロッドよりも高給取りだった人です。この大波小波ぶりは確かに耳目を引きますけれどね。
 同性婚の集団訴訟が審議に入ったとの話題です。民事裁判です、同性婚を通常の異性婚と同等に扱わないことに対する損害賠償、一人100万円だそうです。ま、この額自体は形式的なことで、要は同性婚を法的に異性婚と同等に扱えというわけですが、ふうむ。どうも釈然としないと言うか、違和感が拭えません。いかがですか。
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揶揄

2019-04-16 08:28:16 | Weblog
新元号についての朝日毎日新聞の冷や水記事について昨日書いたのが聞こえたのか、今朝の朝日新聞、今度は令和の出典先とされてる万葉集そのものにケチつけてます。東大教授に書かせてる記事ですが、愛国利用の歴史 歓迎ムードに警鐘 と見出しです。ううむ、いかにも言いそうなことです。明治時代に一般には無名に近かった万葉集を我が国の古典の玉座に据えて国民意識の形成に利用された、んだそうです。あの歌、「海ゆかば」の全文を載せてイメージ作ります、これが象徴だろうなと想像はつくことですが果たして。戦時中の記録映画宣伝映画観てるとBGMの多くは軍艦マーチか海ゆかばですから、全国民が知ってた歌。そうやって世論誘導(なんて生易しいものではなかったのでしょうが)して統治目的に使っていたという論です。国民国家のイデオロギーだった、とまで言います。この歌が作られた時代の背景とかのそういう文化的考察は措いての非難です。天皇の為に死ね、そういう歌なのだ、そんな歌が載ってるのが万葉集なのだ、というわけです。因縁つけてんの?ですよね。初めて自前の古典からの選択だったのに、この貶めです。こっちの方がイデオロギー的でしょう?
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自由

2019-04-15 08:25:20 | Weblog
令和と決まって一体誰が考えたんだとかいつ決めたんだとか詮索する向きが目立ちますが、もちろん歓迎する意見が大勢です。漢文古典ではなく万葉集から引いたところが大いに評価されています、肯んずるところですが、当然の如く嫌味を言う者もいます。因縁つけるものもいます。朝日や毎日の社説がそうでしたが、そもそも元号に食いつく体質ですから令和がどうこうではなくの噛みつきです。元号とは皇帝による時の支配という中国の考えに基づくのだと説き起こして、天皇制(この表現自体がソ連共産党からの押しつけだったそうですが)そのものが気に入らぬ勢力ですからこういう物言いになるだろうとは思いますが、今のこの時代の認識としてそんなことは一般的じゃないことは明らかです、つまり因縁つけてる。少し遡って今上天皇が譲位の会見されましたね、それが全国報道されたことを玉音放送と称して別のニュアンスを被せて、問答無用に我が意を体せよに持っていったと非難する記事もありました(日経、4/6)。昨日は毎日のコラムで藻谷浩介さんがラ行は語感がよくないとケチつけてます。気に入らぬ者も多いんですねぇ。しかしこうやって言いたい放題できるのも日本の有難さですね。天皇の在り方とか民主主義とはとか話を大きくしての大上段も見えます。やれやれ、ですが、これも表現の自由、言論の自由の国日本!なのです。
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実験

2019-04-14 10:39:38 | Weblog
昨日のコンビニ論、舌足らずでした(拙文のなせる結果ですが)。少し継ぎます。24時間営業に対する評価(前提)が固定し過ぎてると言いたいのでした。生命線なんて言えば必要不可欠だとの危機感をあおるばかりです。実はそうでもないのでしょうが、営業時間を短縮すればもちろんそれだけの収入減になるわけでそこを恐れるあまりにやめられない(もちろんフランチャイズ契約に違反する、違約金とかの縛りも大きいでしょう)。今朝のサンモニでも大宅女史が、24時間営業は消費者を掘り起こした画期的なビジネスの成功モデルだと前提してました。こう持ち上げるからやめられない。こういう流れが出来てます。抗えない。街行く人にマイクを向ければ困りますぅなんて言うに違いないし。コンビニの24時間営業がどんな田舎に行っても普通になったからわかる事実側面を言いたいのでした。当初は深夜の需要を見込んでの実験で、それが大当たりしてローソン、ファミマ、ポプラ等々追随する企業が競合して現在があるのですが、それがいつか惰性化して「開いてるから行く」に変わってると。いえ、それも需要に違いないじゃないかとの意見は肯ぜます。だから開けるというのも順当な理屈と思います。循環論です。どうして24時間開けるんですか?お客さんが来るから。お客さんはどうして深夜にお店に行くんですか?店が開いてるから。この謂いでゆくなら7時11時とすればお客もそれに従うしかない。開いてる店がなくなった当初は不便でしょうが、なければないでそれに慣れるしかないのです。昔に戻るだけだなんて言うとアレルギー反応する人がおられましょうからそんなことは言わない。一旦手に入れた便利はなくせないもんです、携帯電話を今更なくせないが如し。でも、営業時間が文字通りの 7 to 11 になったらなったで、消費者はバカじゃなんですから11時までに買い物を済まそうとするだけでしょう。つまり、深夜の需要に見えているのは単に開いてるから行くという行動習慣、惰性行動の過大評価ではないかという嫌疑です。比較すれば以前の形に戻すということなのでしょうが、大規模な社会実験に思いますね。購買行動に係る大規模な社会学的経済学的実験。とは言え、全コンビニに強制などできないでしょう、大手がやめてもニッチを埋める業者は残りましょう。でもだからこその実験とも言えます。人々が深夜に開いてる店を求めて集まるようになるか、それとも客の行動が変わるか。人口減少という国家的問題の結果として生じた人手不足を契機とした問題提起でしたが、実は今後の我が国の社会モデルの再構成という壮大な実験になるのではないでしょうか。そして一旦手に入れた便利さから人々(大衆、民衆)は自ら離脱できるかの実験。是非少なくとも大手の何社は24時間営業をやめてみてもらいたいと思います。そう思われませんか。
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需要

2019-04-13 08:28:38 | Weblog
コンビニは24時間営業こそが命綱、生命線だとするのがマスコミ(つまり学者たち)の前提ですが、そもそもそうなのか?です。需要に応えて供給が生まれるのかその逆なのか。もちろんそこは商機への鼻の利きです、夜の営業で儲かると踏んだんですね当初は。マーケットリサーチ、なんて言葉が当時からあったのかどうかですが、あれこれの調査の末のGOだったのでしょう。で、文字通りの7時11時で始めて、客がついての顛末。夜間に需要があったのは確かでしょうが、開いてるから行くの順でしょう?供給を作っておいて需要を掘り出す。小林一三が線路を敷いてから街を作った(宝塚を作った)如く。足(アクセス)を整備して人を呼ぶ。この順。人の多いところにアクセスが出来ていくってのも順ではあるのですが、それはえ拡大していく時の現象です。まずは作って人を呼ぶ。だから閉めれば閉めたで行く所がなくなるだけで、人は我慢するだけです。やめればいいですねぇ24時間営業を。夜は寝なさいよと。TVも12時で消す(砂嵐にする)。いいですよねぇ。
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