柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

観後感

2008-05-19 08:43:51 | Weblog
映画「靖国」見てきました。今から見に行かれる方のために詳細に亘らぬようにしたいと思いますが、多くの人が読後感ならぬ観後感として言っていたように、大したことない、が感想です。土佐の90歳の刀匠が刀を鍛える、その名を靖国刀と呼んで、靖国神社からこの刀の鍛錬会に感謝状が出ている、この中国人監督はこの刀(戦前戦中戦後を通して綿々と作り続けられてきた)を戦争、つまりは自国への侵略(殺戮略奪)の象徴として全編に通し写し、この老刀匠に決定的な言葉を語らせようとさかんに誘導尋問するという運びです。その合間に靖国神社で繰り広げられるパフォーマンスが挿間されます。自ら靖国おたくと称するほどの作家坪内祐三が月刊誌に評していましたが、軍国マニアのパフォーマンス集のような感でした。私は東京という街をつくづく思いました。人が多いんじゃのう・・。母数が多いとおかしな連中もそれだけ多くいるわけです。そしてこの雑多性。ようもこれだけ色んなのがおるのう・・です。夜、ライトアップされた靖国神社の像からパンしてドローして大東京の夜景に変わっていく画面には改めて息をのみました、でかい街だこと・・。ま、これは単に田舎モノの感想ではあるのですが、でもこの手の示威行動なり演技なりは昔からよく伝えられていることで、軍服着て日章旗もって行進する姿には思わず吹き出すわけです。でも、連中いたってマジですから、怖いことは怖い。かの老刀匠は中国人監督の片言日本語の質問にまともに答えません。これも痛快。この中国人の意図は見え見えなのです、なんとかこの老人にこの刀は人殺しのために作っているし使われているのだと言わせたいのです。でもそんな手には乗らないとばかりに口を閉ざします。途中面白かったのは、沈黙が続いてあと老刀匠が言うのです「お茶も出さんで悪いな」と。とっとと帰れというサインですわね。ま、取材している側としてはこんなことで引き下がれないんでしょうけれどこの監督は、いえいえとんでもないです、なんて応えてる。ああ、やはり文化の違う、吸ってきた空気の違う者がその地の文化(心根、国民性)を語ることはできないのです。刀に対する気持ち、そういう一番根っこの感覚からしてこの二人違いすぎます。つまり日本人と中国人の違いです。挿間される映像は「靖国劇場」ばかりではありません、これでもかとばかりに先の戦争のシーン、日本兵が靖国刀でもって敵の首をはねている写真、そして昭和天皇の映像が続きます。映画の終わりは老いた昭和天皇の姿の静止画像でした。うむ、意図はよくわかります。でもそう、大したことないです。そんなに目くじら立てるほどのモノではないです。それほど散漫なんでしょうね、強い訴えとして伝わりませんでした。稲田女保守弁護士が文化庁の助成を出すような映画ではなかろうとクレームつけた気持ちは理解します。そう思います。その程度のもののように思いました。何か御意見を、と問われれば笑ってそのままにしましょう。でも「だろう?日本は無茶してきたんだろう?」なんて言ってくるなら反論しましょう。そんな気持ちでした。これが私の観後感でした。
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