柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

子供の日

2008-05-05 10:05:19 | Weblog
子供の日です、新聞はマニュアル仕掛けでしょうか、少子化と虐待話題です。27年連続で子供の数が減少しているそうです。何とか率よりも実数の方が分かり易いです。15歳未満の子の数は、多いときには三千万人いたのがここ20年で一気に急降下、千五百万人を今にも切ろうかという数です。高齢化と合わせてもう何年も言われていることですが一向に改善の兆しが見えません。行政の対応が的はずれであることも理由の一つでしょうね、同じ「結果が出ない」にしても大金を落としている分相対的に無効さの印象が大きいわけです。もっとも何もしなければそれはそれで大叩きされましょうが。行政は金を落とすばかりです。母親の負担を少なくしろ、父親にも子育てさせろ。夜間の保育所を建てろ、補助金を出せ、男にも育児休暇を義務化しろ。どれも間違いでした。失政失策でした。小泉さんが郵便局潰しの理由付けのためについでにやった規制緩和が日本を潰しちゃった(非正規雇用問題やら医師不足問題やら)のと同じ系の、つぎはぎ手当ての典型です。で、それもこれも効果がなくて、それでも支出は増えて、やめるわけにもいかずさりとてどんどん拡げていくわけにもいかず、マスコミからも飽きられて知らん顔されてしまうと、行政も知らん顔するしかないというわけです。少子化?そんなこともあったですねぇって。現在進行中なんです。どうしましょうか。なぜ少子化傾向になってしまったのか、なぜ女が子を産まなくなってきたのか、管見はこうです。民主主義の果てに必然的に現れる個人主義の爛熟。年寄りが死ななくなったこと。まず後者。日本にはこの対極の時代がありました、産めよ増やせよの時代です。これはひとえに人がどんどん死んでいったからです、結核で戦争で。とっても具体的に物理的に「駒」が要ったからです。今はその「大きな必要」がなくなりました。大なる力が逆方向に向いているのです。世の中の意志というか社会構成を正す大きな流れというか、横文字で言えば something です。人口減らせ、という大なる意志。エイズ禍の中にあるアフリカ諸国の子沢山が、昔の日本のようなたくさん死ぬからたくさん産まれるという単純則を証明しているように思います。中国やらインドの大人口は、まだこの国の(この広さの)器一杯に達していないことの証しのようにも思いますし、この国ではまだ多くの人が死んでいっているのでしょう、推測に過ぎませんが。そしてもう一つは、産めよ増やせよなんて今から思えば乱暴極まりない号令に人が(女が)素直に従っていたということ。これは、前者に関係しますが、今の言葉で言えば男女差別、女性蔑視抑圧の常態あればこそのことでしょう。むろん懲罰で裏付けられた恐怖政体、全体主義も理由の一つですが、ここでは措いて。女は結婚して子を産んで育てて、それ以外は要らぬといった断定。民主主義は必ず個人主義を先鋭化(極端化)させます、訴訟の国アメリカ然り、人権の国フランス然り、大保守王国イギリス然り。伝統や文化が壊れていきます。なぜならそれらは社会をうまく機能させるための装置だからです、民主主義は成熟すると自らを壊していくのでしょう。社会(集団)と個人とどちらが先かという古来からの思想家の論争の的に行き着くのですが、敗戦による天と地ほども違う思想の大転換から六十余年を経て日本にも個人主義が蔓延してきた証拠なのでしょう。あなたの好きにすればいいのよ、です。産もうが産むまいがそれはあなたの自由なのよ。女が結婚しなければならないってことはないのよ。どんどん仕事をなさい、社会に出ていきましょう(専業主婦を否定していく上野千鶴子やら大沢真理やらの煽動したフェミニズムはさすがに下火になったのでしょうか、ご本尊が女一人の老後に不安になってか、おひとりさまのなんとかって本を書くほどになってます)。でも、それが原因だとやってしまうと解決策が見えないです。民主主義という名の個人主義を我々は皆大なり小なり享受して生きていますから、否定など出来ませんし、これのない社会には今さら進めません(戻れません)。個人主義の世の中で相互扶助という概念がどこまで維持できるか。これはすぐれて日本人の国民性を問われる問題でもありましょう。アメリカに日本式の国民皆保険制度ができないのは相互扶助という高級理念が理解されないからだという評価もあるくらいで、この精神は日本人特有といっても言い過ぎではないのかも知れません。しかしそうは言っても、社会維持のために子を産むなんて図式は、先の国家政策の臭いがするようでいやですね。子は可愛い、子を持ちたい育てたいから儲ける、そういう流れの中にいたいですよね。そこを国が補助するってのもおかしな話なんです。フランスの出生率ですか、これが持ち直したのはシングルマザーを積極的に保護補助するようになったからだという話を聞いたことがあります。つまり日本語で言えば「父(てて)なし子」を奨励するってことです。結婚するという形態自体を嫌う女が多いって事ですか。これもどうだかなと思います、さすが人権の国ではあるのでしょうが、私はこうやって皮肉を言って日本はそうじゃない!と言い続けたいです。金銭的に若い夫婦を補助する、育児環境を整備する。そんなことで子は増えなかったのです。この意味するところは何か。親としての肚の据え方を知らずに子を育てる親を、何でもかんでも人の所為にして恬として恥じぬ馬鹿親を増やしただけの結果でした。相当の年齢になったら結婚して子を儲けて、という考え方生き方が普通にならねばならないということです。女がこれだけ社会に出て、男がどんどん脇に追いやられて、それでも女が子を儲けたいと思うような環境を作らねばならないということです。その為には単純に保育所やら育児休暇やらの仕様変換では足りないのです。何がいるか。私が思うには一に年寄りが順当に死にゆくこと、二に男がもっとシャンとすることじゃないのかと。それじゃぁ何も手を出せないということじゃないかとなりましょうか。その為には教育ですかね。何をやってもいいのよ式の刷り込みを止めることじゃないんでしょうか。人が生きていくためには自ずと制限があります、男女の差は歴然してあるでしょう、そこをセックスのジェンダーのとお利口に都合よく区別するのではなくてガッと一掴みにこういうもんじゃと教えることが必要じゃないんでしょうかね。産む産まないなんてのは男には到底思いや考えが届く所じゃありません、女の方々この辺りどうお考えなのでしょうか。少なくとも女国会議員達には事の本質がわかっていないようです、彼女たちもその辺のおっさんと同じ、姑息な瀰縫策しか思い浮かばぬようです。いかがですか諸姉。
コメント (2)
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