柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

男女差

2007-05-31 08:43:01 | Weblog
たまたまBSの大リーグダイジェスト番組見ていたら、ホームスティールの場面やってました。新庄が何年か前のオールスター戦でやったようなあんな芝居がかった演出じゃなくて本物のスリルでした。左ピッチャーがなかなか投球動作に入らず時間掛けている間にスルスルと塁を離れ一気に加速する。セットポジションです、ランナーには背を向けていますからピッチャー気がつかない。トップスピードになってもまだぐずぐず手を伸ばしたりしてる。サードやらキャッチャーからの声で走っていることに気づく、もう走者はホームベース直前、あわてて送球するも時既に遅し。へぇ、本当にこんなことがあるんだと思いました。スリルありますよ、見ていて面白かったです。イチローが内野安打の妙をアメリカ人達に再認識させたなんてよく言いますが、ああいう時間を競う、速さを競う場面はドキドキします、スポーツ共通の感情ですね。
 女棋士が別団体を創設したという報道見ました。日本女子プロ将棋協会。既存の団体は日本将棋連盟、詳しく新聞には載っていないのですがこれがプロ棋士の組織でしょう、羽生とか米長とかのいる。なんでも女棋士56人うち17人が飛び出したんだそうです。ええ?17人?全員で出たんじゃないの?つまり過半は現団体に残ったということです。TV聞いていてへぇ~と思いました、現団体では女棋士はトーナメントに出られない、年金にも入れないなんて旧態が依然として維持されているそうです。こういうのは文化とはいいません、頑迷固陋といいます。将棋なんて(囲碁もチェスもオセロも同様)体力を必要としませんから男女混淆でいいわけです。女を排除する理由はないでしょうにね。昔からそうだから、なんでしょうし、あなた方はそれを承知で連盟に所属したんだろう?とはねつけるばかりだったんでしょう。女棋士の地位改善要求はきっと何年も前からなされていて、その挙げ句の行動なんでしょうね。でもこのように全員の足並みが揃うわけでもない。旗振っている人はさぞや無念でしょうが、ここは行くしかありません、体制変えるには行動あるのみです。トーナメントもどんな大会にしても男女の区別をなくす、強いものが強い世界ですから。女棋士が全員早々に負けるものなら、それならそれでしかたがないなとなります。そうこうしているうちにやがて天才少女が現れて並み居る男棋士をうち破る、そうなったらブーム到来しますよ。所詮はこういう人気業界でしょう?お高く止まっていたのではねぇ。こういう男女差別で思い浮かぶのが山には女が入っちゃいけないとか土俵には女が上がっちゃいけないとかいう一連です、穢れという概念で説明されてます。でも、私はこちらは文化だと思っています。こういう精神風土であったということです。今の時代の知識や生活水準や感覚で測ったのでは見間違えます。今の生活感覚からはこういう考え方はナンセンスです。穢れてその先どうなるというのだ?科学的に証明されないことは迷信と断じて排除されますから。実際誰もそんなこと信じてはいません。でも、理屈を捏ねるのではないですが、万能視されている科学とて、証明されないものが存在しないと証明できないわけです。この灯台もと暗し的な陥穽に心せねばならぬのですが、確たる理由なく何百何千年も畏れ怖れ避けてきたことにはそれなりに意味もあり文化があったのだと思うわけです。話をこんなに大きくしなくてもいいことですが、男女の差なんてのはゼロです。体力差、生殖能力差だけです。これは確かなことです。将棋の世界に男女差があるはずもないことですよね。そう思います。
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談合論

2007-05-30 08:42:20 | Weblog
故松岡農相絡み談合関連者の自殺が報じられています。死人に口なし。口封じには殺すに限る。誰が後ろにいる?隠しきれない、でも告白する勇気もない。家族を初め多々迷惑を掛けるだろうし、何より自分の手が後ろに回ることに耐えられない。慚愧に堪えぬではなくそういう状態に耐えられない、想像すらもできない。俺だけが悪いんじゃないし、今までみんなやってきたことじゃないか。身を処せなくなって身を投げる。松岡さんの遺書には身命を捧げてお詫びするなんて文言がありますが(これとて美辞麗句に過ぎぬのでしょうが)、そうじゃなくて、そんな肚なんかこれっぽっちもなくて、ただどうしたらいいか分からなくて、じたばたしての挙げ句の行為。それとも誰かが背を押したのでしょうか。鈴木宗男さん言ってくれてます、国会対策上口止めされたそうだ、このまま逃げ続けろと指示があったそうだと。いいですねぇ、この人がここで出てくるとはね。さんざマスコミから悪党扱いされた二人ですからね、ここぞとばかりに意趣返しですか。誰に?自民党に、もちろん。談合は悪だ、それを官が主導するとは何事か?!そういう空気の中です。反論も多くあります、私も反対する者です。そういえば松岡さん、何年か前に田原さんの番組で談合擁護論をぶっていたこと思い出しました。ああ、こうやって金を手に入れて来たというわけね、なんてこっちも横目で見てましたけれど。大手ゼネコンという存在は元々あったものではありません、きっちり仕事をするために技術を開発する、技術者を集める、下請け企業を傘下に統合して効率を上げる、そういうことによって公共事業を請け負う、資金を得てさらに事業拡大する。金儲けばかりが強調されますが、技術力の向上に資するところも大きかったはずです。その技術力、そこから得られた資金力でもって世界に伍し、世界を追い抜いてきたんです。日本の仕事確実さ正確さ美しさはこういう各要素の効率のよい集中から産まれてきたんじゃないのでしょうか。複数の大手ゼネコンに順番に公平に仕事を振り分けること自体、悪じゃないでしょう。傘下の下請け企業も潤う訳ですから。むろん金の絡むことです、叩く、搾り取るなんて利益を上げるためのえげつなさはあちこちで起こっていることですが、さて、こういう順番仕切りが悪でしょうか。どうぞ宜しくお願いしますと袖の下、これがいけないと大合唱なんでしょう?公務員が収賄とは何事?ううむ、日本の技術大国化の原動力だったんじゃないんですかね。悪い!悪い!悪い!ばかりじゃないと思うのです。
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腹切り文化

2007-05-29 08:43:34 | Weblog
まず訂正とお詫びから。昨日1、2、といった数字をローマ数字と書いてしまいました。アラビア数字の間違いでした。全く間抜けなことですみません、訂正してお詫びします。昨日数字の表記が気になってしまいあれこれ噛みつきましたが、その目で新聞やらTVのテロップを見るとおお、あるある、です。TVには横へのロールで1番大切と出ました。新聞は各社方針があるようです、日経は横書きと縦書きの見出しにはアラビア数字を混ぜた表記していますが、縦書きの記事の部分は全て漢数字です。七月、二メートル、四一%、一二ポイントの如く。読売、朝日、毎日はどこもかしこも混ぜ混ぜです、しかも統一しない。読売には一人横綱と書いたり1人横綱と書いたり。もちろん縦書きの記事の表記です。相撲の記事にはそのオンパレードです、こうなります、2強、28日、一夜(さすがに1夜と書かない)、一つ一つ(1つ1つではなく)、5日間、四つ相撲、右四つ、1年、22歳、1人、1面。書き手の自由に任せているんでしょう、ということは書き手のセンスの問題。こういう混ぜ混ぜを気持ち悪いと思わない感覚ですか。日経のように方針決めている方が品格感じますね。ただ、縦書きに数字を混ぜる利点もありましょう、視覚に直接訴えられることと字数を稼げることですか。でも、この違和感を凌駕するものでもないでしょう。妙なこだわりでしょうが、縦書き横書き漢字ひらがなカタカナそれに加えて横文字、数字と日本の文字文化は多彩でありかつそれだけ決まりも多かったはずです。緩めるばかりが「進歩」じゃありませんよね。
 松岡農相の自殺いかがですか。追いつめられたとか逃げ場がなくなったとか、日本の文化です、死者には鞭打ちません。生きてる者の責任ばかりが問われます。矢面は安倍首相、任命責任ってぇやつです。まぁ、ここは沈痛な面もちで追悼の意を表していれば時は過ぎます。石原慎太郎の感想が象徴します、彼も侍だったのだと。でもこれは一般の感想から乖離しすぎでしょう、私はこの人には大概は共感共鳴できる体質ですが、これはちと言葉が過ぎると思います。墓場まで持って行かねばならぬ事が他にあったんでしょう。これ以上手が入るとまずいことがあったんでしょう。黒幕が後ろに控えていて、金を集められなくなったら用はない、所詮あんたもトカゲの尻尾だよと切られたか。映画の見すぎですかね。しかも議員会館で首つるなんて芝居がかったこと。死んだらそれで終わりかい!死んでご破算。何もかも棒引き。腹切り文化は脈々と生き続けているという証明でもあります。侍云々とは違いますね。石原さんの意図したことはどちらだったのか。男気の意か腹切り御赦免文化の意か。
 
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誰の所為?

2007-05-28 08:41:17 | Weblog
とんと阪神のこと書かないのは負けてばっかりだからです、以上。白鵬横綱です。週刊現代読んでご覧になりましたか、何だか昨日の一番も眉唾です。あの業界も談合横行する一族企業、考えてみれば全員天下りで構成されています。北の湖も千代の富士も注射(八百長依頼)うちうたれてきた者達なれば是正とか改革とかできるはずがないことなんです。貴の花もすっかり黙っちゃったし(協会反主流で干されているんでしょうかね)、協会からおん出た若の花こそが言いたいこと言えばいいのに、この人も注射組なんでしょう。栃東あたりに期待できるかなと思いますが、今のところTVへの露出にご執心のようだし。八百長疑惑で有名なのは千代の富士の五十何連勝に係るものでしたからね。プロ野球と同じで、ズルズルずるずる文字通り芋蔓式に挙げられるんでしょうね、ひとたび端緒が開かれると。神聖も無垢も純粋もどこにもないんです。金儲けの手段なれば如何に観衆騙して集めて金を落とさせるかです。見る方も妙な思い入れしないことですわ。
 新聞表記にもう一噛みつき。1強終えん、と縦書き見出しです。縦書きに1、2などのローマ数字表記はいけないでしょうに。本当に気持ちの悪いこと。いえ、横書きでもいけないと思うのです。一国一城を1国1城とはさすがに書かないですね。朝三暮四も。一強もこれで一つの言葉ですからね、漢字表記せねばならぬと思うのです。例えば午後3時とかりんご2個とか45%とか、こういう数量や状態を示す場合は何とか許されるにしても、とここまで書いて、ああ、一強も数量表示に違いないなぁと引っかかりましたが、一勝三敗はどうですか、1勝3敗、一強三弱はどうですか。ううむ、ここでは一般化し切れません、また考えます、でも違和感は強いです。
 読売のコラム「医療ルネサンス」に、息子に腎臓提供して「思わぬ後遺症」に苦しんでいる父親の言葉が載っています、息子が元気になってそれで結果は十分なのだが、死体腎移植や脳死移植が進まないなか、健常者が腹を切る今の日本の状況は尋常ではないと。記者はだから早く脳死移植体制を緩和するなりして尋常な状態に戻せよと問題提起したいのでしょうが、さてそうですかね。生体移植は殆どが親子間のものです、それは気持ちとして理解できますが、親子の情という枠の中で他人の介入を許さないものになります。となると、少々のことは我慢なさいよ、あなたが好きで提供すると言ったことでしょう?となります。こういう苦情は、死体腎移植、脳死移植が一般化しないことに因を求めることではないでしょう。移植に係るトラブル原因は、一に移植しか治療方法がないと言い放つ医者の見識のなさ、二に臓器提供は最上最高級のボランティアなんて騙す口吻、三にドナー(提供側)にはなんの不都合も起こらないと思い込む無知さ でしょう。何でもかんでも人の所為にするのは止めましょう。全てはあなたが望んでなされた行為の結果なんですから。そう思いました。
 
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高い壁

2007-05-27 07:27:48 | Weblog
教育再生会議が、学校の週五日制の事実上の廃止を提言するそうです。やっとわかったのかい、ですが、いや皆分かっていたのですがどうにも左翼思想、緩指向の個人主義、放恣主義に支えられた偽正論の壁高く口に出せないでいたのでしょう。そう思いますが、やっとです。記事によれば1992年から始まっているそうです、実験の結果の評価にしては遅きに失しています。さすが安倍さん、あの小泉さんでもできなかったことなんて評価は当たりません。あの人は郵便局と規制緩和にしか興味のなかった人ですから、できなかったのではなくやろうとしなかったんです。この再生会議、先だって母乳で育てろとやら介入のしすぎの廉で失着の一手をうっていましたが、今回はさてどうなりましょうか。議員達が素直に受けるかどうかですな。新潮45の今月号に教育の特集していて、かの戸塚ヨットスクールの校長が吠えています、恥はかかせろ、いじめはなくすななんて。この人の説は極論と評されるのですが、私は多くの部分共感してます。興味のある方は一読を勧めます。スクールカウンセラーをばっさり斬り、この教育再生会議を返す刀でざっくりです。教員をどうこうするよりまず枠を引き締め直すところから手をつけるべきと思います。実験結果が悪かったんですから元に戻すべきです。同じことが医療問題にも言えます。「医者が足りない」問題の元凶は新米医師の研修場所を自由にしたことにあります。これを元に戻すか、一歩進めて出身大学で何年かは必ず研修せよと決めれば、地方の医者不足は一気に解決します。これも皆分かっているのに、規制緩和至上主義の壁が高いわけです。いい加減にしろよ、なんですがね。
 秋田大学で病気腎移植が行なわれたという記事です。母親(60代)から腎不全の息子(30代)に、癌の疑いのある腎臓を移植した、結果的には癌ではなくて良性腫瘍だったという顛末のようです。ここでも問題になっているのは手続きだけのようです。腫瘍があるのは事前に分かっていた、教授が悪性の疑いは少ないだろう転移の危険は小さいだろうと判断して、本人達に十分説明して実施、術中診断(癌かどうかの確定のためにはその組織を直接採って顕微鏡で見て判断します)で良性であることが判明した、この手続きはいかがということが問題のようです。宇和島の万波さんのケースとどこも違いませんがね。大学で行なわれたこと、院長が今後は学会で検討してもらいたいと殊勝なこと、同意書などの書類が揃っていることくらいですか違いは。学会監事の大阪大学教授はこのケースは先の決定で禁止した病気腎の移植には当たらないと言ってます。先の決定は、治療上の必要から摘出した腎臓の移植を禁止したのであって、今回の例は最初から移植目的での摘出だからという理由だそうです。屁理屈でしょう?治療上の必要から摘出するという意味は、例えば癌とか他の状態で腎摘出しないとその人が危険になるということです。このケースは母親には何の症状も生命上の危険もなく偶々見つかったものだと言いたいのでしょう。万波さんは正直にも、治療の目的で摘出した腎臓を、どうせ捨てるものだから利用したと言ったもんだから、学会のお偉いさん達に不快感を与えたわけです、あのふてぶてしい態度と相俟って。「正常腎」でなかったこと、移植される側にリスクを生ずることには何の違いもないことなんです、そしてこのことこそが今後の移植医療にとって大事なデータになっていくんです。それをその手前の、文言巡りで足踏みする。秋田大学の勇気に拍手すべきなんでしょう。あんな文言上の規制はこうやって簡単に曖昧になっていくんですから。どんどん向こうへ押していけばいいです、境界線を押し込んで行けばいいです。腎移植という医療(私は医療じゃないと思っていますが)を進めていくのなら、提供腎臓不足を解決する手段として万波さんの行為を無にしてはならぬと強く思うのです。医学のような pragmatism を権威主義、手続き至上主義にすり替えると、こういう馬鹿馬鹿しい足踏み掣肘合戦に落ちるのです。つまんないことです。
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至言

2007-05-26 08:36:53 | Weblog
mu様も書いておられますが、広島高裁がいじめと統合失調症発症との間に因果関係があると断じじたそうです。中学時代に受けたいじめが原因で高校になってから統合失調症発症したという19歳が原告です。ああ、これは違うでしょう。こういう報道では、そういう素質も気質も、つまり起こり易さ(これを内因と言います。内因性なんとかとよく見聞きされませんか)がない人でも、いじめられれば統合失調症になるような誤解を生みます。まるで風邪がうつるように、まるで不注意で転けて骨折するように。そうじゃないはずです、精神科の教科書にはそうは載っていないはずです。ということは、この因果関係という言葉が誤解の原因と言うことになります。いじめやいわゆる精神的ショックなどが鬱病やら今回の統合失調症やらの発症の引き金、誘因になることは十分に考えられることですが、だからといってこういうストレスに晒されて誰もが皆発症するのではありません。もともとそういう素質(内因)のある人が発症するのです。そういう理解が正しいと思います。昔ポケモンのTV画面で痙攣起こして問題になったでしょう?あれもそういう子供だったんです、痙攣を起こしやすい子供。糖尿病もそういわれてます、もともとなりやすい体質を持っている人が、大風邪引くとかなにか大病することによってスイッチが入って発症する。だから誤解のないようにと言いたいですが、さて単純なブンヤの勘違いであれば上述のような訂正でいいのですが、医学に素人の裁判官を人権弁護士が医者を巻き込んで騙した図であればこれは問題です。後者であるなら学会がきっとクレームつけてきましょう。それほどこの報道は間違いです。そう思います。
 衆院の年金委員会の強行採決の場面、野党の女議員達も議長席へ殺到する図が笑えます。国対委員長辺りから命令が出ているんでしょうね、議会は格闘の場だなんてね。あれ、走っていかなければ懲罰委員会なんかに掛けられるんでしょうね。でも、日頃走ったことのないようなおばさん達がよたよたどたどた走るも見苦しいこと、さらに手を伸ばしたり何やらして妨害しようとするのも芝居がかって見苦しい(やはりこういう場は大仁田厚、それはさて措き)。ああいうパフォーマンスで成り立っている業界です、そして彼らを選んだのは我々選良であります。ううむ。おばさん連中、自分が女だと忘れてませんか、それとも男女共同ですかねあくまで。
 イチローがチーム1015試合のうちで1000試合出場ですって。ま、金本やら衣笠、リプケンあたりの化けもん達と比較することもないのでしょうが、これもすごいこと。でも彼は単なる足し算には興味ないんですって。彼の言です、太く短くは安定感のないことの裏返し、細く長くではこの世界ではすぐに消えてしまう、太く長くが理想だ。ううむ、しびれますねぇ。同趣意のこと渡辺淳一も言ってました、二兎を追うもの一兎を得ずというけれども二兎しか追わないから一兎も手に入れられないんだと。あれもこれもあっちもこっちも。できる者にかかれば何でもできていきます。次々と大リーグ記録(日本のプロ野球記録じゃありませんよ)を塗り替えている化け物の言なればなんと重いこと。感じ入るばかりです。
 
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がっかり

2007-05-25 08:42:09 | Weblog
光の母子殺人事件広島高裁差し戻し審始まりました、放映されてます。裁判前の風景見てびっくり、裁判官に向かって右、おそらく原告側です弁護士二人、かたや左側、まぁおるわおるわあそこに十人はいましたね。そんな顔した奴らばかり、女弁護士も気取って映ってました。原告の夫は傍聴席で聞いていたんだそうです、言います、今さらに事実を争うのはどういう訳だ、被告側の弁護士の言葉は何も心に響かなかったと。彼は、謝罪の言葉を聞きたい、殺人事件の経緯を日本中に知らしめたい、どうしてもこんなに長期間を裁判にかける必要があるのか、と訴えます。悲しいことですが、彼の糾弾、要求(怒り、無念、理不尽への憤りと言い換えましょうか)と被告弁護団の対応が全く噛み合っていません。人権弁護団は噛み合わそうとしません。何故今になって事実を争うのか、21人も湧いてきたのか。昨日書きましたが、死刑にしないためです。死刑反対論者が死刑をなくするためにだけ屁理屈をコネに来ているわけです。事実を今さらのように争う理由は、こういう初犯の少年犯罪は殺人という最悪の犯罪でもせいぜい無期懲役だと高をくくっていたわけです、だから殺人しましたと言う事実は争わず、この子は可哀想な幼少期を送り精神的情緒的発達は不十分で云々云々と罪一等減ずる戦術で来たんでしょう。それが死刑になるやもしれなくなったもんだから慌てているという図なんでしょう。ああ、悲しいことです。どんな死亡事故でも、それがこんな殺人事件でも、交通事故でも、医療過誤でも、被害者は当初は当然怒りを爆発させますが、やがてみんな言うでしょう、この事件の夫のように、謝罪しろ、罪を悔い改めろ、二度とこんなことをするな、二度とこんな事件の起こらないことを祈ります、と。相手を叩き殺してやりたいんです。でも、それを越えて(できないですからね、壁の向こうに匿われますから)人はみな言うわけです、死んだものは戻ってこない、諦めるしかないがそれに見合った謝罪をしろと。金じゃない、俺の目の前で手をついて謝れと。今の裁きはそれをさせないんです。だからどんどん縒れ捻れていくんです。気が済むまでぶん殴らせるとかすれば被害者の気持ちは大きく救われます。そんなもんでしょう?悲しいことです。彼(原告)が毅然として感情に走らず粛々と手続きをこなしていく姿を見るにつけ、黄門様は、遠山桜は、とないものねだりの気持ちが募ります。
 専大北上高校、夏の甲子園予選に出られるそうです。一体高野連というのはどういう団体なんですかね。部員が煙草吸ったとか、暴力事件起こしたとか、些末なことを取り上げては処罰する、チクリ密告団体に創り上げておいて、こういう大事にはこの体たらく。裏金問題、高校側の金まみれ問題を特待生問題にすり替えて、処罰したふりしてすぐ緩める、夏の大会至上ですから。金が大事ですから。いや連中は言うでしょう、子供たちに罪はないと。子供たちを泣かせてまで大会中止することはできないなんて、都合悪くなれば子供を盾にする、後ろに隠れる。何だったんですかね、この騒動。同じことが関西テレビの民放連除名問題でおきてます。復帰は一年後だろうなんてトップが言ってます。なーんだ、復帰させるわけね。どいつもこいつも、どこもかしこも、どこまで緩めば止まるんでしょうか。絵に描いた如きなぁなぁ劇ばかりです。すぐに許されるとわかっていて怒られる。形式を整えるだけ。馬鹿馬鹿しいことです。
 白鵬、横綱になるんでしょうね。週刊現代の今週号面白いですよ、是非ご一読下さい。朝青龍と白鵬との八百長(業界用語では注射とい言うそうです)疑惑。これ読んで見ているとなんだかがっかりします。八百長やってるんでしょう。つまらんことです。大関戦には全部金渡ってるんでしょうね、そういえば魁皇も千代大海もおかしな負け方でしたから。がっかりします。世の中、こんなもんですよ皆様。
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空回り

2007-05-24 08:42:44 | Weblog
光の母子殺人事件広島高裁差し戻し審、被告の弁護団は21人、びっくりしたと昨日書きました。いや弁護士費用って大変ですよ、連中ぼってきますから。21人でしょう、どんな金持ちなんだこの被告は?と思うことですが、死刑反対人権弁護士が手弁当で徒党組むんですって。なんとまぁ気持ちの悪いこと、でもありそうなこと、連中やりそうなこと。この事件がどうのこうのじゃなくて、被害者の気持ちなんかもとより眼中になく、加害者を冤罪過誤から守るとかの目的でもなくて、死刑を阻止するためのゲームへの参加ですわ。なるほど、そこを知っているから原告の夫があれだけ批判するんですね。合点のいったことでした。こんな世界なんですよ、原告氏さぞ情けないでしょうね。そしてこちらは本当に裁判費用大変でしょう。でもあの毅然とした態度には改めてうたれます。勝たせてあげたいです。でも、勝った暁に襲われるであろう脱力茫乎感はいかばかりでありましょうか。そこを思うとなお切ないことです。
 コンニャクゼリーで、7歳児が二人も窒息死したんですって。食べたことないのでよく分かりませんが、「マンナンライフのコンニャク畑」とかなんとか宣伝しているやつですかね。記事によれば、いわゆるゼリーよりは堅く崩れにくいので詰まりやすいのだろうとのことでした。いわゆるダイエット食品なんでしょう。そんなもので咽詰めるなよ!とツッコミ入れて終わりですか。きっとふざけていたか、喋りながら笑いながら食べていたかで、すっと気管に吸い込まれたのでしょう、ゼリーに限りません、どんな食材でも(貨幣や他の固形物ならもちろんのこと)起こることです。けれどこういうことが起こると大叩きに合うでしょうね、溶けないから堅いからに始まって、ダイエット礼賛風潮非難、子供の食生活論議・・退屈なことですが、私も一枚加わらせて貰って言います。ダイエット食品やらサプリメントやら、本来必要のない人ばかりが食べ飲んでいるのです(ですからこれだけの市場なのですが)。摂る摂らないはその人の自由なのですが、美容目的はさておき、健康長寿を騙る放埒放恣は目に余ります。全く馬鹿馬鹿しい。自分の空腹感すら制御できないことこそを恥じなさいまし。日常生活を規則正しく保てないことこそを恥じなさいまし。
 亀田興毅の試合TV放映してました。またまた弱い相手を引っ張ってきてなかなか倒せないというパターン。もう飽きましたね。少なくともこいつら(亀田一家)のパフォーマンスは飽きられました。TBSすら何も言わなくなりましたから。ブームは去るもの。宮崎県知事のよく口にする言葉です。ジーターが大リーグで生き抜く原則は consistency と言ったそうです。うむ、心しましょう。
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慣例

2007-05-23 08:41:40 | Weblog
はしか、今にこっちにも来ますね、対岸の火事じゃないと思います。もちろん感染源(病気に罹っていてビールス撒き散らす人)があって感染していくんですが、例えば風邪ひきのそばには寄るな、ちゃんと手を洗えうがいをしろでは予防できないところが面倒なところ、まさに見えない敵であります。私達の年代(五十前後)は本物のはしかをくぐってきていますからおそらく終生免疫(報道されているところの、抗体が強い、抗体が十分量ある、状態)を持っているのですが、ワクチン射った者達の中で抗体が十分量でない者が罹っているとのこと、中途半端な予防策というのはあくまで中途半端な結果しか生まないことの実験のような現象です。きっと同じことが結核にも言えるはずです。こちらも空気感染ですから(ちなみに空気感染するもう一つは水疱瘡、水痘です。このビールスは帯状疱疹を起こすビールスでもあります)。結核は決して昔の病気ではない、それどころか最近は患者の増加傾向があると、その関係者達はさかんに訴えているのですが、例によって行政(厚労省)は予防策を緩める一方です。どういうわけだ?なんですが、はしかのこの現象に是非とも懲りてもらいたいことです。もう何年も前から欧米からは「はしか後進国」とレッテル張られているんです。日本からの渡航者がはしかを持ってくる、迷惑なことだ、金だけ落としていけという皮肉です。きっと全国に広まりますね、恥ずかしいこと、先進医療が聞いて呆れますわ。
 光の母子殺人事件、広島高裁差し戻し審が始まります。なんでも被告の弁護団は21人もいるんですって。どういうこと?最高裁は、特別の理由のない限り死刑に処するしかないとまで判じ、殺人に及ぶ特別の理由があるなら申し立てよという審理のようです。普通に考えたら殺人に至る特別な理由なんてないですよね、単純な押し込み強盗殺人ですから。ですからこの最高裁の判断は極めて真っ当ですわね、そう思います。が、それそこは三百代言連中ですわ、とんでもないところから屁理屈こねだすんです。どうなるのか。法律家の頭の中にはきっと教科書にある言葉、法律と倫理とは峻別さるべしが金科玉条なんでしょう。特にこの事件の被告側の弁護士が拠って立つはまさにこの原理なんでしょうね。被害者の感情は理解するけれど、それとこれとは話が別だと。話が別な訳ないんですがね。裁判官が判決した後に「倫理」を話すでしょう、ちゃんと罪を償いなさいとか、被害者の気持ちに心を致しなさいとか。きっとこれは法律判断とは違うことですと区別してのことなんでしょうね。だから、私達も遠山の金さんとは違うんだと心して聞かねばならぬのです。裁判所は正邪善悪を判断するところじゃないんです。弱きを助けてくれるところじゃ決してないんです。私達は自然に裁判所は正義の味方と期待しています。でも、裁判官なんてとんでもない奴らかも知れないのです。東京高裁の判決の数々見聞きするだけでも、そうかもしれないと思いますよね。そんな伏魔殿にたった一人で敢然と折れることなく立ち向かう若き夫の姿にはうたれます。しかもきちっと喋る。それこそ感情論に流れず、理を通して語る。立派な姿と感心します。どうか勝ってもらいたい。死んだ二人は帰ってこないんですが、どうか勝ってもらいたい。そう思うことでした。
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不条理

2007-05-22 08:42:02 | Weblog
愛知県の殉職警官の葬式が放映されます。県警のトップが案の定間の抜けたことを言ってます。外連を期待するわけではないけれども国中が抱いているこの不全感を払拭するようなセリフが吐けないですかね。やはり所詮は役人ですか。父親のコメントはかの被害者の夫のものよりは格段に観客の心情に添いました。若い優秀な人材(結婚式でのお世辞ではなくて本当に優れ者だったそうですが)が死んで、クズが生き残る。死ぬも仕事の一つと彼は十分に受け容れてこの職に就いていたのでしょうから、結果死んでしまったという事実に不条理はないのです。能無し上司の判断ミスで部下に被害が生ずるもよくあること、命令とあらばやむを得ないこと、ここもきっと彼は受け容れるでしょう。その上司がのうのうと通り一遍のことしか言わぬを、世間が怒るわけです。彼が殺された時点で堰を切ってなだれ込んで射殺する。そういう行動が社会の安寧信頼に繋がりませんかねぇ。何人も被害者が出ているというのに、お人好しもいい加減にしろ、犯人の命乞いに応えていたそうじゃありませんか。彼の無念はこういうところにありましょうね。社会の不安を更に増長させてしまったことにこそ。
 300日規定の改正により、「不倫の子」達に戸籍が与えられることになり、その申請が始まった、大勢が押し掛けたという記事です。やっと普通の行政サービスを受けられる、早くこうしてもらいたかったなんて母親達が言ってます。ルールを守れなかった、300日すら待てなかったあなた達の辛抱のなさ、節操のなさ、規範意識のなさ、尻の軽さはどうなったんだい?生まれた子供のことばかり強調する、それがもちろん連中の狙いであり問題のすり替えなのですが、子供には何の罪もないはずです!なんて泣いて。産んだあなたに大問題があるって言うの!如何に暴力夫でも浮気夫でも能無し自堕落旦那でもストーカー男でも、あなたが一旦は選んで一緒になった相手でしょうに。ちゃんと離婚するまで、手続き上整理がつくまで、その300日が待てないですかね。他の相手と子をなすことを夫との離婚の道具にしようというわけでしたか。それなら一層あなたの勝手。あなたの人生上の道具に使っておいて、挙げ句の不都合に対してはこの子が可哀想です!とよよと泣く。それじゃぁお天道様が許しちゃぁくれねぇ。なんだか生臭いにおいがしてきそうで、嫌な心持ちです。私がおかしいんですかねぇ。
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