たまたまBSの大リーグダイジェスト番組見ていたら、ホームスティールの場面やってました。新庄が何年か前のオールスター戦でやったようなあんな芝居がかった演出じゃなくて本物のスリルでした。左ピッチャーがなかなか投球動作に入らず時間掛けている間にスルスルと塁を離れ一気に加速する。セットポジションです、ランナーには背を向けていますからピッチャー気がつかない。トップスピードになってもまだぐずぐず手を伸ばしたりしてる。サードやらキャッチャーからの声で走っていることに気づく、もう走者はホームベース直前、あわてて送球するも時既に遅し。へぇ、本当にこんなことがあるんだと思いました。スリルありますよ、見ていて面白かったです。イチローが内野安打の妙をアメリカ人達に再認識させたなんてよく言いますが、ああいう時間を競う、速さを競う場面はドキドキします、スポーツ共通の感情ですね。
女棋士が別団体を創設したという報道見ました。日本女子プロ将棋協会。既存の団体は日本将棋連盟、詳しく新聞には載っていないのですがこれがプロ棋士の組織でしょう、羽生とか米長とかのいる。なんでも女棋士56人うち17人が飛び出したんだそうです。ええ?17人?全員で出たんじゃないの?つまり過半は現団体に残ったということです。TV聞いていてへぇ~と思いました、現団体では女棋士はトーナメントに出られない、年金にも入れないなんて旧態が依然として維持されているそうです。こういうのは文化とはいいません、頑迷固陋といいます。将棋なんて(囲碁もチェスもオセロも同様)体力を必要としませんから男女混淆でいいわけです。女を排除する理由はないでしょうにね。昔からそうだから、なんでしょうし、あなた方はそれを承知で連盟に所属したんだろう?とはねつけるばかりだったんでしょう。女棋士の地位改善要求はきっと何年も前からなされていて、その挙げ句の行動なんでしょうね。でもこのように全員の足並みが揃うわけでもない。旗振っている人はさぞや無念でしょうが、ここは行くしかありません、体制変えるには行動あるのみです。トーナメントもどんな大会にしても男女の区別をなくす、強いものが強い世界ですから。女棋士が全員早々に負けるものなら、それならそれでしかたがないなとなります。そうこうしているうちにやがて天才少女が現れて並み居る男棋士をうち破る、そうなったらブーム到来しますよ。所詮はこういう人気業界でしょう?お高く止まっていたのではねぇ。こういう男女差別で思い浮かぶのが山には女が入っちゃいけないとか土俵には女が上がっちゃいけないとかいう一連です、穢れという概念で説明されてます。でも、私はこちらは文化だと思っています。こういう精神風土であったということです。今の時代の知識や生活水準や感覚で測ったのでは見間違えます。今の生活感覚からはこういう考え方はナンセンスです。穢れてその先どうなるというのだ?科学的に証明されないことは迷信と断じて排除されますから。実際誰もそんなこと信じてはいません。でも、理屈を捏ねるのではないですが、万能視されている科学とて、証明されないものが存在しないと証明できないわけです。この灯台もと暗し的な陥穽に心せねばならぬのですが、確たる理由なく何百何千年も畏れ怖れ避けてきたことにはそれなりに意味もあり文化があったのだと思うわけです。話をこんなに大きくしなくてもいいことですが、男女の差なんてのはゼロです。体力差、生殖能力差だけです。これは確かなことです。将棋の世界に男女差があるはずもないことですよね。そう思います。
女棋士が別団体を創設したという報道見ました。日本女子プロ将棋協会。既存の団体は日本将棋連盟、詳しく新聞には載っていないのですがこれがプロ棋士の組織でしょう、羽生とか米長とかのいる。なんでも女棋士56人うち17人が飛び出したんだそうです。ええ?17人?全員で出たんじゃないの?つまり過半は現団体に残ったということです。TV聞いていてへぇ~と思いました、現団体では女棋士はトーナメントに出られない、年金にも入れないなんて旧態が依然として維持されているそうです。こういうのは文化とはいいません、頑迷固陋といいます。将棋なんて(囲碁もチェスもオセロも同様)体力を必要としませんから男女混淆でいいわけです。女を排除する理由はないでしょうにね。昔からそうだから、なんでしょうし、あなた方はそれを承知で連盟に所属したんだろう?とはねつけるばかりだったんでしょう。女棋士の地位改善要求はきっと何年も前からなされていて、その挙げ句の行動なんでしょうね。でもこのように全員の足並みが揃うわけでもない。旗振っている人はさぞや無念でしょうが、ここは行くしかありません、体制変えるには行動あるのみです。トーナメントもどんな大会にしても男女の区別をなくす、強いものが強い世界ですから。女棋士が全員早々に負けるものなら、それならそれでしかたがないなとなります。そうこうしているうちにやがて天才少女が現れて並み居る男棋士をうち破る、そうなったらブーム到来しますよ。所詮はこういう人気業界でしょう?お高く止まっていたのではねぇ。こういう男女差別で思い浮かぶのが山には女が入っちゃいけないとか土俵には女が上がっちゃいけないとかいう一連です、穢れという概念で説明されてます。でも、私はこちらは文化だと思っています。こういう精神風土であったということです。今の時代の知識や生活水準や感覚で測ったのでは見間違えます。今の生活感覚からはこういう考え方はナンセンスです。穢れてその先どうなるというのだ?科学的に証明されないことは迷信と断じて排除されますから。実際誰もそんなこと信じてはいません。でも、理屈を捏ねるのではないですが、万能視されている科学とて、証明されないものが存在しないと証明できないわけです。この灯台もと暗し的な陥穽に心せねばならぬのですが、確たる理由なく何百何千年も畏れ怖れ避けてきたことにはそれなりに意味もあり文化があったのだと思うわけです。話をこんなに大きくしなくてもいいことですが、男女の差なんてのはゼロです。体力差、生殖能力差だけです。これは確かなことです。将棋の世界に男女差があるはずもないことですよね。そう思います。