柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

批判の目

2006-04-30 11:05:47 | Weblog
オリックス、成績は五割前後で大善戦ですが、これをあの二人のお陰と評価するのは間違いでしょうね。とうとう二人とも戦線離脱だそうです。清原に至っては徳光氏が自分の番組で持ち上げるばかりのことで、三振のシーンが流されるだけ。中村ねぇ、あの時阪神に来ていればねぇ、と今は昔の物語。トホホ。ほんと、トホホ。
 戸塚ヨットスクールの校長が6年の刑期を終えて出所、再び指導を再開するそうです。朝日はそれなりに大きく報じていますが、他は無視しているかベタ記事扱いです。体罰を厭わず、と言うか体罰で普通学校に適応できない子供たちを指導していた人です。何人かの生徒が死んでしまって、刑に服したというところまでは知っていますが、新聞記事によると傷害致死や監禁致死の罪であったそうです。この人のコメントが載っています「判決には納得できない。事件は傷害致死でなくて業務上過失致死だった。四人を悼む気持ちは裁判で何回も言ってきたが、何回言っても反省してないと言われた」まぁ、この人の裁判所での物言いやら態度やらがわかりませんから、裁判官が抱いた印象心証までには言及できませんが、傷害致死と過失致死の差は大きいです。量刑の差が第一ですが、傷害の故意が証明されているということですから。つまり目的のため(つまり矯正更正のために)仕方なく殴ったのではなくと殴ろうと思って殴ったのだという断定です。ふうむ、でもこれは本人にしかわからぬことで、本人が否定している限りは状況判断するばかりなのです。いえ、この人の教育論なるものを聞いたことも読んだこともないので批評自体ができませんが、石原慎太郎が産経新聞にこの人を擁護する一文を寄せていたのを思い出し、今日の朝日新聞の記事の紹介文の最後にご丁寧に、支援する会の会員は三千人いて会長が石原慎太郎だと載っているのを見て、聞かずともこの人の主張がわかるように思ったことと、これでは朝日が嫌うはずだわと苦笑することでした。自主性やら価値観やらは大人になってからのことです、子供たちの間違った考えをたたき直す(殴る意味の叩くではなく、とはいえ殴ってはいけないなどでも決してなく)場は、今の学校に望めぬ以上どこかに必要なのでしょう。私はそう思います。
 朝日と毎日が気脈を通じてかどうか第二次世界大戦後の東京裁判(極東国際軍事裁判)の特集を載せています。年表を見るに昭和21年4月29日にA級戦犯が起訴されて、5月3日に裁判が開廷されたとあります。いわゆる記念日特集です。朝日新聞はその序で、現在の中韓との外交不和の原因をナショナリズムと決め付け、その根源を「あの戦争」に求めようという運びです。毎日新聞はこの裁判が「国民が知らなかった事実を暴いた「歴史の法廷」なのか、それとも「勝利の復讐」なのか」という一見中立風の提起ですが、中央の白抜き大見出しが「惨禍の責任誰に」ですから、おのずと立ち位置は明かしてくれています。できればこの二紙の特集を読まれて、次に読売、そして産経と読み比べて欲しいと思います、後者二紙が同様の特集を組めばの話ですが。世の中には少なくとも二通りの考え方があります。Aという考え方があれば、not A があるわけです。で、理屈を捏ねますが、not A という消極的な、反対のための反対といった謂ではなく、より強固なより正しい、実はBという見解だったという場合もあるのです。新聞に限りませんが、一つ考えに偏るのを避けるためには、多くを読み聞かねばならぬと痛感します。私が長々と書き連ねているこの意見やら考え方もあなたにとっては一つの偏った考え方でしかないわけです。批判するというのはそういうことなのだと思っています、もちろん私のような偏屈(ヘンクー)になられる要などありはしませんが。ちなみに、蛇足を一つ。あの戦争を、太平洋戦争(今日の毎日新聞)と表記するか、第二次世界大戦と言うか(今日の朝日はこう書いています)、あるいは大東亜戦争と言うかで、大体その人の立ち位置がわかります。太平洋戦争とは戦後アメリカが言い出した言葉で、日本が悪いという立場の者がよく使います。教科書にもこれが多いのではないですか。第二次世界大戦は、もちろん第一次大戦に相対する言葉ですが、まぁこれが一番色のついていないものでしょう。で大東亜戦争は日本ばかりが悪いのではないという考えの人が使います、戦時中に普通に使われていた用語です。私ですか?私は産経新聞派です。ううむ、わざわざに言わずともおわかりでしたか?
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Mrs.Yokota

2006-04-29 10:00:45 | Weblog
ああいう勝てる試合を落としていると巨人に走られるわけです。というか、突っ走れるチームが逃げ切るのです、去年の阪神の如く。どのチームもそうですが、エースがぴりっとしませんねぇ。井川がだめ、下柳もだめ、福原はどこへ行った?、外人?ううむ、五割の壁が厚いようじゃぁねぇ。
 水俣病に関して小泉首相が談話を発表しました。閣議決定を経ていないので、あくまで談話、というか個人的見解(毎日)のようです、つまらんことです。この人、こういうつまらん事を平気でしますよね、例えば毎年の広島長崎原爆追悼式典のあの紋切り口調やら、被爆者と会わないとやらの行動然り。これを冷たいとやら人は批評するのですが、こういう人なんでしょうね、面白いことだと思います(これが亀井の大将やら凡百の政治家なら、こってりと慰謝し言葉を尽くし尽くし応ずるのでしょうが)。平成16年(ほんの二年前です、公式確認されて五十年が経っているのですよ)の国の責任を認める最高裁の判決を踏まえての月並みな談話なのですが、私はもっと歴史を踏まえて、日本の繁栄成長のために不可欠な過程であった、国のために犠牲になられたという意識で、もちろん企業責任を不問に付すことはできないことではありますが、だから国として公式非公式の体面を超えた十分な慰謝謝罪がなされるべきだと思うのです。そういうところに、この人は言葉が足りないのでしょう。前振りも根回しもなくいきなり原稿を読み始めるという印象ですよね。ううむ、でもこれが交渉事の要諦なのでしょうね。国の責任は誰の責任でもないわけです。今回のことでも、小泉さんには身に覚えのないことなのですから。公式の見解、つまり最高裁判決が出るまでは黙して語らず。これが政治の勘所なのでしょう。ま、これを世間では口を拭うと言うのですが。
 横田早紀江さん、とうとう日本政府の頭を超えてブッシュさんにまで会われました。すごいことでしょうこれは。アメリカ議会(下院)の公聴会で話すことでもすごいことでしょうに。この人、というか組織としても、日本の国会で話をされたことがあるのでしょうか、それすら覚えのないことなのにです。いえ、びっくりしてばかりじゃぁいけません。報道を見て聞いて思うことは、まずこの人の凛とした聡明さ、揺れないぶれない見事な筋の通り方への改めての感心です。ずっと旦那さんの隣で二番目に話すという立場を守ってこられて、失礼ながらオヤジのふにゃふにゃした噛んで噛んでの話しぶりの対極、堂々滔々たる物言いには昔から一目置いてきましたが、ことこういう場面に際してもまぁ見事な振る舞い、話しっぷり。しゃしゃり出ない分、結局最後はこの人に決めてもらおうとなるわけでしょうね。古くは蓮池さんの兄貴、最近ではこの前選挙に落ちた、被害当人の弟氏(現会長ですかね)などのスポークスマンの後ろに控えておられますが、薫草は風に匂うわけです。ブッシュさんはイラク戦争の前に確か axis of evil という表現で、イラクと北朝鮮とを括っていましたよね。もっとも、アメリカにとっては北朝鮮は中国がらみの問題でしかありませんから(イランのように利権もなければ、おいしい話がないわけです)、民主主義の敵だなんて抽象論ぶっていく対象でしかないのですが。なぜブッシュがこの時期に異例とも言える面会の場を持ったのかについても色々解説があるようですが、そんなことよりも日本政府の頭越しにアメリカに話を持っていったということにこそ意味がありましょうね。安倍さんがあれこれ画策しても、それこそご本尊が対話対話と繰り返す以上どうにもならぬ、という繰り返しですから。ううむ、それにしても、この人の態度は立派でした。言葉が適切でないかもしれませんが、胸がすきました「よく言われた!」です。
 もう一つ、日経新聞の写真に「Mrs.Yokota」とのネームプレートが写っていました。アっ、と思いました。そうだ、横田夫人だったのだと。おかしな感想ですみませんが、この人は横田めぐみさんの母親であり、横田早紀江さんなので、隣の旦那さんの奥さんという認識じゃないというアッです。少なくともどんな報道でもこの人は奥さんという紹介はされませんよねぇ、違いました?でもなんだかこういう紹介を見ると、ほっとするというか、旦那さんふにゃふにゃして一見頼りなさそうだけれど、実は違うんじゃろうのうなんてほんわか思ってしまいました。いえ、勝手な感想です。失礼しました。

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自分との比較

2006-04-28 08:40:03 | Weblog
浜中じゃ鳥谷じゃと言うておられるのが嬉しいです。横浜には気の毒でしたが、何度も言いますが野球はピッチャーです!昨夜は七時頃たまたま衛星放送で楽天ソフトバンク戦を見ていました。いや、ソフトバンク大丈夫かなというお粗末なバッテリーでした。解説の鈴木啓志(近鉄の大エース、300勝投手)も困っていました。城島の穴が大きいと読むのか、ローテーションの谷間が深いと見るのか。面白いように楽天に打たれていました。大丈夫かいな?
 ヒューザーの小嶋社長は詐欺罪で逮捕だそうです。この人だけ素人の感覚にぴったりくる罪状です。昨日の話、大悪はこの人なのでしょう(と皆さん思ってますよね、マスコミの誘導によって)が、いやいや木村建設のオヤジも、一見正義の告発者のイーホームズの若い社長もどなたも立派なタヌキ。金のために節を曲げる輩には違いないのです。くどいですが、良い悪いの判断ではありません、そういうことを恥に思うか否かの心根の問題なのです。
 ホリエモンが保釈されました。TVのキャスターが言ってました、痩せてシャープになって、昭和40年代の青春映画スターのようだと。なるほどうまいこと言う。諸兄、やはり肥満はなりません。貫禄なんぞは嘘です、適度に痩せていないとシャープさや聡明さが出ません。渋い男、格好良い男は皆痩せていますぞよ。
 私は自分で音楽するのも好きですが、それと同等、いやそれ以上に人の演奏や唄を聞くのも好きで、そういう機会には十分に楽しめるのです。でも、なんだか批評家のような心持で聞いている、つまりアラを探しながら聞いていることに気づくことがしばしばです。腕を組んでね。それはどういう心境なのかというと、まず自分と比べています。たとえばボーカルであれば、ああフラットしているとか、語尾が乱れるとか、ヒエ~こんな声にはとても敵いません!とか探しながら聞いています。で、総合判断します、つまり自分よりうまいか否か。ま、ここの判断がまったくの恣意ですから、何の客観性も保障されてはいませんが、それでも一つ基準があります。志ん生の言葉でしたか、自分と同じくらいと思ったらそいつはお前よりずっと上手、自分より下手と思う奴がお前と同じレベルというものです。なるほどと私は私なりに基準にしています。で、自分よりうまいと思ったらもうそこで詮索は終わりです。今度は自分と何が違うのか知りたく思います。より一層聞き入ります。では、その逆はどうか。ううむ、嫌ですねぇ、こういう聞き方は。でも、私なりに言い訳があるのです。所詮素人の遊びなのですが、仮にも人様に聞いてもらう以上は学芸会やなんチャラの発表会のレベルではいけないと思っています。レベルを、グレードを上げていくことが、聞いてくれる人たちへの礼儀だと思っています。つまり、下手じゃけど聞いてね、なんてのは許されぬと思っているのです。いや、自分の技量がどの程度なのかという客観的評価は棚に上げての話です、すみません。でも、技量技術を高める意識は絶対に必要と信じています。遊びだから真剣なのであります。ううむ、人の演奏や唄を聞くのが楽しみなんて言いながら、実はそんな思いで・・というわけです。仕方ないでしょうか、嫌な奴でしょうか。
 
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談合擁護論

2006-04-27 08:40:27 | Weblog
打って勝つのが阪神ではあるのですが、昨日のように相手のエースを打ち崩すと価値が高いわけです。鳥谷も同級生のヤクルトの青木に刺激されてかいい感じですねぇ、すばらしい。
 耐震強度偽装事件で多くの人が逮捕されました。何だかわからない、遅きに失した、曖昧な処理です。皆罪状が的外れですもの、建設会社は粉飾決算の咎、イーホームズは架空増資の咎です。別件逮捕の観です。姉歯さんも名義貸しの罪でしょう?本点がどこかに遣られています、何じゃ?です。つまりは、ああいう犯罪は刑法の想定外(よく専門家が言い訳に使う言葉です、あのホリエモンも使ってました)の出来事で、相対する罪刑がないわけです。誰が悪かったのかといえば、偽装を指示した者と嘘の設計図を引いた者、それと知りつつ建てた者ですよね、当たり前のこと。で、その中で大悪は誰か?、少なくとも被害者の方々の知りたいことはこれでしょう。常識で考えれば、嘘の図面を引いても建築士には何の得もないわけで、そこに何らかの利益が生じていたわけです、でその利益を供応したのが施工会社(マンション売買する会社、ヒューザー)、その利益(偽装、詐欺による差益)を守るために建築会社ともつるむ(共謀する)という図でしょう。で、うまくできたことにチェック機関も機能不全であった(まともなチェックをしなかった)という背景です。どこを強調して言い立てるかで、何通りもの批判ができそうです。が、根元は一つでしょう。人は衣食足りなければ礼節を知ることができないのです。そして、足るを知らぬ小人は小狡い、卑しい行為を恥と思わぬということです。前にも書きましたが、人は法律上の規則の一回り外側の、より大きな社会的規則をこそ守らねばならぬわけです。やっていいことと悪いことの違いは、正しい正しくないの違いとは別物なのですから。衣食足っても礼節のわからぬ、恥のわからぬ輩は山と居るわけです。
 小泉さん5年になるそうです。あれこれ評価記事が載っていますがどれもこれも凡庸凡百。が、亀井静香さんの国会質問での談合擁護論は出色でしたね。こんなこと言えるのはこの人しかいませんよ。談合で公共事業が適当に割り振られるから、下請け業者もそれなりに計画立てて潤っていけるのだという論でした。談合をなくして単純な競争原理に晒せば、弱小下請け業者は立ち行かなくなるは当然の帰結、それが格差社会を広げていくと言いたいわけです。でも、これも現行のシステムを逆向きに見ただけの事で、談合をなくそうという小泉さんの論とは実は噛み合わない、ねじれの位置にある論なのです。大手ゼネコンが仕事をとって、それを割り振る。そのシステムをどうこう言うているのではないですよね、小泉さんは。仕事の落ち方がいけない、官製談合などがいけないと言うわけです。どこが仕事をとっても、下請けの仕事はあるわけなんです。そこを、亀井さんはすり替えて論を張っているわけです。でも、反対論としての価値は大きいですよね、何と言っても草木もなびく小泉政権ですから。さて亀井さん、どこまで発言の機会を得られましょうか(何を発言するかではなくて)というレベルが悲しいですねぇ。ううむ、いつまで抵抗勢力でいるつもりでしょうか。
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恣意

2006-04-26 08:40:15 | Weblog
浜中やってくれてます。嬉しいことです。浜中はあの童顔も相俟って、阪神生え抜きであることも幸いして昔から阪神ファンの中でも人気のある選手で、いわば判官びいきされる選手なのです。その浜中があれだけ打ってくれると、もう巨人なんぞはどうでもよいのです!
 毎日新聞の元村有希子さん、今日のコラム(発信箱)でまたまたばっさり斬ってくれてます。前にも書きましたが、私はこの人のファンです。で、何を書いているかと言えば、英語教育の是非についてで、英語教育は必要だと自分の経験から結論しているのですが、最後が良いです「昨今の「国語か英語か」の議論は、国語力の衰退を英語のせいにしているようで片腹痛い」と。やったぜ。その通り。この反対論者はどなたもこなたも、国語力がこれだけ落ちてきているのに(敬語の乱れや話し言葉の乱れを指して)、何が英語か!?まず国語を習い直せ!と来ます。で、この人はシレっと言うわけです、どちらもやれば?この人の勝ちです。
 中学生やら高校生やらの犯罪にはもう驚かなくなりましたねぇ。馴れるというのはおそろしいものです。原因は単純に親にあります。他にはありません、社会のせいなんかじゃありません。で、そんな親を育てたそのまた親が悪いということになっていくのですが、まぁいつの時代にもとんでもない奴はいるわけで、当然その親がいる、その親もまたとんでもない奴で、という連鎖であるのです。ただ今時とても目立っているだけなのかもしれないのですが、しかし国の教育方針が大きく影響を落としていることも確かです。教諭が役人化している現況では何をかいわんやです、マニュアル通りにしかやらない連中ばかりですから。子供を叱れないのですからねぇ。で、安倍官房長官(前に幹事長と間違えて書きました、訂正します)がいみじくも言うわけです、自民党結党以来の悲願である教育基本法の改正に向けて努力すると。教育基本法なるものは昭和22年にGHQ主導で制定されたもので、当然戦前戦中の思想体制を一新するだけの目的であり、その流れに乗り占領下の公職追放施策のもと報道、教育関係に社会主義者や共産主義者が多く入り込んだことは周知のごとくで、気づいたGHQがレッドパージを敷いたものの時既に遅くそのまま左翼思想のまま現在に至っているところ、安倍さんの言葉は含蓄深いわけですが、つまり自民党も遅きに失しているということです。中曽根さんあたりが昔から改憲論をぶち、教育の改善を訴えていましたが、自民党の中にもおかしな連中がいるのでしょうし、またここ何十年かの経過を見れば、反対勢力の社会党やら共産党やらが強い時代もあったり、あろうことか社会党と組んだりもして、もちろん思うに任せぬ事情はあったのでしょうが、やはり事こういう事態に陥らねば人は物事は動かないということなのでしょう。そしてもう一つ、小泉さんのいるうちだという計算。要は愛国心の問題だけじゃないのです。戦前回帰という皮相な問題ではないのです。何代にもわたる不都合を引き起こすという教育の社会的重大性を認識するための大きな不毛な実験だったと反省すべきなのです。そして現状は偶然の産物ではなく、おそらく恣意であったという認識が大切なのだと思います。ううむ、誰が動かしてきたのか、なぜ止められなかったのか。腹立たしいことです。
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マッチポンプ

2006-04-25 08:37:57 | Weblog
JR福知山線脱線事故から一年だそうです。人は、世の中は、忘れることによって成り立っているのでしょうね。当時の繰り返し流された映像やコメントは記憶に鮮やかですが、それは思い出そうとして思い出すことであって、いつも心に浮かんではいません、ニューヨークのテロ事件のごとく。むろん被害者の方々には忘れがたいことではありましょうが、それもやがて記憶の彼方に押し流されていくことなのです。悲しみや怒りは必ず薄まります。それが人なのです、そういう過程を静かに待ってあげればいいものを、マスコミや学者、馬鹿医者連中は放っておきません。まだ悲しいですよね!まだ辛い症状が残っていますよね!と強要します。悲しいですかと聞かれればyesでしょう。で、そこばかりを大きく広げて記事にする、それを見た人たちがまた悲しくなる。連中のマッチポンプにまんまとはまっているという図柄です。そしてそれに医者が加担する、PTSDなんてご大層な病名をつけて病人に仕立てる。あれだって、普通の反応なんですよ、だれでも辛い思いや悲しい思いをすれば元気じゃおれませんよね、そういう単純な気持ちの沈みを大袈裟にしかも横文字で言い立てるから素人は(国民は)騙されます。当の本人さん達もそう思い込む「ああ、私たちは大変な病人なのだ」なんて。違うんですよ本当は。突然の、見に覚えのないご不幸であったことは重々ご同情申し上げますが、その悲しみと被害者意識(補償賠償請求)とをわざと混同させ混乱させようとするマスコミの誘導には冷静に対応してもらいたいと思うのです。幸いにも人は忘れる生き物です。被害者を見世物にして騒ぎ立てる流れにいつも憤りを感じています。
 もう一つ。新聞の特殊指定について以前書きましたが、今日の毎日新聞に周南支局長が業界人として(でしょう)反対論を述べています。あらら、まだこんなことを言うているわ、と呆れました。遠くは小包宅配事業の規制緩和の際(クロネコヤマトの参入時)、近くは郵便局民営化問題の際の反対論者が言い募った虚論をそのまま引いているのです。曰く「市場原理に委ねれば、採算に合わない地域へ配達できないことにもなりかねない」「新聞社の寡占化が進み、結局は価格が上昇、言論の多様性も失われる可能性がある」として、宅配機能の維持を強く訴える論旨です。宅配機能の維持は私も前に書きましたように最も肝心要です、それは肯ぜます。が、その途中の論がいけません。「採算の合わない地域への配達ができなくなる」論の間違いであることはクロネコヤマトが完全に証明しているのです。そんな地域が今ありますか?宅配されない地域がありますか?郵便小包だけだった時代の何十倍も便利になったじゃありませんか。郵政民営化の議論でも国会で飽きもせずあほな議員がこの論を繰り返していましたよね。民間はそんな馬鹿じゃありませんよ。全くもって、認識不足も甚だしい。だから、新聞もこの規制が外れれば、もっとサービスがよくなって、価格は下がり、言論の多様性は今以上に保障される(これは結果としてです、朝日の毎日の産経のという色の違いがもっと鮮明になるでしょう)に違いありません。そう思いませんか?この支店長の頭の古さというか、旧勢力ぶりにはびっくりします。まぁ、既得権益を守ろうとする側の屁理屈の典型ではありますし、この人に限った話ではありません。そして、この手の論が断末魔であることも確かなのです。こりゃ、公正取引委員会の勝ちですねぇ。
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援軍の功罪

2006-04-24 08:40:08 | Weblog
昨夜の久保田はよかったです、最後は巨人も緊張が切れていましたが。ああいうのが阪神の勝ち方ですが、新しい選手も手段もないというのが何だか不安ではあります。目新しいのが古い古い浜中だけですから。
 先日水俣病公式確認の話を書きました。理解が浅薄でおまけに生硬な運びでさぞ読みづらい事であったと思います。今日の毎日新聞を読んで、私自身の誤解が判明しましたのでここに訂正します。公式確認とは、行政や司法が確認(承認)したことではなく、患者を診察した医者が保健所に届け出たことを指すとのことです。それが昭和31年5月1日だったそうです。で、その原因がメチル水銀であると熊本大学の研究班によって特定されたのが昭和34年。長期の訴訟の末、国と行政の責任を認める最高裁判決が出たのが平成16年。政府としての解決は平成7年で、救済策が採られています。そういう歴史です。訂正してお詫びします。
 岩国市、井原さんが勝ちました。というか、味村さんが負けました。自民党が負けました。安倍幹事長までがやってきて自民党が大敗しました。ううむ、岩国という土地柄の問題か、自民党地盤の脆弱化の現れか、はたまた市民の良識か。ダブルスコアは痛いところでしょうね。負けた側の選挙事務所は、誰の場合もそうですが悲しいですねぇ。福田さん、岸さん、県議の橋本さんと最前列に並んで(並ばされて)皆苦虫噛みつぶして。負けたら本人の力足らず、勝ったら自民党の地盤の力。ううむ、大きな力に恃むは、拘束されることでもあります。マキアベリでしたか、こういう謂があります「援軍は頼むものではない。負ければその援軍の賠償まで被ることになる、勝てば勝ったでその後は援軍の介入拘束を強く受けるようになる」ううむ、味村さん、今後が大変ですなぁ。そして、井原さん、どういう風に条件闘争を進めるのでしょうか。素人考えでも、おらが国さの安倍さんが総理大臣になろうかという矢先に、国の施策をその国許の一市の反対で引っ込めるわけがないでしょう。つまりどういう波風が立とうが、すべては大きな筋書き通りに運ばれるばかりだということです。補償額の多寡ばかりの交渉と言い切ってしまうと、やはりいけないのでしょうか。ううむ、いかがですか。
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コンビニ化

2006-04-23 11:46:44 | Weblog
阪神~~!今日はこれだけです!
 竹島問題、決着したんですって。痛み分け(朝日)らしいです。何だかなぁ、ですが、やはり小泉首相のあの落ち着き払った笑みをさえ浮かべた記者会見はこうなることを十分に予想していたことだったのですね。向こうさんも振り上げた拳の降ろし所を要求していたのは見え見えで、大声張り上げるのも常套手段、だから待つのでしょうが、しかし馬鹿馬鹿しい所で妥協するものですねぇ。双方わかっていてこういう寸劇やっているんでしょう、ことさらに外交交渉などと大上段に構えるのが実は目的なんでしょうか。言い出したからには先に退くわけには行かないと、そればかりのことです。海洋調査を中止させて、海底の地名書き換え提案は一応引っ込めるけれど取りやめるのではない、先送りするという子供の喧嘩並の決着です。あれこれ言うのもなんだかアホらしい気がします。ご大層な専門家のやっていることというのはどの業界も所詮こんなレベルのことなのかも知れませんねぇ。
 産経新聞に(4/20)小児医療の危機を訴える記事で、コンビニ化する救急医療という見出しが目を引きました。もう何年も前から言われていること、このコピーも昔から使われているものですが、それだけなかなか解決されないということでもあります。コンビニ化という比喩は、開いているから時間に関係なく遠慮なく訪れるという意味です。24時間気安く救急医療を利用する、子の重病さや緊急さに関係なく、親の都合だけの理由で(記事には海外旅行する時間の都合だけで深夜に予防接種に訪れる例が紹介されています)時間外に医療機関を受診することです。そして、そういう節度の無さが小児科医を疲弊させ、ひいては救急医療制度自体を危殆に晒しているという論です。この記事自体はありふれた陳腐な結論しか導いていません(おばぁちゃんの智恵が必要だとか、子供の病気の理解を深めて欲しいとか)し、ここには何の発展も望めませんが、さて皆さんはどうお考えになりますか。病院が開いているから行くのですよね。その事には何の問題もありませんよね。閉まっている病院の玄関を叩く訳じゃないですからね、昔の映画じゃあるまいし。開いているところに何で行っちゃぁいけんのだ?ですよね。これが前提です。この記事のようなよくある論はこの前提をふまえずに、受診者(患者)側の態度や節度や道徳観ばかりを問題にしているのです。多くが押し掛けると、不要不急の患者までが押し掛けると、医者が疲弊して、救急医療する医者がいなくなるといういわば逆向きの論理です。じゃぁ開けなければいいじゃないですか、来るなというなら。そうじゃありませんか?そういう意味で逆向きと表現しました。で、医者側の理屈です。診察を乞い訪れた人を診ないわけにはいかない。急を要する人や重症の人を診るには昼夜を厭うものではない。だから夜間の救急診療は受け付ける。しかし、不要不急の人までは勘弁してくれ。さらに、医者特有の勤務態勢からも弁明します、医者には慣習として夜勤に対するいわゆる「明け」がないのです。当直してそのまま翌日の勤務に繋がります。ですから、内容でなく数字だけでいえば、30何時間連続勤務ということになるわけです。だから、翌日の医療事故を未然に防ぐためにも不要のエネルギーを使わさないでくれ、という理屈をよく言います。でも、よく考えれば、それは医者の業界の勝手な慣習であって、明けが要るなら明けを作ればいいじゃないか、ですよね。そんなことは私達は知らない、です。いかがですか。このすれ違いは大きいでしょう?しかも、とっても浅いところにその掛け違え部分があるのです。どっちが見ない振りをしているのか、それはきっと医者の方だと思います。医者は余ってきています。と言うと、あちこちの僻地の病院が閉鎖されているのにと違和感を覚えられましょうが、毎年毎年医者は何千人ずつ増えてきているのです確実に。役人が馬鹿なことをしたので、その分配が非常に偏ってしまっているだけです。規制をなくせばエントロピーは増大するばかりは自然の利、特にこの世界は易きに流れるばかりです。小児科、産科、外科、救急医療が敬遠されていきます。今も多くの医者は認識していることでしょうが、私達は一人前の外科医になるにはそういうしんどい思い(肉体的にも精神的にも)を十分潜らなければならないと諦めて向かっていきました。途中を楽しようなどとは思いませんでしたし、そんなことが許されるシステムじゃなかったのです。ま、これこそがこの業界の慣習、悪しき慣習と切り捨てることもできるのかも知れませんが、嫌じゃなかったですよ、そのまっただ中にいたときも。私達の時代と違うのは待遇への不服を言えるようになったというだけのことなのだとは思います、今時の規制緩和やら人権至上風潮に乗せられて。ご丁寧に医者も労働者だなんて判決も出てますし。でも、それにしても文句を言いすぎです。不平不満を並べすぎです。そうなら、そう開き直るなら、労働条件やら待遇改善を要求するなら、あなた方の慣習をまず改めて、中途半端な24時間診療の看板など上げなさんな。夜中も開いているから、便利だから行くんです。その行動原理は対象がコンビニだろうが役所だろうが病院だろうが同一です。私はこの問題、受診者側の生活環境(おばあさんの智恵で象徴される事ごと)や節度、道徳観の欠如といったすり替えをしている限りは解決しないと思っています。医療側の余りの工夫の無さ、変化の無さが原因と思います。夜中にどの病院も戸を閉めたら困るでしょうね。でもこれはあくまでそう推定されるだけのことで、無ければ無いでそれなりに回るに違いないのです。乱暴な論ですが、診たくないのなら閉めればいいじゃないですか。医療経営がああのこうのと人の所為にばかりしているその口で、収入源を自ら閉ざすような言動を憚らぬ愚行が通用するのは、おそらくこの業界だけでしょうねぇ。ああだこうだと文句が多すぎます。我々も一労働者だと権利要求するなら、特別扱いは自動的に消滅すると承知せねばなりませんが、その勇気も気概もないわけです。コンビニの便利さを提供しているのは病院の自由意思なのですよ。無償で働いているわけでもあるまいし。まるで強制されているような謂はいけません。ううむ、やはりこの業界、競争原理が決定的に欠如しています。親方日の丸(いえ、公的機関という意味ではなく)、大護送船団を未だに組んだままなのです。さてさて、誰が大鉈をふるうのでしょうか。
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後世の評価

2006-04-22 08:40:00 | Weblog
なんと間の悪いことに、昨夜地上波の中継が終わった後、またこらえきれずに負けるかのぉ阪神と思いながら他の事していたところ、何の弾みかBSにチャンネルが切り替わり何とデータ放送とやらで阪神巨人戦の中継が続いていたのです。延長11回裏、2-1で阪神、投手久保田勝ちパターン。で、手を休めて見ていたら、あの顛末。なんたること!なんで見たのよこんな場面!藤川がよかっただけに久保田~です。今年はいけません。金本、今岡はいまに打ち出しますが、抑えられません、逃げられません。ううむ、巨人が強いですぞ。
 朝日新聞が水俣病公式確認五十年のキャンペーンを張っています。公式確認とは厚生省が因果関係を認めたということです。役所仕事ですから、その前段階がまたうんと長く、誰かが気づいてからも被害者がで続けたというお定まりの悲劇でした。公害認定には。因果関係の認定にはもちろん時間が要りますが、これまた結果から遡って、非難の対象となるわけです。私は、世の中の全ての物事事柄事象事件はその時その時の起こるべき必然であり、その判断対応も当時為されたものが全てであり、それは正しい誤りの次元ではないと思っています。私達は後世の知識常識で逆向きの評価をするものですが、これは今後に向けての反省改善という意味こそ持ちましょうが、いい悪いの評価は不毛ばかりのものと思います。公式確認がなされたのは昭和31年です。有名なフレーズ「海がおかしい」と人々が気づき始めたのはもっと前のことですもちろん。誤解を怖れずに言います。日本が、日本という国が欧米先進国に伍する為には、富国強兵(この是非もここでは措いてください)策が必要であったでしょう。貧しい国が国を富ます、ひいては国民が豊かになるためには、手段を選んでいる余裕などないことも理解できるでしょう。資本主義の実害、影の部分も否定しません。女工哀史やこの水俣病やイタイイタイ病もそう括ることができる思います。労働者が虐げられ、一部資本家の暴利専横を許す制度です、これに反するものが生ずる(社会主義、共産主義)のも当然と思います。が、この仕組みのなかで、日本は富んできました。国民生活は豊かになりました。これも事実です。実害に会われた方々にはもちろん衷心よりのご同情申し上げるところですが、だからといってあの時代のチッソ工場そのものが悪であった、なぜあんなもの作ったのか、操業させたのかという非難には当たらないと思うのです。国が富んでいくために必要であったと、国が認めたのであれば、十分に補償慰謝すべきなのです。それが不十分であるなら、これは論外です。が、あの時代のあの流れ自体を否定することは、歴史を逆戻りさせられないと言う意味ではなく、歴史は連綿と繋がっているのがという意味で誤りだと言いたく思います。論が過ぎたでしょうか。
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待つが要諦

2006-04-21 08:38:23 | Weblog
ううむ、オリックス、いかにもあの二人重たい!中村監督はもちろん話題づくり人気挽回目的だったに違いないのですからそれはそれで言い訳はつきましょうが(仰木前監督の厚情はさておいて)、清原は死球ですぐひっこむわ、ノリはエラーするわ。あの業界のことはよくわかりませんが、あのレベルの連中はきっと昔話で生きていけるのでしょうし、下のものは(キャリアでとても適わない者達)黙っているしかないのでしょう。結果は周りのやる気を殺ぐばかり。去年の巨人の轍をそのまま踏んでいる愚かさではあります。あれが間違いであったことを当の巨人が今現在証明しているじゃありませんか。
 竹島問題はいかがですか。気が重いというか「ああまたか」ですね。あちらもまことにステレオタイプ、余程に日本が憎たらしいのでしょう。私のレベルの者でさえ馴れてきましたねぇ、狼少年のように。竹島の領有権だけでなく、日本海やら対馬海盆(海底の地形のことのようです)やらの命名も気に入らないらしく韓国名に変えるよう国際会議に訴え出ているそうです。で、日本がどうしたかといえば、韓国名の提案をやめれば海洋調査を中止するという極めつけの政治的バーターを持ちかけたそうで、あちらさんはもちろん拒否、調査計画の撤回を条件に韓国名提案を延期する可能性も含め協議に応ずる姿勢を示したそうです(毎日)。何のことはない、結局同じことを言うているのに、どっちが先に折れるかの交渉事です。これが外交といってしまえばそれだけのこと、文化も習慣も生活規範も何もかも違う別民族の交渉事はそこが要諦などと言われればそれだけのこと、それこそ政治家の慣習など知りませんからそれだけ無駄やくだらなさや馬鹿馬鹿しさがよくわかるだけのことです。さぞや彼の地の世論は反日に沸騰しているのでありましょうが、あちらも愛国心なのでしょうね、中国の愛国無罪の強弁と同レベルの。
 さてさて、わが国の日の丸やら君が代やらの問題に対しては敏感に迅速に過剰に反応しナショナリズムの危険を説き叫び反対ばかりしている人々はなぜこういう時だけ黙り込むのでしょうかね。いえこの手の人々は、黙り込むばかりか、彼の地に肩入れしますよ、昔の日本は悪いことをしたのだからこれはこれでいいのだと身を翻します。ナショナリズムを嫌っているのではないのです、日本を嫌っているのですから、それはそれで狡さにも筋が通っている?のですかね。
 主権侵害なんていう身振りの大きな、いかつい言葉がよく出てくるようになりました。安倍さんも東シナ海の油田をめぐる中国の動きに対してよく使いますよね。あちらさんも盛んに言い募っています。さてねぇ。脅かしあい、大声の出しあいというところですか。でも印象的なのは小泉首相のあの落ち着き払った態度です。北朝鮮に対するのと同じように、薄ら笑いを口元に浮かべながら対話対話の一点張りです。彼の国への対応の勘所を掴んでいるのでしょうか、まぁ今は言わしておけや、なのでしょうか。ふうむ、待つが要諦との政治勘ですか。それはそれで私にもよくわかりますが、いかがでしょうか。
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