柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

責任

2008-05-18 10:59:33 | Weblog
今朝の関口宏の番組でどこかの大学教授が言ってましたが、ミャンマー大洪水への人道支援、人権の国フランスは強硬に(国際社会の)介入を要求している一方で中国がこれまた強硬に反対しているんですって。これ聞いてびっくり。住む大地と(国土)住む人(国民)あればこその国家であり、両者を守り安定させることが為政者の務めの筈、一部人間の既得権益を太らせるために存在するのではないとも言ってました。なるほど、こういう無茶に反対するには正論が次から次から湧き出てきます。大上段に構えれば必ず「正義」が勝ちますから。でもそうじゃない国が歴然として存在します。ミャンマー、中国、北朝鮮、他にもあるんでしょう(日本?ジョークですか、それならそう応えますが)。この地震を彼らはどう乗り越えましょうか。いえ、時間が経てば必ず見た目は落ち着きます、瓦礫は取り除かれます、人は立ち直ります、死者は忘れられていきます、あの時は怖かったねぇという昔の出来事に遠ざかります。そしてみんなが忘れます。だから今、ここで、なんです。普段はどんなに傲慢横着でも許してやりましょう、いざという時にちゃんとしてくれるなら。人の暗黙の了解はこういうことです。為政者の義務権利の関係、住民と為政者との契約上の不文律です。阪神淡路の時もあの村山爺の無力無能さは呆れるほどでしたね。社会党なんてのは所詮は反対反対と口先だけで騒ぐばかりの集団だって露呈しました。ボーっと見ているってイメージでした。いざという時にこそその人の能力が試されるんですが、これは国(為政者)にも当てはまります。国がどう動くか、これは政権の能力でしょうが、その周りには住民の意識(民度と言いましょうか)の高低が大きく影響しますね、その場にいる人達の行動、もっと言えば被災者達の行動規範や如何に、です。偉そうに言ってますが私にはそういう経験がありませんし、いざとなったときにどういう行動をとれるか自信などまるでないですが、被災者にとって一番の安心は救助隊、モノもさることながらやはり人でしょう、列を組んでやってきてくれる、思わず拍手が湧く、あの安心感です。人の姿でしょう、声でしょう、励ましの言葉でしょう。車で行くとかトラック何台連ねるとか、道路寸断されてライフラインも切れているところへそんなことやっても能率の悪いこと甚だしいこと。こういう災害で世界中が覚えているはず事は空輸しかないってことじゃないんですかね。軍事大国であるなら、こういうときこそ世界中にその威力高性能さを誇示すべく最新の機器を投入してあっと言わせればいいのにと思いますね。どんどん大型ヘリコプターを飛ばす、どんどん人を送り込む(人は多いんですから次々に入れ替えていけばいいです)、人海戦術でライフラインを修繕する、ダムが決壊しそうならそっちにもわんさか投入する。初動でも次動でもなんでもいいです、考えているより動く。走りながら考える。私達がしっかり他山の石とし、心せねばならぬ事はこの素早さなんでしょう。つまりは指揮者の能力。能力のある指揮者を頂くことが私達の責任とも言えることなんでしょう。そう思います。
コメント
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