柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

同じ臭い

2007-09-07 08:35:17 | Weblog
当地朝6時過ぎからパタパタ(そんな可愛くなくバタバタと大きな音なんですが)ヘリコプターと思しき騒音、昨朝から山火事が続いていて昨夜は大文字焼き状態(見ていて綺麗でした)、今朝は火の手は見えずくすぶっている状態、それに向けてヘリコプターがやってきて水か消化剤かを振り撒いているわけでした。その全景がよく見えて、ヘリコプターが飛んできて煙の上まで来て、パァーっと撒いていく。自衛隊の救援作業としてとても分かり易く、見ていて壮観ではありますが、それで終わり。そして次のヘリがやってくる、同じことを繰り返す。ううむ、こういうやり方しかないのでしょうが、何だか埒の明かぬこと、はがゆいことです。人海戦術、ピストン輸送、数で勝負!技術の世の中でも、最後は人の力、数(繰り返し、のべ回数)の力なんですわ。映画のワンシーン見ているような気分でそう思ってました。
 大阪の「開かずの踏切」で、車椅子の男性がうまく渡りきれずにはねられて死亡したという記事です、日経が大きく取り上げて見出しです「弱者の安全 死角」でたでた、出たぞ。どうして弱者なんですかねぇ。車椅子に乗って移動する人が弱者なんですか。記事には5日前から車椅子に乗り始めたんですって、あらあら、単に注意不足じゃありませんの?近所の人で買い物に行く途中だったそうですから、この人いつもこの踏切を渡っていたんですね。開かずの踏切であることも、このタイミングで渡るしかないことも知っていたはずですね。この人の個人的な問題です。それを、待ってましたとばかりに交通弱者なんて冠して大上段、社会が悪いと人の所為です。おいおい、もうそのステレオ口上は止めなさいって。同じ臭いのする文章が今朝の天声人語です。中学の学習指導要領改定で男女とも武道とダンスとが必修になることを話題にして、「男女が何にでも挑戦できる時代に、必修は似合わない」と括っています。当然の如く武道が戦時の戦意高揚の手段に使われたことを引き合いに出して、必修を忌み嫌います「国の号令で習わせて礼節や公徳心が身につくものでもない」と。同じ臭いですね。強制を嫌う振りして、別の強制を敷く。弱者最強論、秩序破壊論。騙されてはなりませぬぞ。朝日らしいのがもう一つ、飛び上がりタレント弁護士橋下某の賠償訴訟問題を大きく三面に取り上げてます、有識者(大学教授様)の机上論を添えて。世間の偏見を助長した廉での損害賠償のようです。死刑廃止だけの目的であることが明白だから、素人目にもあからさまだからこれだけ素早い反応があるんでしょうに。このタレント弁護士の思い違いであるなら、こんなに反響しません。朝日の言いたいのは原告弁護士のこの言葉でしょう「刑事弁護する弁護人が風潮や世間の目を気にして萎縮する事につながる」さよう、何でもかんでも民主主義への挑戦と片づけるあの思想です(長崎市長が射殺されたのも、暴力団同士の抗争もそう見出しがついていたでしょう?)。大衆の味方の振りして実は搾取体制に他ならなかったソ連共産主義の基本思想、マルキシズムそのものです。何でもかんでも人の所為、社会の所為と抽象化してごまかしていく。ううむ、今朝の左翼紙は色がはっきり見えて面白かったです。ちなみに、萎縮を、牙城朝日が委縮と書かないのは何故でしょうね。ら致の、終えんの、装てんのと、仮名交じりの不細工な表記を恬として恥じず日本の漢字文化を壊し続けてきた親玉が、萎縮と正しく表記してご丁寧にルビまで振ってあります。あらら。どうしちゃったの?
コメント
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