柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

雑多

2007-09-06 08:42:35 | Weblog
秋篠宮さんの長男君、お世継ぎ様ですが、まぁ可愛いこと、一歳ですって。ああ、帝王切開がどうのこうの、当日天皇陛下は北海道に行幸されてなんて言ってましたね、あれから早一年です。マスコミが相手にしなかった(話題にならなかった)ということなんですが、やはり紀子さんが利口なんでしょうね。俗耳の好餌になるような、マスコミの連中の気を引くような事をやらなかったという利口さです。やはり雅子さんと比べてしまいますが、しかしこの比較はちと雅子さんには酷かも知れません、次期皇后さんですからね、要求基準が高いですから。とまれ、各紙に載る悠仁様の笑顔は可愛いこと。ほっとすることです。
 日経のスポーツ欄の豊田のコラム、今日も面白いです。新人打者をコーチした時の経験から「素人ほどものを複雑にする」あれこれ考えすぎるということです。「何でも打たねばならぬ、ではなくて、打てる球を待つのだ」そうですね、まったく同感。この人は的を射る言葉遣いを知っているので、読んでいて快いです(単に私と同じ波長の人だということなんでしょうが)。あれもやらねばこれもやらねばと思う、それはこういうケースああいうケースと知識として知っているから、それは素人中では高いレベルにある者の特性でしょう、こういう場合はこういう対応が必要なのだと頭でっかちになってしまっている、理想のフォームなり打ち方なりに囚われすぎて自分を失ってしまう。ありがちですね、どの業界どの社会でもあることでしょう。新しい仕事に向かう時に考えすぎてしまう、これです。でもものの一ヶ月をすると馴れてくる、それはこれをやればいいんだと分かるからです、これが duty 、こっちはプレミアと区別できるようになるからです。プロの仕事なんては果てしのない繰り返し事です。一つ事を繰り返し繰り返しやって技量を上げてきたことです。そんなことを入り口に立ったばかりの人間にできるはずがないのです。だからできることをやっていけばいい、それを磨いていけばいい、やがて余裕ができて周りが見えてくる、という順番です。打てる球を待つ。待つというのが人生の極意と思っていますので、まさに我が意を得たりです。待つ、待つ、待つ。追いかけ切れぬ事は待つしかありません。天の時満ち、地の利満ち、人の和整うを待つわけです。いや、これは私の処世訓で、今は打てる球を待つって話でした。「素人は物事を複雑にする」んですが、もっとタチの悪いのがいます。頭の悪い専門家達ですわ。受け売りのペラペラの知識を振り回して素人を迷わせる連中。どこにでもいますよ、ほらあなたの側にもいるでしょう?例外ばかりを並べ立てる奴、こういう場合はどうするんだ?とシマウマ探しばかりに熱を上げる奴(なんでかんでも一回は反対せねば気の済まぬ奴)話の腰を折ってばかりの奴、文句ばかり言うだけで一切仕事しない奴、いるでしょう?あなたの隣。専門家というのは一般称です、役職者、上司、有資格者、有識者、先輩、年長者、何でもいいんです、あなたより少しキャリアの長い連中の総称です。この連中の立てているバカの壁を崩すのもまた一苦労ですが、ああ壁、壁と認識することが大切なんでしょう。世に言うプロにも色々いますからね。一括りに優れているわけではありません。これもよくご存知のこと。なかなか社会は面白いわけです。雑多の面白味、そして歳をとっていくことの面白さでしょう。そう思います。
コメント
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