ワインな ささやき

ワインジャーナリスト “綿引まゆみ” (Mayumi Watabiki) の公式ブログ

フランス料理「レ セゾン」@帝国ホテル

2014-11-25 21:41:47 | レストラン&店
仕事柄、都内の名レストランで食事をいただく機会に恵まれており、感謝です。
この秋は印象に残るレストランがいくつもありました。
中には、かつては料理もサービスも完璧と言われていたのに、この料理はいただけない…とガッカリする店もありましたけれどね。

本日は、非常に良かった!と思ったレストランを紹介します。

帝国ホテル東京のメインダイニングとされる フランス料理 「レ セゾン -Les Saisons」 です。
今までご縁がなく、これが初めてでした。

ワイン生産者を囲んでのランチでしたが、本日はお料理の方を主役として紹介します。




アミューズ



ガンベローニの凝縮したソースをラッケしたガンベローニの一皿

ガンベローニとは、スペイン産の赤海老のこと。ラッケとは“塗る”という意味。
プリップリの海老に、濃縮した海老のソースをツヤツヤに塗って仕上げています。



甘い玉ねぎのロワイヤル、ジロル茸とフォワグラ、栗のヴルーテと一緒に

これは、銀の蓋(クロッシュ)が被せられて置かれ、全員の蓋がスタッフの絶妙なタイミングで同時に取られるというクラシカルなサービスがされました。息の合ったサービスは、さすがです。

蓋の下は、スープ!いえいえ、ただのスープではありません。
ポジション的には前菜になります。
2層になっていて、下に玉ねぎのフランがあります。この玉ねぎを崩しながらいただくのですが、ジロル茸のうま味がじんわり~と染み込みます。栗のヴルテ(スープ)は思いのほかサラリとしていますが、やさしい味。だけど、複雑で深い。ああ、本当にほっこりさせられた一皿で、この日の私の一番のお気に入りとなりました。画像が他よりも少し大きいのはそういう理由です



和牛イチボのソテとラズベリー風味の大根
コンテチーズを加えたインカのめざめのミルフィユとレタスのファルシ トランペット茸


メイン料理も銀のクロッシュが被せられて目の前に置かれました。
目の前に置かれてからもまだ料理の姿が見えないのは、ドキドキしますね。

いいお肉なのは一目瞭然。
下に敷かれたトランペット茸がお肉のうま味を吸い込み、独特の歯ごたえともあいまって、素晴らしいハーモニーを見せてくれました。



願いを込めて軽く仕上げたタルト・ショコラ 生姜風味 カカオと紫蘇のソルベを添えて

見た目はボリュームがありますが、ふわりと軽い。
ソルベが引き締めてくれました。このソルベはかなり優秀。



カフェとショコラ 小菓子

これで1人分です。
さすがの私も全制覇できませんでした(笑)



なんとも贅沢なランチでした。
ここは、また別の機会に訪れてみたくなりました。
ありがとうございました。

レ セゾン
http://www.imperialhotel.co.jp/j/tokyo/restaurant/les_saisons/index.html

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ボジョレー・ヌーヴォーの歴史をさかのぼると…

2014-11-25 10:00:01 | ワイン&酒
今でこそ、ワインは古い年代物の方が価値がある、とよく言われますが、歴史をさかのぼると、ワインは新しい方が価値がある! とされた時代がありました。

保存技術が発達していなかった時代には、質の悪い樽を使って保存しようものなら、仕込んでから1年が過ぎる頃にはワインが酢のように酸っぱくなり、飲めたものではなくなってしまったからです。

当然、フレッシュでフルーティな、出来立ての新しいワイン が待ち望まれました。

中世のフランスでは、領主や修道院、司教などが古くからブドウ畑を所有し、彼らが新酒を最初に販売する権利や販売独占権を持っていました。
その後は富裕層などもワインを保管するようになりますが、ワイン供給量は限られており、品薄で暴動が起きたことも多々あったとか。
だからこそ、ブドウの収穫は素晴らしいことで、新酒は喜びをもたらすもの だったんですね。



とはいえ、ボジョレー・ヌーヴォー の形が見えてきたのは第二次世界大戦後の1950年代のこと。

1951年の法令で、1951年のAOCワインは12月15日以降にしか販売できないとなりました。
しかし、ボジョレーの生産者たちは、ボジョレーのワインは新酒であるから早く販売したいと申請し、これが認められ、1951年11月13日、この日以降に今すぐ販売できるAOCワインが特定されました。
その中に、AOCボジョレーが入りました。

解禁日はその後、年によって変動し、1967年には11月15日に固定されたのですが、新しい改定が1985年に行なわれ、ここで現在の「11月の第三木曜日」となりました。
1985年とは、意外にも新しくないですか?

国外への輸出は1960年代末頃からで、ヨーロッパ各国を皮切りに、北米、1982年に豪州、1985年にはイタリアと日本へ、1990年代には東南アジアと、次々と広がっていきます。

日本へは、11月の第三木曜日を解禁日とした1985年に輸出が始まったのは、“時差”の戦略もあったのでしょうか?

すぐにバブルの波にも乗り、日本は世界でいち早くボジョレー・ヌーヴォーの解禁日を迎えることのできる国 ということで、解禁日の前夜は空港近くのホテルでカウントダウンイベントが開催されていた記憶が残っています。

バブルが弾けた後、1990年代後半の赤ワインブームで、またボジョレー・ヌーヴォーの人気が盛り返し、XX年に一度の当たり年というキャッチコピーにも後押しされ、2001年には日本がボジョレー・ヌーヴォーのNO.1の輸出国 となりました。
以来、日本の独走は続いています。



2013年の実績では、ボジョレー・ヌーヴォーの出荷量130,000hlのうち100,000hl(約1,500万本)が国外110カ国に輸出されましたが、1位は日本の52,183hl(700万本)で、2位のアメリカ 13,311hl(180万本)、3位のドイツ 5,500hl(73万本)を大きく引き離しています。

フランス国内で最もボジョレー・ヌーヴォーが売れたパリは9,100hl(120万本)でしたから、いかに日本が飛び抜けているかがわかりますね。



2014年は、昨年よりは日本への輸出量が減少しているようですが(収穫量の見込みが800,000hlと言っていました)、例年のヌーヴォーの30%は日本向けだそうです。

日本でも、ヌーヴォーだけでなく、他のワインにもぜひ目を向けてほしいところではありますが…

実際、近年は、ボジョレー以外の新酒、イタリアのノヴェッロやオーストリアのホイリゲ、日本の新酒のアピールもあり、そちらへの関心の増加や、ボジョレーへの熱狂的な傾倒の落ち着きから、ボジョレー・ヌーヴォーの日本への輸出量は、ピーク時の約半分か?と言われています。
他に目が向いてきたのはいい傾向だと思います。

本家ボジョレー・ヌーヴォーも、新樽で熟成させたもの、古木のブドウで仕込んだもの、ビオやオーガニックのもの、ノンフィルターのもの等々、なんらかの付加価値を付けたものがピーク時前後から増え、消費者の関心を惹きつけようという努力が見られます。ロゼも出てきましたね。
そういえば、3年ほど前に登場したペットボトルのヌーヴォーにも賛否両論がありました。
来年のボジョレー・ヌーヴォーはどうなっているでしょうか?

ということで、ひとまず今年のボジョレー・ヌーヴォーの話はこれで一区切りとします


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