吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

〈催事〉0487:謎の絵馬

2017-03-16 17:20:26 | 行楽催事

  

写真①:山口県下関市豊浦町の「川嶋神社」に奉納された「筑前地之嶋大敷」絵馬

 
下関市豊浦町の「川嶋神社」に奉納された「筑前地之嶋大敷」絵馬の謎


  いつ、どこで行われた合戦を描いたのか分からない謎の絵馬=写真①=があります。「筑前地之嶋」(福岡県宗像市地島)の漁師が、山口県下関市豊浦町湯玉の「川嶋神社」に豊浦町が発祥の地とされる「大敷網」(定置網の一種)漁法で大漁を得たお礼として、大正時代に奉納。「豊浦地区まちづくり協議会」のメンバーら33人が2月13日、福津市の『絶景の道100選』認定・「津屋崎里歩きフットパス」の視察で津屋崎を訪れた際、私が所属する「津屋崎千軒 海とまちなみの会」がガイドを引き受け、絵馬の写真を拝見しました。

  絵馬の額には「筑前地之嶋大敷 沼井磯市」、「大正六丁巳年七月吉祥日 大漁叶」と書かれています。描かれた絵に題名はなく、左手に馬上で槍を突き出した豊臣秀吉家臣で「賤ケ岳七本槍」の加藤清正、福島市松(正則)の両戦国武将、その右手に新納(にいろ)武蔵、伊集院忠棟の島津氏の武将が馬上で迎え討っている構図です。上部には金色の千成り瓢箪の背後に鎧武者の群れと林立する幟旗が描かれており、秀吉の本陣のようです。新納武蔵は、戦国時代の薩摩国島津家に仕えた「島津四勇将」の一人で武勇は鬼神のごとしと評された通称「鬼武蔵」で、伊集院忠棟は島津義久に仕えた筆頭家老。どうやら秀吉の九州遠征での島津攻めの場面と思われますが、戦の年月、場所は分かりません。

  「海とまちなみの会」では4月2日(日)、豊浦町の港町・室津の町家に残る龍や浦島太郎、大黒・恵比寿などの鏝絵巡りフットパスウオークのあと、「川棚温泉」入湯と瓦そば昼食、「リフレッシュパーク豊浦」の花園や、〝海を渡る蝶〟・アサギマダラの幼虫、蛹を飼育中の「蝶小屋」見物を行う「豊浦町観光貸切バスツアー」を開催、「川嶋神社」の絵馬見学も予定しており、絵馬の額裏に題名や絵師の名前が書かれていないかなど、地元ガイドさんの案内で詳しく調べる計画。〈津屋崎千軒〉には山口県から網漁法の普及に来た漁師が移住しており、豊浦町と約60Km離れた津屋崎の漁師たちが「大敷網」漁を通じて大正時代に交流した歴史も鮮明になるのでは、と期待しています。

  「大敷網」の発祥地とされる豊浦地区から、この漁法がどのようにして「筑前地之嶋」に伝えられたのでしょうか。旧津屋崎町が平成10年に発行した同町史民俗調査報告書・『津屋崎の民俗(第四集)』「北の二」によると、定置網の中で最大の「落し網」(「大敷網」ともいう)=写真②=を張る津屋崎の網漁では、ブリ、イワシ、トビウオ、アジ、サバ、サワラ、マイワシを捕獲。二隻で操業し、一隻に七、八人乗って朝方1回操業、都合によっては夕方も行っていました。〈大正末期から昭和の初期、山口県安岡(注:響灘に面した旧豊浦郡安岡町安岡浦=現下関市安岡=のことか。安岡漁港がある漁村)の船が津屋崎の海で縄大敷網を操業していた〉という。

 

写真②:落し網(大敷網)の図=『津屋崎の民俗』(第四集)「北の二」105頁掲載=

  「豊浦町観光貸切バスツアー」参加募集中

  4月2日の「豊浦町観光ツアー」では、貸切バスで午前7時50分に福津市のJR福間駅前を出発、9時30分に豊浦町の「室津公民館」前着。町内観光を終えて、午後3時40分福間駅前帰着の予定です。参加会費は、交通費、昼食・入湯代、入園料、ガイド料、保険料、資料代など8千円。参加申し込みは、3月26日まで「海とまちなみの会」事務局吉村へE-mail:yosi3019@sage.ocn.ne.jpで。申し込み先着順の定員23人で締め切ります。

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