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吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2012年10月22日/〈日記〉493・「メガソーラー」建設進む

2012-10-22 10:05:10 | 日記

 

写真①:「百田興産」が敷設を進めているソーラーパネル群(手前の水路がクロツラヘラサギやバンなど野鳥の楽園になっていました)

     =福津市渡池尻で、2012年10月22日撮影

 

姿を見せ始めた津屋崎のメガソーラ・パネル群

クロツラヘラサギ近く渡来の鳥獣保護区・「津屋崎干潟」そばに

 福津市渡の「津屋崎干潟」周辺2か所で建設中のメガソーラー(太陽光発電設備)工事現場のうち、同市渡池尻の用地約5万5千平方㍍では、着々と敷設される「百田興産」(福岡市)ソーラーパネルが姿を現し始めています=写真①=。平成25年7月31日までに、総出力約2千㌔・㍗の太陽光パネル約8千枚を設置する計画です。

「津屋崎干潟」には、世界に約2千羽しかいないという環境省のレッドデータブックで「絶滅危惧ⅠA類」指定のクロツラヘラサギ(トキ科)10羽前後が毎冬、朝鮮半島から渡来。10月末にも初渡来が予想されるクロツラヘラサギたちが、「津屋崎干潟」北側の渡池尻の用地に出現したメガソーラー・パネル群に、上空から目をパチクリしないでしょうか。

 このメガソーラー敷設現場の東に接した水路は、「津屋崎干潟」とともに福岡県鳥獣保護区に指定されています。これまで同水路は、冬の渡り鳥・クロツラヘラサギやヘラサギ(トキ科)、留鳥のカワセミ(カワセミ科)、バン(クイナ科)など野鳥の採餌や休息の楽園になっていましたが、水路との境界敷地にあった樹木がメガソーラー敷設工事で伐採され、〝野鳥の楽園〟は敷設現場から丸見えの状態に一変しています

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2012年10月10日/〈日記〉492・津屋崎千軒鍼灸院

2012-10-10 17:20:39 | 日記

 

写真①:〈津屋崎千軒〉通りにオープンした「津屋崎千軒鍼灸院」

     =2012年10月10日、福津市津屋崎4丁目で撮影

 

〈津屋崎千軒〉通りにオープン

町家風の「津屋崎千軒鍼灸院」

 福津市津屋崎4丁目に10月1日、「津屋崎千軒鍼灸院」(浦野茂喜院長)=写真①=がオープン。格子が美しいと定評のある〈津屋崎千軒〉の町家風に改装された建物で、市民や町歩きの観光客の話題になっています。

  旧津屋崎新町の〈津屋崎千軒〉通りと「しおさい通り」の交差点角にあった〝町の魚屋さん〟・「瀬戸隆鮮魚店」が、1月21日に閉店した後の貸し家で営業。新町の商店街では、私の家の親戚が経営していた蒲鉾屋の「守田館」も閉店するなど、シャッターの降りた店舗が目立っており、喜ばしい開店です。

  北九州市出身の浦野院長は、江戸時代から栄えた〈津屋崎千軒〉の町並みにあった店舗にしたいと、待合室にはバンコ風の木製ベンチ=写真②=を壁際に配置。患者さんがくつろげ、気軽に来院できるようにしたという。

 写真②:待合室に置かれたバンコ風の木製ベンチ

      =10日撮影

 津屋崎千軒鍼灸院福津市津屋崎4丁目10-13。℡0940-72-1209(いちにお灸!)。治療時間は8時~12時、14時~20時。往診も電話で応じる。火曜定休。治療時間は初診が40~50分、再診は20~30分が目安。

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2012年9月17日/〈日記〉491・レンタル菜園

2012-09-17 06:07:16 | 日記

 

写真①:畑の端に立てられた「レンタル菜園 かぶとがに」の募集看板

     =2012年9月13日、福津市宮司6丁目で撮影

 

「対馬見通り」に「レンタル菜園」お目見え

福津市・「的岡」交差点近くの小さな畑

  福津市宮司6丁目の「対馬見通り」に面した小さな畑が、「レンタル菜園 かぶとがに」になりました。畑の端に立てられた利用者募集の看板=写真①=には、お問い合わせ先として、「プレミア株式会社(担当)あびる」の名と電話番号が、トマトやタマネギのイラスト入りで表示されています。

 この畑は住宅1軒の敷地程度の広さで、県道の「的岡」交差点から在自方向へ曲がってすぐの角にあります=写真②=。以前、福津市星ケ丘に住む夫婦が地主さんから借りて、イモや野菜を育てておられました。このあたりは、住宅街の一角に小規模な畑が点在していますが、「レンタル菜園」に変身したのは初めてです。

  

写真②:「対馬見通り」(手前)に面した「レンタル菜園」

     =9月13日撮影

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2012年9月14日/〈日記〉490・鳥獣保護区そばで進むメガソーラー建設

2012-09-14 06:12:29 | 日記

 

写真①:「百田興産」の太陽光発電設備設置工事が進む現場(右の水路が「福岡県指定鳥獣保護区」。手前が「津屋崎干潟」側)

     =2012年9月12日、福津市渡池尻で撮影

 

「福岡県指定鳥獣保護区」の水路そばに

メガソーラ建設工事進む

クロツラヘラサギの渡来地の環境保護、大丈夫?

 福津市渡の「津屋崎干潟」北側の渡池尻の用地約5万5千平方㍍で、「百田興産」(福岡市)のメガソーラー(太陽光発電設備)設置工事が進んでいます。その東隣にある水路=写真①=は「福岡県指定鳥獣保護区」で、世界に約2千羽しかいないという環境省のレッドデータブックで「絶滅危惧ⅠA類」指定のクロツラヘラサギ(トキ科)10羽前後が毎冬、朝鮮半島から渡来し、餌を取ったり、休息する貴重な水域です。水路の東側を南北に走る県道502号線との境界には高い垣根があり、水路の様子はうかがえないようになっています。

  メガソーラー設置工事は8月から始まっており、平成25年7月31日までに総出力約2千㌔・㍗の太陽光パネル約8千枚を設置する計画。建設現場の南側にある舗装道路を隔てた「津屋崎干潟」(内海)も「福岡県指定鳥獣保護区」で、クロツラヘラサギや冬鳥・カモ類の〝野鳥の天国〟となっています。内海の満潮時には、建設現場の東隣にある水路がクロツラヘラサギやカモたちの憩いの場に変わります。

 

 以前、この水路に接したメガソーラー建設現場側は草木が茂り、水路に生息する野鳥たちには絶好の目隠しになっていました=写真②=。しかし、今は工事で草木が伐採され、見通しのよい環境に一変、野鳥たちはウカウカできない雰囲気です。メガソーラー建設後、渡来したクロツラヘラサギの群れは、地上に敷きつめられた太陽光パネルが乱反射し、西側の目隠しの草木がなくなつた水路を上空から〝鳥の目〟で眺め、「毎冬の津屋崎の〝常宿〟は、ここだったっけ?」といぶかる恐れはないでしょうか。

  

写真②:ヘラサギ1羽とクロツラヘラサギ4羽が餌を取る水路(左手のメガソーラー建設現場側は草木が茂っていた)

     =2011年1月27日撮影

 メガソーラーは、三井松島産業(福岡市)の子会社・MMエナジー株式会社(同)が、「津屋崎干潟」の東に隣接した福津市西竪川の旧「津屋崎塩田」跡地約3万2千平方㍍の用地でも、総出力約2千㌔・㍗の太陽光パネル約8千5百枚を9月から建設、平成25年3月に完成の予定です。

 「津屋崎干潟」の「鳥獣保護区」 福津市渡の「津屋崎干潟」は、福津市西部の渡半島に抱かれた細長い入り江で、同市浜の町の津屋崎漁港から北へ広がり、地元では〝内海(うちうみ)〟と呼ばれています。波静かで、小魚や貝、ゴカイなど野鳥の餌も豊富です。クロツラヘラサギの越冬地で、国際保護ネットワーク(事務局・香港)から国際観測点の一つに登録されています。06年11月15日、県から鳥獣保護法に基づき、野生鳥獣の狩猟が禁止される「鳥獣保護区」(特別保護地区)に指定されました。指定区域は、干潟約48㌶と周辺の水路や陸地約15㌶の計約63㌶です。指定期間は10年で、問題がなければ更新されます。

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2012年8月19日/〈日記〉489・「忠敬御膳」

2012-08-19 17:29:04 | 日記

 

写真①:「忠敬御膳を味わう会」で料理を盛りつけるのに借りた膳(一部)

  

「伊能忠敬ウオーク&宿泊地探訪バスツアー」企画

「忠敬御膳を味わう会」応募も残り4席になりました

 江戸時代の測量家・伊能忠敬が、当時67才で福津市津屋崎地区を歩いて測量して2012年で2百周年になるのを記念しようと、8月25日(土)に同市内で開催する「伊能忠敬ウオーク&宿泊地探訪バスツアー」(定員42人)が完売になり、同日午後0時10分から同市西福間4丁目の「サンピア福岡」で開く「忠敬御膳を味わう会」(定員20人、参加料4,000円)にも16人が応募、残り4席となりました。

 忠敬が津屋崎の宿泊先で食べたであろう料理を再現した「忠敬御膳」は、三つの膳に盛ってお客様に味わってもらう趣向。「サンピア福岡」のレストランには膳がないため、同ツアー実行委員長の私は19日までに、所属する「津屋崎千軒 海とまちなみの会」の会員宅や親戚、知人宅など6軒を回って60個の膳をお借りしました=写真①=。

  「忠敬御膳」は、小鯛浜焼、鰻白焼、鹿の南蛮煮、貝類盛り合せなど10品会席=写真②=として再現。献立は、ほかに▽烏賊、大根、人参、滑子のなます▽ところ天、海老旨煮、かまぼこ、蓮根、茸胡麻和え▽鯒吸物、帯冬瓜、順才▽鱸の煮つけ、蕉、青味▽白髪葱、そうめん、茗荷、椎茸▽白飯、味噌汁、漬物▽果物などを添える計画ですが、当日の食材の入荷などの事情で実際には献立の一部が異なる場合もありますので、予めご了承ください。

  

写真②:小鯛浜焼、鰻白焼、鹿の南蛮煮、貝類盛り合せなど10品会席の「忠敬御膳」

(「サンピア福岡」の献立案)

  「忠敬御膳」の予約は、電話で福津市まちおこしセンター「津屋崎千軒なごみ」(福津市津屋崎3丁目17-3、火曜休館 ℡0940-52-2122)へお申し込みを。残り4人は予約先着順で23日(木)午後5時で締め切りです。

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2012年8月18日/〈日記〉488・メガソーラー

2012-08-18 21:18:53 | 日記

 

写真①:「百田興産」の太陽光発電設備が設置される工事現場(手前が「津屋崎干潟」側)

     =福津市渡池尻で撮影

 

津屋崎にメガソーラ2か所建設

クロツラヘラサギの渡来地・「津屋崎干潟」そばに

 

 再生可能エネルギーの買い取り制度が7月からスタートしたのを機に、福津市渡の「津屋崎干潟」周辺2か所に、メガソーラーが建設されます。うち、同干潟北側の渡池尻の用地約5万5千平方㍍では、「百田興産」(福岡市)の太陽光発電設備設置工事が8月から始まっています=写真①=。平成25年7月31日までに、総出力約2千㌔・㍗の太陽光パネル約8千枚を設置する計画です。

 もう一か所は、「津屋崎干潟」の東に隣接した福津市西竪川の旧「津屋崎塩田」跡地。三井松島産業(福岡市)が、子会社のMMエナジー株式会社(同)を設立して約3万2千平方㍍の用地に、総出力約2千㌔・㍗の太陽光パネル約8千5百枚を9月から建設=写真②=、平成25年3月に完成の予定です。

 

写真②:「津屋崎塩田」跡地の太陽光パネル配置予想図(左端は「津屋崎干潟」の東を南北に走る県道502号線)

 「津屋崎干潟」には、世界に約2千羽しかいないという環境省のレッドデータブックで「絶滅危惧ⅠA類」指定のクロツラヘラサギ(トキ科)10羽前後が毎冬、朝鮮半島から渡来。メガソーラーが建設される旧「津屋崎塩田」跡地や同干潟北側の渡池尻の用地の上空を横切り、周辺の田畑や水路に舞い降りています。上空から〝鳥の目〟で地上に敷きつめられた太陽光パネルが乱反射し、渡来地の環境が大きく変わったとして警戒、「津屋崎干潟」に居つかなくなることはないか、気になります。

コメント (2)
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2012年7月16日/〈日記〉487・「津屋崎祇園山笠」開始年に2説あり?

2012-07-16 09:28:18 | 日記

 

写真①:〈津屋崎千軒〉通りに繰り出した「津屋崎祇園山笠」の岡流の山笠

   =福津市津屋崎3丁目で、2012年7月9日午前11時50分撮影

 

「津屋崎祇園山笠」開始年に2説あり?

 7月8日の〈日記〉486で、大社(おおこそ)元七(津屋崎製塩事業功労者)の「塩浜庄屋」任命年に2説、の記事を掲載しましたが、きょうは福津市津屋崎の夏祭り・「津屋崎祇園山笠」=写真①=が始まった年にも2説がある? のを紹介します。

 江戸時代に発刊された地誌・『筑前国続風土記附録(ちくぜんのくにぞくふどきふろく)』によると、正徳4年(1714年)、津屋崎の氏神・波折神社の境内にある祇園社に、博多から祇園神をお迎えし、旧暦の6月19日に高さ10㍍という大きな三基の山笠を作って担ぎ、神様に捧げて祇園神の祭りをしたのが始まりとされています。

 旧津屋崎町が平成8年に発行した『津屋崎町史 資料編 下巻(一)』でも、第6章「信仰」の第二節「ムラの信仰」の「二 祇園祭り」で〈津屋崎浦波折神社境内の祇園社は、正徳四年(一七一四年〉に博多櫛田神社の祇園社を勧請して、人形を飾った祇園山笠が波折神社の神幸祭と同様に村・浦をあげての祭り行事として伝承されてきた)としています。

 福津市教育委員会も、ホーメページにアップしている「津屋崎祇園山笠 市指定無形民俗文化財」の解説記事に「今から約300年前(正徳4年:1714年)に博多の櫛田神社から波折神社に祇園神を迎え、3基の山笠を奉納し、疫病、災害の退散を祈願したのが起源といわれています」と記述しています。

 ところが、1994年7月7日から18日まで「津屋崎千軒民俗館・『藍の家』」で開催された「津屋崎山笠展」のパンフレットには、「津屋崎山笠の由来として〈『筑前国続風土記』によると、「津屋崎浦に氏神として波折宮があり、境内に祇園社がある。正徳二年に博多から勧請し、毎年六月十九日に山車を三本造って社前に捧げ、坊中をかき歩く〉と掲載しています。

 津屋崎祇園山笠の起源・「正徳2年説」根拠とされた『筑前国続風土記』は、福岡藩の儒者・貝原益軒が江戸時代初期の宝永6年(1709年)に完成しており、正徳2年(1712年)のことを記述できるわけがありません。

 一方、津屋崎祇園山笠の起源を「正徳4年説」とした『筑前国続風土記附録』は、江戸時代後期・寛政10年(1798年)に福岡藩の加藤一純、鷹取周成が完成させており、正徳4年(1714年)のことを記述できたことは言うまでもありません。

 今年が津屋崎祇園山笠が始まって300周年として記念行事が一部で開催されていましたが、正徳2年(1712年)説が誤りと思われる以上、300周年を迎えるのは正徳4年(1714年)から起算して平成26年(2014年)となります。

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2012年7月8日/〈日記〉486・「塩浜庄屋」任命年に2説

2012-07-08 08:39:25 | 日記

 

写真①:大社元七が延享2年(1745)塩浜の庄屋に任命されたとした「福津市歴史資料室だより第11号」記事

  

津屋崎塩田を拓いた大社元七の

「塩浜庄屋」任命年に2説あり?

  「福津市歴史資料室だより第11号」(2011年12月発行)に掲載されている「大社(おおこそ)元七(津屋崎製塩事業功労者)」の紹介記事=写真①=に、「延享(えんきょう)2年(1745)塩浜の庄屋に任命されました」と書かれているのを見て、おや? と首をかしげました。

  『津屋崎町史 通史編』(1999年、旧津屋崎発行)には、「津屋崎の塩浜は勝浦の塩浜に隣り合って福岡藩の事業として作られた。(中略)実際の製塩が始まったのは寛保三年(1743)であった。(中略)津屋崎塩田の開発と、その後の運営に大きく貢献した大社元七が塩浜庄屋に任命されたのもこの年であった」とあり、塩浜庄屋任命の年が2年も食い違っていたからです。『津屋崎町史 資料編上巻』(1996年、旧津屋崎町発行)にも、「年代記」桑野家文書の寛保三年の記述を引用して「津屋崎塩浜開起、大社元七を塩浜庄屋に任命する」と記載されています。

 「福津市歴史資料室だより第11号」を発行した福津市教委教育総務課に問い合わせたところ、大社文書の「津屋崎村新塩浜開記」に延享2年に塩浜の庄屋に任命されたとの記述があるという。同じ福津市発行の公文書なのに大社元七の塩浜庄屋任命の年を市歴史資料室だより第11号では「延享2年」、『津屋崎町史 通史編』では「寛保3年」と2説あることになり、どちらが正しいのか、〈津屋崎千軒〉のボランティアガイドをしている身には、困ってしまいます。市教委教育総務課では、どちらの年が有力かは言う立場にないとの見解です。史料価値から見て、一体どっちの年が史実なのか郷土史にお詳しいどなたか、教えてください。

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2012年7月6日/〈日記〉485・母校で講義

2012-07-06 22:02:29 | 日記

写真①:経済学部の後輩学生に講義する〝にわか先生〟の私(右端)

     =山口市吉田の山口大経済学部の大教室で、2012年7月6日撮影

 

〝にわか先生〟として講義しました

母校・山口大経済学部で後輩学生291人に

 昭和43年に卒業した母校・国立大学法人山口大学経済学部(山口市)の2~4年生291人に7月6日、同窓会組織「社団法人鳳陽会」(同)の平成24年度「寄付講座」(前期特殊講義、2単位)講師陣15人の一人として「新聞記者の仕事とライフワーク」の演題で講義しました=写真①=。

  「鳳陽会」の先輩役員から就活前の在学生にジャーナリズムとボランティア活動について無報酬で講義し、将来のよきビジネスピープルになる指針を与えてほしいと要請されたもので、60分講義し、10分の質疑応答のあと、「私の就きたい仕事とライフワーク」の課題で感想レポートを書かせ、採点する仕事です。

  この日午後0時50分から、プロジェクターで「新聞記者の仕事とライフワーク」のレジュメをスクリーンに映写し、私の就活体験や読売新聞西部本社(福岡市)の駆け出し記者から編集局次長まで夜討ち朝駆けの記者経験談と、古里・福津市津屋崎の町興し団体・「津屋崎千軒 海とまちなみの会」会員としての6年間のボランティア活動や、吉村青春(筆名)第一詩集『鵲声―津屋崎センゲン』、郷土史と自然のガイド本『津屋崎学』刊行など創作活動などについて話しました=写真②=。

 

 写真②:レジュメが映写されたスクリーンの前で話す私

  仕事の厳しさ、そして、本当にやりたいことは何なのか、自己実現とライフワークについて、「理想は高く、足は地に」のスタンスでこれまでたどった道を語りましたが、厳しい「就活」戦線に立つ後輩諸君の人生の旅の一助になれたら幸いとの思いで、講義を終えました。受講生291人の感想レポートは、2週間以内に採点して経済学部へ送り返さなければならず、これから大変です。

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2012年7月3日/〈日記〉484・開業と閉店と

2012-07-03 18:11:05 | 日記

 

写真①:旧「小島医院」跡地に駐車場を整備して奥にオープンした「こじまクリニック」

     =福津市津屋崎3丁目で、2012年7月3日撮影

 

福津市・津屋崎千軒通り

天神町に旧「小島医院」改め「こじまクリニック」がオープン

「シェ・オオマエ」入居の「津屋崎千軒古民家」には閉店表示

 古風な趣のある町並み・〈津屋崎千軒〉通りの天神町(現津屋崎3丁目)にあった老朽化した旧「小島医院」が解体、跡地に駐車場が整備され、その奥に病院名を今様に変えて「こじまクリニック」がオープンしました=写真①=。

  一方、6月30日で店じまいした福津市新町(現津屋崎4丁目)のフランス料理店「Chez Oomae シェ・オオマエ」が入居していた福津市津屋崎4丁目にある市所有の「津屋崎千軒古民家」(大正時代建築の木造2階建て)には、「閉店」と表示され=写真②=、〈津屋崎千軒〉観光の団体客に人気のあったお昼の食事処がまた一つなくなった侘しさを感じます。

 

写真②:「Chez Oomae シェ・オオマエ」閉店を表示した福津市所有の「津屋崎千軒古民家」

     =福津市津屋崎4丁目で、3日撮影

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