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吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2007年5月29日〈エッセー〉006:湯布院と津屋崎の町興し

2007-05-29 23:53:44 | エッセー
写真①:「ゆふいんビール」で販売されている地ビール
     =福津市津屋崎で、2007年6月1日午後7時33分撮影


・連載エッセー『一木一草』

第6回:2007.5.29
 
湯布院と津屋崎の町興し


 「人のぬくもりのある町、癒しの里・湯布院」。一村一品運動と連携、自然と共生するまちづくりで知られる大分県湯布院町(現由布市湯布院町)は、同じように「人のぬくもりがあり、癒される町」津屋崎の町興しの参考になる先進地ではないでしょうか。

 私が読売新聞山口総局長時代の1995年9月21日、読売新聞西部本社が山口県宇部市で開催したイベント「情報発信――こちら宇部移動支局」の街おこしシンポジュウム『宇部会議』では、当時の湯布院町(人口約1万2千人)で町興しの一策として九州初の地ビール=写真①=を醸造するなどして注目を集めていた旅館「ゆふいん山水館=写真②=」社長(当時)・小野正文さん(ゆふいんビール社長)を招き、「ゆふいんの町づくり」と題して基調講演をしていただきました。


写真②:九州初の地ビール醸造で注目を集めた旅館「ゆふいん山水館」
     =由布市湯布院町で、07年5月31日午前9時47分撮影


 小野さんの基調講演によると、75年4月に町を直下型の地震が襲い、営業中止に追い込まれた温泉旅館の復興をPRするため、同年7月に辻馬車の運行を、8月には「第1回ゆふいん音楽祭」を、10月には「牛喰(く)い絶叫大会」をスタートさせました。翌76年には「湯布院映画祭」が始まり、町基本構想の理念として「住みよい町こそ、訪れて良い町」を策定し、この考えを基にした町づくりを以後20年間展開してきたという。

 町全体で取り組むソフト事業については、3K=環境(自然を大切にする)、快適性(アメニティー)、価値観(品格の向上)=の3点を決定。小野さんは、アメリカ西海岸の町・カーメルを視察した際、町の中心に住民と観光客が触れ合うショッピングモールがあることを知り、湯布院にもこうしたプラザを設けたいと、規制緩和で認められた地ビールの醸造を94年に始めました。

 〈住民に居心地のいい町をつくることが、外から人を呼ぶことにつながり〉、〈住民が誇りを持つ町になると観光客が訪れる〉、として「町の価値観を高める地域づくり」を進めていきたい――。小野さんは、こう話して基調講演を終えましたが、西鉄宮地岳線津屋崎―新宮駅間が3月限りで廃線になった津屋崎の置かれた社会状況を考えると、今も津屋崎の町興しの大いなるヒントを与えてくれる講演だと思います。
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2007年5月17日〈エッセー〉005:「土を掘る」――シェイマス・ヒーニー氏のこと

2007-05-17 16:23:59 | エッセー
写真①:ノーベル文学賞受賞者でアイルランドの詩人・シェイマス・ヒーニー氏(左)と、マリー夫人の間に立つ吉村青春
     =山口県萩市で、1997年11月9日撮影

連載エッセー『一木一草』

第5回:2007.5.17
 
「土を掘る」――シェイマス・ヒーニー氏のこと

 手元に1枚の写真があります。ノーベル文学賞受賞者でアイルランドの詩人・シェイマス・ヒーニー氏と、マリー夫人の間に私が立っている記念写真=写真①=です。平成9年(1997年)11月9日、山口県萩市で撮影しました。

 当時、読売新聞西部本社編集局管理部長だった私は、東京本社が全国展開しているノーベル賞受賞者を招いての講演会「ノーベル賞受賞者を囲む『フォーラム 21世紀への創造』」の西部本社管内開催事務局担当でした。11月7日、西部本社が山口市で開催した同フォーラム山口セッションで、ヒーニー氏と同文学賞受賞者の作家大江健三郎氏を招請しました。

 記念写真は、私が山口セッションを終えたヒーニー氏夫妻の萩観光=写真②=に同行した際、いっしょに撮らせていただきました。ヒーニー氏は、私が尊敬している津屋崎の〝大賀のおいしゃん〟(大賀勝美叔父さん)に面影がよく似た風格で、教師をしていたというマリー夫人ともども人柄が素晴らしく、親しみを感じました。


写真②:人力車に乗って萩市の観光を楽しむヒーニー氏夫妻
     =山口県萩市で、1997年11月9日撮影

 「文学――周縁から普遍へ」をテーマにした山口セッションで、ヒーニー氏は、北アイルランドの農村出身という「周縁の地」での体験をもとに、独自の文学を打ち立てたことを講演。自作の詩篇「土を掘る」を波打つような独特のリズムで朗読し、会場を埋めた約650人の聴衆を感動させました。

 この「土を掘る」の詩行には、ジャガイモ畑の畦で小石混じりの土を掘る鋤の使い手だった父や祖父の作業ぶりが描かれています。ヒーニー氏は7連の最終行を〈だが僕の手にはこうした人の後をつぐ鋤はない〉とし、最後の8連を〈人差し指と親指の間には/ずんぐりしたペンがある/僕はこれで掘るのだ〉と結んでいます。

 私も「周縁の地」から普遍の世界を求め、自分の文学世界を確立したヒーニー氏のスケールの大きさに感銘しました。厳しさの中にも温厚な人柄を感じる氏のように、古里や祖国に根ざした詩作ができるようになればいいな、と思ったことでした。私が吉村青春第一詩集『鵲声―津屋崎センゲン』で、消え行く古里・津屋崎町の栄光の日々を惜しんで詩を詠んだのも、山口で出会った氏の賜のような気がします。

 『シェイマス・ヒーニー全詩集』(国文社刊)=写真③=を開くと、ヒーニー氏が山口セッションで「誇りや伝統を大切にして文化を作っていくのが私の使命」と語ったように、収録された数々の詩篇から土の匂いがしてくるようです。


写真③『シェイマス・ヒーニー全詩集』(国文社刊)の表紙
     =福津市津屋崎で、2006年3月30日撮影

 津屋崎という「周縁の地」で、私もペンという鋤で古里の伝統文化の宝を埋蔵した「土を掘る」ことの大切さを痛切に感じています。町興しの住民団体・「津屋崎千軒 海とまちなみの会」の仲間に加わり、津屋崎に生まれて住む誇りと、江戸時代から続く古い町並みの〈津屋崎千軒〉通りの歴史や文化、豊かな自然環境を子や孫に守り伝えることが、私たちの役割なのでしょう。
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007年3月22日〈エッセー〉004:残していきたい昔からの地名

2007-03-22 06:57:44 | エッセー

写真①:古い町並みの懐かしさを感じさせる青い街路案内標識
     =福津市津屋崎浜の町で、2007年3月14日午前9時22分撮影

連載エッセー『一木一草』

第4回:2007.3.22
 
残していきたい昔からの地名


 福津市津屋崎の新町や浜の町などの街角に、ほのぼのとした感じの青い街路案内標識が建てられているのにお気づきでしょうか。「ここは北ノ一区 地蔵堂 浜ノ町」などと白い文字で書かれた手作りの街路案内標識です=写真①=。区名を表示したあと、お堂や祠など名所・旧跡と町名を黄色の方向矢印を付けて示しています。

 この街路案内標識は、1997年(平成9年)に〈津屋崎千軒〉の古い町並みの保存活動を展開した「津屋崎町街並み保存協議会(柴田治事務局長)」が建てたものです。〈小さな路地に潮の香がして/訪ねた人の気持ちを和ませ/温もりを持ち帰らせる/懐かしい町並み/それが/津屋崎千軒でございます〉(新風舎刊、吉村青春第一詩集『鵲声―津屋崎センゲン』の詩篇「津屋崎千軒」から)という津屋崎の「美しい海と古いまちなみ」の良さを伝えるのにふさわしい、素朴で味のある案内標識ではないでしょうか。

 ところで、福津市宮司区の街路(住居)表示が3月12日に変えられました。宮司6丁目とか宮司浜2丁目などとなり、街角の住宅のブロック塀に緑色の街路案内標識が掲示されています=写真②=。新地名をどうするか、区内でも新住居表示実施前にいろいろ議論が交わされたと聞きましたが、2005年1月に旧津屋崎町が旧福間町と合併して福津市になってから旧津屋崎町内の地名変更は、星ケ丘区に次いで二か所目です。

 「福津市」誕生後も、津屋崎区の住居表示は福津市津屋崎となってかろうじて「津屋崎」の名が残っていますが、市が津屋崎区も新街路表示に変える意向を打ち出してきた場合は、ぜひとも昔からの町名を残したいものです。「私は新町横町に嫁に来て、もう20年なのよ」とか、「昔、天神様のあった天神町の生まれです」と自己紹介するところを、行政区から取った地名で「福津市津屋崎6丁目に嫁に来て」とか、「津屋崎1丁目の生まれです」とは言いたくありません。たとえば、「福津市津屋崎天神町1丁目」といった小字の地名が残る住居表示に願いたいものです。

 私が第一詩集を出版したのは、由緒ある名が消えた〈津屋崎町〉のイメージを詩の本の中に留めたい気持ちからでした。郷土の歴史や祖先の想いがこめられていると思う地名を大事にしたいからです。誇りある津屋崎の地名がこれ以上損なわれることなく、昔からある地名を残していきたいと考えています。


写真②:福津市的岡区に掲示された新住所表示
     =福津市宮司6丁目で、2007年3月14日午後4時53分撮影

きょう19時から「例会」のお知らせ
「津屋崎千軒 海とまちなみの会」ご入会案内=〈津屋崎千軒〉通りの活性化を目指し、福津市津屋崎と市内外の男女約30人が07年2月16日設立しました。江戸時代から港町として栄えた古い町並みの保存と、海辺の自然保護を図ります。ご入会(年会費千円)申し込みは、事務局の吉村勝利(〒811-3304 福岡県福津市津屋崎369-14。E-mail:yosi3019@sage.ocn.ne.jp)が、お受けしています。◇例会案内=きょう3月22日(木)19時、「津屋崎千軒民俗館『藍の家』」(℡0940-52-0605=営業時間10:00~16:00)。〈津屋崎千軒懐かしマップ〉付きの「津屋崎千軒新聞」創刊号の折り込み作業を行う予定。ご入会希望の方も気軽にお越しください。

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2006年11月28日〈エッセー〉003:私の〝古里・温故知新〟宣言

2006-11-28 06:31:40 | エッセー
●写真:水彩画「空から見た古里・津屋崎」(2005年7月1日、吉村青春作)
     =2005年7月3日複写

・連載エッセー『一木一草』

 第3回:2006.11.28

 私の〝古里・温故知新〟宣言


 私は福岡県北部の玄界灘に面した旧宗像郡津屋崎町(現福津市津屋崎)に生まれ、62歳の今も住んでいます。玄海国定公園の白い砂浜に産卵に訪れるウミガメを保護する全国唯一の「うみがめ課」が市にある豊かな自然が自慢です。

 また、津屋崎漁港が江戸時代から大正時代まで漁業と海上交易で栄え、「津屋崎千軒」と呼ばれる商家で繁盛した古い町並みが残り、水産庁から全国の「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」に選ばれてもいます。東部山麓には、古代・大和朝廷の海上交通を担った宗像君(むなかたのきみ)の40基の首長墓「津屋崎古墳群」(国指定史跡)が連なり、多くの歴史・文化遺産が伝えられているのも誇りです。

 ところが、旧津屋崎町が2005年1月、旧福間町と合併して福津市となり、津屋崎町の名は消えました。私はそのイメージを詩の中に留めたいと、06年2月、吉村青春第一詩集『鵲声(じやくせい)-津屋崎(つやざき)センゲン』(新風舎文庫)を出版しました。

 8月10日からは吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』を開設、郷土史を紐解く〈津屋崎学〉や、野鳥歳時記〈津屋崎の野鳥〉などを連載しています。古里の故事を温(たず)ねてその良さを再認識し、情報発信する私の〝古里・温故知新〟宣言です。郷土の自然や歴史・文化遺産を誇りに、次の世代に伝えたいと願っています。
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2006年8月29日〈エッセー〉002:幸せを運ぶ鳥

2006-08-29 15:30:38 | エッセー
●写真はカササギ:福津市津屋崎的岡(まとおか)の畑で、05年5月27日撮影=吉村青春第一詩集『鵲声―津屋崎センゲン』口絵3ページにも掲載

・連載エッセー『一木一草』
第2回:2006.08.29
 幸せを運ぶ鳥

 秋篠宮妃紀子さまのご出産が、近づいたようです。ご懐妊が報道された折、赤ちゃんの入ったかごの柄を嘴にくわえて飛ぶコウノトリ(コウノトリ科)のイラストが新聞に載りました。ヨーロッパでは、コウノトリ(嘴の黒いニホンコウノトリの近縁種・シュバシコウ=朱嘴コウ=という嘴の赤いヨーロッパ産コウノトリことで、ドイツの国鳥)は、生まれる赤ちゃんを泉や池から連れて来る〝幸せを運ぶ鳥〟とされていますが、ドイツにはコウノトリが嘴にくわえて運ぶ赤ちゃんは悪い子との伝承があり、背中に良い子を乗せて飛ぶイラストにすべきだと指摘する声も聞かれます。

『完訳アンデルセン童話集 1』(岩波文庫、大畑末吉訳)に収録された童話「コウノトリ」には、まだ飛べないコウノトリの雛4羽が子どもたちに「突き殺される」などとからかわれる話が載っています。4羽は飛べるようになると、悪口の歌を真っ先に歌い出していた一番悪い子には死んだ小さな弟を、「動物をからかうのはよくないことだ」と言った良い男の子のペーターには小さい妹と弟をという具合に、子どもたちの家に赤ちゃんを届けて仕返しをしました。それで、コウノトリはみんなペーターという名前になり、今でも、そう呼ばれているのですよ――というのです。

 それはさておき、私には〝幸せを運ぶ鳥〟はカササギ(鵲、カラス科)=写真=のように思えます。体長44㌢とハトより大きく、九州北部の平野に生息する野鳥です。佐賀、福岡両県ではカチガラスとも呼ばれ、高木や電柱に営巣し、カチカチ、カチカチとよく通る声で鳴きます。実は、福岡県柳川市が全国公募した『平成15年度白秋祭献詩』で三席に入賞した私の詩篇名が「カチガラス」でした。同年(2003年)8月18日、妻と北原白秋の故郷・水郷柳川を訪ね、どんこ舟に乗って川下り観光をした際、頭上を飛ぶカササギの鳴き声を聞き、カササギを案内役に川下りを楽しむ様子を童謡詩風に詠った作品です。この入賞がなかったら、私の吉村青春第一詩集『鵲声―津屋崎センゲン』出版もなかったでしょう。白秋祭献詩の入賞者表彰式が同年11月2日、同市矢留本町の白秋詩碑苑で催された際も、樹木の梢から「カチカチ…」と鳴き声がしきりに響き、私を祝福してくれているようで胸が熱くなりました。

 学習研究社の『漢和大字典』では、鵲は「めでたい知らせを告げる鳥とされる」とし、その鳴き声「鵲声(じゃくせい)」は鵲語、鵲報ともいい、「よい事がおこる前兆とされる」としています。私にとっても入賞という幸運をもたらした「鵲声」を、感謝の気持ちも込めて記念すべき第一詩集のタイトルとしました。また、小学館の『故事・俗信 ことわざ大辞典』によると、「鵲巣(じやくそう)風の起こる所を知る」(『淮南子』)とは、カササギが、その年の風の具合を考えて巣を作ることから、未来を予知する能力のたとえ、だそうです。鳴き声が吉兆の前触れに加え、未来の予知能力も兼ね備えている鳥ということになります。さらに、妻の母校・佐賀県立佐賀西高校(佐賀市)の校章には、奇しくも3羽のカチガラスがあしらってあるというではないですか。かくて、私には、とりわけ親しみを感じるカササギが〝幸せを運び、祝福する鳥〟に思えてなりません。
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2006年8月27日〈古文書に見る野鳥〉10止

2006-08-27 15:46:54 | エッセー
私の野鳥評論『古文書に見る野鳥』の冊子10回目=最終回=を紹介します。
27日に掲載した写真は、①18ページ「あとがき」②19ページ「蛇足」――の内容です。
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2006年8月25日〈古文書に見る野鳥〉09

2006-08-25 05:32:48 | エッセー
私の野鳥評論『古文書に見る野鳥』の冊子9回目を紹介します。
25日に掲載した写真は、①16ページ「主な参考文献」②17ページ「付録」都城地方の野鳥の方言――の内容です。
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2006年8月24日〈エッセー〉001:「津屋崎千軒考え隊」を考える

2006-08-24 10:20:41 | エッセー


●写真上:藍染の紺屋・上妻(こうづま)家が明治34年(1901年)に建てた住居を利用する「津屋崎千軒民俗館『藍の家』」=福津市の「津屋崎千軒」通りで、06年3月30日午後1時40分撮影

●写真下:津屋崎のイラスト=05年7月14日作成。吉村青春第一詩集『鵲声―津屋崎センゲン』にも掲載


・連載エッセー『一木一草』
第1回:2006.08.24
 「津屋崎千軒考え隊」を考える


 福津市企画政策課長の荻原益美さんから19日、「津屋崎千軒考え隊のみなさま」と題する葉書が私に届きました。第2回「津屋崎千軒考え隊」の会議を29日(火)午後7時から福津市文化会館2階大会議室で開催するとの案内でした。会議では、町並みを活かして地域の活性化を図っている事例をスライドで紹介したあと、意見交換を行うそうです。

 「津屋崎千軒考え隊」は、同課が市民有志に「元気がなくなった津屋崎千軒通りの整備計画を、地域住民が参加したワークショップで出してもらう意見を反映して今年度策定したい」と呼びかけ、7月21日に福津市津屋崎の展示施設「津屋崎千軒民俗館『藍の家』」で開いた第1回会議で発足。私も含め隊員に応募した市民男女約20人が出席し、街づくりへの想いを語り合いました。

 江戸時代から昭和初期にかけて海上交易や塩田開発で商家が栄え、「津屋崎千軒」と呼ばれた通りでは、今や空き家や空き地が目立ち、地区の高齢化の問題もあります。周辺では最近、経営不振の民営国民宿舎つやざきが閉鎖して取り壊されたほか、私鉄の西鉄宮地岳線津屋崎―新宮間の07年4月廃止問題を抱え、経営再建を進めている城山観光(本社・鹿児島市)が渡半島に開発したレジャー施設「玄海彫刻の岬・恋の浦」跡地を売却する話も報道され、いわば〈不振3点セット〉に喘いでいます。こうした状況で、なんとか官民一体で「津屋崎千軒」通りの浮上策を図りたいものです。

 九州・山口の歴史的な町並みを活かした街づくりでは、津屋崎と同じように江戸時代から海運で栄え、油屋など細長い町屋の白壁の町並み(国の重要伝統的建造物群保存地区に選定)が残る山口県柳井市が有名です。九州でも、江戸時代から天領(幕府の直轄地)の城下町で賑わい、約300年前の商家が残る大分県日田市豆田町や、江戸時代から宿場町で栄えた福岡県吉井町にある白壁土蔵造りの町家約70棟が連なる町並みなどが知られています。

 私はこれまで上記3か所のほか、秋田県角館(かくのだて)町や鹿児島県知覧町麓(ふもと)の武家屋敷など歴史的な町並みを旅行で訪れる度に、歴史や生活文化に裏打ちされた美しい景観と風情に、なんとも言えない懐かしさと安らぎを感じました。私は「津屋崎千軒」をテーマにした吉村青春第一詩集『鵲声―津屋崎センゲン』を出版したこともあり、自然と歴史・文化、人の情けという三つの津屋崎の良さを活かし、まず地元に住む人が楽しめ、芸術家や商業者が移り住むような〈自然と歴史・文化、人情に触れ合う、活気のある街づくり〉提案に隊員の一人として、ない知恵を絞りたいと思っています。

 福津市企画政策課では、第2回会議の参加者を募集しています。第3回の10月28日には、町の良さを再発見しようと千軒通りを歩きます。第4回の11月19日には、先進地の町を視察し、勉強する予定です。あなたも「津屋崎千軒考え隊」員になりませんか。
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2006年8月24日〈古文書に見る野鳥〉08

2006-08-24 05:07:32 | エッセー
私の野鳥評論『古文書に見る野鳥』の冊子8回目を紹介します。
24日に掲載した写真は、①14-15ページ「付表」――の内容です。
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2006年8月23日〈古文書に見る野鳥〉07

2006-08-23 04:56:05 | エッセー
私の野鳥評論『古文書に見る野鳥』の冊子7回目を紹介します。
23日に掲載した写真は、①12ページ「仏法僧」と②13ページ――の内容です。
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