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吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2016年1月5日〈エッセー〉048:「津屋崎庁舎」再生整備基本設計続報

2016-01-05 09:00:09 | エッセー

 

写真①:再生整備に向けた基本設計作製が進む福津市津屋崎庁舎

     =福津市津屋崎1丁目で、2016年1月4日撮影

・連載エッセー『一木一草』

第48回:「津屋崎庁舎」再生整備基本設計続報

 

「津屋崎庁舎再生整備に向けた基本設計」で市民団体から意見聴取

福津市の図書館、世界遺産展示室など複合施設活用

  福津市は津屋崎庁舎(3階建て延べ約3,800平方㍍。昭和62年建築)=写真①=を6月に福間庁舎への統合を目指し、工事を進めています。市は2015年8月、津屋崎庁舎の再生整備に向けた基本設計の中間報告会を同庁舎で開催したあと、同年12月にも地元関係団体代表を集めて意見聴取会を開き、私も「津屋崎千軒 海とまちなみの会」の会員仲間らと基本設計について質問や要望を行いました。

  現在、福間庁舎は統合庁舎として整備する増築工事が進行中。福津市行政経営企画課によると、統合後の津屋崎庁舎は1階には世界遺産展示室、市内で出土した貴重な文化財を展示する特別展示室、歴史資料室、新聞・雑誌閲覧コーナー、特産品紹介スペース、カフェカウンターを設け、施設の顔として賑わいを創出。2階は、親子読書室や学習室、講義用にも使えるスクリーン付きの多目的室などを備えた図書館を配置します。3階は、民間業者の入居を想定した貸事務所や入居者用の会議室を備える計画です。

  福津市は、津屋崎庁舎について「市民の生活拠点となり、賑わいを生む施設として、図書館・歴史資料館・カフェ、貸事務所などの複合施設」へ再生整備する方針で、同庁舎と市文化会館(カメリアホール)との間にある「健康センター」を住民・医療・年金関係手続き、各種証明書の発行や、確定申告・期日前投票・健康相談業務などの業務を職員4人で行う「津屋崎行政センター」として整備する内装工事を始めています。

 福津市行政経営企画課は、地元関係団体代表との質疑応答で、津屋崎庁舎1階には観光ガイドなどのボランティア団体が利用できるように、エントランスホール近くに「ボランティアスペース」や、奥の事務室横に4人がけテーブルを置いた「打ち合わせスペース」を設けたいと説明。

 私はこれまで8年間、津屋崎の観光ボランティアガイドをしてきた経験から①世界遺産登録の国内推薦候補になった「新原・奴山古墳群」や〈津屋崎千軒〉を訪ねる観光客のため、津屋崎庁舎前に大型貸切バスが乗り入れできる駐車場の確保を②特産品紹介スペースでは販売も行い、観光客がみやげを買えるようにしてほしい③津屋崎庁舎の図書館については、指定管理者で年中無休を原則とし、休館日を設ける場合も福津市立図書館の月曜日とは違う曜日にして市民が利用できるよう運用してほしい――と要望しました。津屋崎の地域興しと観光客との交流で賑わいを生む拠点となる複合施設として、基本設計がまとまるよう期待したい。

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2015年12月25日〈エッセー〉047:太宰府市に隈研吾氏設計の店

2015-12-25 08:25:01 | エッセー

写真①:隈研吾氏設計の木組み構造を用いたスターバックス コーヒー「太宰府天満宮表参道店」

     =太宰府市宰府3丁目で、2013年3月2日撮影

・連載エッセー『一木一草』

 第47回:太宰府市に隈研吾氏設計の珈琲店

 新国立競技場計画デザイン採用の建築家の作品

「スタバ太宰府天満宮表参道店」をご存じですか

  日本スポーツ振興センターが12月22日、2020年東京五輪・パラリンピックのメイン会場の新国立競技場についいて、建築家の隈研吾氏がデザインし、大成建設などが提案するA案が採用されました。隈氏は「広く市民に開かれた木と緑のスタジアム」を基本概念に、国産杉を多用し「緑に恵まれた神宮の杜と一体化した建築」として日本らしさを表現したという。その隈氏が木の素材を活かして伝統的な木組み構造の天井や壁を用いた特徴あるデザインの建築作品が、福岡県太宰府市の「太宰府天満宮」表参道にもありました。

  スターバックス コーヒー「太宰府天満宮表参道店」=写真①=です。2013年3月15日付の吉村青春ブログ〈福岡・町歩き〉011・西鉄太宰府駅http://blog.goo.ne.jp/magpie03/e/6306ef0ef976ebd126e9012385c5c5eeで、「太宰府天満宮」表参道の商店街にある組み木を入り口に突き出した変わったデザインのコーヒー店として掲載していました。

  2016年の正月は、「スタバ太宰府天満宮表参道店」が初詣客に注目されそうですね。日本家屋の格子など「和」の感覚と、最新技術を調和させる建築を重視する隈氏。東京五輪=写真②=で、隈氏デザインの「杜のスタジアム」が世界のアスリートや観客らにどのような印象を与えるか。また、格子の美しさが特色の福津市・〈津屋崎千軒〉の町並みでも、老朽化した町家の再生リフォームで、隈氏がデザインしたらどんな建築作品が生まれるか、デザインの力をあれこれ想像してみると、楽しくなります。

 

写真②:東京オリンピック開催決定のカードを示すIOCのジャック・ロゲ会長(2013年9月8日のNHK総合テレビ・ニュース画面から)

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2015年12月6日〈エッセー〉046:「フットパス」に注目

2015-12-06 09:04:28 | エッセー

 

写真①:熊本県立大学環境共生学部の4年生から届いたアンケート用紙を入れた封書

 

・連載エッセー『一木一草』

 第46回:「フットパス」の波広がる

 フットパスによる地域づくりのテーマで卒業論文作製へ

「津屋崎千軒 海とまちなみの会」にアンケート調査

  熊本市東区月出3丁目の熊本県立大学環境共生学部居住環境学科の4年生から12月5日、フットパスによる地域づくりのテーマで作製する卒業論文のため、フットパスの特徴や効果などを伺い、基礎資料にしたいと、フットパスを行っている団体対象のアンケート用紙を入れた封書=写真①=が、私が事務局を担当している福津市の町興しボランティア団体・「津屋崎千軒 海とまちなみの会」に届きました。

  アンケートは、①フットパスを取り組み始めた時期はいつか②フットパスコースのマップはあるか③フットパスで得られた効果④行政から協力を得られたか⑤今後、取り組みたいこと――など13問。『絶景の道100選』認定の「津屋崎里歩きフットパス」マップを同封したアンケート回答を6日、返信用封筒で津屋崎郵便局で投函しましたが、アンケートを統計処理して考察、足が地に着いた地道な卒業論文が仕上がるといいですね。

  「津屋崎千軒 海とまちなみの会」が加盟している「日本フットパス協会」には、NPO法人や会社など35団体、東京都町田市、熊本県美里町など自治体10団体、賛助会員5人が加盟(2015年10月現在)。このうち福岡県中間市は11月28日、なかまハーモニーホールで「フットパス国際シンポジウム」を開催、参加者に「なかまフットパス」の文字入り」記念タオル=写真②=や甘口の「なかまフットパスカレー」(一人前200g)=写真③=をプレゼントし、2017年度の「日本フットパス協会」総会と「全国フットパスの集い」(主催・「日本フットパス協会」など)を同市での10月開催誘致に成功するなど松下俊男市長以下担当職員がフットパスによるまちづくりに積極的に取り組んでいます。

  

写真②:「なかまフットパス」の文字入り」記念タオル

  中間市は人口約4万3千人。「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」が2015年7月に世界文化遺産に登録され、その構成資産の一つ、「八幡製鉄所遠賀川水源地ポンプ室」(送水施設)や福岡藩主・黒田長政の命で造られた遠賀堀川など5Kmをめぐる「土手ノ内コース」など市内の三つのフットパスコースを北九州市立大学と連携して開設しています。

 

写真③:「なかまフットパスカレー」

  福津市は10月、人口が6万人に達しました。「津屋崎千軒 海とまちなみの会」会員の10人が11月24日、福津市役所を訪れ、市都市計画課との共働事業で開設した「津屋崎里歩きフットパス」が『絶景の道100選』に認定されたことを報告した際、小山達生市長は認定証を見て「JRウオーキング」などでの活用も考えられるとし、福津市が東洋経済の「都市データパック2015年版」で「住みよさ」が福岡県内の市で1位になったことに触れて「中間市には負けない」と笑顔で話されました。

 2016年は、全国的に注目されている「フットパス」の波がさらに広がると思われます。福津市でも、「津屋崎里歩きフットパス」の更なる活用に市当局も積極的に加わってほしいものです。

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2015年9月20日〈エッセー〉045:「宮地嶽古墳」の被葬者は誰か

2015-09-21 07:14:06 | エッセー

写真①:「不動神社」入り口左に建て替えられた「宮地嶽古墳」の案内解説板(左端)

      =福津市宮司元町の「宮地嶽神社」の奥之院で、2015年9月17日撮影

 ・連載エッセー『一木一草』

 第45回:「宮地嶽古墳」の被葬者は誰か

 「宮地嶽古墳」の案内解説板を建て替え

「不動神社」入り口左側にお目見え

 福津市宮司元町の「宮地嶽神社」の奥之院にある「不動神社」入り口左側の「宮地嶽古墳」の前に建てられていた案内解説板が、新調されました=写真①=。

 案内解説板には、「宮地嶽横穴式古墳と奥之宮不動神社」の見出しで〈当不動明王は宮地嶽巨石古墳に鎮座されています〉と記述。続けて〈巨石古墳とは「横穴式石室古墳」で寛保元年(1741)宮地山が鳴動(地震)し、その口が開きました。以来、あまりに荘厳な墳墓からか、修験者たちが不動明王をお祀りしました。そこで当社の不動明王は岩屋不動とも称され篤い信仰を頂いております〉と説明されています。

 さらに、案内解説文=写真②=は〈この古墳は玄武岩を五~六m四方の大きさに切りだし、十三個を左右上下に組み合わせて作られた石室を持ち、全長は二十三mを誇る日本一の大きさで、古墳時代の終焉六世紀~七世紀にかけて建立されたものです〉と続きます。

 

写真②:「宮地嶽横穴式古墳と奥之宮不動神社」の案内解説文

 このあと、解説文は〈古墳内部からは三百数十点余りの宝物=写真③=が出土、瑠璃(ガラス)壺や黄金の鐙(あぶみ)、黄金の天冠(てんかん)、特大金銅装頭椎大刀(とくだいこんどうそうかぶつちのたち)等、特に豪華絢爛な二〇点が国宝の指定を受けています。この様な所から地下の正倉院とも称され、同時代の奈良・飛鳥の石舞台の主である曽我馬子公の墳墓よりも規模が大きい事から、ここ北部九州一帯を治めた埋葬者の絶大なる権力を垣間見る事が出来ます〉としています。

写真③:「宮地嶽横穴式古墳と奥之宮不動神社」の案内解説文左橋に掲載された黄銅壺鐙(左)と金銅装頭椎大刀の写真

  ここまでの解説文で、気付いた点。〈この古墳は(中略)石室を持ち、全長は二十三mを誇る日本一の大きさ〉とありますが、吉村青春著『津屋崎学』の第11章第3節「宮地嶽古墳」=写真④=では「墳丘内部の巨大な横穴式石室は全国で2番目に長い全長23㍍。(中略)ちなみに、全国で1番長い横穴式石室は、奈良県橿原(かしはら)市見瀬町にある〈見瀬丸山(みせまるやま)古墳〉の石室で、長さ28.4㍍だ。全国で6番目に大きい前方後円墳で、6世紀後半に築造され、欽明天皇とその妃の堅塩媛(きたしひめ)の合葬陵とも推定されている」としています。

写真④:巨石で築かれた「宮地嶽古墳」の石室(吉村青春著『津屋崎学』から)

 解説文は、最後に〈宮地嶽神社の眼下には玄界灘の島々が見渡せ、白砂青松の海岸には日本一綺麗な夕陽が沈みます。「相ノ島」はそこに位置しています。この相ノ島こそ、海人族・安曇の聖地です。そして宮地嶽古墳の巨石は、この相ノ島から切り出された玄武岩ですし、相ノ島の積石古墳と同質の石です〉と解説。〈安曇の粗は磯良公と申され芸能の粗とも言われています。その末裔には磐井の戦で名を馳せた「つくしの磐井」が居ます。そして宮地嶽神社には安曇の人々に繋がる九州王朝の長が祀られています。そんな〝つくしの磐井〟に繋がる「つくし舞」明治初年頃まではこの古墳内部で舞われていましたが長らく途絶え、昭和五十八年に当社にて再興・伝承されています〉と締めくくられています。

 この〈宮地嶽古墳の巨石は、この相ノ島から切り出された玄武岩ですし、相ノ島の積石古墳と同質の石です〉と、〈宮地嶽神社には安曇の人々に繋がる九州王朝の長が祀られています〉の2点の記述についての知見を持ち合わせていません。『津屋崎学』の中では〈副葬品の豪華さから〝地下の正倉院〟とも称される「宮地嶽古墳」の被葬者は、娘の尼子娘(あまこのいらつめ)を天武天皇の后とし、大和王権と深いつながりを持つ宗像君徳善(むなかたのきみとくぜん)との説が、有力視されている〉と紹介しています。

  「宮地嶽古墳」の被葬者を宗像君徳善とする考古学会の通説と相容れない〈九州王朝の長が祀られています〉説について、同学会の見解を伺いたい。また、〈宮地嶽古墳の巨石は、この相ノ島から切り出された玄武岩です〉との根拠も明示できるのか、知りたいところです。福津市と宗像市、福岡県が2017年(平成29年)のユネスコ世界遺産登録を目指している日本の推薦候補・「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」構成資産5件の一つ、「新原・奴山古墳群」(福津市)=写真⑤=は、「宮地嶽古墳」の被葬者も宗像君一族と位置づけているようです。世界遺産登録国内推薦候補地を巡る観光客が、「宮地嶽古墳」の前に立ってこの案内解説板を見て、被葬者は一体誰なの? と首をかしげないですむよう願いたいものです。

写真⑤:世界遺産日本推薦候補・「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」の「新原・奴山古墳群」(向こう右は玄界灘に浮かぶ「大島」)

     =福津市奴山で、2015年8月27日午後1時20分撮影

 

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2015年8月2日〈エッセー〉044:「津屋崎庁舎」再生整備基本設計

2015-08-02 20:34:08 | エッセー

 

写真①:再生整備に向けた基本設計の中間報告会が開かれた福津市津屋崎庁舎

     =福津市津屋崎1丁目で、2015年8月2日撮影

 ・連載エッセー『一木一草』

 第44回:「津屋崎庁舎」再生整備基本設計

 

「津屋崎庁舎再生整備に向けた基本設計の中間報告会」開催

福津市の図書館、歴史資料館など複合施設活用案を聞いてきました

  福津市が8月2日、津屋崎庁舎(3階建て延べ約3,800平方㍍。昭和62年建築)=写真①=の再生整備に向けた基本設計の中間報告会を同庁舎で開催。私も「津屋崎千軒 海とまちなみの会」の会員仲間らと基本設計のレイアウトを聞き、質問しました。

  福津市は福間・津屋崎庁舎に組織を分散して配置している分庁方式を改め、全ての部署を福間庁舎へ集約するため、建築家ら有識者や市民公募委員で組織した「津屋崎庁舎再生整備計画策定審議会」を2013年11月25日設置、同審議会から答申を受けて津屋崎庁舎再生整備計画を14年3月に策定。それによると、1階は図書館の子供図書や新聞・雑誌コーナー、市内で出土した貴重な文化財を展示する歴史資料特別展示室、カフェカウンターを設け、施設の顔として賑わいを創出。2階は、図書館を中心に歴史資料室、世界遺産展示室、セミナー室、談話室、グループ学習室などを配置します。3階は、民間業者の入居を想定した貸事務所や入居者用の会議室を備える計画です。

  この日午前10時から津屋崎庁舎1階ロビーで開かれた基本設計中間報告会では、小山達生市長がロビーいっぱいに詰めかけた市民を前に「レイアウトについて、皆様の忌憚のない意見を伺いたい」と挨拶。基本設計の請負会社の社長らが、スクリーンに映写したスライドを使い、津屋崎庁舎は「市民の生活拠点となり、賑わいを生む施設として、図書館・歴史資料館・カフェ、貸事務所、学習室などの複合施設」へと再生整備、同庁舎と市文化会館(カメリアホール)との間にある「健康センター」を「津屋崎行政センター(仮称)」として整備したいと施設配置案=写真②=を説明しました。

  

写真②:「津屋崎庁舎」と「健康センター」の再生整備施設配置案

  津屋崎庁舎1階と2階の平面イメージ=写真③=にある再生整備基本設計によると、1階は廊下をなくしたワンフロア型とし、図書館の子供図書や新聞・雑誌閲覧コーナー、市内出土の貴重な文化財を展示できる歴史資料特別展示室、カフェカウンターなどを整備します。2階は、図書館の一般図書書架や歴史資料室、世界遺産展示室、視聴覚室などを配置。

 

写真③:津屋崎庁舎再生整備基本設計の1階・2階平面イメージ

  津屋崎庁舎再生整備基本設計の3階平面イメージと、1階メインエントランスホール・イメージ=写真④=によると、貸事務所や入居団体の会議室などを設置します。

  

写真④:津屋崎庁舎再生整備基本設計の3階平面イメージと、1・2階ホール等のイメージ

  「津屋崎行政センター(仮称)」の整備イメージ=写真⑤=では、住民・医療・年金関係手続き、各種証明書の発行や、確定申告・期日前投票・健康相談業務の継続などの業務を職員4人で行う予定という。

 

写真⑤:「津屋崎行政センター(仮称)」の整備イメージ

  質疑応答では、図書館や歴史資料特別展示室、世界遺産展示室、津屋崎行政センターのスペース、運用内容、担当業務などに参加市民の質問が集中。私はこれまで8年間津屋崎の観光ボランティアガイドをしてきた経験から①世界遺産登録の推薦候補になった「新原・奴山古墳群」や〈津屋崎千軒〉を訪ねる観光客のため、津屋崎庁舎前に大型貸切バスが乗り入れできる駐車場の確保を②カフェカウンターの横に設置の「特産品案内」コーナーでは販売も行い、観光客がみやげを買えるようにしてほしい③津屋崎庁舎の図書館については、来館者が激増し運営費も削減した「武雄市図書館」がカルチュア・コンビニエンス・クラブを指定管理者としたように、指定管理者で運用することを考慮しての基本設計なのか――と質問しました。

  小田幸暢市行政管理課長らは、現在の市立図書館(蔵書6~7万冊)に対し津屋崎庁舎新設の図書館については、「武雄市図書館」と「唐津市図書館」のいいとこ取りをして設計したと説明。蔵書数は、当初3万冊、その後5~6万冊とし、指定管理者の管理運営も検討したい意向を示しました。報告会参加者からは、この日の意見を検討したうえ、再度報告会開催を望む声が相次ぎ、市側も検討したいとし、正午すぎ閉会しました。

  報告会参加者からは、図書館や観光ガイド、ボランテイア関係団体との意見聴取を望む声も出され、熱っぽい空気に会場は包まれました。市側の迅速かつ適切な対応で基本設計の中身を充実させ、真に市民の生活拠点で賑わいを生む複合施設として津屋崎庁舎の再生整備を達成していただきたい。

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2015年7月28日〈エッセー〉043:追悼「筑前・染と織の美術館」館長

2015-07-28 08:46:41 | エッセー

 

写真①:「染と織」の約5千点を収蔵する〈筑前・染と織の美術館〉

     =北九州市若松区小竹で、2015年7月27日撮影

 ・連載エッセー『一木一草』

 第43回:2015.7.28

 

「筑前 染と織の美術館」館長・田中種昭氏のご逝去を悼み

「久留米絣名品展」を観覧させていただきました

  北九州市若松区小竹にある「筑前・染と織の美術館」=写真①=を7月27日、細君と訪問。館長の田中種昭氏が亡くなられたと博子夫人からお聞きし、ご霊前にお参りさせていただき、明るく温かなお人柄と旧交の日々を偲び、これまでのご縁に感謝の想いでご逝去を悼みました。

  「筑前・染と織の美術館」は、頓田貯水池を見下ろす丘の上にあり、白壁造りの2階建て延べ約260平方㍍の建物。田中館長が北九州市職員時代から給料の多くをつぎ込み、20年間かけて集めた京友禅や筒描(つつがき)など「染めと織り」の約5千点もの収蔵品を誇る全国でも数少ない私設美術館です。オープンした1991年9月の開館式には、館長のご親戚の作曲家團伊玖磨氏も駆けつけました。

  私が田中館長に初めてお会いしたのは、読売新聞西部本社(北九州市小倉北区=当時=。現在は福岡市)の社会部記者時代、取材で 「筑前・染と織の美術館」を訪ねた時です。以来、交流が続き、私が山口総局長時代の1995年に山口県防府市で開催した地域興しイベント・読売新聞「防府移動支局」では、同館収蔵品で徳山市出身の世界的なパッチワーク作家、黒羽志寿子(くろはしずこ)さんの作品を特別展示していただきました。また、退職後の私が古里・福津市津屋崎の「津屋崎千軒民俗館『藍の家』」で2007年8月25日に開いた私が所属する「津屋崎千軒 海とまちなみの会」主催の〈第1回市民対象公開講座〉で、代表的な絵絣、鍋島段通、銘仙など同館所蔵の着物の逸品約30点を無料展示のうえ、「古布に魅せられて」の演題で解説の講演=写真②=をされ、受講のご婦人方に喜ばれたのも懐かしい思い出です。

  

写真②:華やかな柄の銘仙の逸品を手に解説する田中館長
     =『藍の家』」で、2007年8月25日分撮影

  ご病気のため86歳で他界される5月8日まで、庭先の頓田貯水池を見下せる眺めのよい自宅でご家族に見守られて過ごされたとか。ご霊前に飾られたご遺影の写真にお別れを告げ、博子夫人とお嬢様のご案内で「筑前・染と織の美術館」1,2階で展示が始まったばかりの「久留米絣名品展」=写真③=を観覧させていただきました。

 展示作品のうち、明治中期に織られた子供の祝い着は、カトリック教会の中を写し織ったとみられる十字架紋様入りの逸品です。田中館長が久留米絣にしか織り込まれていない十字架紋様に気付き、キリシタン信仰者が福岡県三井郡大刀洗町大字今にいたことを突き止め、切支丹研究家で今村切支丹資料館館長の平田勝利氏に面会、同館斜め前にある赤レンガ造りで双塔のロマネスク天主堂に案内されます。平田氏は、祝い着の模様の真ん中に主祭壇、両袖に副祭壇があり、同教会の中とよく似ていると感心されたという。

  

写真③:十字架紋様の祝い着(中央右側)をはじめ逸品ぞろいの「久留米絣名品展」

     =「筑前・染と織の美術館」で、2015年7月27日撮影

  このほか、「久留米絣名品展」の作品には「重要無形文化財久留米絣技術保持者会」の松枝玉記会長作の『東海道江尻 田子の浦略図』など12作家が、葛飾北斎の名作『富嶽三十六景』のうち12景を選びとって表現した久留米絣も展示されています。多くの方が来館され、久留米絣のコレクターとしては日本で3指に入るとされた田中館長の名品コレクションの素晴らしさを味わって、「古布に魅せられ」た収集家の面影を偲んでいただければ幸いです。

 「筑前・染と織の美術館」(北九州市若松区小竹2376。℡093-791-3545)。同館そばに駐車場あり。入館料は大人600円。現在はボランティアの協力で運営、申し込みの電話を受けて開館時間が決められており、事前に同館へお問い合わせを。

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2015年7月8日〈エッセー〉042:記録映画「まちや紳士録」のDVD

2015-07-08 04:33:52 | エッセー

 

写真①:記録映画「まちや紳士録」のDVD

・連載エッセー『一木一草』

 42回:2015.7.8

 

映画評論家佐藤忠男氏、直木賞作家安部龍太郎氏が激賞

八女福島の町並み保存継承記録映画「まちや紳士録」DVD発売

  2013年12月10日の〈エッセー〉第25回で紹介した長編ドキュメンタリー映画「まちや紳士録」のDVD=写真①=を、福岡県八女市の同映画製作委員会、八女文化遺産保存・活用ネットワーク(牛嶋幹代表)から購入しました。

  この記録映画は、株式会社グループ現代(東京)の制作で、川井田博幸プロデューサー、伊藤有紀(ゆうき)監督の作品。上映時間88分の長編です。撮影舞台は、2002年5月に国の重要伝統的建造物群保存地区に全国で61番目に選定された八女市福島地区=写真②=。映画は、江戸時代から商家町として栄えた歴史的町並みを地域固有の文化遺産、市民共通の財産として後世に伝え残そうと、日夜努力している同地区の先駆的な取り組みにスポットを当て、2012年6月から13年8月まで撮影を重ねて完成しました。13年12月から福岡、東京、大阪など全国11地区の劇場での上映をはじめ、八女、北九州、京都など32市町区の歴史的町並みの保存継承に取り組んでいる地域を中心に、地域上映活動を進めているという。

 

写真②:国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された八女市福島の町並み

  「まちや紳士録」のDVDは、住民有志が取り組んだ八女市福島に残る歴史的な町家の再生と、夫婦二人で福岡から移住した監督自身が生活者の視点でカメラを回し、住民との交流を録音した魅力的な文化映画を多くの人に観てもらおうと、紀伊國屋書店から2015年5月30日発売(定価4、104円。パンフレットでは、映画評論家の佐藤忠男氏が「面白いドキュメンタリー映画だ。50年後の、この映画を撮影した同じ街の住人たちには見てもらわねば困る、そういう思いを強く込めながら作られている。素敵な映画だ」と激賞。福岡県生まれの直木賞作家・安部龍太郎氏も「見ていて泣けてくるのは、八女の人たちの誠実さ、心根のやさしさ、そして受け継いだ技術の確かさが伝わってくるからだ。その生きざまが町家の再生に象徴的に現れている」とコメントを寄せています。

  映画に登場する元八女市職員で町並み保存運動を牽引してきた北島力・NPO法人八女町家再生応援団代表は現在、大規模な歴史的建造物で保存の危機に瀕している旧八女郡役所や空き町家の再生活用に向け、全力で取り組んでいます。「この映画は、各地の町並み保存継承活動に勇気を与え続けることを確信しています」と話しています。福津市の歴史的町並み・〈津屋崎千軒〉の人たち、行政マンの方たちにも、観てもらいたい映画です。

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2015年6月16日〈エッセー〉041:「津屋崎里歩きフットパス」道標整備

2015-06-16 17:12:41 | エッセー

  

写真①:道標第4号・「旧西鉄宮地岳線津屋崎駅前」の設置当時(左)写真②:同現況(右)。柵の向こうの石碑が〈電車延長記念碑〉

      =国道495号線の東側の福津市津屋崎1丁目で、2014年10月6日(左)と15年6月16日(右)撮影

 ・連載エッセー『一木一草』

 第41回:「津屋崎里歩きフットパス」道標整備

 

『津屋崎里歩きフットパス』道標・「旧西鉄津屋崎駅前」背後

宮地岳線〈電車延長記念碑〉見やすくなりました

 私が所属している「津屋崎千軒 海とまちなみの会」が2014年10月6日に立てた「津屋崎里歩きフットパス」の道標第4号・「旧西鉄宮地岳線津屋崎駅前」=写真①=の周囲が、すっきりと見えやすくなっている=写真②=のに16日、気付きました。

 道標第4号は、福津市住みよいまちづくり推進企画活動補助金による市都市計画課との協働事業で開設した宮地浜「夕陽風景時計」と浜山松原―「宮地嶽神社」を回遊する『津屋崎里歩きフットパス』の道標第2号「津屋崎浜」、3号「天神町交差点」とともに、市の許可を得て国道495号線東側の津屋崎1丁目の市有地に設置。防腐処理した杉丸太(直径10㌢、長さ1.5㍍)の上部に地名を入れたアルミ製パネル(縦63㌢、横20㌢)を付設。設置場所は、旧津屋崎町時代の昭和26年(1951年)7月1日、西鉄宮地岳線が「宮地岳」(福津市宮司)から1.5㌔離れた「津屋崎」まで1駅路線延長されたのを祝い、駅西側に建てられた〈電車延長記念碑〉の前です。

 平成19年3月の宮地岳線新宮―津屋崎間9.9㌔・㍍が廃止され、西鉄が津屋崎駅の構内や線路跡の敷地を販売して住宅が立ち並び、道標第4号の設置当時は同記念碑も周囲の木の枝に下部が見えないよう遮られ、このそばに駅があったとは通行人も気付かない状態でした。〈津屋崎千軒〉観光の団体客に、古都鎌倉と湘南藤沢間を走る「江ノ電」を思わせるような単線を走る黄色い車体の鈍行の西鉄電車が津屋崎唯一の鉄道でしたと説明するのに、同記念碑が見づらく、困りましたが、この日は繁茂した枝ごと樹木が撤去されており、記念碑が丸見えの状態に=写真③=。フットパス・ウオーカーには、道標第4号の意味がより分かりやすくなりました。

 

写真③:旧西鉄宮地岳線「津屋崎駅」構内に建つ〈電車延長記念碑〉

     =2015年6月16日撮影

 「津屋崎里歩きフットパス」は2014年7月6日、「海とまちなみの会」が福津市宮司四丁目の「海の家 大阪屋」先の宮地浜に設置した「夕陽風景時計」前が発着点で歩程6㌔、約2時間30分で歩くコースです。フットパス・ウオークに絶好の季節を迎えており、あなたもお友達やご家族とフットパスを楽しまれませんか。

フットパス:イギリスを発祥とする〈森林や田園地帯、古い町並みなど地域に昔からあるありのままの風景を楽しみながら歩くこと(Foot)ができる小径(Path)〉のこと。イギリスでは、ピーターラビットの舞台になったリゾート地の湖水地方や蜂蜜色の石積みの家が並ぶ特別自然美観地域指定のコッツウォルズなどフットパスが国土を網の目のように縫い、国民は積極的に歩くことを楽しんでいます。日本でも、東京都町田市の多摩丘陵のフットパスや、山梨県甲州市勝沼町のブドウ畑の間の小道やワイナリーを巡る道などが人気。「津屋崎里歩きフットパス」は、福津市初のフットパスです。

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2015年5月23日〈エッセー〉040:世界遺産シンポジュウム

2015-05-23 05:45:12 | エッセー

 

写真①:第6回世界遺産シンポジュウムが開催された「カメリアホール」

      =福津市津屋崎1丁目の市文化会館で、2015年5月16日撮影

 ・連載エッセー『一木一草』

 第39回:世界遺産シンポジュウムに参加

 

西村幸夫東大教授の講演を傾聴

「物語のある景観」を残し伝えたい

  第6回「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群世界遺産シンポジウム「沖ノ島、その価値を未来へ伝えていくために」が5月16日、福津市文化会館「カメリアホール」=写真①=で開催されました。平成29年のユネスコ世界遺産登録を目指す「宗像・沖ノ島と関連遺産群」世界遺産推進会議(福岡県や宗像、福津両市などで構成)の主催。日本イコモス国内委員会委員長・西村幸夫東京大学教授の講演、「景観を慈しみ、遺産を守る」は、傾聴に値する内容でした。

  世界遺産登録までには、日本の推薦候補資産の決定を受け、平成28年2月1日までに国からユネスコへ推薦書を提出、ユネスコの諮問機関・イコモスの審査に合格することが必要です。西村教授は、都市計画や都市景観計画の専門家で、私が所属する福津市の町興しボランティア団体・「津屋崎千軒 海とまちなみの会」が平成20年に同市文化会館で開催した講演会では、「津屋崎千軒まちこしへの提言」の演題で講演。「豊かな自然環境と歴史的環境が、両方ともすごく身近に残っていて、歩いて行ける距離で楽しめる所は、なかなかない。津屋崎の魅力と宝を活かした町づくりを」と助言をいただきました。これを受け、同会では江戸時代から栄えた古風な趣のある町並み・〈津屋崎千軒〉に、卯建や鏝絵のある町家が残ることを発見、平成21年から「卯建と鏝絵の町家めぐりガイド」を始め、観光客に好評を博しています。

   西村教授は、16日の講演で「景観に物語がある」ことの重要性を指摘。岩手県平泉町の「平泉世界遺産」では、聖なる山・「金鶏山」を背景に、藤原三代秀衡が宇治平等院鳳凰堂を模して建立した「無量光院」が造営され、当時の平泉一帯の寺院配置などを描いた絵図の村落景観が今も残っていることから、昔はこんな景観だったと語ることができるのだという。

  福岡市出身の西村教授は「津屋崎には、古い町並みや宮地嶽神社もある。西鉄宮地岳線の電車に貝塚駅で乗り替え、海水浴場のある津屋崎に行きました」と懐かしそうに津屋崎への思い出を披露。世界遺産の価値を未来へ伝えていくためには、地域の人たちに「何が大事か、という共通理解があることが必要。世界遺産は、観光のためにやっているのではなく、世界の遺産を守っていこうということです」とも話されました。

  津屋崎の景観と遺産保護について、「物語がある景観」を見出し、語り伝えることがキーワードになりそうです。津屋崎に、そのような景観がいくつあるのか。それらを結び、繋ぎ合わせると、重要な文化的景観として残せる可能性が生れるのでは、とヒントをいただいた西村教授のお話を聴けて良かったです。

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2015年4月24日〈エッセー〉039:第45回福間春季大学を受講

2015-04-24 20:16:15 | エッセー

 

写真①:医療法人恵愛会経営「福間病院」の正門

 ・連載エッセー『一木一草』

 第39回:第45回福間春季大学を受講

 

「福間病院」の基本理念に感動しました

精神病者への妙薬は愛 その処方箋は語らい。

患者と共に緑の大地を踏もう。輝く陽光を浴びよう

 福津市花見が浜1丁目にある医療法人恵愛会(江見五城理事長)経営の「福間病院(診療科目=精神科・心療内科、デイケアなど)」=写真①=で4月24日午前、同病院主催の第45回福間春季大学を受講し、藤川英昭・同病院精神保健指定医から、65歳以上の約15%が患者という「認知症の早期発見・早期対応について」の講演を聴きました。講演に先立つ挨拶で、東(ひがし)和也院長が語られた同病院設立の経緯と基本理念の素晴らしさに感動しました。

  東院長の話によると、「福間病院」は昭和30年(1955年)、佐々木勇之進・初代院長が直方市の炭鉱主・旧堀三太郎氏の別荘敷地(3万坪)に、精神病の患者さんが行動制限されず、庭園を自由に歩ける日本初の精神科自由開放療法の〝ガーデン・ホスピタル〟として開院。日本のデイケア施設認定第1号に輝いたほか、精神科リハビリテーションにも早くから取り組み、街で大暴れしたりした患者さんを夜でも受け入れる精神科の「スーパー救急」が開設されるなど、すごい病院だという。

  約1時間の講演終了後、私は約150人の受講者とともに、病院職員の方たちの案内で敷地の庭園を正午まで約1時間散策。堀三太郎氏が残した庭園では、赤いツツジの花や藤棚の紫色の藤の花が満開で、春の陽気の下、園内を歩く患者さんはもちろん、だれしも晴れ晴れとした気分になりそう。庭園の隅に建てられた「われらが誓い」と題した石碑=写真②=には「福間病院の職員は、その職種の如何を問わず、看護者でなければならない」として次の文章がつづられていました。

 〈第一章 精神病者に光と土を

一.   精神病者への妙薬は愛 そしてその処方箋は語らいである。患者と共に緑の大地を踏もう。さんさんと輝く陽光を浴びよう。

二.   一木一草たりといえども、これことごとく治療の道具である。患者との信頼を軸とし緑に包まれた病院を作ろう。〉

 

写真②:庭園の隅に建てられた「われらが誓い」と題した石碑

  気持ちの良い庭園散策を終え、「福間病院」の正門を出る直前、右手に「第二章 健康の要諦」と題した石碑が建っているのが目に止まりました。碑文には〈健康の要諦は、光と土になじむことにある。心の健康にも、体の健康にも〉と刻まれています。「われらが誓い」の第二章のようです。精神医療の先駆的病院として創設から60年の実績を重ねた「福間病院」の基本理念は、そのまま私たちが心身共に健康な生活を送るための指針でもあると思われます。

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