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吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2018年7月4日〈エッセー〉058:「福津市複合文化センター」開館時間変更

2018-07-04 18:07:34 | エッセー

 

写真①:「福津市複合文化センター」(愛称・カメリアステージ)

     =福津市津屋崎1丁目で撮影

 ・連載エッセー『一木一草』

 第58回:「福津市複合文化センター」開館時間変更

 「カメリアステージ図書・歴史資料館」の開館時間

8月から午前10時から午後8時までになります

  平成29年7月オープンした福津市の図書館や歴史資料館などの複合施設・「福津市複合文化センター」(愛称・カメリアステージ)=写真①=の開館時間が8月1日から変更されます。「カメリアステージ図書館」と「歴史資料館」のみ午前10時から午後8時まで開館となり、開館時刻、閉館時刻ともこれまでより1時間早まります。

 「福津市複合文化センター」は、福間庁舎へ統合した旧津屋崎庁舎(3階建て延べ約3,800平方㍍。昭和62年建築)を図書館や歴史資料館などにリニューアル、隣接の市文化会館(地上3階地下1階延べ約5,300平方㍍。平成5年建築)と合わせて生涯学習や文化の振興と地域の賑わいを図る施設にしたいと再生整備されました。指定管理者は、平成29年4月1日から同34年3月31日まで5年間、福岡市博多区住吉1丁目の「福津市複合文化センター共同企業体」(代表企業・株式会社日比谷花壇PPP事業推進部南日本事業推進グループ)です。センターの開館時間は午前9時から午後10時(カメリアステージ図書館・歴史資料館は午前11時から午後9時まで)とし、休館日は毎週火曜日と12月28日から1月4日まで。

  私が所属している「津屋崎千軒 海とまちなみの会」では、カメリアステージ図書館の休館日については、福間庁舎敷地にある福津市立図書館の月曜日と違う日にして市民がどちらかの図書館を利用できるように要望したこともあり、複合文化センターを火曜日休館としたのは評価できます。オープン当初から、カメリアステージ図書・歴史資料館の開館時刻が午前11時からなのは遅すぎる、との声が利用する市民か出ていただけに午前10時からへの繰り上げは至極当然のことでしょう。時間変更の実施も8月からではなく、善は急げで、子供たちが夏休みに入る7月からに早めても良かったのではないでしょうか。

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2017年12月23日〈エッセー〉057:万葉古歌の「名児山」所在地に新説

2017-12-23 08:49:00 | エッセー

 

写真①:福津市勝浦の「名児山」(右)。左は「桂岳」

     =福津市桂区で、2017年10月31撮影

連載エッセー『一木一草』

第57回:万葉古歌の「名児山」所在地に新説

本当の名児山は新宮町の「三本松山」(名子山)?

福津市奴山の「万葉古道・名児山越え」に疑問浮上

 私が所属する福津市のまちづくりボランティア団体・「津屋崎千軒 海とまちなみの会」は11月14日、「第17回〈津屋崎千軒〉ふるさと塾」・万葉古道の植物探訪を開催。大宰帥(だざいのそち。大宰府の長官)大伴旅人(おおとものたびと)の異母妹の万葉歌人大伴坂上郎女(さかのうえのいらつめ)が奈良時代の天平2年(730年)11月、大宰府から奈良の都へ帰る時に福津市勝浦奴山(ぬやま)と宗像市との境にある名児山(なごやま)=写真①=を越える際に通ったとされる古代官道・〝名児山越え〟を1287年ぶりに踏査、自生の野草や花などを調べながらフットパスウオークを楽しみましたが、本当の名児山は福岡県新宮町の「三本松山」(別名・「名子山」)とする新説が浮上していることが分かり、きょう23日に「カメリアステージ図書館」で開く「海とまちなみの会」12月例会で詳しく検討します。

 万葉古歌の「名児山」所在地に新説を提示したのは、「宗像・沖ノ島と関連遺産群」世界遺産推進会議(事務局・福岡県世界遺産登録推進室)が平成29年3月に発行した『沖ノ島研究 第三号』に「古代宗像郡郷名考証(三)」を寄稿した大高広和・県世界遺産登録推進室主任技師。この論考で、『万葉集』にみえる大伴坂上郎女が詠んだ名児山の比定地について〈宗像郡内とされる名児山は福津市勝浦の山とする、近世以来の説に対して疑問を示し〉、古代官道との関係について触れています。

 それによると、新たな説として、①古代官道のルートは現在の研究状況ではより陸地側を通るルートを想定すべきであり②古代の宗像郡は宗像、福津両市より南の古賀市域(旧糟谷郡古賀町)までを含んでおり、古賀市南に接する同郡新宮町にある「三本松山」(一名・名子山。標高148㍍)=写真②=の西側の丘陵地帯を古代官道が南北に通っていたと想定される。「三本松山」は古代は宗像郡内か糟屋郡との境界の山だったと考えられる③「名児山」越えの道には切り通しなど古代官道としての痕跡は特に確認されていないうえ、宗像大社・辺津宮に参拝のためなら古代は入海に面していた同宮に船で立ち寄れたはずで、わざわざ山越えの必要はない④糟屋郡久山町との境界線付近にある「三本松山」は、西側の立花山(標高357㍍)との間の丘陵地を通る古代官道の西海道を行く坂上郎女が右手に目にする格好の位置にあり、古代人が神を意識したとされる笠状の円錐形(カンナビ型)で歌が詠まれた内容と関係があるかもしれない。大宰府から離れ、左右を山に挟まれて往く寂寥感から、坂上郎女の心に「慰めてほしい」という気持ちが生まれたと想像したい――などとして、「名児山」は「三本松山」に比定すべきとし、古代宗像郡に含まれた地理的範囲についても整理しています。

 

写真②:糟屋郡久山町との境界付近にある「三本松山」

      =福岡県新宮町で2017年12月22日、南東から撮影

  坂上郎女が、大宰府から通じる古代の官道を通り、〈名児山〉を越えて宗像市方面へ向かう途中で詠み、『万葉集』(巻6 963番)に収録された長歌は――。

〈大汝(おおなむち) 少彦名(すくなひこな)の神こそは 名づけ始(そ)めけめ 名のみを 名児山(なごやま)と負ひて わが恋の 千重の一重も 慰めなくに〉

 歌の意味を現代語訳すると、〈大汝の神と少彦名の神が名付けたに違いない名児山は、〝心が和む山〟という意味を持ちながら、私の悩む恋心の千分の一さえ慰めてはくれない〉。大汝(大国主神)と少彦名(少名毘古那神)は、日本の国造りをした二柱の神です。

 きょうの「海とまちなみの会」例会で、坂上郎女の歌心にまで踏み込んでの検討会が楽しみです。

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2017年11月20日〈エッセー〉056:万葉歌人は遥拝できたか「沖ノ島」

2017-11-20 16:54:40 | エッセー

 

写真①:〝神宿る島〟・「沖ノ島」方向の玄界灘の風景

     =福津市奴山の「大現寺1号池」堤下農道で、2017年11月19日午後4時20分撮影

 ・連載エッセー『一木一草』

 第56回:「万葉古道」から見えるか「沖ノ島」

 

 福津市奴山の「万葉古道・名児山越え」上り口で

玄界海灘沖の〝神宿る島〟・「沖ノ島」は見えるか

 1287年前の11月、大宰府から奈良の都へ帰る途中の万葉歌人・大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)も、ここから約60Km離れた玄界灘に浮かぶ〝神宿る島〟・「沖ノ島」(福岡県宗像市)を眺めることができ、長旅の安全を祈ったのでしょうか。

  私が所属する福津市のまちづくりボランティア団体・「津屋崎千軒 海とまちなみの会」が11月14日、「第17回〈津屋崎千軒〉ふるさと塾」として開催した「万葉古道の植物探訪」で、坂上郎女が通ったという福津市奴山(ぬやま)と宗像市との境にある名児山(なごやま)を越える古代官道・〝名児山越え〟の上り口の「大現寺1号池」堤下農道を訪れた際、もしや「沖ノ島」が見えるのではと参加者10人で西方の玄海灘を遠望しましたが、水平線上に『神宿る島』は見ることができませんでした。

  19日午後4時20分、「大現寺1号池」堤下農道を再訪した際も、玄海灘の水平線上に「沖ノ島」は確認できずじまいです。

 大宰帥(だざいのそち。大宰府の長官)大伴旅人(おおとものたびと)の異母妹の大伴坂上郎女は、日本最古の和歌集『万葉集』に女流歌人として最も多い84首の歌を残しています。彼女が奈良時代の天平2年(730年)11月、古代官道・〝名児山越え〟を通った際、詠んで『万葉集』(巻6 963番)に収録された長歌は、次の通りです。

  〈大汝(おおなむち) 少彦名(すくなひこな)の 神こそは 名づけ始(そ)めけめ

名のみを 名児山(なごやま)と負ひて わが恋の 千重の一重も 慰めなくに〉

  歌の意味を現代語訳すると、〈大汝の神と少彦名の神が名付けたに違いない名児山は、〝心が和む山〟という意味を持ちながら、私の悩む恋心の千分の一さえ慰めてはくれない〉。大汝(大国主神)と少彦名(少名毘古那神)は、日本の国造りをした二柱の神です。

  「ふるさと塾・万葉古道の植物探訪」では、「海とまちなみの会」会員や福岡、古賀、福津3市の『万葉集』ファン、登山愛好者の男女10人が、標高約40~88㍍の起伏に富む細い山道約5百㍍を約40分かけて歩きました=写真②=。イノシシの通った跡もあり、突然の獣との遭遇も警戒しつつ、坂上郎女も見かけたと思われる黄色いアブラギクの花や、マムシグサの赤く熟れた実など路傍に自生していた野草や花などを調べながらフットパスウオークを楽しみ、名児山を詠んだ長歌の歌心に想いを馳せました。

  

写真②:イノシシが出そうな細い山道を上る「万葉古道の植物探訪」参加の人たち

     =福津市の「万葉古道・名児山越え」で、2017年11月14日午前10時50分撮影

 〝名児山越え〟をして宗像市田島に通じる県道502号線に出た参加者たちは、近くの福津市勝浦の「あんずの里運動公園」道路脇に旧津屋崎町(現福津市)が平成11年(1999年)に建てた坂上郎女の長歌を刻んだ「名児山万葉歌碑」を見学しました。

万葉歌人・坂上郎女は「沖ノ島」を見て遥拝できたか

  天平2年12月大納言に昇進し帰京することになった大伴旅人より一足先に旅立った坂上郎女は、〝名児山越え〟を通って、海北道中の守護神、道主貴(みちぬしのむち)が鎮座する宗像大社に都までの長旅の安全を祈願しに寄ったのでしょう。宗像3女神が、古代海路の守護神として朝廷に篤く信仰されていたから。坂上郎女が、〝名児山越え〟の上り口から「沖ノ島」を遠望できたのであれば、田心姫神(たごりひめのかみ)を遥拝して旅のご加護を祈ったのはないでしょうか。

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2017年5月6日〈エッセー〉055:「上田製菓」あす5月7日廃業

2017-05-06 20:48:15 | エッセー

 

写真①:江戸時代末期には営業していた「上田製菓」

     =吉村青春著『津屋崎学』93㌻゙に掲載の「第4節上田製菓」写真①から

 ・連載エッセー『一木一草』

 第55回:老舗和菓子店あす5月7日廃業

 さようなら! 和のスイーツ名店

福津市・〈津屋崎千軒〉の「上田製菓」閉店

  福津市津屋崎3丁目の〈津屋崎千軒通り〉にある江戸時代からの和菓子店・「上田製菓」=写真①=が、あす5月7日限りで廃業されます。徳川幕府に開国を迫った米使ペリーが浦賀に来航した江戸末期・嘉永6年(1853年)の翌7年(1854年)には営業していた老舗ですが、6代目店主の上田弘美さん(79)が体力的にきつくなっての店じまいで、163年の和菓子名店の歴史に幕が降ろされます。

  上田さん手作りの「破れ饅頭」(小豆餡)や「紅白饅頭」(白餡)など1個60円の饅頭が安くて旨いと人気。白餡に青海苔入りで磯の香りのする甘じょっぱい「恋の浦饅頭」=写真②=は、アカウミガメが砂浜に産卵のため上陸する玄界灘に面した福津市・「恋の浦」にちなみ、カメのイラストが焼き込まれており、観光客のお土産にお薦めの逸品です。昔は、丁稚奉公の菓子職人さんらもおり、店の隅には大正時代に使っていた法被を展示。また、上田さんご夫妻は座敷や家紋、江戸時代末期の手鏡、明治時代の漆塗りおぼんなども公開しており、〈津屋崎千軒〉観光の代表的な町家の一つでした。

  

写真②:カメのイラストが焼き込まれて人気の「恋の浦饅頭」(1個60円)

  5月5日、RKBテレビの番組「共感テレビ」で「5月7日、幕末から続く津屋崎の菓子店に幕」として放送され、6日は饅頭を買いに訪れる馴染み客が相次ぎ、昼前に売り切れの状態に。私が所属している福津市の町興しボランティア団体・「津屋崎千軒 海とまちなみの会」では7日午後2時、同市津屋崎3丁目の観光ガイド拠点事務所・「貝寄せ館」に会員が集合、会発足の平成19年から同会員の上田弘美さん、まさ子さん(78)ご夫妻の永年の労を労うとともに、この日で最後となる「恋の浦饅頭」を味わって、ご夫妻を囲んで記念撮影します。

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2017年3月27日〈エッセー〉054:「上田製菓」6月廃業

2017-03-27 16:49:30 | エッセー

 

写真①:6月で閉店する和菓子の名店・「上田製菓」

       =福津市津屋崎3丁目で、2017年3月23日撮影

 ・連載エッセー『一木一草』

 第54回:老舗和菓子店廃業へ

 福津市津屋崎の「上田製菓」6月閉店へ

また消える〈津屋崎千軒〉の和のスイーツ土産

  福津市津屋崎3丁目の〈津屋崎千軒通り〉にある江戸時代からの和菓子店・「上田製菓」=写真①=が、6月で廃業されます。店主の上田弘美さん(79)が体力的にきつくなっての店じまいといい、明治時代から作られていたが後継者がなく、2012年に廃業された香立商店(津屋崎4丁目)の「つやざき飴」に次いで、〈津屋崎千軒〉の和のスイーツ土産がまた一つ消えさるのは悲しいことです。

  「上田製菓」は、徳川幕府に開国を迫った米使ペリーが浦賀に来航した江戸末期・嘉永6年(1853年)の翌7年(1854年)には営業していたという老舗。 上田さん手作りの「破れ饅頭」(小豆餡)や「紅白饅頭」(白餡)など1個60円の饅頭が安くて旨いと人気で、白餡に青海苔入りの「恋の浦饅頭」は観光客のお土産にお薦めです。昔は、丁稚奉公の菓子職人さんらもおり、店の隅には大正時代に使っていた法被を展示。また、上田さんご夫妻は座敷や家紋、江戸時代末期の手鏡、明治時代の漆塗りおぼんなども公開しており、〈津屋崎千軒〉観光の代表的な町家の一つでした。

  〈津屋崎千軒〉の町家の解体は、古風な町並みの破壊の始まりです。2008年に旧本町(津屋崎4丁目)にあった旧荒物屋で凝った建具が目立つ築百年の「高山邸」(木造2階)と、旧沖町(同)にあった江戸の風情を見せる土壁漆喰塗り二階建ての元米屋・「河崎邸」が解体されました。10年には津屋崎海岸通り(津屋崎3丁目)の旅館「魚正」が閉店、12年には津屋崎4丁目の〈津屋崎千軒通り〉の「瀬戸隆鮮魚店」も閉店したほか、17年には近くの「松原化粧品店」が廃業し平屋の町家が解体されて更地となり=写真②=、旧天神町(津屋崎3丁目)の「上妻傘屋」の町家のシャッターには廃業で「貸店舗」の表示が貼られています。

 

写真②:町家が解体されて更地となった「松原化粧品店」跡

      =福津市津屋崎4丁目で3月23日撮影

  〈津屋崎千軒〉の町並みの雰囲気に惹かれ、福津市外からの移住者が増えても、大半が会社員や公務員などの勤め人で、店舗営業者の進出が少なければ、相次ぐ閉店で町家のシャッターが降ろされ、建物が解体されて更地になっていき、〈津屋崎千軒〉の古風な趣のある町並みは廃れてしまいます。年に一度のイベントで賑わいを演出するだけでなく、一年を通して来訪者が絶えず、〈津屋崎千軒〉の店舗の売上増につながり、市の税収も潤う観光地域づくりを戦略的に推進するDMOなど新たな地域創生の手法が、いま福津市に求められているのではないでしょうか。

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2017年1月12日〈エッセー〉053:〝光の道〟フィーバーと「夕陽風景時計」

2017-01-12 16:16:03 | エッセー

 

写真①:「宮地嶽神社」の参道石段からの神秘絶景・〝光の道〟PRポスター

     =福津市のJR福間駅2階コンコースで、2017年1月6日撮影

・連載エッセー『一木一草』

 第53回:〝光の道〟フィーバーと「夕陽風景時計」

 

「宮地嶽神社」参道を照らす夕陽絶景と「夕陽風景時計」

〝光の道〟フィーバー後の観光客の動向やいかに――

  福岡県福津市・「宮地嶽神社」参道石段からの神秘絶景が、2016年2月に人気アイドルグループ「嵐」のテレビCMで〝光の道〟=写真①=として全国放送され、「嵐」フアンの〝聖地巡礼〟の人気スポットで全国的に有名になりました。私が所属している同市津屋崎の町興しボランティア団体・「津屋崎千軒 海とまちなみの会」が同参道石段から直線で1.4Km先の砂浜に設置した宮地浜「夕陽風景時計」も同年12月、『夕日の町に誕生した新名所』としてNHK総合テレビで全国放送され、知名度がアップ。〝光の道〟フィーバーから2年目、酉年の2017年の同神社は1月1日から初詣客=写真②=が殺到しましたが、この勢いで津屋崎も夕陽絶景の町をキーワードにさらに羽ばたけるのでしょうか。

  

写真②:拝殿前の境内を埋めた初詣客

     =福津市宮司元町の「宮地嶽神社」で、2017年1月1日午前9時45分撮影

  〝光の道〟は、16年9月27日にKBC九州朝日放送のテレビ番組「Jチャンネル九州沖縄旬ネタ直行便」がテレビ朝日系列の「九州沖縄」地区各局で放送。10月には「嵐」のテレビCMが民放で再度放送され、同月10日にはTBSテレビ系列の番組「あさチャン」で『秋しか見られない絶景』おすすめ全国3か所の一つとして全国放送(福岡はFBS)。さらに、同月18日には日本テレビ番組「スッキリ!!」が観光客も涙の絶景「光の道」として全国放送、同月20日はテレビ西日本の番組「ももち浜ストア」が〈「宮地嶽神社」〝光の道〟きょうは?〉として中継放送し、翌21日にはNHKが福岡総合テレビのカメラニュース・「〝光の道〟を求めて」で詰めかけた参拝客を放映しました。

  宮地浜「夕陽風景時計」も、11月25日付朝日新聞地域総合面の企画記事『旅しよ!』の「宮地嶽神社」(同市宮司元町)訪問に、〈宮地浜から海を眺めながら、毎日日没の時刻と方位、沖に浮かぶ島の名前を知ることができる〉と掲載、同時計を発着点とした「津屋崎里歩きフットパス」がNPO法人「新日本歩く道紀行推進機構』が認定する『絶景の道100選』に福岡県内から唯一選ばれたことも紹介されました。12月2日には、NHK福岡放送局が午後6時10分からの総合テレビ・ニュース番組「ロクいち福岡」で『夕日の名所に新たなスポット』=写真③=として放送、同月28日には総合テレビの全国放送・ニュース番組『おはよう日本』で〝夕日を見るのが楽しくなる新名所〟として放映されました。

 

写真③:『夕日の名所に新たなスポット』として宮地浜「夕陽風景時計」を紹介したNHK福岡放送局総合テレビ・ニュース番組「ロクいち福岡」放送シーン

  2017年1月1日から3日までの「宮地嶽神社」参拝客数について、同神社は民放テレビの放送番組で〝光の道〟効果もあって170万人と説明。三が日は、参道石段最上部で〝光の道〟をカメラに収める参拝客も目立ちました。この夕陽絶景は、10月18日ごろと、2月23ごろの年に2度しか見られません。2月は空気が澄み、夕陽絶景を楽しめる天気が比較的期待できるとあって、10月以上の夕陽観賞客が訪れることも予想されます。

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2016年12月30日〈エッセー〉052:「福津市複合文化センター」愛称

2016-12-30 16:51:58 | エッセー

 

写真①:「福津市複合文化センター」へと再生工事が進む旧福津市津屋崎庁舎(左は市文化会館)

     =福津市津屋崎1丁目で、2016年12月29日撮影

 ・連載エッセー『一木一草』

 第52回:「福津市複合文化センター」愛称

 旧福津市津屋崎庁舎を再生整備の「福津市複合文化センター」

愛称「カメリアステージ」と指定管理者共同企業体」が決定

  福津市は福間庁舎へ統合した旧津屋崎庁舎(3階建て延べ約3,800平方㍍。昭和62年建築)=写真①=を、図書館や歴史資料館などの複合施設とし、隣接の市文化会館を合わせて「福津市複合文化センター」として再生整備工事を進めていますが、市内各世帯へ配布中の市広報誌『広報ふくつ』平成29年1月号によると、同センターの愛称は市民応募作101点の中から選考して「カメリアステージ」に決定。平成29年4月から愛称使用を始め、図書館や歴史資料館の開館は7月という。

  「カメリアステージ」の愛称は、福岡市中央区天神2丁目にある雑貨店、西鉄ホールなどが入居のファッションビル「ソラリアステージ」を連想させます。福津市では図書館や歴史資料館は、市文化会館(地上3階地下1階延べ約5,300平方㍍。平成5年建築)とともに、生涯学習や文化の振興と地域の賑わいを図る施設にしたいとしており、今後どのように連携、運営されるのか、期待が膨らみます。

  また、福津市は旧津屋崎庁舎2階に新たに図書館ができるため、同市手光の市中央公民館=写真②=と津屋崎公民館=写真③=の図書室を平成29年3月31日に閉鎖するのに伴い、図書の貸し出しは1月31日に終了するとしています。

  

写真②:福津市中央公民館

 

写真③:津屋崎公民館

  「福津市複合文化センター」(文化会館、図書・歴史資料館)の指定管理者は市郷育推進課で受け付け、平成29年4月1日から同34年3月31日まで5年間の指定候補者として福岡市博多区住吉1丁目の「福津市複合文化センター共同企業体」(代表企業・株式会社日比谷花壇PPP事業推進部南日本事業推進グループ)を平成28年11月に決定して12月市議会に提案、可決されました。センターの開館時間は午前9時から午後10時(図書・歴史資料館は午前11時から午後9時まで)とし、休館日は毎週火曜日と12月28日から1月4日までという。図書・歴史資料館の開館時刻が午前11時からと遅いのは利用する市民から疑問の声が出ています。

 市は平成27年8月、津屋崎庁舎の再生整備に向けた基本設計の中間報告会を同庁舎で開催、同年12月には地元関係団体代表を集めて意見聴取会を開き、私も「津屋崎千軒 海とまちなみの会」の会員仲間らと基本設計について質問。図書館の休館日については、福間庁舎敷地にある福津市立図書館の月曜日と違う日にして市民がどちらかの図書館を利用できるように強く要望しており、複合文化センターを火曜日休館としたのは評価できます。指定管理者と、同センターの施設運営に協力するボランティア団体との連携がどうなるのか、見守りたい。

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2016年10月4日〈エッセー〉051:ノーベル「生理学・医学賞」

2016-10-04 16:17:14 | エッセー

 

写真①:福岡県立福岡高校(福岡市博多区)の正門(福岡高校第15回卒業記念アルバムから)

 ・連載エッセー『一木一草』

第51回:ノーベル「生理学・医学賞」に沸く

 

福岡県立福岡高校同級生・大隅良典君

栄誉あるノーベル「生理学・医学賞」受賞、おめでとう!

  誠に、おめでたい話です。私が卒業した福岡県立福岡高校(福岡市博多区)=写真①=の同級生・大隅良典君(71)が2016年のノーベル「生理学・医学賞」に選ばれたとのビッグ・ニュースが10月3日夜、テレビで流されました。4日付新聞朝刊各紙も、トップ記事で掲載です。

 大隅君と私は昭和38年(1963年)の第15回卒業生です。2年在学中に同じクラスで、大阪・京都への修学旅行に行った際、急行列車の座席で笑っている二人の学生服姿のスナップ写真が、私の高校時代のアルバムに貼り付けてあります。ともに西鉄宮地岳線で通学していました。温厚で学究肌の気のいい人柄ですが、東京大学卒業後、ひげをはやすようなったのは意外でした。

  私たち第15回卒業生=写真②=の同窓会「柔剛会」では、毎年1月に福岡市内で定例同窓会を開いていますが、大隅君は研究や講演活動で世界を飛び回っていて、顔を出す機会もほとんどなく、同窓生男女17人が平成22年(2010年)4月18日、津屋崎の観光町歩き後に旅館で昼食を楽しみたいと、福岡市からマイクロバスで〈津屋崎千軒〉入りし、私が観光ガイドで町並み案内をした際も姿は見られませんでした。平成29年6月に開催の福岡高創立百周年記念式典では、大隅君の講演会も開かれる予定で、再会が楽しみです。

 

写真②:第15回卒業記念アルバムの挿絵

  ここ数年、「柔剛会」ではノーベル賞発表時期には福岡市在住の同窓生らが大隅君の受賞が今年こそ決まるのではと、福岡高に集まって固唾をのんでいただけに、今回の受賞決定の報に喜ぶ同窓生諸君の姿がテレビや新聞紙上にアップされ、本当に良かったと思いました。そして、何よりも大隅君、栄誉あるノーベル「生理学・医学賞」、おめでとう!

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2016年10月1日〈エッセー〉050:「福津市複合文化センター」

2016-10-01 17:49:38 | エッセー

 

写真①:「福津市複合文化センター」(仮称)へと再生工事が進む旧福津市津屋崎庁舎

     =福津市津屋崎1丁目で、2016年10月1日撮影

 ・連載エッセー『一木一草』

 第50回:「福津市複合文化センター」

 旧福津市津屋崎庁舎が「福津市複合文化センター」に再生へ

図書館、歴史資料館開設と市文化会館の複合施設活用

 福津市は福間庁舎へ統合した旧津屋崎庁舎(3階建て延べ約3,800平方㍍。昭和62年建築)=写真①=の再生整備工事を進めていますが、図書館や歴史資料館などの複合施設とし、隣接の市文化会館を合わせて「福津市複合文化センター」(仮称)として、生涯学習や文化の振興と地域の賑わいを図る施設にしたいと、市民に親しまれる愛称を10月14日まで募集中。同時に、同センターの管理運営を委託する指定管理者の応募を同月31日まで受け付け、平成29年6月1日に同センターを開館して市文化会館(地上3階地下1階延べ約5,300平方㍍。平成5年建築)の運営を始め、図書館や歴史資料館は翌7月から開設するとしています。

 「福津市複合文化センター」の指定管理者は市郷育推進課で受け付け、11月下旬に平成29年4月1日から同34年3月31日まで5年間の指定候補者を決定の予定。指定管理者募集要領によると、5年間の指定管理料の上限は5億3、542万円で、応募資格は福岡県内に事務所を持つ団体または法人。センターの開館時間は午前9時から午後10時(図書・歴史資料館は午前11時から午後9時まで)とし、休館日は毎週火曜日と12月28日から1月4日までという。

 市は平成27年8月、津屋崎庁舎の再生整備に向けた基本設計の中間報告会を同庁舎で開催したあと、同年12月にも地元関係団体代表を集めて意見聴取会を開き、私も「津屋崎千軒 海とまちなみの会」の会員仲間らと基本設計について質問や要望を行いました。図書館の休館日については、福津市立図書館の月曜日と違う日にして市民がどちらかの図書館を利用できるように強く要望していましたが、複合文化センターは火曜日休館としたのは評価できます。指定管理者とセンター施設運営に協力する文化ボランティアとの連携がどうなるのか、注目したい。

 

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2016年3月6日〈エッセー〉049:津屋崎のアサギマダラの行方

2016-03-06 05:06:45 | エッセー

 

写真①:渡りの季節外れの時季に「津屋崎浜」へ飛来した2頭のアサギマダラ

      =福津市津屋崎1丁目で、2015年7月21日撮影

 ・連載エッセー『一木一草』

 第49回:津屋崎のアサギマダラはどこから来てどこへ行くのか

 「環境保全活動団体交流会」に初参加
アサギマダラの渡り情報を交換しました

 福津市手光南2丁目の「ふくとぴあ」で3月5日、「環境保全活動団体交流会」が開かれ、「津屋崎千軒 海とまちなみの会」の仲間7人で初めて参加しました。地域の生きものを守る活動を広げようと、福岡県や福津市、宗像市、県地球温暖化防止活動推進員等の関係団体で組織した「宗像・遠賀・粕谷地域環境協議会」が毎年主催し、3回目のこの日は16団体から53人が参加。2千Kmもの〝海を渡る蝶〟・アサギマダラの観察・調査記録の報告と秋の渡りのシーズンにフジバカマを植えて、アサギマダラを迎えたいと計画している団体の意見発表が相次ぎ、謎の多い蝶の渡りへの関心の高さが分かりました。

  アサギマダラは1981年、鹿児島県・種子島から三重県と福島県までの移動が初めて確認され、〝渡り蝶〟として注目され、2009年には福島県で翅に標識を付けた個体が約2,200Kmも離れた台湾北部の山で再捕獲され、国境を越えた移動も確認。私は春から初夏にかけて本州方面への渡りの時季に、2010年5月23日に福津市の玄界灘に面した「白石浜」で初めてアサギマダラ1頭(匹)を見つけ、翌24日にはその東側の「勝浦浜」でも1頭を確認。13年6月6日には「津屋崎浜」で10頭の飛来を確認。いずれも、海浜植物・スナビキソウの花の蜜を吸っていました。

 「津屋崎浜」では、14年は5月21日の5頭から6月11日の5頭まで飛来を確認、15年は5月11日に初飛来の1頭を確認し、翌12日付西日本新聞記事で紹介され、「津屋崎千軒 海とまちなみの会」が同月27日に開催したアサギマダラ観察ツアーには県内各地から男女31人の方が参加、初めて観るアサギマダラに感動する様子がFBSとKBCのテレビ2局で放映。スナビキソウの群生地には15年11月、福津市うみがめ課にお願いして海浜植物の保護を呼び掛ける掲示板を2か所に設置していただいています。しかし、渡りの季節外れの時季である15年7月18日から22日までに「津屋崎浜」へ飛来したアサギマダラ=写真①=1~4頭を私と知人女性が観察しており、福津市内で産卵、孵化して成長した可能性があり、食草のキジョランの自生地が近くにないか、「宗像植物友の会」会員で植物に詳しい本会の女性会員にフィ-ルド調査をお願いしています。

 この日の交流会=写真②=では、秋の渡りの時季に福津市手光の「わかたけ広場」に植栽されているフジバカマの花の蜜を吸いに飛来するアサギマダラを捕獲調査している環境ネットワーク「虹」(佐伯美保代表・福津市)では、2007年に滋賀県、2010年に長野県、2013年に福島県から飛来した個体を10月に確認したと発表。また、「宗像アサギマダラの会」(宗像市)では、2015年10月27日に宗像市山田でマーキングした個体が11月11日に鹿児島県屋久島町で再捕獲されたという。

  

写真②:16団体が参加して開かれた「環境保全活動団体交流会」

     =福津市手光南2丁目の「ふくとぴあ」3階・らくらくルームで、3月5日撮影

  しかし、「津屋崎浜」に5月中旬から6月中旬に飛来する群れはどこから来て、どこへ行くのかはっきりしません。今年は個体にマーキングして放蝶し、本格的な調査をしたいと計画しています。生態や行動に謎の多い蝶・アサギマダラや海浜植物に興味のある方、一緒に標識調査や観察を楽しまれませんか。「津屋崎千軒 海とまちなみの会」は年会費千円で活動しており、いつでもご入会歓迎(E-mail:yosi3019@sage.ocn.ne.jpで事務局吉村がお受けします)です。

 

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