とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2012遠州三山エンジョイマラニック

2012-03-21 00:02:08 | マラソン
遠州三山として有名な袋井市の由緒ある寺院、可睡斎(かすいさい)、油山寺(ゆさんじ)、法多山(はったさん)を巡る「遠州三山エンジョイマラニック」に参加した。全コースを走ると約26キロある。春のお彼岸時にゆっくり楽しく走ってきた。

袋井駅前に集合という事で、20名弱の参加者が集まった。駅前で、集合写真を撮って午前9時前にスタートする。


駅前から、北上する。袋井バイパス、東名高速道路の下を抜け真っ直ぐ行くと、最初の寺院である可睡斎に到着だ。可睡斎は、曹洞宗の寺院で、山号は萬松山という。東海道一の禅の修行道場であり、悠久六百年の歴史を刻む徳川家康公が名づけた古刹だ。


まずは、山門前で記念撮影する。


本堂にお参りする。


可睡斎を出ると、坂道を上り2番目の寺院である油山寺に向かう。


油山寺は、真言宗智山派の寺院で、山号は医王山。詳しくは医王山薬王院油山寺と称する。本尊は薬師如来で紅葉の名所として知られている。


「健足の道」があった。竹筒が敷き詰められた道を歩くと足が健康になるらしい。ランナーにとっては、ありがたい道だ。油山寺の守護神である軍善坊大権現が、足腰の病に霊験あらたかであるところから作られているようだ。


さて、本堂のある場所に行くとなんと工事中。本堂の影も形もない。しかし、賽銭箱はあるので本堂のあった場所に向かって手を合わす。油山寺は大宝元年(701年)に行基が創建し、油が湧出した所から「油山寺」の名が付いたという。その後天平勝宝元年(749年) 孝謙天皇が眼病平癒を願い、当寺の「るりの滝」の水で眼を洗浄したところ、全快したので特に目の守護、眼病平癒の寺として信仰を集めているそうだ。


油山寺からは、南下する。東海道線の愛野駅前から静岡スタジアム「エコパ」方向に向かう。


エコパ前の交差点で信号待ちだ。


エコパ前の道は、早咲きの桜が咲いていた。「エドヒガン」だろうか?道沿いにずっと植えられておりちょっとしたお花見ランである。




エコパを過ぎると最後の寺院である法多山を目指す。


法多山の参道を進む。


法多山は、高野山真言宗別格本山の寺院。寺号の「尊永寺」よりも山号の「法多山」の名で広く知られている。


ここでも、記念写真を撮る。


法多山といえば、厄除だんごが名物である。お腹もすいてきたので、厄除だんごをみんなで食べる。




法多山から、残り6キロを真面目に走り、ゴールの「和(やわらぎ)の湯」に到着する。ちょうど12時半くらいだった。




温泉にゆっくり入り、遅い昼食をとる。昼食をしながら喋っている間に、だいぶ時間が経っていた。最後に集合写真を撮って解散、距離も短かったので明るいうちに帰宅できた。


このマラニックは、既に何回もやっているようだが、私は初めてだ。それぞれの寺院は初めてではないが、久しぶりに三山巡ることができて良かった。時間も長すぎず、まさに一日をエンジョイできたマラニックだった。

「第1回ぐるっと浜名湖一周100kmウルトラ・マラニック」募集中です。

2012-03-20 17:59:17 | 浜名湖100キロウルトラ


前から関わっていた「ぐるっと浜名湖一周100kmウルトラ・マラニック」の募集要項が決まりました。
募集が始まりましたので、お知らせします。

大会のお申込・お問い合わせ先

「マラニックを楽しむ会」 事務局
〒436-0113 静岡県掛川市各和1292   萩田 博
TEL 0537-22-2834 FAX 0537-23-8417 携帯 090-3385-2580
E-mail hagita-hir@uv.tnc.ne.jp

詳しい内容はこちらからから

「雲峰のマラソンの歌 “手作り大会案内”」
http://unpoh.web.fc2.com/taikaiannai/hagita/10-7-hama-100km.html

今年の桜前線は、遅れそうだ

2012-03-19 21:15:55 | 呟き
気象協会の発表によると、2012年の桜(ソメイヨシノほか)の開花日と満開日は、九州・四国・東海地方は平年とほぼ同じか平年より2~6日遅く、中国・近畿・関東・北陸地方は平年より3~5日遅い所が多く、甲信・東北地方と北海道は平年とほぼ同じか2日程度遅いとのことだ。

確かにいろんな場所の桜を見ているが、未だ蕾となっており開花はまだまだという木が多い。なんと言っても、最近モクレンがやっと咲き出しているくらいだから、例年と比べると遅いというのが良くわかる。原因は、強い寒波の影響で2月の気温が平年より低く推移したので、蕾の生育がスローペースになったということである。

3月から4月にかけて、いろいろ出かける計画をしているが全て桜の開花を予想して決めたものが多い。この分では、その全てが、ぴったり開花時期から外れてしまいそうである。行く先々で、花見が出来ない可能性が高い。いまさら、日程を変更することもできないので残念である。

ただ、強い寒波でしっかり冷やされた今年の花芽は、休眠打破が順調に行なわれ問題なく花が咲くという。時期がばっちり合った場所にいけば、素晴らしいお花見が出来ることだろう。

2012毛無山・十二ヶ岳

2012-03-18 22:46:12 | 山登り
今日は山に行ってきた。富士五湖の西湖北側にある毛無山、十二ヶ岳の縦走である。午前中は、曇りか晴れとの天気予報を信じて予定通り行くことにした。ただ、午後は雨という予報だったので少し気になる天気ではあった。今回の参加者は人間6名と二匹のワンちゃんである。この二匹のワンちゃんはリュウとランで、もう何度か一緒に山に登っている。

まずは、毛無山の登山口である西湖の文化洞トンネル前の駐車場に車を止めた。天気がよければ、結構何台かの車が止まっているはずだったが、この日は我々の車だけだった。駐車場には、雪がかなり残っており、山頂付近もかなりの積雪があると聞いていた。


登山口を出発したのが午前9時ちょうどだ。しばらく上って振り返ると、富士山が大きく見えていた。この時期としては、かなりの積雪量である。


足元方向には、河口湖が見える。


一時間半ほどで毛無山1500mの山頂に到着する。風がなく、思ったより温かい。急な坂道を登ってきたので汗もかなり出ていた。


毛無山で小休止をしていると、リュウとランが早くしろとばかりに、先に駆け出していく。


これからは、十二のピークを越えていくことになる。最初のピークが一ヶ岳。


二ヶ岳を過ぎ、三ヶ岳。以後、一つずつ増えていく。


ピークを十二越えるだけあって、険しいクサリやロープの道が続く。


こちらに見えるのが西湖だ。


先に見えるのが、今回の核心部になる十二ヶ岳のピークである。尖がった形は、如何にもこの辺りの主峰とも言うべき山に見える。積雪もかなりありそうだ。


険しい岩場がいくつも続く。リュウとランは怖気て自分で降りられない。飼い主が、抱きかかえて降りていく。




人間さまもやっとこさで降りていく。


九ヶ岳を過ぎる。


十一ヶ岳を過ぎ、今回の核心部へと向かっていく。


十一ヶ岳の下りは、かなりの長さだ、ロープを持って下るだけで手足に力が入る。しかも足元には雪があり滑りやすい。リュウとランは自分で降りられない場所が多く、降ろすのが大変だ。必死の思いでロープを降りた場所には、険しい谷にかかったアルミ製の吊橋があった。


上から、みんなが渡りきるのを見ていたが、滑りやすそうで見ているのも気が気ではなかった。無雪期なら、スリルのある場所くらいの認識で笑い話で済ませるが、今回のように雪が中途半端にある時は、スリルと言うより危険である。ひとたび気を許せば、谷底にまっさかさまである。みんな、岩場で緊張しながら両手両足を使って降りてきたのでかなりへばっていた。


なんとか6人と2匹が無事吊橋を渡り終えた。しかし、これで危険が終わったわけではない。降りたからには登らなければ十二ヶ岳に立つことは出来ない。本当にきつかったのは、ここからの登りだった。雪があって滑るし、坂は急、ロープも嫌になるほど長い。昔登ったことがあったが、これほどきついという記憶はなかった。雪があるだけで、こんなにも厳しい登山になるとは…。山は、やはりなめてはいけないものだ。

雨も降り出し、もう写真を撮る余裕もない。あとは、十二ヶ岳に早く着きたいだけだった。やっと緩やかな道となり、100mほど進むと十二ヶ岳の山頂1683mに着いた。カメラのレンズが雨に濡れボヤけてしまった。


十二ヶ岳からは金山、鬼ヶ岳まで縦走して下山する予定だったが、この先も同じような険しい道が続き、犬を連れて行くには無理がありそうなので、そのまま下山することにした。十二ヶ岳から、西湖沿岸方面への下山道をへて文化洞トンネルの駐車場に戻った。予定通り行ったら、無事に帰れたかわからない。天気も今一つだったので早めの撤退で良かった。全員無事でかえるのが山の鉄則だ。

2012年度 社会人大学の募集案内が来た。

2012-03-17 21:06:04 | 社会人大学


今年のテーマは「したかかに生きる」だ。
気弱になりがちな不安定な世の中だが、自分を信じ、自分の定めた道を、したたかに歩き続けている人は強い…。

こんなテーマで、自分の信念を持つ方々が今年の講師陣として招かれているそうだ。そんな講師陣の話を聞いて、私もしたたかに生きて行きたいものだ。

浜松夜会場の予定は、下記のとおり。

[前期]

『1回目 5/24』
  常葉学園大学造形学部長 日比野秀男「幕末明治・静岡の群像」
『2回目 6/ 7』
  群馬県・長徳寺住職 酒井大岳「私のなかの良寛さま」
『3回目 6/21』
  作家 出久根達郎「本の数だけ学校がある」
『4回目 7/12』
  ピアニスト 水上裕子「いのちの賛歌」
『5回目 8/2』
  俳人・佛教大学文学部教授 坪内稔典「句会を楽しむ」

[後期]

『1回目 8/23』
  環境考古学者 安田喜憲「中世温暖期と源平の争乱・宗教の変革」
『2回目 9/ 6』
  落語家 古今亭志ん輔 「男と女」
『3回目 9/20』
  清水寺貫主 森清範「梵心」
『4回目 10/4』
  東京医科歯科大学名誉教授・人間総合科学大学教授 藤田紘一郎「免疫力を高める生活」
『5回目 10/18』
  ヴァイオリン奏者 大谷康子「エレガントな響きを」

『卒業式 11/17』
  平成7年内閣官房副長官 古川貞二郎「皇族維持を考える」 

講座以外の別メニュー
1.バレエ「マノン」鑑賞会 7/1
2.世界無形文化遺産文楽鑑賞会 9/16
3.歌舞伎鑑賞会 10/21

会費は通し前納で20,000円、前期11,000円、後期11,000円。
問い合わせ先は、
〒420-0034 静岡市葵区常盤町2-3-8 体文協事務局
TEL.054-251-2326[10時~18時]

興味がある方は如何ですか?

医療費控除の確定申告認められた

2012-03-16 22:06:04 | いろいろ
2月中旬から確定申告の受付が始まった。昨年、妻の医療費が結構かかったので、医療費控除の確定申告をインターネットで提出書類を作成して地元の税務署に送ったところ、先日国税還付金通知書が届いた。

インターネットで、提出書類を作成するのはいたって簡単だった。医療費の合計金額を入力すると自動的に還付金額が表示される。あとは、証拠となる領収書を添付するだけだった。果たして、書類どおりに還付金が出るか心配だったが、国税還付通知書をみたら、自分が送った書類の内容どおりの還付金が銀行口座に振り込まれたようだった。

還付金は、かかった医療費の1割ほどの金額になっていたので、かなりありがたい金額だ。人によってどれだけの還付金が出るかは違ってくるだろうが、高額の医療費がかかった年は、会社員でも確定申告をしっかりやっておくべきである。知っているのと知っていないのでは、差が出てくるものだ。

詳細は2/16のブログで。
http://blog.goo.ne.jp/maduka/e/4095b8847c6e32978141118ed970a5db

2012小豆島・寒霞渓100キロウルトラ遠足ツアー「3日目」

2012-03-15 00:02:06 | 観光
3日目の朝は、素晴らしい天気だった。国民宿舎「小豆島」の小高い丘から見える池田港や山々の景色が素晴らしい。


100キロ走った翌日も食欲が大いにあった。イチゴ果汁のジュースや牛乳も頂き、朝食をしっかりとった。


荷物を整理して帰り支度をしていたら、すぐに時間が経っていた。フェリー乗り場への送迎バスがでるので国民宿舎の前に集まると、知り合いのランナーたちが集まってきた。大会の時しか会う事のない人たちも多く、せっかくなので記念写真を何枚か撮る。




その後バスで、土庄港に向かった。最初の日に降り立った港である。


土庄港には、石川さゆりの”波止場しぐれ”のモニュメントがあった。石川さゆり歌手生活二十周年を記念し土庄港ターミナルビルの完成と土庄港を歌った歌だったのだ。小豆島を歌った石川さゆりの歌があったとは知らなかった。ボタンを押すと彼女の声が流れる。フェリーを待つ間の、ほんのちょっとした楽しみである。


我々が乗るフェリーが港に入ってきた。


フェリーにのって再び岡山に戻った。岡山駅に着いたのが午後1時くらいだ。このまま帰っては早すぎてもったいないので、岡山市内観光をすることにした。とはいえ、バスに乗ったりしていくのは大荷物があるので面倒くさい。観光案内所で、観光タクシーを教えてもらい、2時間ほどのコースで3箇所を回る観光タクシーに乗ることにした。

最初に寄ったのが、吉備津神社だ。大吉備津彦大神を主祭神とする山陽道屈指の大社である。大吉備津彦大神は、桃太郎伝説のモデルなどで知られている。




特に本殿は国宝となっており、日本建築の傑作「吉備津造り(比翼入母屋造)」という勇壮な社殿で、出雲大社の約2倍以上の広さがあるという。確かに素晴らしい社殿である。このような形は初めて見た。岡山に行ったら一度は立ち寄る価値がある神社である。


祈願トンネルには、合格祈願の絵馬が所狭しと掛けられている。


見事な廻廊が続いている。


ひととおり吉備津神社を見た後は、後楽園に向かった。後楽園は江戸時代初期に岡山藩主・池田綱政によって造営された元禄文化を代表する庭園で、国の特別名勝に指定されており、、日本三名園のひとつである。






園内には、茶店があり少し休憩する。抹茶と吉備団子を頂く。




まだ、緑が少なく一面茶色だったが、梅林がある一角だけは赤や白の梅の花がきれいに咲いていた。






芝生広場では、結婚式を挙げたばかりのカップルが岡山城をバックに記念撮影をしていた。


後楽園を一通り回ると、最後は岡山城だ。




岡山城は、豊臣五大老の一人・宇喜多秀家が築城した。三重六階の天守閣は織田信長の安土城天主閣を模して築かれたと伝えられ、全国的にも珍しい不等辺五角形の天守台だという。 黒い下見板張りの外観から別名「烏城(うじょう)」と呼ばれ、また金の鯱を挙げていたと伝えられるため「金烏城」の名もある名城である。


本丸背後には一級河川の旭川が流れ、対岸には日本三名園の一つ後楽園が、岡山城の背後を防衛する目的で築かれている。


岡山城を見終わると、タクシーが待っていてくれた。再び岡山駅に送ってもらい、新幹線で帰宅の途についた。観光とマラソンの両方をたっぷり楽しんだ三日間の旅だった。

今日は、金星と木星が大接近

2012-03-14 22:02:22 | サイエンス
今日は、ホワイトデーなんてテレビやラジオで言っていたが、そんな事より注目の天体ショーがあることを忘れるところだった。3月14日(水)は、19時頃西の空で金星と木星が大接近することになっていた。ちょうど午後7時過ぎに外に出たら、確かに西の空に二つの明るい星が並んで輝いていた。これだけはっきりと並んでいたら誰でも判っただろう。

さらに、3月26日(月)には、夕方の西の空で、木星、月、金星が並んで輝くことになっている。この日も天気がよければはっきり確認できるはずだ。忘れないようにしておきたい。

それにしても、今夜は二つも地震があって不気味な感じがする。先ず最初は、午後6時9分ごろ、三陸沖を震源とする地震があり、北海道釧路町や青森県八戸市などで震度4を観測したという。しかも津波が発生するというので東北沿岸部では緊張したことだろう。

そして午後9時5分ごろには、千葉県東方沖を震源とする地震があり、同県銚子市や茨城県神栖市で震度5強だったという。こちらは津波の心配はあまりないようだったが、やはり大きな地震の前触れではないかと思うと気がかりである。

2012小豆島・寒霞渓100キロウルトラ遠足ツアー「2日目後半」

2012-03-13 22:23:35 | マラソン
寒霞渓ロープウェイ乗り場を横目に、脇にある遊歩道に入るとコンクリート舗装された道が始まった。ここから、標高差400mほど上ることになる。


ロープウェイ駅が右手に見える。


巨岩が立ち並び樹木が生い茂る遊歩道は、ジグザグに続いている。こんな道はとても走って上る気になれない。


遊歩道の周りには、名前がついた巨岩が至るところにある。紅葉の時期は、さぞかし見事な眺めだろうと想像した。




だいぶ頂上近くになってきた。展望がいい場所からは、内浦湾が良く見えた。


40キロ地点を通過。寒霞渓山頂まであと僅かとなった。


荷物を預けてある中間地点に到着する。ロープウェイだったら、簡単に到着していた場所だ。この場所が、今コースの最高地点である。前日は、この辺り一帯真っ白だったがさすがに雪は溶けていた。それでも、山頂は寒い。温かいソーメンを頂いてから、体が冷える前に先を急いだ。


路肩には、まだ少し雪が残っている。


45キロ地点を通過。


内浦湾が、大きく見えてきた。


50キロ地点を通過。


32.7キロ地点にあったエイドに再び戻る。戻ってくると57キロ地点となる。そこからは、二十四の瞳映画村への往復コースとなる。この区間では、早いランナーたちとすれ違う。しばらく行くと、バレリーナの仮装をしたランナーに出会う。寒い中、肩をむき出しにして寒そうだが、この時点のこの場所で会うだけにかなり早い。笑顔を見せて、元気に走って行った。


他にも、何人か仮装ランナーを見かけた。忍者、幼稚園児、きぐるみ集団など100キロでも仮装して平気で走ってしまう実力者ばかりだ。中でも、坊ちゃんに扮し下駄で走っていた男性は凄かった。足がどうなっていたか気になったが、無事完走したそうだ。

さて、先を急ぐと醤油工場が見えてきた。有名な丸金醤油の工場前を通過する。あたりは醤油の香ばしい匂いが立ち込めていた。


醤油樽のモニュメントもある。


海岸線沿いを走る。


折り返して戻ってくるランナーが増えてきた。


二十四の瞳発祥の地を通過。


岬の分教場前を通過。


二十四の瞳映画村に到着する。ここで66.6キロとなり全行程の約2/3まで来た勘定だ。


すれ違うランナーたちとエールを交わしながら走る。76.2キロのエイドを過ぎると初めての道となり80キロ地点を通過する。


80キロまで来ると、ほぼ完走を意識し始めた。海岸線沿いの道は、おだやかな瀬戸内海を眺めながら走ることのできる素晴らしいロケーションだ。




90キロ地点を通過。ここからは残り10キロを切り気持ちが軽くなる。


91キロ地点では、土砂崩れがあったらしく工事現場の間を通っていく。この場所は、その後日が沈みだした頃から通行止になったそうだ。明かりがまったくなく、暗い中を通過するのは危険という事で大会事務局がコース変更したらしい。コース変更後のランナーは、少しショートカットとなってしまったそうだ。まあ、私は明るいうちに通過できて良かった。


その後も、幾つかのアップダウンを繰り返しながら海岸線の道を走った。




やっと、残り1キロの看板が見えてきた。


あと僅かというのに、最後の最後にも上りがある。上りきってからゴールのふるさと村へ下る道が見えてきた。最後の力を振り絞ってゴールを目指すランナーの姿が下に見えていた。


ふるさと村の駐車場が見えてきた。残り数百メートルだ。


そして、無事ゴールだ。


ゴールタイムは、12時間37分前後だった。12時間を切ったうっちゃんや数分前にゴールしたよっぴーさんに出迎えられ記念写真を撮ってもらう。ここ何年も、100キロでは13時間を切ったことがなかったが、久しぶりの12時間台で自分としては満足した結果だった。この最近の走りこみの成果が出たのかもしれない。


大いに疲れたが、それほど酷い筋肉痛はなくバスで宿舎に帰る。お風呂に入りベットに横たわるとすぐに眠くなってしまった。明日になれば、小豆島とはお別れだ。

2012小豆島・寒霞渓100キロウルトラ遠足ツアー「3日目」に続く

2012小豆島・寒霞渓100キロウルトラ遠足ツアー「2日目前半」

2012-03-12 23:53:29 | マラソン
2日目は、100キロウルトラ遠足の本番の日である。午前3時過ぎに起床し、宿舎での朝食を済ませてスタート会場へ向かう。いよいよ、100キロのコースの第1歩が始まる。600名を越すランナーがスタート地点に並び、午前5時ちょうどにスタートとなった。


3月では、午前5時はまだ真夜中だ。明るくなるのは6時以降である。真っ暗な中をスタートする。ヘッドランプや懐中電灯を照らしながら進むランナーもいる。私は後方のほうなので、ひたすら前の人の後を付いていくだけだ。曲り角には、チカチカライトが点いた矢印看板が設置されていた。


このコースは、最初からアップダウンが連続するなかなか厳しいコースだ。それでもまだ始まったばかりなので、上りも歩かず走っていく。10キロ近くになった頃、辺りも明るくなってきた。山の上を見ると、大きな観音様が見えてきた。小豆島大観音である。高さは約50~60mもあるそうで、一際目立つ大観音様だ。


程なく10キロポイントを通過する。このような距離表示が5キロごとに表示されており判りやすい。


再び観音様を前方に見ながらすすむ。


10キロ過ぎのエイドに到着だ。


エイドには、バナナ、イチゴ、饅頭、飲み物等が置かれている。




山間の農道を走る。


15キロ地点を通過。


土庄港が見えてきた。


15.6キロのみまもり大師にお参りする。


街中に入ると、日本一狭いという土渕海峡が見えてきた。半円のドーム状になっている部分が海峡である。


自歩道トンネル内を進む。


海岸線に近いところを通ると、島と島の間に道が繋がっているのが見えてきた。これは、小豆島の前島から沖に浮かぶ中余島を経て大余島へと続く約500mの細長い砂州の道で『エンジェルロード』と呼ばれている場所だ。潮の干満により道があらわれたり海に消えたりするという。


こんな仮装で走っているランナーを見かけたので写真を撮らせてもらう。『悪代官』ことタフマンさんだ。


次のエイドでは、温かい味噌汁やバナナ、イチゴ、オレンジ、饅頭、餡パン、チョコレート、サツマイモなどの多彩な食べ物が出されていた。




コース上には、オリーブの木がいたるところに見られる。


ヤギも空き地で飼われていた。


雲間から光が差し込んできた。天気が良くなるのだろうか?


その次のエイドでも食べきれないほどのバナナ、イチゴ、ドーナツがあった。


オリーブ発祥の地を通過する。


29.1キロのサンオリーブ温泉前のエイド。


少し高い場所に上がって行くと、再び海岸線が見えてくる。


高松行きのフェリー乗り場がある池田港入口前を通過する。


32.7キロのエイドに到着する。このエイドは、寒霞渓を回ってくると再び立ち寄る場所だ。


これから寒霞渓へと向かう道に入る。前方に高い山が見える。


緩やかな上り坂をあがっていく。この上りはかなり長い。


35キロ地点を通過。この辺りはダム工事を行なっている場所だ。


道端にこんな心遣いがあった。さすが、お遍路の本場である。お接待の気持ちがこんな場所にも表されていた。


道路上にも100キロの矢印が記されている。足元を見てれば迷わない。


寒霞渓の山並みが大きくなってきた。


寒霞渓のロープウェイ乗り場こううん駅に着く。ここまでは、車が通れる道だったが、この先からは人しか進めない遊歩道となっていく。


2012小豆島・寒霞渓100キロウルトラ遠足ツアー「2日目後半」に続く