とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

日本一人口密度の低い市町村「檜枝岐村」

2012-08-17 11:52:58 | 観光
今年の夏休みは、福島県檜枝岐村を拠点にして、尾瀬の燧ケ岳と会津駒ケ岳の二つの百名山を登ってきた。檜枝岐村(ひのえまたむら)は、福島県南会津郡にある村で、日本有数の「特別豪雪地帯」であり、平家の落人伝説が残るという村である。村役場に隣接した集落の他は、村の面積のうち約98%を林野が占めており、福島県内で人口が最も少なく日本一人口密度の低い市町村だそうだ。

檜枝岐村には、尾瀬の「夏の思い出」の歌碑があり、尾瀬観光の本拠地といってもいい。昨年の福島第一原発の事故以来、福島県というだけで観光客に敬遠され、夏のシーズンだというのに未だに観光客が激減していると言うのは、もったいない話だ。村の観光協会では、「きてく~られ(きてください)、平日だけの悠遊湯キャンペーン」(対象期間:平成24年4月1日~平成25年3月29日)と銘打って、お得なサービスを実施している。対象は、平日の宿泊者だけだが、尾瀬檜枝岐温泉観光協会加盟の山小屋、旅館、民宿に1泊2食付きで宿泊した場合、1泊1名につき2,000円が通常の平日宿泊料金より差し引かれる。また、同様に平日宿泊者には、1泊1名につき尾瀬檜枝岐温泉観光協会加盟施設で利用できる商品券500円がもらえるのである。今回、村の民宿に2泊したのであるが、ちょうど2日間とも平日に当っていたので、二つのサービスをしっかり受けることができた。日帰り温泉施設も3箇所あり、その全てを民宿の券で無料入浴する事ができ、檜枝岐村での休日をゆったりと過ごすことができた。温泉街といっても、きらびやかな施設があるわけでもなく、静かな山村の温泉街だ。気温は20℃くらいで明け方は肌寒いくらいである。まさに避暑にはうってつけで、民宿の手作り料理は、山菜料理、ヤマメの塩焼き、サンショウウオの天ぷら等美味しかった。来年3月末まで、キャンペーンが行なわれているので、紅葉シーズンやスキーシーズンなどでも多くの人にお薦めしたい素敵な村だ。

檜枝岐村の観光スポットを歩いて回ったので、いくつか紹介する。

「橋場のバンバ」
橋場のバンバは広く民間信仰された石仏で、子供を水難から守るだけでなく、腕のフタを頭にかむせると全ての願いが叶うと言われている。又、切れるハサミを奉納すると悪縁が切れ、錆びたハサミを奉納すると伴侶の蒸発が防げると言われている。バンバの左側には新品のはさみが置かれ、左側には錆びたはさみが多数置かれていた。大変珍しい石仏で、縁を切ったり、繋ぐためによってはさみを選んで祈願するというのが面白い。




「檜枝岐の舞台」
案内板によると「檜枝岐の舞台は江戸時代に建設されましたが、明治26年焼失しこの建物は明治中頃に再建されました。昭和51年8月国の重要有形民俗文化財に指定されました。この舞台で毎年5月12日(愛宕神祭礼)と8月18日(鎮守神祭礼)の例祭に奉納歌舞伎が、9月第一土曜日には歌舞伎の夕べとして、千葉之家花駒座の皆さんにより演じられます。また歌舞伎は、平成11年3月「檜枝岐歌舞伎」として福島県の重要無形民俗文化財に指定されました。檜枝岐村教育委員会」とある。


舞台は茅葺屋根で古来の形式を継承するもので、鎮守神や疱瘡神社の境内にある。




境内は舞台を取り囲むように半円形で階段状になりそのまま観客席になっている。




記念写真用の歌舞伎役者の看板が立っている。


ここに今年の演目の看板が立てられている。直近では、8月18日(土)に開催するらしく、もう少し予定が後だったら、見ることができたので残念だった。ただ、歌舞伎開催日だけは、何処の宿もかなり前から予約で一杯となっており、急には宿泊できないらしい。


国道の脇に、歌舞伎通りという細い路地があり、その奥に入っていくと舞台がある。


「水芭蕉像」
尾瀬の妖精として称えられている水芭蕉の像がある。檜枝岐温泉のシンボルでもある。


「六地蔵」
かつて檜枝岐は冷害に悩まされ、凶作で餓死者を出した年もあった。働ける人だけが生き残るため、生まれた子供を「間引き」するという行為が、この土地でも行われた。6体の稚子像は、その霊を弔い母の嘆きを慰めるため享保15(1730)年に安置されたという。六地蔵に隣接する絵馬掛けには家内安全や安産を祈願する絵馬も見られ、最近は由来とは別に子宝、子育て守護として稚子像を参拝する人も多いという。




「セイロウ作り板倉」
案内板によると「もっとも古い形の板倉で柱を使わず厚さ10センチほどの板をセイロウのように組み合せたもので釘など金具は一切用いない、屋根には下葺き板をのせその上に樺の皮を敷き、さらにその上に楢の割板を葺く、建築の年代は定かでないが、建築の様式としては奈良の正倉院と同じで、建築史上重要な文化財である。檜枝岐村」とある。


「路傍の大樹」
案内板によると「桂、桧、落葉松(枯れて今はない)の三本がほぼ等間隔に並んでいる。古老の話によると村を開いた偉い人の墓印だと云う。承和の昔(約千百五十年前)越後の国より藤原常衡、大友師門、熊谷勘解由、が来村し、開村したと伝えられているところから、この三人の墓印かと思われる。檜枝岐村」とある。


「マンホールの蓋」
マンホールの蓋は、さすが尾瀬の玄関口らしく水芭蕉の絵が入っている。


「日帰り温泉」
三箇所ある温泉施設の“駒の湯”と“アルザ尾瀬の郷”。




他に“燧の湯”がある。

「立派な墓」
国道沿いには、立派な墓が立ち並んでいる。ちょうどお盆の時期ということもあって、花や提灯、供物等が手向けられていた。姓を見ると「星」「平野」「橘」で占められていた。ほとんどの村民は、このどれかの姓になるらしい。




「線量計」
他の地域では見られない放射線測定器の電光表示板が、公共施設に設置されている。こんな所にも原発事故の爪あとが残っているのかと、暗い気分になった。数字は、0.090μSv/hと、それほど高い値ではない。