私たちが朝起きて仕事場や学校その他に行きますね。家にいる場合もあります。それらの全ては私たちが決めていますね。人が言うからそうする、親がいうからそうする、生活のためにそうする。そうであっても、結局はあなたが決めなければそうはなりません。貴方の頭で考え、足で移動します。いやだといって駄々こねる場合もありますが、でも自分で決めているのです。
人に言われるからそうするんだ・・。分けがわからないけどみんなと同じようにしている・・。といってもそういう風に自分で決めています。決定!!等とセンセーショナルな表現はしないでも、結局は100%自分でそう決めています。
自分の意図したことが全てでないとしても、結局自分で選択しているのです。なにも決めていないって?でも何もしないことを、今選択しています。
今、現実に、生きることは、、何かを常に選択していることです。あなたはあなたの世界の創造者です。あなたの見るもの、聞くもの、感じるもの、全てあなただけが見て、聞いて、感じています。眼を開けたり閉じたりしてみてください。世界が現れたり消えたりすると思います。単純だと思われますが、実はこの簡単なことに非常に大切な原点があるのです。単に唯心論と片付けられない重要なことなのです。
あなたは自分で生きているのです。他のみんなもそうであるように。皆がそれぞれ生きています。あなたはあなたでしかないし、みんな同じような人間がたくさんいますが、それぞれが唯一の存在です。あなたは他の人ではないのです。
あなたは世界の唯一の存在です。周りの人も唯一の存在です。唯一だらけでみんな一緒なのです。どういう意味でしょうか。
あなたも、私も、川も、山も、子猫も、ワンちゃんも、好きな人も、悪いといわれる人も、おじさんも、おばさんも、前を通り過ぎる他人も、全て唯一の存在です。別々では有りません。唯一という奇跡の存在同士で全く同じなのです。みんな違うのでみんな同質なのです。「1即多」 という言葉が宗教や禅の世界で言われますが、同じことを言っています。
あなたも私も他の人も動物も植物も全てにおいて同じ状態のものはありません。唯一の存在だらけの世界なのです。