『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

本・CD売れず…( ;∀;)

2020-09-25 05:30:00 | 仕事
昨日は午前中に、
遠出して
棚倉町の隣にある幼稚園での
レクコンをしてきた。

「三密」を避けるために、
運動会と保護者会を
年少・年中・年長で
分けたということで、
昨日は「年長」さんの
ご父兄だけが対象であった。




園長先生の講師紹介で
登壇し挨拶してから
一言、二言喋りだしたら
やはりマスクが邪魔になり、
演台から最前列まで
ソーシャル・ディスタンス以上の
距離があったので、
マスクを外させて頂いた。

先生はじめ
ご父兄は全員マスク姿なので、
眼でしか表情が確認できない。

これは
噺家でも、苦労するだろうな、
とすぐに察せられた。

ライヴでの話というのは
聴衆の表情をフィードバックして
演者は盛り上がり
より良いパフォーマンスが
出来るというものである。

目元で笑っておられたり、
頷きで、いくらか反応が
探れたが、それでも、
相手の表情という情報の
半分しか読み取れず
コロナ禍の今をあらためて
恨めしく思った。

それでも、
1時間で伝えたいことを
濃密にパッキングして
話せたのはよかった。

ギターは
けっきょく時間が押して
『コーヒールンバ』の
一曲のみだったので、
全エネルギーを投じて
演奏した。

この時ばかりは、
講演中とは違った
マスク下の笑顔と
驚きの様子が
全身から感じ取られた。






前日に8冊準備して
ポップまで立てて
著書の頒布コーナーを
会場の一角に設けていたが、
残念ながら、一冊も
お手に取ってもらえなかった。

よほど話が伝わらなかったのか、
30代のご父兄が
本に興味ないのか、
寂しく思わされた。

CDも数種類を10枚ほど
陳列させて頂いたが
これも一瞥だにされなかった。

『ルンバ』を熱演したのに、
なんだか虚しいような
惨めな敗北気分を
久々に味わった。

(我、破れたりーッ!!)
と、脳内で
せせら笑う厄介人格がいた(笑)。

もっとも、
講演会の恰好つけと
講師の箔付け
というアイテムも兼ねてるので
売れずとも一役は果たしていたが…。

園長先生が
気の毒がって
3点ほどお買い上げ頂いたので、
なんだか申し訳ない気持ちだった(笑)。





講演料とは別に
懐かしい棚倉の『コミネヤ』の
菓子折りも土産に頂戴した。

カミさんと
夕餉の後のスイーツとして
ありがたく頂いた




講演料の臨時収入が入ったので、
帰りに鏡石中時代の2年間に、
毎週ランチに通っていた鮨屋に
1年ぶりに訪れた。

1時近くのピーク時を外れていたので、
他客は誰も居ず、
かつての定席だった
カウンター席に座り、
親方・女将・老女将と
久々に歓談を交えて
労を癒せた。

こういう時の
馴染みの店というのは
有り難いものである。

親方は
ネタケースにない
最高のネタを繊細に細工して
心を込めて握ってくれた。

小鰭は
「まだ〆て一日目ですけど、
いいですか?」
と申し訳なさげだったが、
かまわず所望した。

「まだ、酢がたってると思います」
とのことだったが、
なるほど、その通りだった。

三日ほど寝かせると
熟れてきて“酢が切れて”
旨味が出てくるのが
小鰭の身上である。

でも、
小振りの小鰭だったので、
これはこれで、
新子のような爽やかさも
感じられて佳かった。

続いての鯵も
味が佳かった。

元々、味が良いから
アジと命名された魚である。

これも小振りの秋鯵で
初秋の爽やかさが感じられた。

「鶏魚」とも書かれる伊佐木は
夏が旬だと思っていたが、
この時期にも
いいのがあるという。

白身から皮ぎしの薄桃色の
グラデーションが美しく、
なるほど、鶏のトサカを
連想させられるのも一理ある
と思わされた。

煮切りが滲みて
美しい鹿の子目を
見せていた。

カウンターでやる
“おこのみ”の良さは、
注文したネタが
目の前で切り付けられ、握られ、
出来立てを付け台に
とんと置かれた時の
瞬時の鮨の姿を
鑑賞できることがある。

ことに、
伊佐木や間八といった
“いろもの”では
その美しさが際立っている。

親方が
軽く〆た秋刀魚を
奨めてくだすったので、
頂いた。

薬味の分葱が山葵とも
渾然一体となり、
旬の秋刀魚の旨味を
十分にアシストしていた。




光物、色物と四貫やったので、
ここいらで煮物を…と、
穴子をお願いした。

ひと炙りされ
継ぎ足しの煮詰めを塗られ
山葵を乗せた穴子は
トロリとした食感で
焼き魚のような風味もあり
いいチェンジアップになってくれた。





ランチサービスの
茶碗蒸しを挟んで、
後半戦に臨んだ。

ネタケースの中トロを
指さしてお願いすると、
「もっといいのが、
冷蔵庫にあります」
と仰って
ボストン産のシビ(本鮪)の
いい部位を切りつけて下すった。

やや酸味のある赤身と
霜降りの脂とがいい塩梅の
極上の中トロであった。

一連の“おこのみ”コースの
メイン・ディッシュと言っても
過言ではない
堂々たる逸品だった。

ここで
槍烏賊を奨められたので
それに従った。

繊細な糸造りにされて
塩とスダチで供された。

噛む必要がないほどに
ねっとりとしたテクスチュアで、
スダチの香りと酸味が効いて
小さいながらも
ひとつの完成された
和食のようでもあった。

〆は
定番の干瓢巻きを
サビ入りでお願いした。

東京での修業時代に
直伝されたという
濃い目に炊かれた干瓢は
店のスペシャリティでもある。

寸分も違わず
ピタリと4つ切りにされて
平置きにされたのは
さすがに見事な職人技であった。

これをしみじみと味わい
頬張ってる最中に、
親方が
(最後はこれでしたね…)
と言わんばかりに、
黙ってギョク(玉子焼き)を
切って置いて下すった。

こちらの流れを
ちゃんと理解してくれているから、
常連店は有難いものである。

お決まりのランチにはない
極上の握りを
ひととおり頂き、
老女将とも孫の話をして
大満足を得られた
小一時間あまりだった。

思えば、
今日のレクコンでの
いちばんの報酬を
神様がちゃーんと
用意して下すっていたかのような
“ひとり打ち上げ会”昼食だった(笑)。





懐が温まってたので(笑)、
気が大きくなって、
帰り路に、いろいろと
買っては大盤振る舞い
してしまった(笑)。

日頃、清貧を託って
慎ましく暮らしてるので、
たまのプチバブル時には、
それを自分に許して
味わうようにしている。

きのうも、
シングルモルトの逸品
『グレン・フィディック12年』や
ルジェの珍しい
『パンブルムース』リキュールを
買って帰った。

ついでに、
またルージュ(赤)と
ロゼ(桃色)の
プラ・モデレ(中皿)を
3枚ほど購入した。







新品の皿を
既存の飾り皿に
コーデさせて
『フリュイ・ド・メール』
(海の幸)
を創ってみた。







ソースは
ミエル(蜂蜜)を
キャラメリゼして、
ヴィネーグル・ケレス
(シェリー・ヴィネガー)で
酸味付けし、
海老殻の出汁を加えて煮詰め
仕上げにブールモンテ
(バターつなぎ)した。

お昼のお鮨に続き、
晩の自家フレンチも
自分への慰労とご褒美とした。




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レクコン当日

2020-09-24 07:27:00 | 風景
台風が接近している。

今日は
棚倉の先にある
近津まで遠出して
レクチャー&コンサートに
これから出かける処である。

秋口のアレルギーもあり、
カラダが怠くて、
薄い痰のようなものも出てるので、
クスリを呑んでの
仕事である(笑)。





土湯ラバーなので、
四連休にもカミさんと
まだ未踏のエリアを
散策をしてきた。

途中、
荒井の近辺では
園芸用のヒマワリと
秋の稲穂との
ツーショットが撮れて
面白かった。

俳人なら
一句吐きたい処だが、
その才はなさそうなので、
せめて画像に定着して
ブログで表現するのみである。

それでも、
茶人としては
朱夏から白秋への移ろいは
茶室の床の室礼には
反映している。






スピリチュアル・リーディングの
先生に拠れば、
前世は、京都在住の
禅僧だったという(笑)。

貧民のために
説法して歩いていたらしく、
今生も大難のフクシマを選んで
リバースしたようである(笑)。

なるほど、
京都にも8年棲んで
すべての神社仏閣を拝観し、
仏像・神像を見れば
手を合わせ、
路傍のお地蔵様にも
頭を垂れるのは
宗教者としての前世に拠るもの
と考えれば得心がいく。




土湯の裏山散策でも
初めて拝顔する
観音様、お地蔵様、
朽ちゆく野仏様に邂逅しては
手を合わせ、コロナ禍の収束と
世界平和、オシリ痛完治の
御祈念をさせて頂いた。

そのご利益か、
ここ数日は
尻痛も緩和している。

ありがたや、ありがたや。

(-人-) ナムナム




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五連休

2020-09-23 04:22:00 | 藤井 聡太
四連休が終わったが、
今日はオフ日なので
私的には五連休である(笑)。

明日は
幼稚園での
レクコンがあるので、
近津まで
遠出しなくてはならない。

そして、
今日一日は、
頒布用の製本の完成と
CDのパッキングに
忙しくなりそうだ。

レジュメにも
いろいろと
話の口切トピックなぞを
メモしなっきゃである。

台風がまた
接近していて、
明日は大雨になりそうだが、
それよりも気圧が低下して
体調が崩れるのが懸念される。

なにせ、
HSPなので
寒暖差や気圧差には
滅法界に弱い
虚弱爺様なのである。




昨日は
ソーちゃんの
「王将戦」があったが、
公式戦4連勝できていた
羽生永世七冠に初めて
破れた。

これで、
年内の「三冠」と
「九段昇段」の夢は
潰えた。

二戦目は、
5連敗中の“天敵”
トヨピーである。

先日の対戦で
負けた「横歩取り」を
またしても羽生戦で使った。

ここを研究して
修正してきたとばかり…
実戦で強豪相手に
ぶつけるのだから、
その心意気こそ良しではあるが…。

なにせ、
いちばん勝率の低い戦法だから、
勝って欲しいファンには
ヤキモキする処もある。

次戦の対トヨピーで
またしてもそれを採用したら、
そうとうに凄い覚悟である。

徹底して
自分の苦手戦法でもって
相手に立ち向かうのである…。

得意戦法は
もはや自家薬籠中の物となり、
まだ見ぬ“新しい景色”を求め
チャレンジしているのかもしれない。



王位戦での
古式ゆかしい羽織袴姿で
能楽堂の舞台に登場する姿や
其処に於いて
「真」の礼をする姿は、
日本古来の武道や
茶道、芸道に通ずる
凛々しきものであった。

「少年棋士」という
漫画チックなキャラに留まらず、
“超天才”という
冠が付くのだから、
生きたドラマの主人公である。

これを殺害する、
と予告した人物は、
どれほどに歪んでいるのか、
どのような病理性があるのか
目を背けずに
冷静に分析してみるのも
心理分析家の仕事である。







私的な「死と再生」の
通過儀礼中にあり、
“哀しみ”や“怒り”など
いろいろと煩悶するものを
抱えながらも、
【前を向いて歩け】
【今日の芝は刈れ】
とばかりに
己れを叱咤・鼓舞している。

秋の気配が
色濃くなってきたので、
江戸中期の茶人・久田宗全が
創案した宗全籠に
桔梗・木槿・薄を
利休居士のみ教えに従い
“野に在るやふに”活けてみた。

在京中から茶花を嗜んで
三十年あまりになるが、
成る程、書を掛け、
香合を合わせ、
花を活けるのは
単なる“お飾り”事ではない
というのが、
煩悶期だからこそ
腹から得心がゆくようだった。

昨日は、
茶室で香を焚き、
ひとり自服で喫茶してから、
琴を弾じ、
書室に移っては
『茶の禅語』から
【絶 学】【無 着】
という二語を臨書した。

これまでの生涯で
学んできたことの
全てを放下して、
一切の執着から離れよ…
ということである。

心身共に
一物一事に囚われず
俗世を解脱せよ
という【個性化の過程】なのだろう。




なので、
数ある色紙から
金光大阪を退職する時に
故・星野先生に
揮毫して頂いた
「淡」の一字を選んでみた。

揮毫して頂いて
しばらくしてから先生が
物故されたのを聞き、
たまたまお願いした色紙が
仏事仕立ての円窓だったのが
不思議な因縁に感じられた。

京都鷹峯にある源光庵には
「悟りの窓」という圓窓がある。

「圓」は悟りの象徴でもあるが、
深層心理学では
「曼荼羅」や「ウロボロス」
「全体性」「セルフ(真我)」
の象徴でもある。

星野先生は、
即興で創られた竹筆で
「淡」の一字を
お書き下すったが
(その筆も頂いた)、
裏千家の会報誌名は
『淡交』といい、
その出典は
「君子の交わりは淡き水の如し」
から引かれている。

突然にネット上のサイトを
閉鎖したので、
昨日も友人・知人から
沢山の安否確認のメールを頂いて
身の縮む思いであった。

連絡手段も絶ってしまった
元同僚や教え子たちには
さぞかし心配してるかも、
と申し訳なく思っている。

『もののけ姫』じゃないが、
「♪ 哀しみと怒りに
潜むまことの心を知るは
森の聖 もののけたちだけ ♩」
である(笑)。

君子に為りたいが為
「危うきに近寄らず」
「豹変」…
を決め込んだのかなぁ…
なぞとも
ウダウダと考えていた。

星野先生の「落款」の
「光」の一字と
「淡」が合わさって
「淡き光」とも読めた。

一縷の光明が
何処ぞからひと筋
射してくれることを
願うような気持ちでいる(笑)。




在京中に揃えた
「宝間道」の古袱紗に
トルコ産の
「オピウム(阿片)」入れの
香合を採り合わせてみた。





外出先から戻った
カミさんが、珍しく、
室礼の花を
「いいねぇ…」
と褒めてくれた。

帰宅早々に、
我が家の玄関に
「秋」を
感じ取ったのだろうか…(笑)。







四連休最後の昨日は、
カミさんと土湯散策に
赴いてきた。

方々に足湯があり、
「近くに、
こんなタダで
いい所があんだねぇ…」
と感心してるのを耳にして、
(安近短だぁ…)
と苦笑した(笑)。





吊り橋の袂に
赤蜻蛉がとまってたので、
真上で接写してみたが、
一向に逃げる気配もなかった。

温泉郷では
蜻蛉まで
ノンビリしてんなぁ…
と微笑ましかった。












昼食は
温泉街で
ガッツリ喰ったので、
夜はアニョー(仔羊)一皿と
バケット、サラダ、シードルで
済ませた。





安達のダイソーにあった
ルージュ(赤)と
ジョーヌ(黄)の
プラ・モデレ(中皿)を
同系統色の飾り皿に
合わせてみた。



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プチお出かけ

2020-09-22 04:35:00 | 食物・飲物
お盆に墓参りに行ったばかりだが、
カミさんに促されて、
早朝から彼岸参りに赴いた。

百日紅(サルスベリ)が
青空に映える初秋の彩りで
眼を癒してくれた。




金馬の『雑排』に…

 狩人に
  追っかけられて
   猿滑り

…という、
八公の吐いた戯れ句がある。

他にも、
「春雨」や「初雪」
「梔子(クチナシ)」での
笑句がある。

 船底を
  ガリガリ齧る
   春の鮫

 
 初雪や
  これが塩なら
   金儲け

 
 クチナシや
  鼻から下は
   すぐに顎




カミさんに
お昼を誘われて、
久しぶりに行き付けの
鮨屋に行ってきた。

親方の真ん前に
席を取ってくれ、
“お好み”で
あれこれ握って頂いた。

初貫は
今が旬の
炙り秋刀魚から。

茗荷が添えられ
表面は焼魚の風味がし
中はレアである。

フレンチで言うところの
ティエド(生温か)な逸品だ。

これ一貫で
ひとつの完成された
料理のようでもあった。

続いては
小鰭。

小ぶりの
いい型であった。

この銀屏風のような輝きから
青魚類は総じて
“ひかり物”とも言われる。

中でも
小鰭は江戸前仕事の
代表である。

煮ても焼いても食えぬ
と言われる魚が
塩と酢で〆ることで
秘められた旨さを
極限まで引き出される。

「魚」偏に「旨い」と書いて
「鮨(すし)」と読むのも
なかなかに佳く出来ている。

カミさんも
光物が好物なので、
続いても〆鯖。

血合いの薄紅色が
艶冶に美しく
朝方に見惚れた
百日紅の花色を彷彿させた。

舌触りも
ねっとり絡みつくようで
結構なテクスチュアである。

ブランド物の関鯵は、
分葱をパラレルに2本背負い
何処かガンダムみたような
出で立ちが微笑ましい(笑)。




この日は
白身を割愛して
“ヒカリ四兄弟”で攻めて、
南鮪の中トロを
メイン・ディッシュとした。

ネタの両端が
付け台につくのは
“お女郎すし”と言って、
本来は品佳しとはしないものだが、
中トロに関しては
まるで緋縮緬の裾を引きずる
その姿を想像させ、
艶な形である。

煮物の穴子は
ひと炙りしてから
供されるので、
焦げの仄かな苦みが
旨味を引き〆めてくれる。

口中に居残る旨味を
純米吟醸で流し込みたい
という欲求に駆られたが、
真っ昼間からではそうもいかず、
泣く泣く粉茶で漱いだ。

ここいらで
“変化球”として
生牡蠣を剥いてもらった。

まさに、
“おまかせ”でなく
“おこのみ”なので、
変幻自在に、好きなように、
勝手次第で、喰っている。

フレンチも通い慣れると
“お決まり/お仕着せ”の
コースには飽き足らず
“アラカルト”で
マイ・コースを創出したくなるものだ。

それに、
ヴィアン・マリアージュ
のヴァンを見立てて
メートル・ドテル(給仕長)から
「素晴らしい選択ですね」
と褒められたら
グルマンとしては一人前である。

もっとも、
それまで、数百の場数と
数百万の授業料を支払わねば
“高み”からの風景には
到達できない。




古物店で
見つけてきた
お宝プレートから
インスパイアされて
オードヴルとポワソンの
二皿を製作してみた。

『リエット・ド・クラブ・オー・マイス』は、
フランス産の蟹のリエットに
フロマージュ・フレ(クリームチーズ)を
合わせて、より濃厚な味に
仕上げてみた。

マイスは、
焼きトウモロコシである。




メインは
『ソテー・ド・マクロー・オー・フィーグ』
(鯖のソテー 無花果添え)。

レモンオリーヴで
鯖を焼いたフライパンを
ヴァン・ブランで
デグラッセ(旨味を煮溶かす)後、
ミエル(蜂蜜)を加え
キャラメリゼして、
ライムで酸味付けする。

仕上げは
火からおろして
フエ(泡だて器)を用い、
バターでトロミと
コクと香りを付け加える
「ブール・モンテ」という
技法で仕上げる。

フレンチを創る時は、
いつも脳内を
フレンチ用語に切り替えて
調理作業をしている。

そうでないと、
単なる洋風お惣菜に
堕してしまうからである。



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天才に学ぶ

2020-09-21 05:59:00 | 藤井 聡太
昨日も
『NHKスペシャル』で
二冠戴冠に至る
ソーちゃんの
特集が組まれた。

新たな映像や取材も交え
構成されていたので、
新鮮な部分もあった。

なにより、
彼の天才性は
その盤上での
対局内容にあるので、
それ以外はワイドショー的な
“テレビ雀”の囀りである。




音楽界にも
その他芸術界にも
<400年に一人の天才>
なぞという傑物とは
この生涯で出逢っていないので、
魂理学者としては
彼の語る一言一句には
興味が尽きない。

 より強くなって
「新しい景色」を見たい…

…とは、
名言・至言である。

やつがれのような
凡夫の人生であっても
そうありたいものだなぁ…(笑)。

もう既に、
ソーちゃんには
【将棋の新次元】という
「新しい景色」を見せてもらった。

天才と同じ時代を
生きてることの幸せを
感じずにはいられない。




 自分の手を信じて
 決断して進めることが大切…

           藤井 総太

きっと、そのうちに、
ソーちゃんの
『箴言集』なるものも
編まれるだろう。

最近、
自分の直感を信じて
ちょいと舵を切ってみたら、
なるほど“新しい景色”が
眼前に展開し始めた。

ソーちゃん先生の
仰っることは
正しかった(笑)。





こんどの竜王戦で
タイトルを奪取したら
棋界史上最高の100期獲得という
大偉業を為そうとしている
羽生永世七冠をして、
「藤井さんの将棋を学んで
追いついていく…」
とまで
言わしめている。

そして、
自らを凌ぐ天才性に
畏敬の念を抱きつつ
その“伸びしろ”をも予言している。

「自分の十代よりも
はるかに強い」

「何処まで強くなるのか
先が知れない」

「棋界史上、最強棋士になる
ように将棋の神様から
選ばれた」




四連休なので、
「安近短」で
ぶらりと古物店めぐりをした。

安達にある『アメ商』では、
銘陶・ビレロイ&ボッホ
(Villeroy & Boch)の廃盤を
50円と200円で見つけて、
どえれーおでれーた!!

オタカラ・ハッケン~ッ ! ε=ε=ε=ヾ(*。>◇<)ノ

1748年創業で、
ハプスブルク家の援助を受けた
王室御用達の窯である。

マイセン、
ロイヤル・コペンハーゲン
に並ぶ世界三大陶磁器でもある。




近頃、断捨離ブームで
二束三文で古物業者に出す
ユーザーがいるので、
目利きでない店だと
雑器として値付けするので
“お宝ハンター”には
たまんない獲物に
ちょいちよい遭遇する。

先日も、緋色の美しい
登り窯の作家物・信楽の中鉢が
500円でワゴンに並んでいて
狂喜した(笑)。

(馬っ鹿だなぁ~…)
と、呆れもするが、
物の価値を知らなければ、
まさに
【ネコに真珠】
【ブタに小判】
である(笑)。



知覚心理学者のギブソンが
「afford」(提供する)
という動詞から
「アフォーダンス」という
造語を提唱したが、
この術語をちょいちょい忘れるので
「阿保の箪笥」と語呂合わせで
覚えるようにしている(笑)。

身長に関わらず、
目の前にあるバーの高さが
足の長さの1.07倍を臨界点として、
人は「またぐ」から「くぐる」に
行動変容する。

つまり、
環境が“提供する”情報を認知後に
脳が行動を判断する。

料理用プレートを
バラエティ揃えておくと、
それらが“語りかけ”てくるように、
こういう食材を
こうドレッセ(盛りつけ)したい、
とインスパイアされる。





クライエトのHさんから聞いた
ピタパンを供するカフェに
行ってみた。

“お揚げさん”みたように
袋状になった薄手のパンに
プルコギとバジル・ソーセージのを
やってみた。

ハンバーガーとは
趣きのことなった
中東地中海風の野趣さがある。

デセールには、
スティック・ワッフルにしてみた。

中にチーズが鋳込まれており、
これをたっぷしの蜂蜜をかけてやる。

なんだか、
お祭りの露店の
ジャンク・フードを
いくらかハイソにしたような
感じだった。

12年来365日を連載した
食に特化したグルメ・サイトを
先日、閉鎖したので、
今度は、こっちにも
「呑み喰い雑記」を記そうかと
思ってる。

♪ (´¬`) = 3
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