『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

三密・餡蜜・壇蜜

2020-04-25 05:16:00 | 健康
三密を
 避けて餡蜜喰ひながら
  しみじみと見る
   壇蜜ビデオ

       おそ松(笑)

…なぞという
戯れ歌でも吐いて
みんなで世の中を呪おうよ、
ってなもんだ(笑)。

小池知事は
盛んに
「ステイ・ホーム!」
を連呼している。

『エール』風の
フグスマ弁に翻訳すると
「うっちゃ居ろ!」
である(笑)。

「家におりんさいやぁ!」
は、何弁やろ?

…なぞと、
言葉遊びもホーム・ステイ向きの
知的遊戯かもしれん。




毎年、五月のお節句前に
飾るのが、鐘馗様と兜である。

時節柄、
邪鬼を払う鐘馗様が
頼もしく、有難く感じる。

兜は、闘いに負けぬ、
武士(もののふ)の
胆力を顕わしているようだ。

今年、31歳になり、
来月は父親となるフミが
誕生した時に
亡き父が祝いに買ってくれた
端午の節句物である。

父も孫の誕生を
幽世(かくりよ)から
守護して下さってるものと
信じている。

コロナ・パンデミックの渦中に
生まれてくる子だからこそ、
桃太郎のごと
いずれは“世の鬼共”を
退治してくれる
「ジェダイ(共和騎士)」へと
成長してもらいたい。

「英雄」神話には、
英雄の「非日常的誕生」と
「悪鬼/竜退治」
「宝物/女性」の獲得という
アーキタイパル(元型的)な
フォーマットがある。

それは、
古今東西に共通していて、
桃太郎しかり、
一寸法師しかり、
ヘラクレスしかり…である。

してみれば、
3.11やコロナの渦中に
生まれてきた子どもたちは、
ミソロジー(神話学)的には
「英雄の生涯」を歩むべく
「偽悪醜邪」を退治する
「真善美聖」の戦士として
運命づけられているのかもしれない。

その後に訪れる
「宝物」こそ、
人類が待ち続けた
サスティナブルな恒久的平和が
顕現される世界なのかもしれない。

なんだか、
初孫が“光の戦士”に
なるかと想像すると、
ジイジとしては
ワクワク感があるなぁ…(笑)。

ワクワク (((o( ˙-˙ *))o)))

もっとも、
「戦士」と言っても、
知的戦士もあるわけで、
ウイルス研究者でもいいし、
“第三の道”の思想革命家もあり、
カリスマ的政治家であってもいい。

量子コンピュータを駆使した
ホワイト・ハッカー軍団なぞも
面白かろう。

目に見えず、
出口の見えない
コロナ闇の暗夜行路に、
ファンタジーを光明として
生きていきたいものである。




「1㎏1㎝」と言われるのは、
ズボンのウエスト・サイズである。

メタボで履けなくなったものが
何本かあり、特別なものは
近所の『グラン・ママ』という
仕立て屋さんに2000円で
直してもらっている。

それでも、数あるので、
何本かは自分でやっている。

昨晩も、
スーツのスラックスを
お尻の遊び布の部分を
4㎝ほど詰める作業をした。

もう何本もやってるので、
慣れたもんで、
カッターの刃で
縫合部を切開して
再縫合するだけである。

カミさんの電動ミシンもあるが、
ここは『王様の仕立て屋』を真似て、
ナポリ風手縫いで
遊びをもたせて、ゆったりと
縫い込んでいく。

キッチリしたミシン縫いよりは
ザックリした感があるが、
その緩さが
「糸が動いて」くれて
良き履き心地となるのである。

毎回、
YouTubeの落語や朗読を聴きながら、
半時ほどの手内職で
2000円分を浮かしている。

かつて、本職のオバチャンからも、
これだけできたら
大したもんですよ…と、
お褒めの言葉を頂いた。

たぶん、
お世辞だろうとは
思うが…(笑)。

(。・´з`・) ヘヘ・・






きのうも
20㎞もある掛田まで
「桑島食堂」のラーメンを
食べに出かけてきた。

「ステイ・ホーム」を
ある程度は守りつつも、
気晴らし、気養生も
大事である。

「三密」にならなきゃ、
餡蜜喰いながら、壇蜜見たって
いいじゃないか…(笑)。

市内の食堂は
あちこち閉店してるなかで、
鄙なる山間(やまあい)の食堂は
堂々とやっていて、
しかも、いつ行っても
ソーシャル・ディスタンスは
守られながらも満宅・満席である。

だので、
「三密」の「密集」には
いくらか引っかかるが、
この店の名女将に対する
絶対的「信頼感」と「信用」が、
客をして安心せしめているように
評価される。

それと、この近辺には
感染者情報がないという
安心感もあるのだろう。

川俣の「月見食堂」が閉じた今、
紛う事なき“昭和ラーメン”が
残存してるのは、この店の他に
数えるほどしかない。

厨房の奥では
お婆ちゃんが
せっせと調理してるので、
この店とて、その味が
引き継がれなくば、
いずれ“幻の店”になるやもである。

…そんなことを考えながらも
まだ、二度目のラーメンを
分析的にも味わった。

見た目 ★★
味   ★★
値段(450円) ★★
サーヴィス ★★★
店構え ★

正方形の薄焼き玉子焼きは
大正創業の東京ラーメンの老舗
『萬福』のを模したのかもしれないが、
斬新であり佳き彩りである。

味は『月見食堂』よりは
幾分かマイルドで、
ぼんやりした感じではあるが、
化調感はない。

スープは透明感があり
飲み干せるほどの
程の良さである。

なにより
ワンコインで釣りがくるのだから、
ミシュランの定義じゃないが、
その為にわざわざ食べに行く
価値がある。

女将のサーヴィスは
県下一である。

ただ、今時、
外後架(ごうか/トイレ)なのと、
店内の曲がった額縁類なぞに
目が届いてなく隙があるのは
常連だったら指摘したい処ではある。

鄙場の大衆食堂に
そんなことを希求するのも
可笑しなことだが、
上には上があるので、
その上に行って欲しいのである(笑)。

ᕦ(ò_óˇ)/゛


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心穏やかに…

2020-04-24 04:35:00 | 風景

岡江 久美子が
亡くなった。

カミさんと同い歳なので、
カミさんもショックだったようだ。

乳がん手術後で
免疫力が低下していたのでは
と言われている。

いつまでも
若々しく美しかったので、
コロナは人を選ばず…
という思いがした。




名優の久米 明も
亡くなられたが
96歳のご高齢であり
大往生のようだ。

最近まで『鶴瓶の家族に乾杯』の
ナレーションをされていたので、
まだ、その素晴らしい声が
耳に残っている。

氏の朗読は天下一品で、
夏目漱石の『門』や
国木田独歩の『武蔵野』など
何枚かのCDがあり
折々に聴いている。





家のご神前に
玄関の室礼用道具類を
揃えてある。

在京中から35年ほど、
毎月、玄関の室礼を変えるのを
「茶人」としての
修行の一つとしている。

また、
京都、吉倉、清水町、
現住まい…と、
どの家でも茶室があり、
その室礼もやってきたので、
35年×12月×2ケ所だと
840回もやってきた。

されど、
9歳から始めたギターの
365日×53年の
19.345回に比べたら
大したことではない。

「継続は力なり」で、
室礼は道具組と空間配置の
センスが養われるから、
自宅を含めて24ケ所もの
カウンセリング室の整備にも
自ずとその感性が生かされてきたと
思っている。

こう言っては何だが…
新任校に着任するたびに、
前任者の室内センスのなさに
呆れ驚くことが多い。

こんな部屋で
カウンセリングようせんし、
よう受けんわ…と、
思うことがしばしばである。

ただ単に小奇麗なのと、
居心地がいい、
センスがいい…のとは、
雲泥の差がある。

寂しすぎても難だし、
過剰すぎても野暮っちい。

ことに、
カレンダーやポスター類が貼ってあったり、
ホコリだらけの造花があるような処は
ぞっとしない。

それだけで、
主(あるじ)のセンスが疑われる。

ならば、
ミニマリズムに徹して
何もない部屋に
肉筆の絵が
一枚あっただけのほうが
100倍も“本物”らしい。

室礼の学習には、
洋画や外国ドラマを観るたびに、
部屋の素敵なレイアウトを
よっくと観察することにしている。





きのうは
家の不要本を100冊ほど搬入して
T中のカウンセリング室整備が
ほぼ完了した。

心理学の専門書以外にも
読了した小説類や
各ジャンルのを一緒くたにして
書棚に並べて置いたら、
国語科の先生がそれを見られて
「いろんなジャンルを
読んでおられるんですね」
と驚かれていた。

それから、
坂口安吾を卒論に書かれたというので、
『堕落論』や『白痴』の話から
いろんな文学談義ができて
楽しかった。

時折、本を読まないという
国語科の先生もおられて
驚くことがあるが、
どうやって文学の面白さを
生徒に教えることが出来るんだろう…と、
首をひねりたくなる。

もっと驚くのは、
音大でピアノばっかやってきたという
音楽科の先生が、
ギターが弾けないのはいいとして、
マーラーやブルックナーを聞いたことない、
というのにはマジびっくりした。

このシト(人)、
ドビュッシーの
『牧神の午後への前奏曲』も
知らなかった。

往々にして、
声楽・合唱派は器楽を知らず、
その逆も多い。

たしかに、
自分も合唱・声楽は
詳しくない分野ではある。

でも、音楽史全般の
常識的な名曲は
当たり前のように知ってるが
音楽の教師がそれを知らないというのは
不思議を通り越して
「ダッふんだぁ~ッ!!」である(笑)。

ヾノ・д・´) ァリェナィ



家の子ども部屋を
大掃除したときに、
彼らの小学生時代の物も
ごっそりあったので、
写真類は捨てられず、
「懐かしのメモリー」として
職場のデスク周りに飾っている。

保育園で字を覚えたばかりの
ナッちゃんには、
端渓硯で銘墨を擦り
「これでいいのだ」
と書かせ額装した。

きのうは、
この下にバカボンパパの
セル面を飾った。



カウンセリング室には
小黒板があるので、
さっそく心理・病理を説明するのに
活用している。

悩みや症状を傾聴している時よりも、
やっぱり、「心理教育」の
レクチャーをしている時のほうが
気が楽でいい(笑)。


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職場創り

2020-04-23 06:11:00 | 仕事

T中のカウンセリング室に
山積みになって場所をとっていた
コピー用紙の段ボール箱を
女性事務長が生徒を使って
全部、他所へ搬出してくれた。

これで、やっと、
物置部屋から
純粋なセラピー・ルームに
落ち着いた。

家からは
用済みになった
テレビデオを搬入し、
大脳生理学や薬力学の
映像解説を出来るようにした。




お昼は
独りさみしく
“ぼっちベント”なので、
グルメ番組を録画したものを
眺めながら食している。

CDラジカセの
カセットデッキ部分が
壊れてるので、
落語カセットを聞くことができず、
雑用をする時には
YouTubeで聞いている。




高校時代に油彩で模写した
クールベの『波』は
写実的で、中学の美術の時間に
(いいなぁ…)
と感動したものである。

長らく、物置小屋の奥に
ひっそり眠っていたものを
棚中時代に掘り起こして
クリーニングしたものである。

40年以上経っても
絵具が劣化していないので
油絵具の耐久性は見事なものである。

清水町時代に
庭になったイチゴを
アキとナッちゃんに
色染めを手伝わせて
水彩絵の具で描いた共同作品には
「2005 Natuho」の
サインが入っている。




毎朝、朝刊で
世界情勢の紙面を
チェックしている。

ドイツの新聞の
編集長名で
中国を揶揄しながらも
痛烈に非難しているのが
痛快であった。

中国の大使館や広報官は
激しく反発しているが、
どっちに理があるかは
世界の誰もが判っている。

アメリカでの
対中感情も悪化してきたとのことで、
当然の成り行きである。

いかなGDP2位の大国だと言っても、
独裁政権と杜撰な危機管理で
世界にこれほどの災いを
振りまいた責任はないでは
済まない。

しかし、さすがに、
アメリカといえど、
イラクのフセインを滅ぼしたような
無茶なことは出来まい。

中国には核装備の原潜があるので、
全面核戦争になってしまう。

なので、
内部崩壊が
いちばん望まれるシナリオであり、
その為のCIAの地下工作が
あるいは進んでいるやもである。

表立っては
経済制裁がいいのだろうが、
どの国も中国に依存しているのが
問題である。

ひょっとすると、
コロナへの怨嗟の念で
台湾海峡や南沙諸島で
米中の局地戦的なぶつかり合いが
起こるかもしれない。

そうなれば、
まだまだ米軍には
中国軍は太刀打ちできないだろう。

マンガの世界では、
中国軍と自衛隊の戦闘物が
数多くあり、取材に基ずいた
シミュレーションのようでさえある。











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レクチャー・コンサート

2020-04-22 05:34:00 | 仕事
T幼稚園の教頭先生から
メールが来たので、
てっきり、コロナ自粛で
6月末の教育講演会が
キャンセルかと思いきや、
少人数の父兄で
「三密」を避けて実施したい
とのご連絡だった。

あと、2ケ月後のことなので、
おそらくはコロナもピークを過ぎて
終息していることを期待はしている。




去年の棚倉幼稚園では、
園長の計らいで、
父兄参観の後に講演会を催し、
それが終わってから
園児を帰すという
“人質方式”だったので(笑)、
両親が多く参加して200名近かった。

女性の教頭先生からは
講演会の後に
『アルハンブラの想い出』を
弾いて欲しい、
というリクエストなので、
コロナで犠牲になられた方々の
追悼も兼ねて心を込めて
演奏させて頂こうと思っている。

今回のレクチャーは
ありきたりの「子育て論」は
やめといて
「コロナがもたらしたもの」
というコンセプトで、
『人生深生き』や
『実在論』を中心に
形而上的な教育論を
開陳したいと考えている。




Tちゃん先生の
御尊父の遺墨を
ボードに仮表具してみたが、
これから、木製の額縁を
取付けて完成である。

50年前のシミやヤケは
さすがに取る薬品も技術もないので、
時代の味わいとして
そのままにした。

教会の「角印」があるとのことなので、
左肩か右下に、その朱印を押したら
「白・黒・赤」の書作品らしくなるだろう。

表具作業も楽しいが、
これを奉納した時の
Tちゃん先生や
療養中のご母堂の大先生が
喜んで頂けるのも
楽しみにしている。




今朝の朝刊で
皆川 達夫先生が
ご逝去されたことを知った。

高校時代は、毎朝、
FMの『バロック音楽のたのしみ』を
エア・チェツクしていた。

その温かみのあるお声は
今でも耳に残っている。

番組あてに
ファンレターを送ったこともあった。

多くの事を
皆川先生からは
お教え頂き、感謝の気持ちで
いっぱいである。

ご冥福をお祈りしたい。

(-人-)

先生のご遺徳を偲びながら、
ジュリーニの『モツレク』
(モーツァルトのレクイエム)
を聴いている。



昨日の正午のニュースで、
金正恩が心臓手術後に
重篤に陥っているという
ニュースが入った。

接骨院で施療中だったので、
Mセンセと思わず
「お、いいね…」
と、意気投合した(笑)。

本来、
人の死を願うのは
不遜な事だが、
悪人は別である。

多くの人を苦しめ
殺した者は、
相応の因果報応を
受けるべきである。

習近平しかり、
テドロスしかり。

(x_x) ☆\( ̄ バシッ シンデマエ!



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表具師

2020-04-21 06:02:00 | アート

他校に遅れる事2週間。

K中の仕事が始まった。

そしたら、
昨晩の『鶴瓶の家族に乾杯』で
連ドラ『エール』ゆかりの地・
川俣町が舞台で、
コスキンで顔見知りの
斎藤さんも登場した。

なんだか、
不思議なシンクロニシティである。




職員室の机には
すでに始まった新学期と
前年度の書類が
山と溜まっていた。

その中には、
離任された先生方の
ご挨拶やら、メッセージ、
お礼品などもあった。

三年間カウンセリングをした
Uちゃんの担任も転勤され、
メッセージを残されていかれた。

メッセージ・クッキーが
1ケ添えられていたので、
昼食後のデザートに
頂こうと一口齧って、
何気なく裏をみたら
賞味期限が2週間も前に
切れていた。

「お世話になりました」の
「お世話」だけ食べて、
後は、申し訳ないが
やめにした(笑)。




新年度恒例の
新しいファイルの更新をした。

年度ごとに色を変えて、
もう6年目なので、
3色しかないから
2回目の鶯色である。

生徒は登校したが、
午後からは一斉下校になり
そのまま5/6までの休校に入った。

常連の二人は
カウンセリングにきて、
ひとりは「孤独感」を訴えたので、
HSCでもあり、「コロナ不安」が
影を落としていないか検証するのに、
簡便なマインド・マッピングを
やらせてみた。

そしたら、
ストレス・コーピング(対処法)が
7つも出てきて、
「一つひとつ実行してみます」
と光明を見出したように
明るい表情になって帰った。



執務記録を書いていたら
雨音が強くなり、
換気もかねて窓を開けてみたら、
花壇のチューリップが満開で、
思わぬ目の保養になった。

見る見るうちに
水溜まりの出来だしたグランドと
色とりどりに咲く可憐な花を
ぼんやり眺めていたら、
思わず
「I am …」
と独り言ちた。





11年前に
御尊父の『偲び草』の
発刊をさせて頂いた
宗教家のTちゃん先生が、
「父の遺墨が出てきました」
と言って、見せて下すったので、
お預かりして表具して
奉納させて頂くことにした。

金光教では、
神様にまつわる仕事を
「ご用」と称するが、
11年前に本造りという
「ご用」させて頂いた時、
色々な先生方から
「お蔭が頂けますよ」
とお声掛けを頂いた。

そしたら、
11年目にして、
教会のすぐ近所のT中に
週に二日も
お引き寄せ頂いた。

まことにもって、
【神慮は深淵にして
人の思いぞ及ばざる】
である。

なので、
御尊父のH先生の
遺墨を拝見した時に、
すぐさま、表具して
「お礼」奉仕させて頂きたいと
思いついた。

京都から帰郷して、
しばらく、茶室に掛ける
掛け軸を何本も創ったので、
素人技ながら表具技術を
身につけた。

専用の糊を
煮て濾して伸ばして、
裏打ちし、裁断し、ボードに貼る、
というモダン表具にしようと
準備工程に入った。

途中、二日の
乾燥を待たねばなので、
仕上がりには三日かかる。

明日の退勤後には
教会に寄って
お渡しできるよう
今日中に完成させようと
朝から準備している。

50年も前に書かれたものなので、
紙も傷んでおり、
扱いを慎重にせずば
破損してしまうので、
細心の注意を払っている。

でも、これも
ハラハラ、ドキドキ、
ワクワクしながら
久しぶりの“表具師ごっこ”を
楽しんでやろうと思っている。



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