『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

中途覚醒

2020-04-20 07:48:00 | 健康

ふたつわるこいこと
 さてないものよ

…で、
コロナ自粛中で
筋トレを欠かさず
やるようになってから、
あちこち筋肉痛にはなってるが、
深夜の中途覚醒と頻尿が
以前の3回くらいから
1回に減じたようである。

ひと月近く続けている
入浴中の冷温浴も
自律神経系の安定に
効いてるのかもしれない。

同時に、
プチ糖質制限ダイエットでも
2.5㎏減量してきた。

脂肪肝対策の
ブロッコリースプラウトと
アーモンド摂取も2ケ月近くなる。

今年の定期健診で
はたして肝機能が改善されてるのか
その効果を検証してみたい。

坐骨神経痛の対策に
PC椅子用の便座を導入したが、
さほどに劇的な効果もなさそうだ。

きのうは、
鈍痛が続いて
欝々した気分に落ち込んだ。

コロナ明けと同時くらいには
疼痛明けにもなってもらいたい
ものである。





例年、
100本近く、
BSで録画した映画を
駄々羅に眺めている。

『ダーティーハリー2』は
むかしに見ているが、
再度、鑑賞してみた。

主人公名の
ハリー・キャラハンは
すっかりおなじみである。

要所要所は
けっこう覚えていて、
ここでマグナムぶっ放すんだよな、
と思い出しもした。

高校時代だったか、
これに憧れて、
通販でマグナム44の
モデルガンを買って
火薬を込めて、
よくぶっ放したものである(笑)。

『5』あたりになると、
リボルバー・タイプが
オート・マグナムに変わる。





日曜朝刊の
新刊案内コーナーを
毎週注目しているが、
『オーケストラ』という
面白そうな書評があり、
食指が動かされたが、
なにせ6.000円というのは
高額に過ぎて手がでない。

こういう本こそ、
公立図書館か学校図書館で
購入してもらいたいものである。

新学期の希望図書として、
3校の図書係の先生に
リクエストしておこうかしらん、
と思いついた。




「毒を以て毒を制す」
というように、
トランプの中国叩きを
陰ながら「よしよし」と
応援している。

米中が現世界の
二大大国であることは否めないが、
どちらも問題だらけの
病んだ国である。

それでも、
敗戦国の日本を
いっ時、戦時下統治したが、
当時の軍国主義国家を
叩きのめして民主主義国家に
生まれ変わらせてくれて、
憲法や教育制度まで与えて
独立を認めてくれたアメリカは
まだ中国より信頼できる。

3.11の時の
米軍による
「オトモダチ作戦」にも
好印象を抱いた。

それでも、
現大統領や好戦国家、
財政難、格差社会、など
問題は山ほどある国である。

コロナの教訓として
いかな国家主義を貫いたとしても、
グローバル化、自由貿易から
後戻りできないので、
いずれは、EUやASEANを拡大した
世界連邦にならざるを得ないのだろう。

現在の国連軍は
まだまだ専守防衛的な
規制があり過ぎて
世界の警察たるには
その機能を果たしてはいない。

国連からして、
毎度、喧々諤々で、
常任理事国の拒否権なぞという
不思議、不公平な採択ルールがあり
自由主義圏と共産圏とが
経済的交流や貿易面でしか
融和するには至っていない。

それより、
まだ、各国家の
リーダーたちが、
自国の領土拡大や
「世界征服」のような
幼児的な野望を抱いてるのが、
そんなに“男の子の陣取りゲーム”
やりたいのか…と、
嘆かわしくなる。

してみれば、
女の子の“おままごと遊び”の方が
よほど平和的で
楽しげである(笑)。










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Post Corona World

2020-04-19 07:03:00 | 風景
 コロナで見えたもの…
 それは、人の心に潜んでいる「偽悪醜邪」である。
 
 国内では、感染者を出した学校がネットや巷で誹謗中傷され、生徒たちが「コロナ!」と謗られ差別される事件が起きた。
 海外では、アジア人は「コロナ!」と指をさされ、暴力を振るわれた。
 
 途上国では、暴動が起こり、暴徒が食料品店を襲って略奪し、支援物資には人々が群がって取り合いで殴り合いが起こった。
 3.11の災害下では、日本人は、粛々と列を作り、略奪も暴動も皆無だったのを世界は驚嘆し、賞賛した。
 
 感染源となった中国は、アメリカ軍の空母が乗員の集団感染で機能不全に陥った隙に乗じて、ハワイ近海や南沙諸島に海軍を進軍させた。
「火事場泥棒」の遣り口そのものである。
 世界中に大いなる災いを撒き散らしておきながら、マスクを供給したぐらいで「世界に貢献した」と嘯く習近平政権は「盗人猛々しい」。
 
 世界の人々の命と健康を守るべき国際機関のWHOは、トップのテドロスが中国に忖度し、政治的思惑で機能不全になっている。
 
 安倍総理は、自らコロナ非常事態宣言を発した身でありながら、国会で「年金70歳支給」の改正法案に言及するなど、「今、それを提案、審議してる場合か?」と野党に詰め寄られ、「物議を醸した“お寛ぎ動画”」同様にKY的素養を晒した。
 副総理は、かつて「未曽有」という漢字を「みぞゆう」と読んで、知性を疑われた“あ、そうだろー”である(笑)。

 国のリーダーである政権与党のトップが選んだ実行策が「マスク2枚」と「ひとり十万円」である。なんだか、哀しくなるような愚策で、「後は野となれ山となれ」と突き放されたようにも感じられる。
 コロナとの闘いを「戦争」に喩えるなら、戦略で最も愚策と言われるのが戦力の「逐次投入」であるが、かつて大本営が誤ったその方策を、現政権はまたしても轍を踏んでいるように見えて仕方がない。
 非常事態宣言の遅れも、医療崩壊と感染バースト直前ギリギリの状況下では、果たして、半と出るか丁と出るか、博打のような危うさである。
 国民を塗炭の苦しみに逢わせて、尚且つ、薄氷を踏ませて渡らさせるようなリーダーは、「もり・かけ・さくら」問題を有耶無耶にして引責するしなかったその人である。
 そんな人に「私が全ての責任を負います」って、愛犬を抱いて音楽聞きながら、まったりしながら言われたくないものである。

 3.11非常時の民主党政権も無能を晒したが、コロナ非常時の自民党も同じ穴のムジナである。




現在の「三種の神器」は、
マスクに消毒液に体温計だそうだ(笑)。

楽器工房には
防塵マスクがあり、
わずかな隙間もなく、
頭からスッポリと被る
物々しいものである。




感染者数と死者数のグラフは
1・3・9・27…
のような等比数列的な
増加率に見えなくもない。

専門家の試算では
「接触8割減」の先に
ビークダウンするという予想だが、
非常事態宣言には
諸外国のように
罰則も取り締まりもないので、
あくまでも「自粛要請」という
個人の性善説的な倫理観に委ねている。

母性社会、村社会の日本ならでは、
その効力発揮が期待できる面もあるが、
他方、この期に及んでも、
私権を制限するという理由で
トップダウンの英断は下せない
「傘連判」の国であることを
再認識させられた。




人類未曾有の複合大災害であった
3.11体験者として、
コロナ惨禍についても
「人文科学」者という
有意義な提言をしたいと
あれこれ考えている。

その一つとして、
「音楽」の力は、
その実効性が6年間の
『復興支援コンサート』の
アンケートで手応えを得た。

そして、今は
「言葉」の力も大切である、
と考えている。

ことに、日本には
「言霊」信仰が古来あるが、
西洋においても「言葉」には
スピリットが宿ると考えられている。

3.11の時には
『復興ソング』の『花は咲く』が
注目を浴びた。

そして、

『絆』という言葉も…。

「2020コロナ・パンデミック」では、
「三密」というのがキーワードになっている。

「粗密」という言葉からは、
「三粗」という造語ができる。

密集・密閉・密接がダメなら、
「散・開・離」はどーだろー(笑)。

(断捨離みたいだが…)

免疫力をあげるには
「食・眠・動」
である。

「知情意」を捩れば、
コロナで痛感したのは、
「体・情・知」
である。

3.11では、
「人生長生き」よりも
「人生深生き」を悟った。

コロナでは、
「命あればこそ」
と感じている。

「Post Corona World」から
「PCW」というスリー・レターも
思い浮かんだ。

「TOKYO2020」のアナグラムを
考えていたら、
「OO TKY 20 20」と分解して
「おお。とても、きつい、よ。フレー。フレー」
と読めてしまった(笑)。



中国発祥の伝染病。
中国依存の世界経済。
都会・都市のコロナ蔓延。
ネット社会…
というキーワードからは、
一極集中の弊害・リスクが
今回、あらためてクローズアップした。

リスク分散という
戦略的目的でインターネットが
構築されたことを考えれば、
実働社会や都市構築においても
「分散」が喫緊の課題になろう。

これは、富の「分散」にも
言えることである。

世界のトップ26人の
超富裕層の資産が、
低所得者層38億人の
総資産と同額である、
という「一極集中」ぶりは
歪んでいるとしか言いようがない。

アメリカでも、
1%の超富裕層が
中流階級の総資産を上回るという。

日本、中国でも、
同様の格差があり、
同時に、「貧困」問題が
厳然として在る。

超富裕層は、
組織やマスコミや政治家は元より、
ギャング・マフィア・ヤクザさえを操る
「パワー」を持っている。

富裕層の中には
武器商人も多く、
彼らは世界の混乱や
憎悪の応酬によって
血が流れるほどに
自らの懐が膨れ上がるという
「死の商人」でもある。

習近平やプーチンらの
権力機構も自身への
「一極集中」を進めて
独裁者化している。

クリミア問題やら
チベット/ウイグル問題で
領土拡大・覇権拡大を
狙っているのは周知である。

このコロナ惨禍を経て、
果たして、人類は、
悲惨な「闇」の時代に突入するのか、
「分散」と「絆」を
いいように社会にアレンジして
新たな「光明」を見出すか、
ナイフリッジ(剣が峰)に
立たされているのだ。






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第二次休校

2020-04-18 06:29:00 | 仕事
緊急事態宣言が発せられ、
またまた、来週から
一斉休校になってもうた。

新入生も
まだ学校に慣れないうちから
拡大版ゴールデンウイークである。

教職員は出勤するから
仕事はなんぼでもあるが、
カウンセラーはクライエントが
来てくれないことには
開店休業になってまう。

そん時は、
自学時間と割り切って
溜まりにたまった
ジャーナル(学会誌)でも
論文を読んで勉強してるよりないなぁ。

ツタヤでお会いしたことある
女性の教頭先生からは、
「先生。
あんまり、ツタヤに行っちゃ
ダメですよぉ…」
と、釘を刺されて、
「へへへ。
庭みたいなもんだから、
毎日、ブラついてんですぅ…」
と照れ臭かった。

(´д`|||)




昨日の給食は
久しぶりのカレーだった。

センターから
時間をかけて運ばれてくるので、
御多分にもれず、
これまた冷め冷めで、
家庭では考えられないが、
これも「食の修行」だと思って、
有難く、美味しく、味わった。

世界の1/3は飢えているのだ。
これとて御馳走という
人々は大勢いる。

なのに、
冷たいだの、不味いだの、
と言ってはバチが当たっちまう。

・・・でも、
次回からは、
こっそり給湯室で
レンチンしたろ…と、
目論んでいる(笑)。




給食後から
昼休みのカウンセリングが始まるまで
20分しかないので、
大急ぎで体育館に赴いて
寸暇を惜しんで
ピアノのお稽古をする。

床板で伽藍堂の館内は、
あたかも音楽堂のような残響があり、
ヤマハ・グランド「C3」を
フル・オープンにすると、
家のアップライトでは
絶対に表現できない
ℱℱ(フォルテッシモ)が
バンバン出せて爽快感がある。

よく、ピアノや楽器に
女性名を付け
パーソニファイ
(人格化/personify)して
対話するように
演奏を心掛けている。

この楽器も
何故か「悦ちゃん」という愛称で
お稽古をつけてもらっている(笑)。

そして、
弾き終わったら
「ありがとね。
悦ちゃん…。
また、来週ね…」
と挨拶して蓋を閉じる。

悦ちゃんは
若くて、なかなかのイケヴォの
美人さんである(笑)。

音楽堂の
「マダム・スタインウェイ」は
北欧の美熟女といった感じかなぁ…(笑)。



給食の牛乳飲みながら
弾いてまんねん(笑)。

(((o( ˙-˙ *))o)))  





マーラーの最初期の作品
『ピアノ四重奏曲』(a-moll)の
スコア勉強をした。

ウィキに拠れば、
ウィーン音楽院に在籍中の
1876年に16歳で書かれた
作曲科の試験用に創作されたという。

その作風は、
シューベルトやブラームスを
模倣したような生真面目で
穏やかな曲想で、
8年後に書かれた
『交響曲第1番』に聞かれるような
“マーラー色”の片鱗は
何処にも感じられなかった。

マーラーは歌曲や
大規模な交響曲によってこそ、
自身の個性化のカラーを
表現し得たのかもしれない。


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京風弁当

2020-04-17 06:48:00 | 食物・飲物
前夜に、
鯛を丸々一匹、
炊飯器に仕込んで
二合分を炊き込み、
夕食で余った一合分を
弁当の「鯛めし」にした。

それに合わすべく、
久しぶりに
玉子焼き器で、
丁寧に厚焼きを
拵えてみた。

完成イメージ図は
「京風鯛めし弁当」である。

なので、
朝っぱらから
庭の山椒の若芽を摘んで
散らして一丁出来上がりである。

さすがに、
それだけでも寂しいので、
フランクフルトを一本
バーナーでこんがり焼いた。



鯛めしは、
身をほぐす段階で
どうしても小骨を
取りこぼすことがあり、
それが喉にでも刺さったら
難儀このうえもないので
食べる時にも、慎重を期する。

酒と味醂と出汁の効いた
甘めの玉子焼きと
香り豊かな鯛めしのカップリングは
やはり秀でたもので、
タッパーの容器でなかったら、
さぞかし風趣も増したことだろう。

いつもは、
“死なないマジナイ”程度の
適当ベントだが、
たまには、ちゃんとしたのを
創るのもいいもんである。




もともと、
信心深いほうだが、
疫病が蔓延するこの非常時下では、
神仏を見るたびに
手を合わせて、
その難儀な事態の
終息を祈っている。

口偏に「十」と書いて
「叶う」というが、
口の前に十本の指を
合掌する形から出来た
字だというので、
日本語はよくしたもんだ。

不動明王の炎を背負って
剣を携えた厳めしい面構えは、
こんな時には、
「病魔退散!!」
というように
頼もしく見ることができる。




50年以上も
ギターを弾いてきて
指を酷使してきた結果、
還暦を過ぎてヘバーデン結節という
変形関節症で曲がって、
節が出来て、絶えず痛みがある。

ある程度は改善するともいうが、
もう、指に限らず、
あっちもこっちも
痛い処だらけなので(笑)、
加齢でカラダが摩耗してきたと
諦めるよりしょーがない。

「やれ痛や、今、御蔭を…」
という金光教祖の
み教えがあるが、
痛い処があるからこそ、
神様との繋がりを忘れずに
いられるのかもしれない。

ハワード・ヒューズの生涯を描いた
『アビエイター』という映画を
観たことがあったが、
生まれつきの超大金持ちで
才能にも恵まれたが、
極度の不潔恐怖症にかかり、
晩年は悲惨な死を迎えた。

精神科医だったユングの処には、
アメリカの超富豪や名士たちが、
分析・治療に大勢訪れたという。

彼らは、
この世に於いては、
地位も名誉も財産も手に入り、
「何不足ない」状態に倦んで、
ドラッグでトリップする以外に
なくなったという。

精神的な慣れの果てが
「ヤク中」や「アル中」
「ギャンブル中」「ノイローゼ」
だったというから、
世の中、まさしく、
【二つ善い事 さてないものよ】
である。

『モダンタイムス』や
『独裁者』で
未来の悲惨さを予見していた
チャップリンは
「人生 サムマネー」
と賢者らしき
名言を残した。



敬愛する漫画家・
東海林さだお氏のエッセイで、
未来に、風邪をはじめとする
あらゆる病気が克服されたら、
いつしか人は、
「熱が出て咳をする」
ようなクスリを発明して、
「あ、そうそう。この感じ…」(笑)
と、懐かしがるのではないか、
というのを読んで
笑ってしまった。

人の“ないものねだり”の心理を
よく見越している(笑)。

現下は、
「負の局面」だが、
これとて、個人の人生と同じく
決して平坦ではなく
凸凹の一部なのである。

名著『死ぬ瞬間』の
キューブラー・ロスは、
京都での学会講演で
「みなさんの人生に
波風の多きことをお祈りします」
と、結んで、
さすがだなぁ…と、
話題になった。

山も谷もない
ノッペリした平原を
ただただ歩くような人生は、
さぞかし、つまらなかろう。

私という存在は、
車のナビの下にある
あの「赤三角」印なのである。

それのみでは、
何の意味もなさない。

曲がりくねった道や
2D画面には表示しきれぬ
凸凹があって、
山川谷海湖沼があってこそ
ドライヴも面白かろう
というものだろう。

人間という
肉体に縛られた存在は、
どうやっても「今、ここ」しか
生きられないのであれば、
「現在」と「I am」(私は在る)
を意識して生きていくよりない。

死んだ後は、
また別の話で、
曽野 綾子センセ曰く
「生という偉大なものを
在らしめた創造主が、
死をもまた
偉大なものとしないはずがない」
という名言を信じて
今日の命を“大いなるもの”に
安心して委ねている。






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部屋づくり

2020-04-16 07:47:00 | 仕事

新任のT中の
室内整備も着々と進み、
どうにか“らしく”なってきた。

・・・にしても、
物置代わりに
コピー用紙の箱が
一角を山となって占めているのは
不本意で、どうにかならないものか…と、
教頭に言ってみたが、
フンとも返事がなかった。

これまでも、
たびたび、物置部屋を
カウンセリング室に当てられてきた
学校があるが、そのたんびに、
「教育相談」に対する
意識の低さ、関心のなさに
嘆かわしく思ったものである。

中には、
ハッキリと管理職に
「カウンセリングなんて
必要と思わない…」
と明言されて、
腹ぁ立てたこともあった。

でも、
【腹立てば心の鏡の曇ることなり】
という御教えを
心の中で反芻して、
与えられた状況で
グッと奥歯を噛みしめて
自分に出来るだけのことを
淡々とやらせて頂いた。

なので、
「Bloom where God has planted you.
(おかれた処で咲きなさい)」
という俚諺(りげん)が
心に沁みた。

ならば、
段ボールの山も
カバーで覆って
飾ってやれ、である(笑)。




週二日勤務のT中も、
自家ベントを持参することにした。

カミさん曰く
“不味い”給食を
さらに冷めたマズマズの状態では
食したくないもんね。

週一のY中だけで、
けっこう、毛だらけ、猫灰だらけ、だ(笑)。

それにしても、
我が手製のベント、
毎回、ちゃんと水平に
鞄に入れてるつもりでも、
通勤中の車の遠心力のなせるわざなのか、
いっつも、片側に寄ってしまう(笑)。

これを
フグスマ弁では
“よさる”というが、
東京人のショージ君(東海林さだお)も
それを使っていた。

去年まで
6年間勤務していた棚中の
カウンセリング室を飾っていた
絵画や写真類を
そっくり移し替えた。

一対のお地蔵様は、
カウンセラーとして
初任校だった白河中央中近くの
お寺さんで撮ったもので、
どちらもお気に入りである。

子どもの護り神でもあるので、
学校のカウンセリング室には
相応しい“宗教性”だと思う。




高校時代に模写した
モネの≪アルジャントゥイユの橋≫と
7年前に模写した
ユトリロの≪パリの通り≫を
並べて掛けてみた。

油絵の耐久性は
驚くべきもので、
40年以上前の状態が
今もってキレイに定着している。

部分的に剥離した箇所は
補筆して、年に一回は
パンドールというニスを
前面に引いて、艶を復元させている。

その時は、
恰も、ルーヴルの
キュレーターにでもなったような
“ごっこ”遊びを楽しんでいる。




我が庭のチューリップが
一輪だけ咲いた。

背景の雪見灯篭とは
「和と洋」の
ちんちくりんな取り合わせだが、
これもまた小堀遠州好みの
“明る寂び”であるなぁ…と、
その妙趣を味わった。

先日の月舘のミニ花見山のような
百花繚乱も見事だが、
茶人にとっては、
やはり、こういった
詫びた咲きようが
いいなぁ…と、
感じ入ってしまう。

さ、さ、
ペント作って、
仕事に行かねば…。

スタコラ ε=ε=┏( ・_・)┛・*:.。.


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