『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

兄弟娘孫

2021-03-27 06:35:00 | 家族
今週、就職上京して
東京人となったナッちゃんを
さっそくフミが遊びに
連れだしてくれたようで、
カミさんが
「さすがだね…」
と感心していた。

二人の
打ちっ放しでの動画を見たが、
さすがにフミは
高校・大学と7年も
体育科に所属していただけあって、
ゴルフも必修だったので
様になっていたが、
ナッちゃんはまだ
へっぴり腰だった(笑)。




ミカちゃんが自撮りで
4人揃った処を撮るのに
失敗したのか、
カワイソーに
リク坊は里芋あたまの
ポワポワした毛ぇしか
写ってなかった(笑)。








上京したナッちゃんが
茶室に置きっぱにしていった
自家製作業デスクを
解体する前に、ここで
ひと仕事してやろうと
漱石の『夢十夜』の深層分析を
始めた。




かねてより
着手しようと思ってたが、
手強そうなのと、
意味あるかなぁ…という迷いとで
敬遠していたが、
この春休みに
向き合うことにした。

上手く
公益性のある仮説やらが
抽出できたら
論文にしてジャーナル(学会誌)に
投稿してもいいが、
それよりも、
大作家の異色作と向き合って
楽しみながら奮闘してみるのが
主眼ではある。

深層心理学と
病跡学(pathography)を
融合したような
ユニークなアプローチをしてみたい。





カミさんが
ウッド・クラフト店から
箱庭療法に使えそうな
ミニチュア・ハウスを
4点買ってきてくれた。

一緒に出掛けると、
ついつい箱庭のツールを
探しているので、
いいものを見つけてきてくれた。





茶の湯の精神に
「一器四用」
というのがある。

一つの道具でも
上手く「見立てて」
いろいろと転用してみよ、
ということである。

茶聖・利休は
この「見立て」の
天才であった。

現在の茶室の構造や
竹の花入、黒楽茶碗なぞ、
すべて彼の考案である。

使わずに
ホコリのかぶったまんま
しまわれていた
電灯のガラス傘を
きれいに洗って
空拭きしてから
「花入れ」に見立ててみた。

食卓に飾ったら、
カミさんに受けていた(笑)。







起きがけに
テレビをつけてみたら、
いきなり、土日のマドンナ
「アサちゃん」がアップで映った。

そのご尊顔を拝し、
(あらっ…)
と怪訝に思った。

なんだか、ちっと
浮腫(むく)んでるように
見えるのは
気のせいか…。

いつもより、
こころなしか 
プックラして観える。

(うん?! 太った?…
 それとも…
 出来ちゃった?)

彼女、アラサーの人妻だから
妊娠したとしても
何の不思議もない。

コロナ太りよりは
可能性がある。

しかも、ちっとばかり
眉がつり上がってて、
顔に険がある。

顔つきがキツくなると
「男の子」というのを
聞いたことがある。

かつて、
予報士のランちゃんが、
ちっとプックラしてきたな、
と思ったら
産休に入ったことがある。

果たして、
このヒマ人の「見立て」は
当たるかどーか…(笑)。


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