『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

ふたりデジュネ

2021-03-28 06:48:00 | 食物・飲物
春分の日に
珍しくカミさんから
墓参りに誘われなかったので、
今年は忘れてんのかな…と、
ほっといたら、
きのう思い出したようで(笑)、
突然、行くというので
付き合った(笑)。

自分は、毎日、
朝晩、神前・霊前に
ご祈念をしているので、
ご先祖様との御霊様とも
会話してるようなものなので、
特段に、彼岸に墓参りを
しようという気が起こらない。

なので、
いつもカミさんの行事に
くっ付いていってる
心境ではある(笑)。

朝一の鍼治療に
一緒に出掛け、
自分が施術中には
カミさんは車で
読書していた。

墓所のある信夫山に赴いたら、
早々と「さくら祭り」の警備員が
通行止めをしていて、
「お墓参り」を告げたら
ブルー「許可書」を渡してくれて
通してくれた。

登坂しながら
まだ三分咲きの花を
愛でながら、
これから開けようかという
露店のカラフルなテントにも
目が惹かれた。





帰りにスーパーに寄って、
"おうちフレンチ"の材料を
二人分買って帰宅した。

学休期間中は
ほぼ毎日のように
"ぼっちランチ"してるので、
一人分つくるのも
二人分つくるのも、
手間はたいして違いない。

『グリル・ダニョー・オー・ソース・プノー』
(仔羊のグリル プラムソース)と
『ロティ・ド・ポール』
(豚のロースト)の二品を拵えた。

二人分で
ちょうど千円くらいだったので、
この四皿をフレンチ・レストランの
アラカルトでやったら
「諭吉さん」になってしまう(笑)。

なので、
"おうちフレンチ"は
如何にお得か…(笑)。

口にするなり
「美味しいーッ!!」
と言うので、
内心、
(…ったりめぇだ、っつうの)
と思った(笑)。

そりゃ、馬鹿みたいに
毎日つくってりゃ、
火加減、塩胡椒かげんも
ピタリと決まるわなぁ…。

もう完全に体得した
トーチャンの
得意技である(笑)。

なればこそ、
初対面のリク坊ちゃんに
自信をもって離乳食も
供してあげれる
っていうものである。

┌( ̄^ ̄)┐エヘン! 

   ↑
ジマン・ジコマン・ジジイ




ワインセラーから
『サンライズ』という
ベタなネーミングの
チリのシャルドネを
合わせてみたが、
安もんのわりには
まずまず佳かった。







肉よりは魚を好む
カミさんは、
昭和の人だから
「豚肉」を
ヴィアン・ロゼの薔薇色に
仕上げると気持ちわるがるので(笑)
火が入り過ぎの
ヴィアン・キュイ(ウェルダン)にした。





オーヴンから出して
数分間ルポゼ(休やませ)してから
二等分したので、
ジュ(肉汁)は全く垂れず
内部に留まってくれた。

これをその状態で食すには
ナイフを滑らすように
スパリとカットしないとならないが、
肉の喰い方に馴染みのないカミさんは、
力任せにナイフを圧しながら
ギコギコやるもんだから
ジュクジュクと肉汁が湧きだして
スープ皿に溜まってしまった(笑)。

作り手としては…

ʅ(-"-;)ʃ アーア… 

…ってな
感じだった(笑)。

でも、
あえて文句も言わず、
もう、好きなように
喰えやいッ!!
と、黙ってた(笑)。

自分のプレートには
一滴もジュを流さなかった。

(=`(∞)´=) ドーダ、オラ!

   ↑ ドヤ顔(笑)

『美味しんぼ』の
海原 雄山なら
「貴方は、
共に食事をするに値しない!」
と一刀両断に
されんだろう(笑)。

上から目線で
食通ぶって
嫌味ったらしくも
感じられるかもしれないが、
茶聖・利休の逸話にも
似たようなのがある。

ある日、
茶事に招かれた利休が、
茶菓として出された
摘みたての苺に
たっぷりと砂糖が
かけられていたのを見て、
すっくと立ちあがり、
「貴方は、
共に茶をする価値がない…」
と辞去したという。

戦国時代当時の
白砂糖であるから、
それこそ、庶民では
手に届かぬ高級品だったろうが、
それをこれ見よがしに
旬の摘みたて苺にかけられたのが、
利休としては
我慢ならなかったのだろう。

これは、
通ぶったスノビズムとは
一線を画すものであり、
「ものの本質を解してるかどうか」
という茶聖の命懸けの
生き様なのである。

であればこそ、
時の天下人
「大公秀吉」を相手に
縁起が悪いと嫌っていた
黒楽茶碗をわざと用いたり、
貧乏臭いとなじられた
竹花入を用いたり、
噂を聞き楽しみに観に来た
利休の庭の満開の朝顔を
全部手折って
床の間に一輪のみ
活けて見せたのである。

田舎の百姓の出自である秀吉は
終生そのコンプレックスを
感じていたきらいがあり、
堺の商人の出ではあるが
洗練された都市文化の中で
生まれ育った利休の
「美意識」には
敵わなかったのである。

秀吉は、
利休の茶に赴くたびに、
躙口(にじりぐち)で
刀を外に置かされ、
毎回、頭を垂れさせられた事も
腹に据えかねていた。

「茶室」の中は、
「胎内」でもあるので、
何人(なんぴと)たりとも
エライもヘッタクレもなく
万人が「無身分」なのである。

文化人類学者のターナーは、
このような状況を
「コミュニタス」と命名し、
通過儀礼の過渡期に見られる
身分から解放された
独立個人どうしの
全人的で対等な人間関係
と定義している。

そのような物事の本質を
秀吉は最後まで理解できず、
それを悟らせようとした
己れがメンター(導師)を
自刃させたのである。

死ぬまで「美」を解せなかった
天下人は、歴史が示すように、
まさしく一代天下として
潰えたのである。

己が信念と
「茶の湯」と
「美」の為に殉じた
利休の後には
今日まで400年にわたり
連綿とそのミーム
(文化的遺伝子)が
継承されている。

これもまた、
「真善美聖」の
普遍性を示す好例と
考えている。








ミカちゃんが
送ってくれた
『リク坊ちゃんドライバーになる』
は、父子が微笑ましく
写っていた。

こないだの来福時も、
フミが仰向けに寝っ転がり
我が子を抱いて
そのオナカのあたりを
「ガブガブガブーッ!!」
とやると、
キャハハと喜ぶので
何度もやってたのを
そばで見てて微笑ましく思った。

(親子だなぁ…)
(やっぱ、子煩悩だなぁ…)
とも感じた。

フミがミカちゃんに
「カウンセリング室、
見たことないでしょ…」
と言って、
リク坊と三人で見に来たので、
親子三人をクライエント側の
ソファに座らせて、
ジジがカウンセリングの
真似事をしてみせた。

リク坊に向き合って
「ふーん…
そうなの?
トーチャン毎晩おそいの…。
そりゃ、ワリーとーちゃんだねぇ…」
と一人語りしてみせたら、
両親とも苦笑いしていた。

ついでに、
ギターを取って
リク坊の真ん前で
その目を見ながら
即興でフラメンコ曲を
ジャンジャラ、ジャンジャラ
弾いて見せたら、
キョトンとしながらも
喰い入るように見聴きしていた(笑)。

ジジ馬鹿で
(こりゃ、才能あるわい!)
と、その熱心な聴きぶりに
嬉しくもなった(笑)。

(o^-^o)ヾ(^^ ) ヨシヨシ エライゾ





先日観た
『コロンボ』の落ちが、
壁に埋め込まれた
殺された遺体に電話し、
そのブレスレットの
ポケベルが応答し、
犯人の目の前で
コロンボが送った
「gotcha つかまえた!」
というメッセージが現れる。

これは、
"I got you"のスラングで、
「ガッチャ」と発音されるが、
「わかった」という意味もある。

それから、
何かを達成したときに
「やった!」という意味もある。

しょっちゅう、
やった、やった、言ってる奴は
「ガッチャ・マン」という(笑)。





こないだの
震度6の大余震で
ぐちゃぐちゃ、
ガチャガチャになった
古楽器工房を
まだ片付けられないでいる。

片付始めて
"疲れを起こす"と、
いま、薬物療法と静養で
良くなりかけている
喘息性気管支炎が
悪化するからである。

なので、
気がかりでいながら、
廃屋の廃品置き場みたいな
工房内は足の踏み場もない。

震災だから、
すっかたなかんべぇー…
と、思うようにしている(笑)。



自分がかつて
一心不乱に創り上げた
ルネッサンス・ギターで
デモ演奏をして
YouTubeに
アップして下さってる方が
おられる。

自分が死して後も、
製作した二十あまりの
楽器たちは
この世に残り、
愛好家に弾かれ
時に動画にもなるんだ、
と想像すると
なんだか、ちょっと
嬉しいような気もする。

20…と言えば、
JCに、
「二十人いないのに、
なんで二十って言うの?」
と愚問を発し
「せんせい。
あれ、NiziUってんだよ」
と笑われた(笑)。

(/^_^)/ チュド~ン! 




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