『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

日々、徒然なるまま・・・

2019-06-26 04:52:00 | 勉強
隠居の身の
六連休中なので、
ゆんべは9時半に入眠し、
今朝は3時半に目覚めた。

7時間睡眠を
理想としているので、
-1時間の勘定だが・・・
「目が覚めたら、朝!」
とキッパリ決めている。

日中、眠たくなったら
そん時、「補眠」(造語)すればよい。

なので、今朝は、
コーヒー&朝刊の
ルーティーン後、
4時からブログ“創作”を
開始した。



今朝は
17℃まで冷え込み、
日中は32℃にもなるという。

15℃もの寒暖差だが、
さすがに、春先の
ジェット・コースター気象の洗礼を受けて、
数週間かけてやっとこさカラダが
順応したようで、自律神経系の乱れや
不定愁訴もなくなってきた。

でも、中度CKD(慢性腎臓病)のため
熱中症体質になり、
夏日への耐性はないから
要注意日である。

真っ昼間になる前に
散歩&買い物をすませ、
あとは冷房寝室で
引き篭もっていよっと。

読むべき本、
聴くべきCD、
視るべき録画番組は、
山とあるので、
家内養生には事欠かない。





きのうも
日中は28℃まで上昇したが、
お昼前に散歩をして
恒例のツタヤ・ブラウジングで
20パーオフセールの
中古CDを4枚と
『ばらかもん』のスピンオフを
5冊ほど買ってきた。

そしたら、
CDコーナーに
『コダーイ/無伴奏チェロ組曲』(412)を
見つけ、ヤフオクで431円で落札したので、
クソ~ッ!! 19円も損したぁ~!!
・・・と、その場で地団駄を踏んだ。

~(>д<)ノ グヤジィ~!

ボンビー・プレ年金生活者ならではの、
“損得ゲーム”である。

ヴァーチャル・ゲームでなくも
課金制の厳しい“リアル・ワールド”なので、
1円単位で一喜一憂して
人生の機微を味わっている。

落語に
「びた一文だって、地べたぁ掘っても、
 出てこないぞッ!」
という名言がある。

金光教祖には
「1円とて、半分に割るつもりで大切に使え。
 1万とて、ここぞという時には惜しみなく使え」
というような
有り難いみ教えがある。

『がばいばあちゃん』も
この金銭哲学を実践していた。

古書コーナーで、
20パーオフで5冊買って
(得した)と思ってたが、
ふと、(レンタルに有りはしないか)
と思い浮かんで、
恐々と(笑)サーチしてみたら、
あったぁ~~~・・・・・・。

 ガックシ・・・ _| ̄|○ セカオワ・・・

この時の、
意気消沈といったら、
なかった。

思わず、その場にへたり込んで、
“世界のオワリ”みたいに
頭かかえこんで唸ったので、
女性店員さんに怪訝な眼で
見られてしまった。

脳内のボンビー・スパコンが、
64円×5-652円=472円
という損失額を
瞬時にはじき出した。

CDと合わせて
491円もの大損失である。

このペナルティと埋め合わせは、
一回分の「昼飯抜き」で
落とし前をつけることにした。

リアル・ゲームは
キビシーのだ。

もっとも、
その前に、無駄っぽい
趣味のマンガ費とCD費の
遊興費を削れ、という発想もあるが、
人間は文化を吸収せずには
生きていけない生き物なのよ、
と、「いきものがかり」の
キヨエちゃんも言っておられる。
(・・・んなワケないか (^▽^)>テヘ…)

「喰って寝て」だけは、
社会的死を意味する。

生物学者のライアル・ワトソンも
「ヒトの本性は、
ネオフィーリア(新規探索好き)」
であると喝破していた。

我が造語では、
「ソフト喰い」と言っている。

(お~い。長くなってきたゾ~・・・笑)
    ↑
談志家元のメタ認知手法

***

莫大な経済損失に
悲嘆しながら帰途につくと、
オフィス8前で
とんと見慣れぬ
おもしろきクルマを見つけて、
思わずカメラを向けてしまった。

人様のものなので、
周囲を見回してから
盗み撮りのように速写した。

リアのロゴで
シトロエン製と判り、
(なーるほど、やっぱ、
おフランス車はエレガントざんす・・・)
と、『おそ松くん』の
イヤミのような心境になった。

普通車ながら
コンパクトで
優美なボディ・ラインに
お抹茶色が、
あたかも【サンダーバード2号】を
思わせた。

サイド・ヴューの
フロントとリア・ウィンドウが
段違いになってるのが、
近未来的でもあり、
セダンを切りつないだようでもある。

こういうのを
【グッド・デザイン】と
称するのだろう。

ワンコイン分の損失も
“美しきもの”を鑑賞して、
だいぶんと癒された。

 佳きもの
  それは美しきもの
   観るにあたひするもの哉

         





明後日は、
月例の宗教臨床セミナーなので、
ディスカッション素材として
今朝の朝刊の
『G20 世界宗教会議の提言』を
採り上げてみようと思った。

なかでも、
「すべての政策が尊重すべきなのは、
第一に統計ではなく、
血の通った人間でなくてはなりません」
という、
ローマ法王のメッセージには
納得させられた。

世界人口の85%が
何らかの宗教に関わっており、
諸問題の75%も
宗教・民族がらみだという。

1970年に
第1回・世界宗教者平和会議が
京都で開催されたが、
宗教学者の山折 哲雄から聞いた話では、
「諸宗教間の対話と相互理解から生まれる英知を結集し、
平和のための宗教協力を行う」
という行動理念にも関わらず、
けっこうガタガタして
紛糾しかけたという。

ところが、
誰かの提案で、
最後に
「我々が共通に出来ることは、
世界平和のために共に祈りましょう」
と、それぞれの形式で
祈りを捧げたという。

それを聞いて、
イイ話だなぁ・・・と、
思った。

あれから、
半世紀近く経って、
はたして人類は
真の平和を迎えたか。

否、である。

50年で文明は格段に進歩したが、
平和共存という主義・思想・宗教
という文化は未だに
定着していない。

まだまだ
野蛮、残虐な振る舞いが
世界各地で散見される。

この解決という
グランド・テーマにも関心があり、
市中の山居のような半隠遁ジジイも
何かしらネットで発信すべく
機会をみてはアウトプットしている。

それは、
【超規模大震災と超規模原発事故】
という人類史上未曾有の複合災害を
身をもって体験し、無事、生き永らえている
“サバイバー”としてのフクシマ人の
責務だと感じている。

なので、
復興支援事業(コンサート)をしながらも、
人類・社会への提言も
別サイトでしてきた。
(https://ncode.syosetu.com/n6240s/)

そこでは、
3.11の翌月から今日まで
58.000のアクセスを得て、
その内容を冊子化して頒布もし、
講演も幾度か行ってきた。

だが、
復興支援コンサート同様に、
個人の出来ることには
限界がある。

でも、何もしないよりは、
ずっとマシだと思っている。

少なくも、
クリネー(臨終の床)では、
自分の人生に恥じずには
済むだろう。

同じフクシマ人でも、
浜通人は「被災者」、
会津人は「非当事者」、
とも言えるので、
「半被災者」の中通人こそ、
提言の使命を負っている
と思ってきた。

***

『方丈記』全文を
ダウンロードして読んでみた。

長明の記した
鎌倉時代の隠遁者のログには、
現代のブロガーの心を惹く処が
いくつかあった。

言わずもがなの冒頭の
「無常観」は、
やはり稀代の名文かもしれない。

 ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
 淀みに浮かぶうたかた(泡)は、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。
 ・・・
 生れ死ぬ人、いづかたよの来りて、いづかたへ去る。

長明は隠棲前に
琵琶を習っていたようで、
草庵には琴と琵琶があり、
独り弾きの楽しみが
記されていた。

 芸は、これ拙なけれども、人の耳を喜ばしめむとにはあらず。
 ひとり調べ、ひとり詠じて、みづから情を養ふばかりなり。

また・・・

 身を知り、世を知れれば、願はず、わしらず。
 ただ静かなるを望みとし、憂へなきを楽しみとす。

人様を羨ましく思ったり、
あくせくしないことだという。

 ただ、絲竹(しちく)、花月を友とせんにはしかじ。

・・・ともあり、
絲竹の「絲」は、琵琶・琴のような弦楽器、
「竹」は、笛のような管楽器のことで、
楽器を奏で、音楽と自然を友にすれば
上々であるという。

なんのことはない、
我が半隠遁生活そのものである。

長明ってるなぁ~、オレ・・・(笑)。

( ̄□ ̄)ワオ

養生訓もある。

 心、身の苦しみを知れば、苦しむ時は休めつ。
 まめなれば使ふ。
 使ふとても、たびたび過ぐさず。
 もの憂しとも心を動かさず。
 如何に言はむや、常に歩き、常に動くは、養生なるべし。

「過労の戒め」である。
金光教祖のみ教えには、
「自ら、身を潰した者は、助けようがない」
とある。

なので、
我が倅たちや
知人のオーバーワークと
健康障害を常々懸念しては
ご神前でご祈念させて頂いている。

自分も過労が元で
「四十二の大患」で鬱病になった。

メタボ・ロコモ・サルコ予防にと、
暇を見ては散歩を常とし、
気が向けば筋トレもする。

 人に交じらはざれば、姿を恥づる悔もなし。
 糧乏しければおろそかなる報(むくい)をあまくす。

オフ日の家んなかでは、
誰にも会わないから、
穴のあいた短パンとTシャツ姿で
パジャマと普段着を兼用して
着替えもしない。

さすがに、
買い物にはその姿で出る勇気はない。

着てるから着物だが、
脱げばボロである(笑)。

 それ三界は、ただ心一つなり。
 心もし安からずば、牛馬七珍もよしなく、宮殿樓閣も望みなし。
 今さびしきすまひ、ひとまの庵、みづからこれを愛す。

生きるとは、
心の持ち様に尽きる。

心穏やかならざれば、
いかなる事物も価値を持たない。

 魚は水に飽かず、魚にあらざれば、その心を知らず。
 鳥は林を願がふ、鳥にあらざれば、その心を知らず。
 閑居の氣味も、またかくの如し。
 住まずして、誰か悟らむ。

なるほどねぇ。
せやなぁ・・・。

(ーωー).oO ウーン

結語には、
瞬く間の一生を
一夜の月に喩え、
あらゆることへの執着を
捨てるべし・・・と、
諭しているようだ。
 
 一期の月影傾きて余山の端に近し。
 たちまちに三途の闇に向かはむ時、何のわざをか託(かこ)たむとする。
 
 仏の人を教へ給ふ趣きは、事にふれて執心なかれとなり。
 今、草庵を愛するも咎とす、閑寂に着するも障(さは)りなるべし。

「三途」とは、
火途<かず>、
刀途<とうず>、
血途<けちず>、
の責め苦を受ける場所、
すなわち地獄を意味する。






Y中の壊れたチェロを修復するのに、
治具類をボストンに詰めた。

タイトボンド以外の
ハタガネ、クランプ、魂柱立て・・・なぞ、
およそ弦楽器製作以外では
使わない道具ばかりである。

・・・なんだか、
疲れたなぁ・・・と、
思ったら、一心不乱に
6時間もブログを書いていた。

・・・って、
一日の1/4じゃん。
バカじゃん(笑)。

そりゃ、
背中も凝るわいなぁ。

この集中力と情熱、エネルギーを
他に使えんものかと、
忸怩たる思いがする(笑)。

「金儲け」に・・・と、
浮かばないのだけは幸いだが・・・(笑)。

だから、
ボンビーに甘んじている。

でも、勉強ノートでもあり、
日記文学の創作でもあるから、
己れの自己実現には必要なのであろう。


***

日が高くなる前に、
散歩&買い物に行かねばである。

***

「いちい」で
150円で買った
ミニトマトの小鉢が
キレイに色づいた。

35°の焼酎で
コーヒー豆を浸出させ、
生クリームを添加し、
リキュールを拵えた。

ガスパチョに垂らした
生クリームとトマト・ピューレが
マーブル模様を描いて、
いとをかしだった・・・(笑)。

   ↑

『方丈記』『徒然草』流の
事実の羅列・・・(笑)。

だから、何なのッ・・・
ていう記述だよなぁ。

(ノ-_-)ノ□

日記文学、三大随筆といっても
駄文も少なくない。

もっとも、
アタイのんは
全編これ駄文である(笑)。




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