『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

夏日

2021-03-30 05:50:00 | アート
きのうは
まだ三月だというのに
汗ばむほどの陽気で
「夏日」となった。

三月としては
観測史上初のようだ。

この分だと、
この夏もまた
"殺人的"猛暑のような
予感がする。

去年のうちに
クーラーを新調しといて
よかった。




正午前に
フキノト採りに行こうと
車に乗ったら、
26℃を示していた。

帰宅してからは
3時頃の
2階寝室のデジタル計は
26.9℃まで上がった

事実、冬物の
長袖・長ズボンではいられず、
思わずランニングシャツに
パンツ一丁姿になった(笑)。




菜の花畑も満開となり、
吾妻の雪兎と
見事なコンビネーションに
なっていた。





ついこないだまで、
一面氷結していた
「びっき沼」だが、
南向きの土手斜面には
フキノトの花と
カタクリの花とが
暖かげに咲き誇っていた。






この陽気で
駐車場にまで
フキノトが芽吹いており、
さっそく降りるや否や
足元から山菜狩りを始めた(笑)。











土湯の登り口では、
「水神」様の湧き水を
ペットボトルに
汲ませて頂いた。








帰ってから、
銘水を端渓硯にとって、
松煙墨と油煙墨を磨った。







かねてより用意していた
ボードに
「いろは歌」を
変態仮名で書いてみた。

 色は匂へど散りぬるを
  我が世たれそ常ならむ
   有為の奥山けふ超へて
    浅き夢みじ酔ひもせず

思い切った
意訳をしてみると…

 どんなに美しく芳しいものでも
 いつかは衰える
 この生(よ)は無常なものである
 ならば夢見たり酔って誤魔化さず
 涅槃の境地を悟るべきである

生きているうちに
「成仏」せよ、
と言うのである。

「仏陀」とは、
目覚めた者、
悟りの境地に達した者、
という意味である。

金光教では、
「生神」となる、
と言う。

そして、教祖は、

 人ひとり助ければ
  ひとりの神となり
   十人助ければ
    十人の神となる
と言った。

また、
碧水先生は、

 すべてに禮をいふこころ
  神を現はし
   神になるこころ

と、教えてくだすった。

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