『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

震災短編『贖罪』7

2022-11-13 11:41:11 | 信仰

 

〈私は、罪深き、生存者です〉

 その一行を書き出すのに、圭子は誇張なしに数日を要した。

 そして、その後、激しい自責の念に捉われ、衝動的に、ペンで自分の甲を貫こうとした。
 だが、それは数ミリほど喰い込んだのみで、軽い出血だけで治まった。
 その生きている証(あかし)である痛みさえ、彼女にとって罪深い物だった。

 なんで、私が生きて、あのお婆さんは死んだの?
 自分は、あのお婆さんより若くて、未来があって、価値があるから?

(・・・・・・) 

 そんな自問の嵐が、彼女の心を責め立てていた。

 自分は、あの老婆を、足蹴にした…。 

 それは、まさしく、芥川 龍之介が描く処の『蜘蛛の糸』のカンダタその人の所業である。
 勧善懲悪の典型として、小学校の教科書にも出てくる話だ。 

 カンダタは「エゴイズム」の権化である。

(そうなのだ…。

 わたしは、カンダタ…なんだ。 

 自己保身のために、あのお婆さんを死に追いやった、エゴイストなんだ…)


  文学部を出、それなりの教養もある圭子は、自らの非人間的な振る舞いを恥じるには留まらず、死んでしまいたいほどの良心の呵責に苦しめられていた。

 九死に一生を得たのに、死んでしまいたい…というのは、まさに皮肉な話である。
 それと、断末魔の老婆の悲しげな目、恨みを抱いた目…が、消そうにも消せないイメージとして、彼女の人間性を蝕んでいた。

 

      


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