きのうは
山の学校の
1学期さいごの勤務日だった。
市内は35℃の予想。
車のエアコンの効きが悪かったので、
出勤時間を2時間早めて
朝早くから家を出た。
出がけに
また、血便があり、
心は穏やかならぬものがあり、
いつもとは違った
ボーッとした車中だった。
これは、もはや
虚血性大腸炎ではない・・・
と思い始めており、
最悪の「大腸がん」では・・・
と予期不安はマックスになった。
信心が出来ていないからか・・・
父親がそれで苦しみ逝った姿が
脳裏を駆け巡り、
カラダが委縮するような
胃がキュッとなるような・・・
ヒビっている自分をメタ認知した。
通勤路に
真福寺があるので、
菩薩様・お地蔵様にも
「救い」をお願いしようと
途中下車した。
「南無阿弥陀仏」の石碑に
「日」と「月」が彫られていて、
先日、動画学習していた
『日月神示』のシンボルマークを見て、
(おぉーッ!!)
と思った。
金光教では
「日天子様」
「月天子様」
という。
比較宗教学の研究でも、
「日・月」は
古今東西、普遍的アイテムである。
*
それぞれの仏様に手を合わせ、
菩薩様のおなかのあたりを
スリスリさせて頂き、
「どうぞ血便が治まり、
悪い病気でありませんように・・・」
と、お祈りさせて頂いた。
**
真福寺からは
遠くに山の学校が望める。
車を発進させると
「インサイト。
インスティテュート」
と、パイロット・コールして、
ランディング準備をする(笑)。
*
標高550mにある学校なので、
下界よりは3℃は低いが、
それでも30℃は越しそうなので、
いつもとは違った
木陰に駐車した。
首にアイスバンドをして、
背中に生命維持装置の
クーラーバックを背負って
2時間も早く登校したので、
先生方も驚かれていた(笑)。
コーディネーターが
養護教諭なので、
朝方、血便が出て、
不安な気持ちで来たことを
吐露すると
「エェーッ!!
やばくないですかー!!」
と、若い先生らしい反応だった(笑)。
「うん。
やばいのよ・・・」
と、ジジイSC(笑)。
*
いつもなら、
どっさりと連絡ボックスに
お菓子が入っているが、
この日は、塩飴1ケのみで(笑)、
なんだか、絶食療法を
見越されたような
不思議な気分だった。
中に、
夏休み中にオペをする先生の為に
「メッセージお願いします」
というカードが入っていた。
これまた、
下手すると、
自分もオペしなくちゃならないかも・・・
なので、シンクロして
(・・・・・・)
言葉が出なかったが、
自分へエールをするように
筆ペンで揮毫させて頂いた。
空き時間が多かったので、
今の不安な気持ちに立ち向かう為、
自己分析の「レジリエンス・チェック」と
「ウォッチ・ワード・テスト」を
やってみた。
メンタルの回復力は、
並み以上にあるようで、
安心した。
*
「血便」と「大腸がん」を
キーワードにして始めた
言語連想では、
無意識領域の
「内的人格(魂)」に
《科学的態度》
「自己実現(最終到達点)」に
《神の劇場の主人公》
(すべてはシナリオどおり)
という結果を得た。
「問題と不安」は
《正常性バイアス》
「抑圧」は
《直視する勇気》
「今の自分」は
《自ずから然る》
(為るように為る)
と出て、
一々、得心ゆくものだった。
*
「不安」とは
「不明確な対象への恐怖」
なので、それを解消するには、
とことん対象について
客観的に認識することである。
なので、常道として、
「大腸がん」や
「内視鏡検査」について、
あれこれとスマホで調べてみた。
対象に命名化/ラベリングするのも
科学的「腑分け」の態度なので、
英語名も調べた。
血便・・・ヘマトゲズィア
大腸内視鏡・・・コロノスコーピィ
直腸癌・・・レクタム・キャンサー
**
この日は、
若い先生のコンサルテーションをやり、
板書を交えて、
生徒の心理を解説した。
ご自身の永年の悩みの症状も伺い、
強迫行為では・・・という助言と
受診をお奨めした。
**
偶然にも、
再来週が定期検診日だったので、
それを市民検診に振り替えて、
その日に大腸内視鏡の予約をしようと
決心した。
そしたら、
午後から来られた
常連のお母さんが、
看護師なのは知っていたが、
「血便」について開示すると、
なんと、内視鏡を4年も担当しているとの事で、
その流れや処置について
詳しく教えて下さり、
「きょうは、カウンセリングして頂いて
ありがとうございました。
少し、不安が楽になりました」
と、お礼申し上げた。
*
お昼の給食はなしにして、
流動食のスープと甘酒、アクエリ
に代替えした。
無事、帰宅すると、
郵便受けに
クルマの保険屋さんからの通知があり、
更新の連絡かなと思って開けたら、
なんと・・・
「がん保険」のお奨めだった・・・(笑)。
おもわず、
「ヒャ~!!」
と、声を上げてしまった(笑)。
なんという
シンクロニシティだろう・・・。
そんでも、
いっさいの費用が賄われる
というので、
掛け金をみたら
月々6000円というので、
「ないない」と思って
屑籠に入れた。
***
ここ数日、
比較宗教学の勉強に、
YouTubeのエンタメ系サイトを
気軽に見ていた。
その中に、
キリストを信じるのではなく、
キリストならば
どう行動するか、どう生きるか、
という視点が大事である、
という解釈が心に響いた。
そう。
自らに置き換えれば、
子ども達や孫、
お嫁さん、孫犬、
カミさん・・・といった
愛する家族の「苦しみ」「痛み」を
引き受けて十字架に掛かれれば、
いいんだ・・・と。
人の為なら死ねるんだ・・・
と考えたら、
いくらか気が楽になった。
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