よみがえりの権威

 「イエスは彼女に言われた。「あなたの兄弟はよみがえります」
 マルタはイエスに言った「私は、終わりの日のよみがえりの時に、彼がよみがえることを知っております。」
 イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。
 また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」
 彼女はイエスに言った。「はい。主よ。私は、あなたが世に来られる神の子キリストである、と信じております。」(ヨハネ11:23-27)

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 マルタが言う「彼」とは、葬られた兄弟のラザロ。

 アダムの違反以来、すべての人は罪の下にあって死の中に閉じこめられている。
 その死から解放していのちを与えるのが、キリスト・イエスの十字架と復活である。
 それでイエスはここで、「わたしは、よみがえりです。いのちです」と言っている。
 実際、イエスは死んだラザロをよみがえらせる。
 このことは復活の型であり、また、それよりもっと難しいよみがえりのわざを為す権威があることを示している。
 その権威によって、信じる人に罪の赦しがもたらされる。
 「わたしを信じる者は、死んでも生きる」のである。
 罪に死んで、いのちに生きる。
 そして、「生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことが」ない。
 それは罪赦されて解放されたからである。

 ところでマルタは「はい。主よ。私は、あなたが世に来られる神の子キリストである、と信じております」と受け答えしているが、頭の上での理解という印象を受ける。
 もっとも、彼女はこの時点で十字架と復活を知らないので、無理もない。

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[付記]
 本日の記事は、2009年3月21日付記事に筆を加えたものです。

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