イエス・キリストの十字架、復活、そして「いのち」にあずかるということについて
平成隠れキリシタン
羊がイエスを知るとき
「わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っています。また、わたしのものは、わたしを知っています。
それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同様です。また、わたしは羊のためにわたしのいのちを捨てます。」(ヨハネ10:14-15)
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良い牧者は、自分の羊のためにいのちを捨てる。
御父はイエスを知っており、イエスも御父を知っている。
同様に、イエスは自身の羊を知っており、羊もイエスを知っている。
羊ははじめからイエスをイエスと知っていたわけではない。
あるところではじめて、イエスが救世主であると分かるところに来る。
それまでは、イエスが何物かわからないのではないかと思う。
たとえば、サマリアの女(ヨハネ4章)は、イエスと出会った瞬間からイエスを救世主と分かったわけでは全くない。
だが、やがて次のように言う。「もう私たちは、あなたが話したことによって信じているのではありません。自分で聞いて、この方がほんとうに世の救い主だと知っているのです」(4:42)。
このように、あるところで羊はイエスを救世主とはっきり気付く。
その羊の救いのために、イエスは十字架に架かり、そして復活する。
イエスが羊飼いというのは、罪からの解放という地点に自分の羊たちを導くからであろう。
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それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同様です。また、わたしは羊のためにわたしのいのちを捨てます。」(ヨハネ10:14-15)
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良い牧者は、自分の羊のためにいのちを捨てる。
御父はイエスを知っており、イエスも御父を知っている。
同様に、イエスは自身の羊を知っており、羊もイエスを知っている。
羊ははじめからイエスをイエスと知っていたわけではない。
あるところではじめて、イエスが救世主であると分かるところに来る。
それまでは、イエスが何物かわからないのではないかと思う。
たとえば、サマリアの女(ヨハネ4章)は、イエスと出会った瞬間からイエスを救世主と分かったわけでは全くない。
だが、やがて次のように言う。「もう私たちは、あなたが話したことによって信じているのではありません。自分で聞いて、この方がほんとうに世の救い主だと知っているのです」(4:42)。
このように、あるところで羊はイエスを救世主とはっきり気付く。
その羊の救いのために、イエスは十字架に架かり、そして復活する。
イエスが羊飼いというのは、罪からの解放という地点に自分の羊たちを導くからであろう。
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