復活という光

 「イエスは答えられた。「昼間は十二時間あるでしょう。だれでも、昼間歩けば、つまずくことはありません。この世の光を見ているからです。」
 しかし、夜歩けばつまずきます。光がその人のうちにないからです。」(ヨハネ11:9-10)

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 イエスが世におられたあいだ、イエスは光であり世は昼間だった。
 十字架に架かってそのイエスが死なれると、光は消え世は再び夜に入る。
 今もってそうだ。世は闇で、暗い。
 ところが、十字架以前とは異なり、キリストの復活という光を内に宿す人はつまずくことがない。

 何につまずかずに済むのだろうか。
 この世での世渡りにつまずかずに済むのではない。
 復活という光を宿す人は、御国への道につまずかないのである。
 この人には、今も十二時間の昼間がある。

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[付記]
 本日の記事は、2009年3月20日付記事に筆を入れたものです。

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