忍耐の先にある貴重な実り

 「苦難と忍耐については、兄弟たち、主の御名によって語った預言者たちを模範にしなさい。
 見なさい。耐え忍んだ人たちは幸いであると、私たちは考えます。あなたがたは、ヨブの忍耐のことを聞いています。また、主が彼になさったことの結末を見たのです。主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられる方だということです。」(ヤコブ5:10-11)

---

 苦難というものは、残念ながら、ある。
 幾度でも、それは襲ってくる。
 救われても、そのことに何ら変わりはない。
 むしろ、「いのち」を授かることによって、かえって苦難は増えるだろう。
(「訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。」ヘブル12:7)

 苦難に遭ったら忍耐だ。
 「苦難と忍耐」、ヤコブに至っては直に結びつけるほどだ。
 忍耐することに徒労ということはない。
 むしろ、慈愛とあわれみに富んだ神が、「結末」を用意してくださっている。
 それはヨブのハッピーエンドほどのものではないだろう。
 だが、そのヨブのとき同様、よい「結末」が、あたかも忍耐したことの報酬、ごほうびであるかのように用意されている。
 このことをヤコブは、「大地の貴重な実り」(ヤコブ5:7)に例えている。

 思い出してみよう、今までもすべてそうだった。
 だから、苦難に遭ったら忍耐だ。

---
 よろしければクリック下さい。
にほんブログ村 哲学ブログ キリスト教・クリスチャンへ ブログランキングへ

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )