天からのパン

 「そこで彼らはイエスに言った。「それでは、私たちが見てあなたを信じるために、しるしとして何をしてくださいますか。どのようなことをなさいますか。私たちの先祖は、荒野でマナを食べました。『彼は彼らに天からパンを与えて食べさせた。』と書いてあるとおりです。」
 イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。モーセはあなたがたに天からのパンを与えたのではありません。しかし、わたしの父は、あなたがたに天からまことのパンをお与えになります。
 というのは、神のパンは、天から下って来て、世にいのちを与えるものだからです。」
 そこで彼らはイエスに言った。「主よ。いつもそのパンを私たちにお与えください。」
 イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。
 しかし、あなたがたはわたしを見ながら信じようとしないと、わたしはあなたがたに言いました。
 父がわたしにお与えになる者はみな、わたしのところに来ます。そしてわたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません。」(ヨハネ6:30-37)

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 イエスが与えようとしているのは、シナイ半島に降ってきたマナのような「たべもの」ではない。
 「わたしがいのちのパンです」、そうイエスは仰る。
 このパンは天からのパン、神のパンであり、「いのち」である。
 これを「食する」と、こころの飢え乾きを覚えなくなる。
 虚しさは、満たされる。
 なによりも、「食して」イエスを信じた者を、イエスはけっして見捨てない。

 一方「彼ら」はもっぱらマナを求め、神のパンについてわからないまま「主よ。いつもそのパンを私たちにお与えください」とか願っている。

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