リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

またコロナとか

2020-03-28 11:19:06 | 断片
 こんにちは。幸か不幸か天気の悪い土・日、外出自粛の皆様、ご苦労様です。
 私みたいに山里に住んでる人間でもいやなのに、都会のアパートはどんなにうっとおしいことか。しかも最近の人は、買い物にも出ちゃ「いけない」とか思うようで、なんとも羊化もここまできたかと。そんなの自分で決めたらいいじゃんか。
 でも、自分を発見。無趣味だと思ってた自分の趣味は、「行楽先を考える」ことだった!
 冗談じゃないぜ、唯一の趣味を取られて。長い電車は危ないからね。ぜーたくいうな? そりゃまあぜーたくですが、うつっちゃまずい年齢なもんで。
 
 ところで、5年前ここで自慢したフライパン、丸菱の18-8ステンレス、24cm、40年来お世話になりましたが、とうとう不良化してしまいました。柄を止めているビスから煙が噴出し、合成樹脂の焼けた嫌な匂いが。これで油で揚げたりするんで、揚げてる最中に柄が取れた様は想像もしたくないので、ここに記録だけ残して買い替えをしたいと思います。お世話になりました。
 
 ニュースは相変わらずで。
 「山梨県の長崎幸太郎知事は22日、新型コロナウイルス感染が確認された60代男性がアルバイトし、自主休業していた山梨市の「セブン?イレブン山梨上石森店」を訪れ、買い物して風評被害防止をアピールした。」「知事は店舗前で「感染したことは罪や悪ではない。悪意ある風評流布や差別は山梨では根絶する」と決意を語り、」(産経新聞) 
 おう、やる気あんじゃね。偉いといってあげよう。比べる相手が自民党員だから有利だね。

 それにひきかえ政府は、経済沈下で消費税減額やら全員に金銭支給やら考えてるそうな。何言ってんだよ、年金生活者はコロナのためには困ってないぞ。突然困った人間に固めて支給してやれよ。ほんとにアベとかって、困ってる人間のことなんかひとかけらも考えた体験がないんだよな。どうやって株価を上げるか、企業利潤を取り戻すか。愛想が尽きたぜ、って尽く愛想は元からないけど。
 被害者への直接援助。これを言わない政党は潰れろ。

 しかし、公称「感染経路の分からない」罹った奴らなんか、失礼、人びとなんか、通勤電車じゃなくて、赤坂・六本木の高級クラブの客たちだ、とかっていってんじゃないか。なんでそんな高級クルーズやら赤坂・六本木の尻拭いを勤勉な貧しい人々がしなきゃいけないんだね。援助原資は金持ちが出せよ。
 
 ま、とはいえ、日本人、気が優しい。心ある高齢者は、しょうがねえなあ、人工呼吸器が足りなきゃ若人のために譲ってやるよ、と思ってると思うぞ、本人は。タイタニック号とおなじだね。こういうのは「人間の義務」とかの訳の分からん評論じゃなくて、哺乳類の思考の必然。家族は別だけどね。
 もちろん、その場に及んだときなんというかも別だ。誰だって死ぬのは嫌だからね。にもかかわらず、皮相な評論家とは違って、心ある本人というのは、そういう肉体の悲鳴を聞かない自分を大切にすると思うぞ、自分の人生として。若人も覚えておいたほうが良い。それは気が変わったのではなくて、誰だって悲鳴を上げたいだけなのだ。もっとも誰が「心ある本人」かは、別だけどね。
 というのは私のことではありませんが、私も殊勝に次回作品は(未完成ながら)USBに入れて、残る人に託そうと思っております。
 結局、今まで発表意義不確か、不用ということで省いた記述は250枚分。そこらの小説本なら1冊できちゃうぜ、時間がもったいなかった。まあ前から3年も経ってるからね。え? 経ってねえや、と一人で驚き。まだ2年未満。知らんかった。ともかく、高校で勉強もした人なら訳が分かる程度までは出来ました。

 話題を変えます。
「木村伊兵衛写真賞」相変わらず、なぜ?という受賞者が続きます。なぜ木村伊兵衛? 「現代写真家賞」でいいじゃないのか。財源が木村伊兵衛なのかねえ、、、私など北井一夫(第一回受賞)が懐かしい。「おお、ぴったりだ」と思ったものだけれど。受賞者にはどうぞ「現代写真家賞」をあげてくださいませ。木村伊兵衛賞は、最低限、庶民の日常を撮る人にあげてほしい。
 
 さて、今日の気晴らしは、加藤晴久「憂い顔の『星の王子さま』」。
 加藤氏って、社会学の人は聞いたことがあるでしょう、ブルデューの専門家ね。わたし的にはファノンとかバリバールとかの訳者だけど、
 で、この本、「星の王子さま」は内藤濯の訳が悪くてどうしようもないので解説してあげよう、という本。
 若人の皆さまは知らないが、「星の王子さま」といえば、30歳以上の人間が読んだのはこの内藤濯という人の、岩波書店の挿絵付き本。これが訳わかんない本なの。でも子供の本の格好をしてるから、私など第2外国語が仏語なので、仏語本で買って読み合わせたけど、それでも疲れるので読み合わせはやめてしまった。
 で、加藤氏の解説を読むと、ほんとに訳の分からない物語が、きちんとクリアにされて、そうでなきゃ論理の明確なフランス語(欧州語)じゃないよな、という感じ。(なお、欧州語の論理がクリアといわれるのは言語の文法の問題ではありません。書き方の問題です。日本文も最近30年で、ずいぶん論理的になりました)
 もっとも私に言わせれば加藤氏の多少の思い込みは避けられず、たぶん、加藤氏は小説は苦手なのだと思う。
 ま、ともかく、この本(2007年)のおかげで、それ以降の訳本はクリアに構成が分かり、したがって、サン・テクジュペリの思想ないし信念の分かる気持ちの良い本に変わるのではないか、と推察されます。フランス語の分かる人にはお奨め。(と思えば、私も院の中退後に仏語がかなり進歩したんだなあ、と自賛しました。勉強なんて参考書があれば、小、中、高、学校なんていらないんですぜ。学校で要るのは、隣りに座る仲間だけ。)
 といって私に言わせれば内藤濯の本がそんなに悪いというわけではありません。ただ、読むのに想像力が必要で、その分時間がかかるはずだ、ということです。子供には大変。
 

コメント
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