北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

職場で振る舞い蕎麦

2017-12-21 23:35:11 | Weblog

 

 今日は職場で私の手打ち蕎麦の振る舞いサービスをしました。

 普段いろいろと苦労を掛けているので、たまにはこういう形で謝意を示すことで職場内コミュニケーションを良好に保とうというのです。

 今年は夏に一度、振る舞い蕎麦をやったのですが、今回は冬の陣。年越しを間近にして、我が家で柚子蕎麦と田舎蕎麦を打って、職場へ持ち込みました。

 職員への振る舞いと言っても、たった8人しかいないので、柚子蕎麦と田舎を一玉ずつ打てば十分です。

 職場のオフィスは、マンションの一室なのでどうしてもガスの火が弱いのですが、だましだまし茹でながら、皆で食べました。

 いつもは皆、お昼休みはバラバラに食事をして休憩を取っていますが、たまには皆で一緒にお昼を食べるというのも良いものです。

 蕎麦は、「上手だ、下手だ」という以上に、美味しく食べられるかどうかが問題です。

 美味しい蕎麦粉を見極めて手に入れて、それを使えば美味しいそばが食べられる。

 蕎麦打ちの原点って、「美味しい蕎麦を食べたい」という事だったはず。

 我ながら、美味しい蕎麦が食べられるようになっただけでも立派なものですわ。

 

 

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ダブル・ダブル・スター

2017-12-20 23:51:33 | Weblog

 

 子供の頃に星を見るのが好きになって、アルバイトをして天体望遠鏡を買いました。

木星の縞模様や土星の輪を生で見た時には本当に感動したものです。興味は次第に星雲や星団を観ることに移っていきましたが、とても面白いと思ったのは琴座のε(イプシロン)星です。

 これはちょっとした双眼鏡で見ると二つの星が近接している二重星だということがわかります。

 ところがこれをさらに性能の良い望遠鏡で見ると、その二重星のそれぞれがまたその隣に小さな星を引き連れた二重星になっていることが分かります。

 つまり二重の二重星で、英語では「ダブル・ダブル・スター」と呼ばれていて、アマチュア天文ファンにはよく知られた面白い天体なのです。

 双眼鏡や望遠鏡の性能があがると見えるものが変わってくる。このことは、一見同じに見えることでも、理解を深めて見極めていくとその違いが分かってくるものだ、ということに気づかせてくれます。

 持ち込まれた骨董品の価格を値付けする番組にいわゆる『鑑定士』がよく登場しますが、いわゆる『目利き』と呼ばれる人は、経験を積むことで区別のつかない事の区別がつけられる人のこと、だと思うようになりました。

 同じ場所で釣りをしていて、こちらが釣れないのに隣でどんどん釣る人がいると悔しいものですが、ちょっとした違いが分かる人とわからない者との差なのでしょうね。

 興味の湧いたことをじっくり見続けることで、ほんの些細な違いを区別できるようになりたい、いやなるぞ、きっと(笑)。

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卒業した大学の忘年会

2017-12-19 22:58:50 | Weblog

 今日は、卒業した大学の講座の忘年会がありました。

 私の卒業した講座というのは、花卉(かき=お花のこと)と造園を専門に学ぶ講座で、今日は三年生以上の学生たちと、札幌近傍に住んでいるOBたちが参加しました。

 我々が在学していた三十数年前は、一学年が6人の所帯で、今も同じような規模ですが、中身が大きく変化していました。

 一番の変化は、3年生、4年生、研究生、大学院生を通じて、男子はわずか一名だったこと。私たちの時は6人中女性が一人でした。

 さらに、研究生と称して来年から大学院に編入する予定の海外留学生が3人もいたことです。

 内訳は、中国から2人、台湾から1人で、みんな日本語に不自由はありません。

 さらに、私の前に座った3年生の女性は、「年明けの4月から半年間休学をして、オランダの農業施設で働きながら実地で学ぶ研修留学に行くんです」と、海外に行くことにも抵抗がありません。

 若い人たちは、国を超えて勉強をしたり経験を深めることに躊躇がなく、大らかに見えます。

 「僕らの時代はねえ…」とは言うまいぞ。ぜひ伸び伸びと、未来に向かって可能性を花開かせてほしいと思います。

 

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地域のお店は大切に ~ 最後に頼りになるのはここ

2017-12-18 23:07:36 | Weblog

 

 先日、釣りをしていてふとリールを見ると、ハンドルの反対側にあるはずのキャップが無くなっていることに気が付きました。

 釣りに夢中になっていると、こうしたことにも気が付かないでただ竿を振っているという事はよくあるものです。

 このキャップがないと、水や塩が入り込んでしまってよろしいはずがないのですが、気が付いたところの周辺などいくら探しても、全く見つからず途方に暮れてしまいました。

 釣りを終えたところで、数日前に釣り竿の修理を頼んであったショップに立ち寄って、「このリールキャップなんですが、手に入りますかねえ」とおずおずと店員さんに尋ねてみました。

 すると応対をしてくれた方は、「うわ、これですか。今日はメーカーが締まっていますが取り寄せになるかなあ」とちょっと渋い顔。

 内心(無理かなあ)と思いながらも、「このリールはこちらのショップで買ったものですし、決して安いものでもなかったんですよ」と言ってみると、「はい、わかります。うちで扱っているものですよね」と、とりあえずこのお店で売っている商品であることは分かってくれました。

 店員さんはそのうえで、「ちょっと待ってくださいね」と言って、店の奥に行くと、箱を一つ手にして帰ってきました。

「ありました、これですよね」

 そういうと、まさに同じリールの新品を取り出して、そのキャップを外すと「どうせ取り寄せになると思いますから、これで処置しておきましょう」と、私のリールに付け替えてくれました。

「いいんですか?」
「ええ、ちょっと値段もわからないけれど、500円はしませんから、300円と消費税だけ頂いておきます」

 そう言って、格安で亡くなった部品を調達してくれました。

 値段の安さだけに惹かれて、ついネットショッピングでモノだけを取り寄せて「事足れり」としがちな今日、こんな形で信頼できるショップと繋がっていることの価値を改めて感じたのでした。

 安物を買って結局満足がいかないことも良くある話。

 地域のお店で店員さんと仲良くなって、会話を楽しみながら良い品を買い求めることってやはり大事なのだと痛感した次第。

 皆がネットで買い物をするようになると、最後には地域からお店が消えてしまいます。

 地域のお店を大事にいたしましょう。

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柚子蕎麦の練習 ~ これを食べると冬を実感する

2017-12-17 23:56:56 | Weblog

 

 今週は、職場の皆さんに柚子蕎麦をふるまう約束をしてしまいました。

 そこで、山口旅行で買った柚子があるし、更科粉も買ってきたので久しぶりの柚子蕎麦の練習です。

 材料は更科粉と中力粉と柚子をすりおろしたペースト。柚子は皮だけ使って、果汁はポン酢用にとっておきます。

 柚子ペーストは、蕎麦粉の3%程度が標準。

 久々の柚子蕎麦打ちで、ちょっと腕がなまったか面が太めの仕上がりとなりました。

 今日は冷たい蕎麦に加えて、暖かい蕎麦もやってみました。

 暖かい蕎麦には薄い色の醤油を使わないと、蕎麦汁がしょっぱそうに見えてしまいます。いわゆる「返し」も温かい蕎麦用のものを作っておかなくてはなりませんね。

 柚子蕎麦を食べて冬を実感しています。

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地域のレストランが閉店するわけ ~ これも時代の流れなのかな

2017-12-16 23:55:35 | Weblog

 

 今日は私たち夫婦の結婚記念日。

 30回を過ぎると、もう何回目かも正確にはよくわからなくなりますが、33回目になるのかな?

 毎年、結婚記念日の恒例は気の利いたレストランでお食事ということで、今回は地元西区で何度か行ったことのある、それほどお高くはないフランス料理のレストランにしました。

 この一年を振り返りつつ、これからもよろしくお願いします。


 さて、そろそろ食事も終わろうとしていたころ、給仕をしてくれていた奥様と思しき女性が近くのお客さんとの会話が耳に入ってきました。

「…そうなんです、この年末でこのお店も閉じるんです…」

 ええ!?このお店が閉店?

 慌てて、通り過ぎようとした奥様を呼び止めて、本当のところを改めて訊いてみました。

「今、こちらが閉店すると聞こえたのですが…?」
「ええ、12月29日で閉店することにしたんです。私たちももうここで19年続けてきたんですが、『いつ辞めようか』と言いながら、もう一年続いてきた、という感じで…」

「このレストランはどなたかが継いでくださるのですか?」
「いいえ、取り壊しになるんです。それで辞める決心がつきました」

「この土地と建物はどなたかオーナーがいて、その方の意向なんですか?」
「いいえ、土地も建物も私たちのものですが、お隣の土地が開発されることになって、それだけだと狭いので、うちにも土地利用のお話が巡ってきたんです。それで『ああ、潮時でしょうか』と思いましてねえ」

 どうやら周辺開発の余波が訪れたことがきっかけのようでした。

 景気の良かったバブル時代の地上げのようにも聞こえますが、土地や建物を手放す理由が地上げという事や、経営が立ち行かなくなったということではなく、自分たちの年齢と将来を考えた時に、これ以上頑張って続けることの限界を感じたことが大きかったよう。

「大変ですね」というと、「ええ、これから家もつくらなくちゃいけませんし(笑)」


 チェーン店のレストランばかりが増える中で、数少ないオーナー経営のまちレストランでした。

 ここにもマンションが建つのでしょうか。また一つ地域の名物が消えるのが寂しいのと、高齢化社会や事業継承の問題が大きくなってきていることを感じます。

 何かの時には使わせてもらっていただけに、地域から多様さがまた一つ消えるような寂しい気持ちになりました。

 残念です。

 

 

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「探偵はBARにいる3」を観てきました

2017-12-15 23:30:35 | Weblog

 

 「探偵はBARにいる3」を観てきました。

 大泉洋さんと松田龍平さんのコンビによる、札幌を舞台にした映画シリーズの第三弾です。

 行方不明になった女子大生の恋人を探してほしい、という大学生からの依頼を、軽い気持ちで引き受けたことから始まる大事件。

 探偵と言う設定の大泉さんとコンビを組むのが、北大農学部助手の高田(松田)という設定が身近な感じがしますが、(今は"助手"って言わないんだよな)と一人突っ込みをしておりました。

 さて、今回は前二作に比べて、ストーリーの進み方に無理がなくて、面白いと思ったのですが、前二作は東直己さんという小説家の原作をベースにした映画なのに対して、今回はその原作をベースにしたオリジナルストーリーとのこと。

 無理に原作に近づけなかったのが自然な感じで成功したように思えました。

 それにしても北川景子さんはやっぱり綺麗で魅力的でした。

 また、知り合いから「エキストラとして出演したので、○○のシーンで探してみてください」という知らせがあって、目を凝らしているとはっきりと写っていました。これは記念になりますね。

 こういうご当地映画って、地元の人たちは大いに観るべきだと思っていましたが、さすがに人気シリーズだけあって今日はほぼ満席状態。

 ロケ場所やセリフに北海道らしさや札幌らしさがふんだんに盛り込まれていて引き込まれました。ロケ地巡りも新たなコンテンツになるかもね。

 ネタバレになるのであまり詳しくは書けませんが、最後のエンドロールが終わりきるまで席を立たない方がお得ですよ。

 慌てずに最後までじっくりお楽しみください。

「探偵はBARにいる3」、この冬にお薦めの一本です。

 

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釣れる要素はただ一つ ~ 道具?テクニック?いえいえそれは…

2017-12-14 23:23:17 | Weblog

 

 今年のマメイカ釣り。一度釣れなくなって、「群れがいなくなったみたいですね。今年はもう終わりかな」という噂が飛び交っていたのですが、また好調な情報が出ていると、マメイカ釣りファンは気もそぞろです。

 釣りが面白いと思うのは、実に多くの要素の組み合わせで釣れもするし、同じ道具でしかもすぐ近くのポイントでも、テクニック一つで釣果に差が出てくるというその妙だと思うようになりました。

 マメイカ釣りのエギ一つとっても、大きさと色のパターンや沈む速さ、その動かし方ひとつで釣れ方に差が出てきます。

 友人と、「そういう組み合わせの経験の引き出しが沢山ないと釣れないね」と言いながら釣り場に着くと、若いお兄さんが同じように釣りの準備をしていました。

 何気なく話しかけて、「シーズン何回目くらいですか?」と訊くと、「あ、僕は地元なので、もうほぼ毎日みたいなもんで(笑)」と、これは若いながらに超ベテランクラスの経験者とお見受けしました。

 これはいろいろなことを聞きだすチャンスと思い、「釣れるとしたらやっぱり夕方からでしょうかね?」と言うと、「道具とかテクニックとかいろいろ引き出しがあると良いですけど…」と言います。

(おー!僕らと同じようなことを言ってる!)と思ったのもつかの間、その後の答えは、「でもやっぱり地合いですね。昨日は4時から釣れても、今日は全く釣れないとか、やっぱり夜6時ころから釣れ始めたとか、いろいろあってこればかりは来てみないとわかりませんもん(笑)」

 「地合い」とは、その場その時の、潮流などの要因によるチャンスタイムのこと。

 これだけ数を釣っている地元の釣り師でも、釣れる要因の一番は運ですね、と言っているようなもの。

 こちらとしては、「あ、ああ、やっぱり数来るのが一番ですかね」と、ちょっとずっこけ気味でした。

 しかし結局、魚のいないところに釣り針を投げ入れても釣れるわけはないので、いかに魚のいるときにあたるか、が一番のポイントということ。

 数打てば当たる。それを信じて明日も釣りに行くのだー

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鶏と卵の議論

2017-12-13 23:45:07 | Weblog

 年末最後の大きなイベント終了。

 一か月近く前から準備をしていた発注官庁と舗装関係団体との意見交換会で、全部で30人ほどの出席者と束ねての集い。

 資料作りから、会合の司会進行、時間コントロールまで全部ひとりでやりこなさないといけないのですが、逆に全部が思いのまま、と思えばこれもまたよし、です。

 
 さて、意見交換会の中で、特に「働き方改革」に関連して出た発言の一つが、「働いている労務者さんたちの給与を下げるわけには行かないですよね」というもの。

 日給月給という、一日働けばいくら、という人たちはその日働くからこそ賃金がもらえます。

 今は月の中で日曜日だけが休み、というのがほとんどですが、これが週休二日にしなくちゃだめ、と言われたら、当然働かなかった分の賃金はもらえなくなるわけで、月々の稼ぎが減ると思われます。

 これを防ぐためには、働く日数が減っても給料が下がらなくするということで、つまりは一日の単価を上げればよい、ということになります。

 ところがこうした賃金を積算上で上げるためには、実際に支払っているという実績を調査して、それを根拠に積算単価を改定する、ということになりますが、受注業者側の言い分は、「そもそも上げたくても、もらっている額が少ないのでは上げることはできない」というもの。

 つまり「賃金を実際に上げれば、それを翌年に反映した単価にしますよ」と言われているもので、「そもそも賃金を上げるためには、高い賃金で積算してもらわないと、払う元手がない」というのが現実です。

 労働者に先に払うか、工事受注額を上げてもらってから支払うか、「鶏と卵」の堂々巡りが続きます。

 さて、課題解決のためにはどんなブレイクスルーが必要でしょうか。

 

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やればやるほど上手くなる

2017-12-12 22:53:23 | Weblog

 帰る家の方向が同じ仕事上の先輩と、タクシーに乗って帰宅した時のこと。

 先輩はそろそろ65歳になるというのですが、「今度新しいスキー板を買おうと思うんだ」と言います。

 驚いて「ええ?あと何年スキーをしようというんですか?」と訊くと、「今でもシーズンに20回くらいはスキーに行くし、70歳までは楽勝でできると思うよ」と言います。

 おまけに、「コブがなければ、どんな急な斜面でも降りてこられる自信がついたし、今でも滑れば滑るほど上手になる感じがあるよ」とも。

「葛飾北斎みたいですね。彼が『富岳百景』というスケッチを描いた本があって、その後書きに、自分の絵の生涯を描いた文章が良く知られています。描けば描くほど上手くなるといったようなものでしたね」


【富岳百景の跋文(後書き)】

 己 六才より物の形状を写の癖ありて 半百の此より数々画図を顕すといえども
七十年前画く所は実に取るに足るものなし。
 七十三才にして稍(やや)禽獣虫魚の骨格草木の出生を悟し得たり。
 故に八十六才にしては益々進み 九十才にして猶(なお)其(その)奥意を極め
一百歳にして正に神妙ならんか。
百有十歳にしては一点一格にして生るがごとくならん。
願わくは長寿の君子 予言の妄ならざるを見たまふべし。

【現代文訳】
 私は6歳より物の形状を写し取る癖があり、50歳の頃から数々の図画を表した。
とは言え、70歳までに描いたものは本当に取るに足らぬものばかりである。
(そのような私であるが、)73歳になってさまざまな生き物や草木の生まれと
造りをいくらかは知ることができた。
 ゆえに、86歳になればますます腕は上達し、90歳ともなると奥義を極め、
100歳に至っては正に神妙の域に達するであろうか。
(そして、)100歳を超えて描く一点は一つの命を得たかのように生きたものと
なろう。
 長寿の神には、このような私の言葉が世迷い言などではないことをご覧いただきたく願いたいものだ。

 

         ◆ 


 私の釣りも、スタートが下手から始まっているだけに、やればやるほど情報量が増えて、気付きの引き出しが増えています。そしてそれが面白いのだと思います。

 老化するという事は、いろいろなことができなくなる過程なんじゃないでしょうか。
だから逆に、やればやるほど上手くなることがあるというのは、まだまだ老化せずに若々しさを保っているのではないでしょうか。

 人生百年時代の60歳代をどう生きるか。考えて実践に移すことが肝心です。

 

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