ようやく年賀状の作成完了。
今年は約300枚に抑えました。文面と表の住所を印刷して、あとは一人一人に一言添えです。
さすがのプリンター性能で、年賀状の文面と住所だけだったら、半日でできてしまいます。
あとは一言添えを約三日かけて全部完成。明日投函してきます。
私の場合は、文面のデザインを毎年ほとんど変えません。写真と文章をその年に合わせて修正はしますが、基本的なデザインは変えないので、その部分の時間はかからないのです。
ただ、「年賀状には一言を添えるべき」という、呪縛はまだまだ強いのではないでしょうか。
年賀状を出すだけでも、親愛の情は十分に伝わるはずですが、それにもましてさらに相手の顔を浮かべて近況を述べた方が良い、という価値観はまだ残っています。
逆に、「わざわざ年賀状を出すのに一言を添えないのは、却って虚礼である」と言われるのでは、年賀状を出した方が良いのか出さない方が良いのかよくわからなくなります。
ましてSNS全盛時代に、SNSをやらない相手に送るのも、相手がSNSをしないせいですし、さらには、SNSで普段から繋がっている相手にもやっぱり年賀状を出す、というのは、効率性の議論から言うと、いかにも無駄が多すぎるような気がします。
もし『効率性を前面に出す』ならば、
①SNSで普段から繋がっている相手には年賀状は送らない
②年賀状を作っても一言添えは止める
③10年以上、年賀状以外にやり取りをしていない人は、「お互いにこれで最後にしましょう」と伝えて、人間関係性も断捨離を図る
…とまあ、これくらいやって、それでもどうしても出したい、という人を厳選するというくらいの基準で臨むのはいかがでしょうか。
経済の進み方で見ると、いまや中国ではほとんど日常の買い物はクレジットカードによるキャッシュレスで済むといいます。
そのためにネットでの買い物もごく自然に浸透してゆくのに対して、まだまだ現金主義が横行していて、クレジットカードを信じ切っていない日本人の国民性は、利便性を追求した生産性がなかなか上がらない一つの原因です。
それとともに、上で述べたような伝統と古い価値観念に縛られて動けない、という状況もまた生産性を阻害しているように思います。まあ、あくまでも『生産性を上げるならば』という切り口で見るならば、ですが。
伝統や我が国らしさは、生産性では語れないし、ましてお金に換算もできないのだ、と啖呵を切ることも結構ですが、どこに自分なりのバランスがあるかを考えた方が良いでしょう。
わたしはそれでも、今年は昨年に比べて10枚ほど出す相手を減らしました。
人生の後半に入り、効率性の追求とともに、少しずつ関係性の断捨離も進めたいところです。