北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

見つめる時間と成長過程~三倍ごとにすごくなる

2013-08-21 22:14:31 | Weblog

 かつて民主党政権下で行われた事業仕分けのあり方にはかなり違和感を感じました。

 ほとんどその道には素人と思われる仕分け人に対して、わずか30分程度の説明で、幅の広い事業の全てを理解し(たつもりになっ)た人たちがその妥当性を判断するというのがいかに無謀な事であったか。

 情報というものは、あるところにはあるのですがそれは別な人に伝えるということは本当に難しく、時間もかかるし互いに知識や能力を有することなのです。

 これを「情報は偏在する」と言います。

 たとえば博物館へ行って、一日展示物を見ても勉強になったようでほとんど身についてはいないもの。

 博物館は様々な情報の宝庫なのですが、本当にそれを利活用できるようになるには相当自分自身の知識と理解力を磨き上げなくてはなりません。

 先生が生徒に対して教科を教えようと思ってもなかなか生徒が覚えてくれないのも先生と生徒の間の情報の偏在です。

 ツアーに参加したり、旅行をしたりして集中的に没頭できれば少しは分かってくるものですが、一見のお客さんではやっぱり分かることは限られているものです。

 一方で、一つの趣味を毎日ではなくても、何年も続けていればやはり見えたり分かってくることがあります。

 これを私はよく「眼力がつく」と言っていますが、細かい差異を見分ける力は見続ける時間に比例します。

 モノを見ない人は、あらゆる事象を見続けた人には絶対に勝てません。まさに、継続は力なりなのです。


   ◆   ◆   ◆


 よく「三日、三月、三年」と言われます。

 新しいことを始めたり、就職した時は、三日目、三か月目、三年目に節目や危機が訪れて、これを越えてゆければ成長するというような意味に使われています。

 そこで、遊び半分に時間軸を約三倍ごとに同じ長さになるような対数目盛を作ってみて、見つめる時間が三倍になるごとに、その人がどう呼ばれるか、というお遊びです。

 1日しか見ない人は「見物客」でどうでしょう。所詮は単なる行きずりの興味でしかありません。

 ツアーに参加して、できればガイドさんに3日くらい案内をしてもらえばかなり知識と理解は深くなりそうです。3日くらいものを見つめる人は「ツアー客」と呼びましょう。

 その三倍の10日となると、ちょっとした観光旅行でしょうか。じっくりと土地を巡り歩き回れば、さらに広い範囲の理解が進むでしょう。

 その三倍の一か月もの間集中するとしたら、「合宿生」と名付けました。受験生の皆さん、この夏休みの集中講座でどれくらい学力が身に付きましたか。

 ここまでは短期集中型にものを見つめることで成長する過程と言えそうです。

 短期なんだからがっちり集中して物を見つめてやろうというわけです。


    ◆   ◆   ◆ 

 
 これに対して、一か月の三倍の3ヶ月から先は、長期継続的に物を見つめる見方と考えましょう。

 趣味の世界で3ヶ月なんて右も左も分からず、まだまだ勉強が足りません。ここは「素人」さんと呼びましょう。

 次にここだけその4倍の1年とすると、ここは初心者くらいにはなっているでしょう。私の釣りのようなもので、一番面白いころかもしれませんね。

 それが3年も続けると、愛好者と呼べるでしょう。だんだん知識と情報が増えて、人に教えられるようになってきました。

 これを10年も続ければ、大学ならば博士号が取れるくらいの経験値になるでしょう。10年も没頭できた人は「博士」という称号で敬意を表しましょう。

 しかしさらにその3倍の30年も続けると、博士という学術的な領域を突き抜けて、こだわりがこだわりを呼んできます。

 もう一般人はついて行けません。こういう方は「オタク」と呼んでたてまつって近寄らないようにした方が良いかもしれませんね(笑)。

 そしてさらにその3倍の90年となると、これはもう一生をそのことにささげた人生に外なりません。

 かつて信州松本に住んでいた時に、蝶々一筋60年という蝶の研究家がいましたが、その凄みには圧倒されました。

 こういう方はもはや「神に見初められし者」という最高級の称号で敬意を表したいと思います。

 
 さていかがでしょう。単なる思いつきなのでいろいろとご異論もあるかもしれませんが、ある領域で何かを語れるようになるためには、これだけの時間を費やして見つめるということを続けなくてはならないのです。

 冒頭の、事業仕分けに見た違和感とは、社会のことはまさにこうした時間を経た眼力を持った人たちによってこそ語り尽くしてほしいという思いに反した出来事だったからなのだと思います。

 学者、医者、芸術家、官僚など、その道のプロと呼ばれる人たちがその道に費やした時間を軽んじてはなりません。

 私たちも、一人一人が自らの道を真剣に考える生き方が生涯学習。

 そんな生き方を貫いて見ようではありませんか。
 

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不思議な夕焼け

2013-08-20 23:41:05 | Weblog

 上空で暖かい南の空気と冷たい北の空気のぶつかり合いが起きている北海道。

 今日も断続的な強い雨と太陽が顔を出す複雑な天気模様でした。

 日中と夜の気温差はあきれるばかりで、今日の札幌の夜は20℃くらいの涼しさです。

 バスを降りて家路につく途中で西の空には、湧き上がる黒雲と快晴の空からの夕焼けが同居する不思議な空模様。

 持っていたカメラのパノラマ機能で撮ってみましたが、この不思議な感じが伝わるでしょうか。

 今週末もあまり天気は良くないようで、行楽には向かない週末となりそうです。

 もう一度くらい釣りに行きたいところですが。

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時間ができたらやりたいこと、とは

2013-08-19 23:48:48 | Weblog

 日々仕事に追われているときには、「時間ができたらやりたい」と思うことがいろいろとありました。

 しかし、いざ夏休みを取って時間ができてみても、やはりその時間でするのは普段から本当にやりたいことだけ。

 家の机の周りの本棚には、そんな「時間ができた時にやりたい趣味」関連の本がたくさん並べられているのですが、普段はほとんど読んでいません。

 気がついたのは、普段思っていることは、「時間ができたらやりたい」というよりも、「これは時間ができたときにやろう」と単にやらないことを時間がないせいにしているだけだったということ。 

 そう気がついてしまえば、普段いかに無駄なスペースを無駄な本で潰しているかということもわかります。

 この際、そういう本は大胆に処分しようと思います。


 また、手に取りやすい書架には辞書、辞典などを置いてあって、分からないことがあればすぐに調べられるように、ということも考えていたのですが、ネット時代の今日、もはや辞書を引くよりはネットで調べた方がはるかに早く効率的になりました。

 現代生活ではもうほとんど辞書を引かなくなりました。

 捨てるべきかどうかはまだ迷いますが、おそらく取っておいたところでもう探してまで辞書引くことはないように思います。

 
   ◆   


 スキャナーが発達した今日は、もっていた本もスキャンしてデータ化していつでも見られるようにして、本そのものは捨てるという新しい暮らし方も現実的になりました。

 自分の本を裁断してスキャナーにかけてデータ化する作業のことを「自炊」と表現しますが、スキャナーもさらに発達して、本の際断をしなくてもページを開いたままスキャンすることでデータ化できるような機械も登場してきました。


 【裁断せずに自炊したい!! 「ScanSnap SV600」を試してみた】
 http://bit.ly/151z6uG


 そのようなスキャナーはまだ家庭用としては高価ですが、やがては家の中にも入りこんでくるかもしれませんね。

 でもそういう作業をするのにも必要な資源は時間。

 機械ばかり便利になっても、「それは時間ができたらやろう」ということではいけません。

 本を買っただけで読んだつもりになる「つん読」というのがありますが、買っただけでやった気になる「買っとく」というのではシャレになりませんね。

 身の回りを片付ける時間は意識して取ろうと思う夏休みでした。

   

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ナスの揚げ出し冷やかけ蕎麦

2013-08-18 23:18:51 | Weblog

 朝から断続的に強い雨が降る札幌。

 夜になってぐんぐん気温が上がってきましたが、時折降る強い雨のために窓が開けられないので扇風機で凌いでいます。

 まあ本州の40℃などというのには程遠いのですが、北海道にしては暑くてふうふう言っています。

 
 暑くて食欲のない時は冷たい蕎麦が良いのですが、以前蕎麦イベントでもらっていた冷やかけの汁があるのでこれを使うことに。

 冷やかけの汁は、つけ汁とかけ汁の間の濃さの汁。

 醤油と砂糖とみりんで作る「かえし」が1に対して、かつおなどでとった出汁4で割るとつけ汁、出汁8で割るとかけ汁になりますが、ひやかけは出汁6で割るくらいの感じ。

 麺をどっぷり汁に浸して豪快に食べましょう。


 冷やかけはトッピングをいろいろアレンジして楽しめますが、今日は米ナスの揚げ出しとオクラ、カイワレ大根、大根おろし、そして鰹節を取りそろえました。

 素揚げしたナスのごろんとしながら柔らかい感じが面白く、オクラの粘りも絶妙。

 大根おろしとカイワレはちょいと辛くて食欲をそそります。

 しかし何よりも、もらってあって冷やかけの汁が美味いことこのうえなし。

 贅沢に汁をたっぷり使って、蕎麦も十分に打ってあるのでおかわりもし放題。


 我ながら実にうまいっ!


 贅沢な自宅での蕎麦となりました。

 

 

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音楽ソフトの行方は

2013-08-17 23:27:05 | Weblog

 天気が悪くてすっきりしない今日の道内。

 時々雨が降るので窓を開けたり閉めたりしていますが、空いた窓から吹いている風はとても涼しく寒いくらいです。

 今年の札幌は、暑いのか涼しいのかよくわからない不思議な天気が続いています。


 前回、断捨離について触れ、動いていないものは捨てようと書きましたが、その実践として積み重なっていたCDとMD、そしてデータを保存していたMOなどのメディアを一気に捨てました。

 そもそもMOなどはもうすっかり使われなくなって、記録する機械もとっくに捨ててしまってもうないのに、まだ媒体だけは何枚も無駄に保管していたのです。

 音楽もかつてはカセットテープ時代の後はMDに録音してよく聴いたものですが、今ではパソコンに落とし込んで聞いたりするか、音楽自体をほとんど聞かなくなりました。

 CDでは、昔ながらのwindows95時代のアプリケーションソフトをたくさん取ってありましたが、60枚保管できるCDケースごと捨てることにしました。

 音楽CDもずいぶん買いましたが、それほど聴かなくなっていますし、一曲だけ聞くのであれば、youtubeにアップされているものを探して聞けば十分です。

 このあたりの媒体の変遷を思うと、消費者もずいぶんと買い支えたものですが、録音技術の急速な変化とともに生きていたものだと灌漑深いものがあります。失ってしまったこともありました。

 


 【やっぱりこれは捨てられない】


 
   ◆   ◆   ◆

 


 音楽がデータソフトになって、ダウンロードで買うのが流行った頃に、私も何曲か購入しましたが、パソコンを替える際に新しいハードディスクへの移植の方法がよくわからなくて、結局聴けなくなりました。

 音楽配信サイトには止めてしまったところもあって、対価を払って得た聴く権利はどこへいったのでしょう?

 本当に思い出になる音楽をどのように身近に置いておけばよいのかが、最近はわからなくなりました。

 ipodやデジタルwalkmanで音楽を聴いている人たちは、ずっとそれで聴き続けるつもりなのでしょうか。機械が替わったらどうするのでしょう。

 やっぱりCDに落ち着くのでしょうか。

 それとももうそもそも、思い出になるような音楽なんてないのでしょうか。
 

 断捨離と言いながら、やっぱりちょっと未練が残っているのかもしれません。

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空き家対策法案のポイント

2013-08-16 23:10:05 | Weblog

 増加する空き家問題対策で、自民党が議員連盟による特別措置法案を提出するという報道がありました。

  ーーーーーー【以下引用】ーーーーー

空き家対策で新法案、自民が方針 ごみ屋敷に改善命令

 自民党は管理不十分な空き家の増加を受け、防災や治安確保の徹底を図る新たな対策法案をつくる方針を固めた。市町村に立ち入り調査権を与え、所有者への改善命令を可能とするのが柱だ。空き家への不法投棄などで問題化する「ごみ屋敷」への改善命令も視野に入れている。早ければ秋の臨時国会に議員立法で提出する見通しだ。党関係者が16日、明らかにした。

 新法案の仮称は「空き家対策特別措置法案」。空き家対策推進議員連盟が法案提出へ中間報告をまとめ、党政調との協議を加速させている。

 総務省の2008年調査によると、全国の空き家は住宅全体の約13%となる約757万戸。

2013/08/16 09:20 【共同通信】  http://bit.ly/18zGv4d

  ーーーーーー【引用ここまで】ーーーーー


 空き家問題は、家の持ち主がいなくなったり、親の家を子供が相続しないなどのケースで、本来家を管理すべき主体がいないか、その責任を果たさない場合が増えたことで社会問題になりつつあります。

 特に人口減少が進む地方都市では、人口が流出して家を継ぐべき子孫が地元にいない、という場合も多く空き家が増えています。

 空き家があるということだけでは単なる民間所有の財産の問題ですが、それが正しく管理されないために壊れたり、屋根が飛んで周りの家に迷惑をかけたり、犯罪の温床になったりすると、社会全体が迷惑をして社会問題になります。

 日本国憲法第29条は、
財産権は、これを侵してはならない。
2.財産権の内容は、公共の福祉に適合するように、法律でこれを定める。
3.私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用いることができる。

 とされています。つまり、単なる民間財産の問題ならば、行政は憲法で保障された個人の財産権を犯すべきではありませんが、2の、財産権の内容は『公共の福祉に適合するように』というところがポイントになりそうです。

 私有財産は不可侵と言っても、公共の福祉に反するようではいけないのです。ではそういう場合は、行政が所有者に成り代わって家を処分できるのでしょうか。

 今は少なくともそうなっていません。

 ほとんどの国民は、所有する者に対して責任ある行動を取っていると思いますが、なかには「それなら放っておいて、行政に処分してもらおう」と考える者がいて、それを認めるならば真面目に管理するものが馬鹿をみることになり、モラルハザードが起きてしまいかねません。

 だから、自治体に調査権を与えて、所有者や相続者への資力を調査して、「払う資力があるのだから払いなさい」という指導ができるようにする、というところまではありだとしても、それに対する強制力があるのかどうか、ということと、さらに、「それなら家はいらない」と言われたときにどうなるのか、ということが問題だと思うのです。

 報道の中では、『市町村に立ち入り調査権を与え、所有者への改善命令を可能とするのが柱だ』と書かれていますが、問題は所有者への改善命令に対する強制力はどうなるでしょう。

 本人の資産を差し押さえて強制的に必要な経費を徴収できるでしょうか。

   ◆   

 二つ目には所有者が所有しないという意志を示した時はどうなるでしょう。

 実は、民放第239条は、「無主物の帰属」ということで、
1 所有者のない動産は、所有の意思をもって占有することによって、その所有権を取得する。
2 所有者のない不動産は、国庫に帰属する。

 とされています。

 つまり、行政がもらったり、土地などの不動産ならば国に寄付すればよさそうですが、行政としてもお金がかかるような財産は少なくしたいのであって、増やしたいとは思いません。

 更地にしさえすれば土地は売れるような大都会と土地が売れない地方都市の間には、ある種の制度が適用できる範囲と適用できない範囲がありそうです。

 
 現在地方自治体では、この財産権の問題と公共の福祉の判断の問題、そして行政としてやる場合の財源的裏付けに苦しんでいると思います。

 このあたりをどこまで解きほぐせるか、議論の行く末を注目しましょう。

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キリンの絵本ができました

2013-08-15 23:48:08 | Weblog

 釧路で、チャイルズエンジェルという女性グループが「動物園にキリンを贈ろう」という運動を行っていましたが、それにインスピレーションを得た絵本が完成しました。

 釧路でいろいろとお世話になった大規模書店「コーチャンフォー」の方から連絡があって、「上司から『一冊お送りして置くように』と言われましたので一冊お届けしますね」とのこと。

 私が釧路を離れる直前に絵本で有名なポプラ社からの提案でこの企画が決まって、絵本の文章は作家志茂田景樹さん、絵は地元のイラストレーターにして、キリンプロジェクトの影の支援者だった木島誠悟さんによる、もうひとつのキリンプロジェクトです。

 「夏の終わりころまでには作りますよ」と言っていた、そのとおりに出来上がりました。タイトルは「キリンがくる日」です。

 

    ◆   

 


 物語の舞台は「きたの動物園」、そして主人公はキリンが大好きな男の子、けんと君。

 けんと君はキリンが大好きでキリンにあいたいのですが、この動物園では以前いたキリンが死んでしまって会えません。

 代わりに張りぼてのキリンが置いてあるところなどは、釧路動物園のナニコレ珍百景ネタまでもが使われています。

 けんと君が寂しそうにしていると園長さんがやってきて、「もうすぐキリンがくるんだよ」と教えてくれました。けんと君は大喜びです。

 ところが園長先生は、「だけど心配なことがあるんだ」とちょっと困った様子。そのわけは…、どうぞ絵本をお読みください。

 単なる寄付によるキリン贈呈物語ではなく、子供の目から見たキリンが運ばれてくることへの心配やら期待の気持ちが表現されています。

 キリン色の黄色い表紙が印象的。

 書店で見かけましたらどうぞ手にとって見てください。

 釧路動物園にももうすぐ本物のキリンがやってきます。 

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人工と自然の調和

2013-08-14 23:39:24 | Weblog

 いよいよ今日から夏休み。

 どうも今日から週末にかけては天気が悪そうなので、天気の良いうちにまず一度は釣りに、と出かけてきました。

 今日のフィールドは古平町の沖村川。

 低めの砂防ダムがあるものの魚道も整備されていて、川の環境づくりへの意志が感じられます。

 川には高さ3mほどの護岸が整備されていますが、玉石積み風の化粧が施され、年月を経て苔や草が生え自然に溶け込んでいます。

 コンクリート護岸となるとどうしても直線か大きな曲線で作られるので、自然に反すると思うのですが、ここの川では護岸に囲まれた幅の中で、大小の岩や倒木などが瀬や淵を作り上げていて、割と豊かな渓相です。

 年月は様々なものを取り込んで自然と同化させてゆくものだ、と改めて感心しました。


   ◆   ◆   ◆


 釣りの方では、ラインを振り上げるとどうしてもつる植物や河畔林の枝に引っかかるので、低く低く投げることになります。

 そのあたりは窮屈ですが、魚の反応はあることはあって、手製のドライフライでも(ここはいそう)と思うところでは大抵"ピチッ"と興味を持って食いに来たのですが、なにしろ魚体の小さい魚ばかりで、本気になってガブリと食いに来てくれるような魚はいませんでした。

 そういう意味では悩み多い釣りになりましたが、こういう日もあるわけで、それでも渓流の音を聞きながら食べるおにぎりとお茶がこよなく美味しかったと思うのは、夏休みの思い出としては上々です。

  
 川の中の涼しさも最高。北海道はいいですねえ。

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動いていないものは捨てる

2013-08-13 23:45:53 | Weblog

 妻が東京の娘の引っ越し応援のために先週から上京中。

 この猛暑の中、東京で荷造りをして引っ越しを手伝うというのはさぞ暑くて辛かろうと心配をしています。

 昨日、無事引っ越しを終えたそうですが、元の家の掃除を終えて新居へ向かう最中に雷による停電で電車内足止めをくらったらしく、つくづく東京もあまり良いところではない、と感じる今日この頃。


 そんなわけで家に一人でいるものですから、少しは片付けやら掃除をしておこうかと思い立って、先週の日曜は家の中をいろいろと見渡してみました。

 掃除も「段取り八分」と言われるように、まず作業環境を整えてから取りかかると効率的なのですが、家の中となるとまずモノが多いのが最初の難関。

 散らかっているモノを整理するだけでかなり時間がかかりますが、ここはひとつ「断捨離」で、ここ何年も変化していないコーナーの品々を整理することにしました。

 見れば、まだ使えるものとか思い出があるようなものも多くて、一つ一つをどうしようかと考えるとまたそれだけで時間がかかってしまいます。

 つまりモノがあるということは空間資源を無駄遣いするだけでなく、時間資源も食われてしまうのです。

 

 元々の「断捨離」とは、入ってくる要らないモノを「断つ」、家にある要らないモノを「捨てる」、モノへの執着から「離れる」という三つの生き方なんだそうで、単なる整理整頓よりは一段高いところにあるに哲学や生き方の実践ということ。

 知識としての断捨離はそういうことだと分かっても、問題はそれを日常生活の中で実践できるかどうか、実践するかどうか、ということが最大のポイント。

 たとえば長い間使っていないようなモノはもう一生使うことがないのじゃないかと思うのですが、長い間使っていないということに気が付くのは一つのセンスかもしれません。

 物は動かさないと埃が溜まって汚れますし、それって長く誰からも関心を集めなかった、注目されなかったということにほかなりません。

 それならもう将来にわたって、それに関わるだけの時間を取ろうとは思わないということ。

  
「動いていないものは捨てる」

 
 ちょっとこれで家の中をチェックしてみようと思います。

 

 

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脳も鍛えて強くなる

2013-08-12 23:10:17 | Weblog

 先日、ある友人と久しぶりに会いました。

 型どおりの挨拶をしたところ、話題はネットのことに。

「最近携帯をスマホに替えたので、小松さんの同僚の方を検索して見ていたら、小松さんも『友達』として登録されていましたよ。あれは何なんですかね」というので、「『友達』で私が出たということは、多分フェイスブックじゃないですか。知らないでやっていたんですか(笑)」と苦笑い。

 確かにフェイスブックやSNSが流行っていると言われても、一体何がどうなっているのかなんて、やってみないと分かりませんよね。


     ◆     

 

「私は未だにどうもフェイスブックってどういうことなのかよく分からないのです。同僚の方も公務員なのにそういうネットをよくやるなあ、と思います」
「そうですねえ、身近な人たちからの情報が集まるという面もあるでしょうし、仕事上ではやっていることの宣伝になるかもしれません。でも逆に、うかつな発言をすると色々な人からの批判を一気に受ける『炎上』ということもあるので、メリットとデメリットをよく考えて慎重にやっていますよ」

「そうなんです。その『炎上』というのが恐くて、なかなか何かを書き込もうと思えないのです」
「確かにそうですね。炎上する事案を見ていると、何かを批判したりネガティブな発言をしたりすると、それにカチンとくる人からいろいろとバッシングを受けやすいようですね」

「なるほど」
「炎上を防ぐためには、どんなに腹が立ったときでも、それをぐっとこらえることじゃないかと思います。怒りや腹立ちをそのまま文章にすると、読んでいても暗い気分になりますし、やはりネガティブな文章はネガティブな気持ちに共鳴してしまうのじゃないでしょうか」

 ときどきネット上で意見を戦わせている場面も見かけますが、話がかみ合っていないことが多いようです。


    


「うーん、私などはそういう自分をコントロールする自信がありませんもんね。腹が立ったらつい勢いで批判的に書いてしまいそうです」
「常に冷静でいられて、冷静な文章で書けると良いのですが、文章を書くというのも練習が必要ですしね」

「なるほど。ボクシングで言うと、リングへ上がるためにはまずちゃんと練習しなさい、ということでしょうか。スタミナやステップやパンチにガードなんかのスキルをちゃんと身につけないとリングに上がっても怪我をするのがオチ。怪我が嫌だったら地道な練習が必要で、そういう意味では文章を書くのも、体術だというような気がしてきました」
「それは面白い表現ですね。頭を回転させるだけではなく、怒りを抑えたり正気を保ってセルフコントロールができるようになるのは練習による体術という面が確かにあるかも知れませんね」

 文章を書くことが体術ではないか、というのは興味深い視点です。

 この場合は脳も体の一部として鍛えられる、という意味でしょうか。

 練習で鍛えられて進化する体育脳。私ももう少し脳を鍛えたいものです(笑)

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