午後から久しぶりの函館出張。
函館へのJRとなると、車両故障がなんとなく心配になりますが、そんなことはものともせずにしっかりと定刻での函館駅到着となりました。
ただし車両は、スーパー北斗の車両ではなく代替の3両編成で、「臨時特急北斗」とされていました。
物珍しさも手伝って、その姿を写真に収める鉄道ファンは多く、これはこれで今しか見られない人気便となっているかもしれません。
特に先頭車両の最前列の席からは運転する様子が丸見えで、まるで運転手になったような気分になれます。これはこの席に座った人には素晴らしいプレゼントになったことでしょう。
指定席はほぼ満席ということで、この時期に函館へ行きたい人たちのニーズは高いものがあることでしょう。
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函館もまた、稚内と同様に起終点の駅です。
稚内は、最果ての終着駅というイメージがありますが、函館にはここから北海道の旅が始まるという起点と、北海道の旅の終わりの終点という二つのイメージが重なて、やはり駅は旅情を掻き立てます。
中学校の修学旅行で訪れて、函館山から夜景を見たのはもう40年も前の事。
町並みは変わっても、歴史は積み重ねられてゆきます。
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さて、大日本輿地図を起こした伊能忠敬は、現役を退いてから初めて測量の世界に飛び込みました。
当時の時代は地球がどうやら球体らしいということはわかっていたものの、では地球の大きさはどれくらいかということに関心がもたれていました。
これを知るには、ひとえに測量によって異なる2地点から北極星の角度を測ってその差から三角測量で割り出せそうだ、ということまでは分かっていましたが、そこに至る正確な測量を行ったものがいませんでした。
そこで伊能忠敬は最初、江戸と北関東あたりの2地点で差を図ろうとしましたが、師匠から「そんな近くでは差が明らかにならない」とアドバイスを受け、地図作製のためという理由で北海道まで渡り、函館山から測量を開始しました。1800年の事です。
結果として当時としては非常に精度の高い測量により現在わかっている大きさにほぼ近い球体の結果を得たのです。
そういう意味で、函館は伊能忠敬の地図作りに置いてエポックメイキングな土地で、そんなことに思いをはせるのもまた旅のだいご味です。
近世の歴史ってあまり学校では勉強する機会が少ないのが残念ですが、郷土史を紐解くとほんのちょっと前の先祖の姿がよみがえります。
夏休みはそんな勉強にも良い時間ですね。