北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

脳も鍛えて強くなる

2013-08-12 23:10:17 | Weblog

 先日、ある友人と久しぶりに会いました。

 型どおりの挨拶をしたところ、話題はネットのことに。

「最近携帯をスマホに替えたので、小松さんの同僚の方を検索して見ていたら、小松さんも『友達』として登録されていましたよ。あれは何なんですかね」というので、「『友達』で私が出たということは、多分フェイスブックじゃないですか。知らないでやっていたんですか(笑)」と苦笑い。

 確かにフェイスブックやSNSが流行っていると言われても、一体何がどうなっているのかなんて、やってみないと分かりませんよね。


     ◆     

 

「私は未だにどうもフェイスブックってどういうことなのかよく分からないのです。同僚の方も公務員なのにそういうネットをよくやるなあ、と思います」
「そうですねえ、身近な人たちからの情報が集まるという面もあるでしょうし、仕事上ではやっていることの宣伝になるかもしれません。でも逆に、うかつな発言をすると色々な人からの批判を一気に受ける『炎上』ということもあるので、メリットとデメリットをよく考えて慎重にやっていますよ」

「そうなんです。その『炎上』というのが恐くて、なかなか何かを書き込もうと思えないのです」
「確かにそうですね。炎上する事案を見ていると、何かを批判したりネガティブな発言をしたりすると、それにカチンとくる人からいろいろとバッシングを受けやすいようですね」

「なるほど」
「炎上を防ぐためには、どんなに腹が立ったときでも、それをぐっとこらえることじゃないかと思います。怒りや腹立ちをそのまま文章にすると、読んでいても暗い気分になりますし、やはりネガティブな文章はネガティブな気持ちに共鳴してしまうのじゃないでしょうか」

 ときどきネット上で意見を戦わせている場面も見かけますが、話がかみ合っていないことが多いようです。


    


「うーん、私などはそういう自分をコントロールする自信がありませんもんね。腹が立ったらつい勢いで批判的に書いてしまいそうです」
「常に冷静でいられて、冷静な文章で書けると良いのですが、文章を書くというのも練習が必要ですしね」

「なるほど。ボクシングで言うと、リングへ上がるためにはまずちゃんと練習しなさい、ということでしょうか。スタミナやステップやパンチにガードなんかのスキルをちゃんと身につけないとリングに上がっても怪我をするのがオチ。怪我が嫌だったら地道な練習が必要で、そういう意味では文章を書くのも、体術だというような気がしてきました」
「それは面白い表現ですね。頭を回転させるだけではなく、怒りを抑えたり正気を保ってセルフコントロールができるようになるのは練習による体術という面が確かにあるかも知れませんね」

 文章を書くことが体術ではないか、というのは興味深い視点です。

 この場合は脳も体の一部として鍛えられる、という意味でしょうか。

 練習で鍛えられて進化する体育脳。私ももう少し脳を鍛えたいものです(笑)

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