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北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

土地との関わりということ

2006-01-28 23:52:16 | Weblog
 今日また雪。北陸ほどではないにせよ、毎日しょぼしょぼと降ります。今冬はこの調子で過ぎそうです。

 今日は
■土地との関わり です。

【土地との関わり】
 娘の成人式の写真を見せびらかしに親類回りをしていて、義兄のところへ立ち寄ってみるとご近所のお友達が来ていた。聞けばお隣さんとの事だったが、新しく家を建てて引っ越していって、すぐにご近所に親しい友達が出来るのは義兄の優れた能力だ。

 今回はかまくら完成とのことで、家の横には雪の固まりの中がきれいにくりぬかれたかまくらが立派に出来ていた。中にはキャンプ用の小さな椅子が置かれていたが、大人の背が立つほどだから立派なものだ。
 かまくらも大人の、というよりも昔の子供の遊びになってしまったようだ。

 今夜はご近所で鍋をするということで、地域づくりの核となる実践をしてくれている。「地域に義兄さんみたいな人がもう少しいると安心で安全なまちになるのにね」と言うと「まあな」とにやり。義兄は警察官である。

「地域の子供を一列に並ばせてさ、みんなで敬礼!だもの」と笑うのはお隣のMさん。地域の安全は地域のコミュニケーションが一番だ。

    *   *   *   * 

 札幌市議会議員の方とお話をする機会があった。市役所への一番の苦情はなんと言っても除雪なのだそうだ。

「もう雪の置き方が悪いとか、なんでウチの前に置いてくんだという話ばっかりさ」
「地元に説明をしたりもするんですか?」
「しますよ。『雪は計算通りに降らないんですよ』ってね。しかしそういう事ばっかり言ってたら人気が落ちるんだわ。でもそう言っても分かんない人は分かんない。苦情が多いと言っても、苦情を言う人は一人で何度でも言いますしね」

「我々市民の雪に対する意識も軟弱になったと言う事でしょうかね」
「そうですよ。以前地下鉄駅前に雪像を作ろうと市民に呼びかけて集まってもらったのですが、鉄製の先のとがった剣先スコップを持ってきた人が一人もいなかったのには驚きました」

「何を持ってきたんですか?」
「みんなプラスチックの柔らかい雪かきかアルミ製のスコップなんですよ。固い雪を相手にして雪像を作るなんて時には先のとがった鉄製のスコップじゃなきゃ無理だと言う事も分からなくなってるんですね」

「なるほど」
「そのうえ、苦情が来るのはほとんどが新興住宅地の住民からなんです。道路は充分に広いはずでしょう?でも明治の始め頃からの商店街だとかその頃の狭い道路の住宅地からはそんな苦情は出ませんよ。そういう生活だと思っているんですよ」

    *   *   *   * 

 内地の田舎ではまだまだ自分たちの道路に感謝して年に一度くらい集まって補修をするという習わしが残っている。いわゆる「道普請」というやつである。

 掛川ではそういう事をする人たちを「けぶ役」と言っていた。作業の合間に一服して煙をくゆらす様から来ているのだとか。

 ここ数十年の間に日本の社会が変化した大きな事の一つは土地との関わり方なのだと思う。その土地に由来した自分、その土地が自分に与えてくれる恩恵、その土地に生きるしかない自分を感じられる限り、土地に祀られる神社や祠との関係が切れる事はないしその感謝の形である祭りも廃れる事はない。

 しかし現代人の多くは土地が自分に恩恵をもたらすとはもはや思ってはいない。どこへでも転居が可能で、外に出る事などなくても過ごせる住宅地と社会環境、買い物は自分の町内である必要がなくてドライブかたがた遠くのショッピングセンターに行けば良く、ネット環境が整備されれば土地などなくても商売すら出来てしまうのだ!

 まるで現代人が、値段が高くて権利が強力になってしまった「土地」に対して反乱を起こしているかのようだ。社会の担い手が特殊技術化して、土地を必要とする産業であることを感じられる人が少なくなってしまったからなのかもしれないが。

 土地の呪縛を離れたときに愛着と敬意も一緒に取り払う事はないのだけれど。

 故郷のない私だからそう思うのかもしれないが、ないのならそこから始めるしかないよね。北海道だって明治以来もう140年の歴史があるのだから。

コメント (2)
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