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北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

明けましておめでとうございます

2006-01-01 23:01:12 | Weblog
 新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 今日は
■元日に思う です

【元日に思う】
 札幌のお正月は雪も風もなく穏やかに明けました。今年一年も穏やかに過ごせますように。

 わが家では転勤生活の名残から、新年は私の親の実家で過ごす事になっている。年末はその親の家でごちそうに囲まれてK1、プライド、紅白…とチャンネルを変えながら過ごした。

 いつもながら食べきれないほどのごちそうに囲まれて、普段の日ならば「もったいない」と思うのだろうけれど、改めて食べられる事の幸せを実感した。

 考えてみれば、ほんの半世紀ほど前までは「飢える」ということが現実感を伴った恐怖だったわけで、そこから逃れることが信仰の中でも重要な部分を占めていたはずだ。

 最近はお供え餅さえもそういう形の容器になってしまって、中にはパックの切り餅を入れて売られるというようになってしまった。日常の生活が農業を中心にしていたころの正月飾りやこの時期の風習に込められた意味を調べてみたりすると感心する事も多いけれど、もはや現代生活からはかけ離れたものになっているのもまた現実だ。

 今の子供達には「昔の人は飢えて死んだんだよ」という説教は全然実感を伴っていないし、彼らが飢える事に想像もつかなくて恐怖も感じないという事は決して子供達世代の責任ではない。

 それは一つには我々のご先祖さん達が一貫して「飢えないように今より良い社会を作りたい」として荒れ地を切り開いては、豊かな農業を興してきた結果である。そしてまた同時に勤勉という国民性を発揮して、世界の中にあってもいち早く社会が求めている良い工業製品を生み出して世に送り出し、大きな貢献をしてきた結果としての豊かさゆえのことだ。
 我々は子供達には少しでも豊かな生活をさせたいという素朴な願いを積み重ねてここまできて、やっとのことで飢えないであろう生活に達することができた。

 しかし実はそのことも、今の国の借金の重さを考えると、子孫のためという思いが結実した本当に良い社会なのか、それとも子孫に借金を残しながら今の我々だけがごちそうを食べているようなものでもある。

 ご先祖さん達が本当に子孫に残したかった社会がこんな社会だったのかどうかを我々も改めて考えてみなくてはなるまい。

 豊かな事を嫌ったり否定する事はないけれど、日本人に似合うのは実は「豊かさという『驕り』」ではなくて「豊かさの中にある『つましさ』」なのではないだろうか。

 「スローライフ」や「LOHAS」や「もったいない」といった言葉を単なる商売のための流行言葉にするのではなくて、そこから日本人の生き方の美学に通じる「つましさ」を感じたい。

 そうして、日本人全体がもうそろそろ自分の子孫のことだけではなく、社会全体の子孫のことを考えてもう一がんばりしなくてはならない時期になりつつあるのではないだろうか。

 
 元日恒例の初詣で引いたおみくじは「小吉」。このくらいのつましさが良いのかも知れないね。

 皆さん、今年もよろしくお願いします。
コメント (5)
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