駒子の備忘録

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祝・新生宙組! 『エクスカリバー』初日雑感

2023年07月23日 | 日記
 宝塚歌劇宙組東京建物Brillia HALL公演『Xcalibur エクスカリバー』初日を観てきました。
 つーかなんなんだこの表記…私はここではルビやサブタイトルっぽいものはタイトルとしては無視することにしているのですが、この作品のロゴはカタカナが大きくてスペルがルビみたいな扱いなんですよ。でもそんなワケはないわけであってさ…写植で打つときはスペルが先、カタカナがあとで並列しているようなので、ここでも一応こう表記しますが、はっきり言ってダサいというか潔くない、としか言いようがありません。スペルだけでは読めないだろう、と思うならあくまでスペルを大きくしてカタカナはルビとして添えるだけにするべきだし、カタカナで行く!と決めたならスペルのロゴをお洒落にあしらうような真似は諦めて潔くやめろ、と言いたいです。つーかそもそも演劇って全体にタイトルにこだわりがなさすぎるでしょう、まあ主に英語に関してですが(たまにフランス語とかもありますが)、プログラムとポスターと緞帳とチケットとで大文字と小文字が入り交じっていて表記に統一がされていないのとか、ホントなめとんのか!と私は毎度キレたいです。細かい? 神は細部に宿るんだよ!!! 作品に対する愛、言語に対するリスペクトががちゃんとあれば、こんなことにはならないよフツー…
 …とのっけからうだうだ言ってしまいましたが、しかし作品はまあまあよかったんですよ奥さん!(誰?) 今夜はそんな話です。

 というかどうしてみんなアーサー王がそんなに好きなの? みんな、っていうか主に男子、ってことですけど?? イヤ学級会口調ですみませんが、でも演劇のプロデュースとか作家とかやる人ってみんな男性じゃないですか。そういえば今回も「ちょっとー、みんな掃除ちゃんとやってよね男子ー!」みたいな台詞/場面がありましたよね…(笑)
 プレお披露目でアーサー王、といえば珠城さんがやりましたし、それは最近外部でも上演されましたけれど、でも、ぶっちゃけ微妙じゃないですか、このネタ。誰も抜けなかった伝説の剣エクスカリバーを難なく引き抜いて、運命の王となった青年…ってのはいいよ? でも暴君の庶子であり、自身の妻には配下の男と浮気される寝取られ男…って設定でもありますよね。世の男性が最も怖れていることって自分の女が寝取られることなんだろうな、と女の身ながら勝手に類推している私なのですが、それからするとこの設定のこのキャラクターがこうまで男性陣に愛され何度も何度も作品化されることが本当に不思議なのです…これをヒーローとして主人公としてカッコよく描くことなんて、できるワケないじゃんぶっちゃけ、と思ってしまうのですよ、単純に。
 まあ所詮は伝承だし、円卓の騎士とか聖杯まで含めると、個々のエピソードの整合性を取るべく取捨選択するのはもはや至難の業、というネタではあります。でも少なくともアーサーに関しては、この2点の設定は取捨選択もできませんよね。
 百歩譲って、彼が暴君の庶子である、という点は彼の非でもなんでもないのでスルーしてもいいのでは、と思うのですが、これまたたいてい扱うんですよねどんな作品でも…なんなの、男性特有の自傷行為とかなの? そして王妃グィネヴィア(春乃さくら)と騎士ランスロット(桜木みなと)の恋、というエピソードはまず絶対にスルーできない。これもまた、こんな偉大な王ですら妻を寝取られるんだから俺の人生がショボいのも仕方ないんだ…という男性陣の言い訳のために必要なネタなのかもしれませんがそれはともかく、ここをどう描きどう見せるのかがエンタメ作品としての勝負だぞ、とは私は考えていました。なのでそこをお手並み拝見、という思いで席についたのでした。毎度めんどくさい客ですみません。
 以下、完全ネタバレが語ります。また初日を観ただけで記憶違いも多々あるかもしれない個人の感想です、お含みおきください。

 まっぷーの語りで始めるのはいいとして、そういえばウルフスタン(悠真倫。『燈影』とはまた全然違う働かされっぷりで…正直まりんさんでなくてもいい気もしくもなかったけれど…でも誰かと言われると宙組もおじさん役者が少なくなっているので微妙なんだけれど、でもたとえば大路くんにやらせてみるとかもアリだったのでは…)率いる赤チームがサクソンでこっちの青チームはイングランド、みたいなことはもっと何度も言ってもいいのではないか、と思いました。というか全体にキャラクターの名前を呼ぶことが少ないのは気になったよ稲葉くん! 誰かを登場させたら必ずそこにいる人にその名前を呼ばせましょう、芝居のキホンのキです。観客みんながみんなわかっているはず、と甘えてはいけません。
 で、キキちゃんアーサー(芹香斗亜)登場!ですが、まあロミオかな?みたいなさわやかさ、キラキラっぷり、素晴らしかったですね…! 初日から、つまり全員が初見の状態でも、ハイ来ますね、とわからせてハイ来た拍手!とできる流れだったのはさすがでした。つーかあたりまえに全演出家がやってくれ頼む。
 まあ、なんてことない歌を朗々と歌うわけですが、歌詞がちゃんと聞こえて、かつ彼が戦時下で苦労させられている一市民だということがちゃんと伝わり、物語に入っていける、というのはポイント高いです。てかキキちゃんはホントなんでも達者だなー! トップスター就任、改めておめでとうございました。
 欲を言えば、戦争はつらい、奪われるばかりだ、取り戻したい、という現状からもうちょっと先の、やがて王になる未来へ通じるような、より大きな希望や理想も歌う歌詞だといいかな、とは思ったかな…だってコレ、上手くすればいつか来る退団時にサヨナラショーで歌う曲になるわけですからね。
 というか全体に歌詞がちょっとヌルかったのは気になりました。歌は確かに多いんだけれど、ちゃんと芝居(台詞)も書かれていて、脚本はまあまあしっかりしていてそこはいいなと思っただけに、ね…心情を歌うものでも会話が歌になるものでも、もう一押し吟味して、より多い情報量を乗せてほしかったです。二番まであるならより具体的に、あるいは詩的にがんばるとかしないと、どんなに上手くても人は飽きるし「それより話を進めてくれ」って思っちゃうものだから…少なくとも私はそうなので。がんばれ稲葉先生!
 エクター(松風輝)が出てきてマーリン(若翔りつ)が出てきて、説明の間にまあ何曲歌うんだって感じでしたが、ウーサー(雪輝れんや)の非道が語られ(てか俺たちの沙羅ちゃんがキキママとは…!)…でもこのくだりの村人たちの出し方なんかも、とても上手いと感心しました。
 で、ランスロットはもういるんだ?もうエクターの家にいて、アーサーの兄貴分なんだ?ってのがまたよかったです。円卓ができてから現れる、ちょっと浮き世離れした美形の、半妖精の湖の騎士…ではない。上手い。うなりました。
 その次の場面の修道院、プログラムを読むとモーガン(真白悠希)って改宗を迫られてたの? そんなんだったっけ!? ともあれここはちょっと説明が足りなかったかもね…観客みんながこれがましろっちでモーガン役だ、って把握して観ているわけではないのよ甘えないで説明・描写してね? しかしヒロインより先に登場するさすがの裏ヒロインっぷり、素晴らしかったよましろっち…!
 で、アーサーがみんなの前でデモンストレーションとしてもエクスカリバーを抜いて見せて、みんながこれぞ伝説の王だ!とアーサーを認めます。しかしそこに現れてアーサーの軍に加わりたいとはりきる女戦士グィネヴィアはそのくだりを目撃していなくて、誰が王かわからないままにアーサーとランスロットに話しかける…ここ、めっちゃよかったですね! はるさくの艶やかさ、華やかさが場面の色を変えた、というのもあるし、ここまで歌が多かったお話がやっとここでまとまった芝居の尺が取れた、というのもある。新生トップトリオが揃って、もちろんこの作品でもドラマの中心となる3人がやっと揃って、わちゃわちゃきゃいきゃいする、実に良き!
 そしてこのグィネヴィアのキャラクターが! ヒロインとして! ホントーに素晴らしい! 私は『カジロワ』初日でもデルフィーヌの新しい、素晴らしいヒロイン像としての魅力に感動し語りまくりましたが、今回も熱く語りたい! さすが韓国ミュージカル! イヤこのアイディアがどこから出ているものかは知りませんが(EMKミュージカルはプロデューサーは韓国人でも、作詞作曲脚本なんかのスタッフは欧米から招聘しているので)、王妃グィネヴィアを弓の使い手、女戦士として置く発想はなかなかナイと思うのですよ…!
 王が立つなら、この国に押し寄せてくる敵がいるなら、女だって国民としてできることをして戦いたい、戦えるんだ!というのはある意味で当然でしょう。もちろん私は『ネバセイ』でラ・パッショナリアや少年兵たち、つまり女子供が銃器を取って立ち上がるのを痛ましく感じながら観ましたが、あれは近現代のお話だから…というのもあります。六世紀って何世紀?ってくらいピンとこない時代ではありますが、とにかく昔はもっとランボーでワイルドで、女性だって守られているばかりではすまなかったろう、というか守ってもらえる存在として認知されていなさそう、自分でなんとかしないと家畜以下の扱いでひどい目に遭わされていそう…という過酷さは感じてしまいます。だから、男性以上とか男並みとかは言わないけれど、得意な技能で身を守り仲間を助ける、くらいは女だってやりますよ、というグィネヴィアはいたって正しいし、でもとても輝いていて美しかったのです。凜としてハキハキしたはるさくちゃんが演じるからなおさらです。もうもう目が覚めるようでした。
 キキアーサーとずんスロットがそれぞれに「おもしれー女…」とときめいているのがわかるのも、もうもうとても良きでした。てか左腕にキキ、右腕にずんちゃん抱いて両方の肩抱いて真ん中で笑う男前ヒロインなんて、はるさくにしかできなくない!? 名場面だったわー!
 なので、ちょっと残念だったのは、ここで彼女が歌う歌の歌詞がまた漠然としていてあいまいだったことです。原詞の内容はわからないけれど、ここは彼女の主張をもっときちんと言葉にしてほしかったし、それは今の私たち女性観客の想いにも通じるものになるとなおベストだったと思うのです。愛や平和を祈ることと、そのために戦う必要があるなら戦うこととは両立するし、戦いにおいて体力的に男より劣っても女にもできることはあること、なので同じ人間として尊重してもらいたいこと、男女お互い協力し合って良き国良き世界を作っていこう…というようなことをもっと歌うべきで、「♪耳元囁く」ばかりが連呼されるとソレって結局色仕掛けで誘惑して言うことをきかせるってこと?ってなっちゃうじゃん、それじゃダメなんだよもったいないなー!
 あと、そのあとも、女性たちに弓を教えていて、それはまだ彼女たちが素人だからいいんだけれど、そこに敵に踏み込まれたら彼女たちとともにグィネヴィアも一緒になって逃げちゃうんですよね。そこは彼女たちを逃がすために自分は矢面に立って戦うところだろう! そのあとも、グィネヴィアが食事の用意ができたと兵士たちに告げるくだりがあって、結局おさんどんが女の仕事ってことなのか!?ってなるので、このあたりはもっと考えて作ってください稲葉先生! 韓国版がそうなら変更すべき。手癖でこう作ったなら再考すべきです。
 ところで話が前後しますが、今回のモーガンはウーサーの別の庶子ではなく、正嫡の王女という設定なのですね。これはもっと早くにきちんと説明すべきだったと思います。で、彼女はアーサーが生まれる前は王女としてペンドラゴン城で何不自由なく育てられ、マーリンは家庭教師みたいな感じで魔術の他にもいろいろな勉強の面倒を見ていた、ということなのでしょうか? 説明が足りてないぞー。そしてそこでこのふたりは何か、血の契約みたいな、なんか昔の日本の念者と念弟が(オイ)互いの腕か何かの同じ場所に傷を作ってその傷口を合わせて血を混ざらせて誓いとするような、なんかをしたらしくて、それで一心同体少女隊(古い)ならぬ一蓮托生というか、最近も星組の『柳生』であったな、なんかあんなことになったようなんですけれど、ここももっと説明が要りませんか? モーガンはマーリンを愛していたような言い方ですが、そんな歳だったのか?とか、アーサーが生まれてモーガンを邪険にし出したウーサーのフォローのためにマーリンは憐れみでモーガンにつきあっただけなのか?とか、なんか…こっちで勝手に埋めるにしてはいろいろ足りていない気がしました。しかもクライマックスのギミックに使われる設定なんだから…要再考。
 それにしても、ウーサーは男児だというだけでたかが庶子にもかかわらずアーサーに執着し娘のモーガンをネグレクトしたということなのですから、これはモーガンとしては怒っていい案件ですし、彼女がアーサーを憎く思うのも当然ですし(憎むべきはウーサーでありアーサーに罪はない、というのはここではおきます)、我々現代女性観客も彼女に感情移入しようというものです。モーガンもアーサーの実姉だったり異母姉だったり異父姉だったりと、作品によって扱われ方がかなりいろいろと違うものですが、今回の置かれ方はこれまたとてもよかったなと思いました。
 てかスーパーましろっちタイム、すごかったよお見それしましたよ…!(なんか似てないこともないしもう美穂圭子姐さま要らないのでは、と思ってしまったことはナイショです)
 サクソンの襲撃で負傷したアーサーをマーリンが魔術で救い、そのあとをグィネヴィアに託すくだりは、魔法でできることはやったからあとの現実的な、医療的な手当てや看病は任せた…ということなのかなと思いましたが、なんか台詞がわかりにくかったぞ? で、このあたりの、アーサーはまだまだ小僧だしグィネヴィアとランスロットの方が歳相応にあっさりカップルになりそうなところを、こうした流れで…というのがなかなかデリケートでニクかったです。この裏で、想いを秘めようとせつせつと歌うずんスロットがまた良くてねえ…
 円卓ができて、モーガンがやってきて…1幕がちょっと盛りだくさんで長いので、このあたりで不穏な四重奏ないし五重奏、とかで1幕を締めることにしてもよかったかもしれません。でも戴冠、結婚式、エクターの死まで盛り盛りにやって、幕。 

 アーサーはエクターの死のショックで闇堕ちしてしまい、グィネヴィアも遠ざけて…という展開は上手い。ランスロットや仲間たちの話も聞かず、暴走するアーサー。彼は、そもそもキキちゃんもスカステニュースの稽古場トークで言っていたように「ピュアボーイ」なのかもしれませんが、幼くて天真爛漫で単細胞でぶっちゃけおバカ…という役作りではなく、わりとフツーにまっとうに歳相応な青年、くらいなのがとてもいいなと思っていたんですけれど、本当は暴君の庶子でもあるせいなのかはたまた王になどなる者にはみんなそんな傾向があるものなのか、ちょっと極端で凶暴で乱心気味なところがある…というならそれはそれでまた深い設定な気がしました。
 そんな中でランスロットとグィネヴィアが接近し…というのと、モーガンがマーリンに魔術の継承を迫るくだりが交互に描かれるのですが、このあたりはちょっと歌、暗転、歌、暗転というのが続いてしまって、芝居場面がなく、なんだかなーだったのでちょっと脚本、演出とも整理、工夫してほしいです。ランスロットとグィネヴィアが結ばれる(というかチュー程度ですが)のは結局はモーガンの魔法のせいということになっていますが、ここはまあ好みかな…何もなくてもこの状況ならちょっと心が揺れても仕方なくない?とも思うので。ホラ宝塚歌劇は恋愛至上主義だしさ…ともあれアーサーに発覚して修羅場、今回は追放案が取れられたのでした(^^;)。よかったよちゃぴのようにお披露目なのに発狂させられなくて…
 てかこの前かな? ずんスロットがグィネヴィアを思って歌う歌(似たものが何度もあるので、絞っては…全部やれ、って契約なのかもしれないけど、重いと思う)の歌詞がまたアレでさー…彼女を太陽になぞらえるのはいいのよ、なのに「だけど触れられない」みたいに続けるのは、「うん、太陽だから熱いし遠いし触るのは無理だね」としかならないじゃん。触れられないのは彼女が太陽だからじゃなくて、王妃だから、弟みたいに仲良しの男の妻だから、でしょ? もっとよく考えた上で、詩的なフレーズを並べてくれよ稲葉くん…
 さて、そんなわけですべてはモーガンのせい、というかつまりはマーリンのせいじゃね?となって、ついにマーリンも決着をつけるために動き出すのですが…ここ、マーリンがアーサーに化けてモーガンに向かうんですよ! モーガンがグィネヴィアに化けてアーサーと寝る問題エピソードは今回はやらないのかな、と思っていたらまさかこの形で!?と私は一瞬たぎってすっかりおもしろくなっちゃったんですけど、マーリンはアーサーに化けた自分をモーガンに殺させることで、自分と一蓮托生のモーガンを滅ぼそうとしたのでした。てかココ、なんか掘るともっとビッグ・ラブな気配、しますね…!?!? 
 そんなわけで、父も兄も姉も妻も師もなくしたアーサーですが、守るべき民がいて国があり、ついに真の王たるべく覚悟をして、立ち上がりサクソンに立ち向かうのでした…完!フィナーレ!!…かと思ったのですが意外に(笑)まだあって、戻ってきたランスロットがアーサーと背中合わせに戦い(ここはエモいのでもっと長くやるべき)、アーサーをかばって死んでいくのでした…た、正しい二番手仕草だよ……!!! しかしなればこそキキの腕の中で死ぬべきだったろう、ずんちゃんよ…! ちょっとでっかかったか?
 そして混戦の最中、やはり戻ってきていたグィネヴィアが遠くから矢を射てアーサーを助けていたのですが…私はここは宝塚歌劇なのだから、アーサーも許すと言っているしモーガンの魔法のせいもあったのだから、グィネヴィアは戻ってきてともに良き国を率いていきましょうねエンドでもいいのでは、と思ったのですが…あくまで凜々しいグィネヴィアは、アーサーが許すと言ってくれても自分で自分が許せないので、と去っていくのでした…カッコ良すぎるよ新しすぎるよ、あんまりやりすぎると異性愛至上主義の宝塚歌劇が根幹から崩壊するので気をつけてな、と思うよ…(><)
 ともあれアーサーは雄々しく立ち上がり、兵士たちも市民たちも支えてくれる中、再びエクスカリバーを振るってキメるのでした。幕。

 フィナーレはなく、ラインナップのみ。ちょっと尺が余り気味で拍手が変になるか間が保たないので、そこはなんとかしてほしいなと思いました。明日からでも何かアクションを足すなどの調整が入るといいですね。
 というわけで、物語としてはとても整合性が取れていてキャラクターの感情など無理がなく、アーサー王ものでこんなにスッキリ楽しく観られたのは私は初めて…!と感動に打ち震えました。
 確かに楽曲の数は多く、さすがの宙組子がコーラス含めてしっかり歌いこなしているのですが、それでも満腹感がありすぎるというか、何曲か削ってその分もっと芝居をするか、ダンスに当てるか、休憩込み3時間という上演時間を減らすのに使ってもいいかなとは感じました。てかミュージカルとしてはやはりダンスがもっと欲しかったですね。村人や兵士のダンスは多少はあるんだけれど、たとえば主役ふたりが恋に落ちるときのやわやわしたダンスとか、そういうタカラヅカっぽい幻想のダンスみたいなのは全然なかったので…その硬派さ、無骨さがザッツ・韓国なのかもしれませんが。
 私はケイ(真名瀬みら)が今回はどんな感じになるのかなー、などと期待していたのですが、パーシヴァル(琉稀みうさ)やトリスタン(泉堂成)やガラハード(大路りせ)やガウェイン(輝星成)同様、名前だけの円卓の騎士メンバーという感じで、仕方ないんだけれどちょっと残念だったかな…大路くんはサクソンのアスガルと二役で、おかゆくん同様売り出し中かなとも思うし、これからより個性を出してくるのかもしれません。
 でも構造としては新生トップトリオががっちり見せて、新組長まっぷーが締めて、りっつ大活躍で、ましろっちがMVPで…という印象でしたね。モーガンは花宮沙羅ちゃんでも…いやぁそういう起用はしないよね劇団は……
 そうそう娘役といえば、これまたグィネヴィアがあんなにがんばっていても円卓の騎士って全員男性なんだなとか(イヤそういう原作なんだけれども)、キャメロットの女たちはこの騎士たちの裏で家事とかばかりやらされてそうだなー…と思う一方で、サクソン方には、戦場までついてくる娼婦なのかもしれないし魔女っぽい武器があるとされているのかもしれないけれど「サクソン(女)」という役があって、有愛きいちゃん以下強いメイクでバリバリ踊っていて、とても良きでした。みんながんばっていて可愛いですよね、このあたりも識別できるようになっていきたいです。
 私は次はもう楽近くに観てそれでおしまい、なので、これからはみなさまのレポを読んで楽しく変化を追いたいです。
 とにかく、良き作品に恵まれてよかったです。暑い中、どうぞ全員体調に気をつけて、喉も万全にケアして、千秋楽まで無事に公演していってほしいなと思います。
 そして宝塚歌劇も、日本のミュージカルも、この作品、企画を見習って、スタッフは欧米から招聘しているにしてもオリジナルの作品を作り、海外に乗り出していけるくらいのことを目指していってくれよ、と思います。もう韓国にはとっくに追い抜かれていて、追いつくことなどもはやできないのでしょうが、せめていいものを取り入れ、学んでいってほしいです。
 初日、カテコでオリジナルのクリエイティブ・スタッフと韓国プロデューサー、そしてタカコのご紹介、客席からの一礼がありました。ワイルドホーンさまさまですね。退場の際も拍手でした。『ネバセイ』で卒業なんだから初舞台だったまっぷーしか被っていない、ということか…でもキキちゃん始め、みんな嬉しくも緊張し、楽しかったことでしょう。宙組第九代トップスター、改めておめでとうございます…!!!








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