駒子の備忘録

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劇団四季『ノートルダムの鐘』

2023年07月22日 | 観劇記/タイトルな行
 四季劇場 秋、2023年7月19日18時半。

 1482年1月6日の朝、パリ・ノートルダム大聖堂の鐘が街に鳴り響く中、人々は大聖堂に集まり、厳かにラテン語の聖歌を歌い始める。会衆に語りかけ始めたのはノートルダムの大助祭、クロード・フロロー(この日は芝清道)。今では権力を持ち、人々に恐れられる彼だが、子供のころに孤児として弟ジェアンとともに大聖堂に引き取られた過去があった。真面目にカトリックの教えを学ぶ兄と違って弟は遊び好きで、やがて大聖堂を追放されてしまう。数年後、突然届いた手紙を読んで駆けつけたフロローを迎えたのは、重病で死を迎えようとする弟だった。ジェアンの赤ん坊を託されたフロローは、怪物のように思える顔をしたその赤ん坊を、人目から隠して大聖堂で育てることにし、「出来そこない」という意味の「カジモド」(この日は田中彰孝)と名付けるが…
 作曲/アラン・メンケン、作詞/スティーヴン・シュワルツ、台本/ピーター・パーネル、振付/チェイス・ブロック、演出/スコット・シュワルツ。日本語台本・訳詞/高橋知伽江。ヴィクトル・ユゴーの小説とディズニー映画の楽曲に基づくミュージカルで、2014年サンディエゴ初演、16年日本初演。全二幕。

 この日はエスメラルダ/山崎遥香、フィーバス/加藤迪、クロパン/白石拓也。
 思えば私はアニメ映画版は観たことがなく、なんとなーくのお話は知っているつもりで行ったのですが、こういう設定のこういう物語だったのか…と改めて知る、といった観劇となりました。そういえば海と自由劇場は行ったことがあるけれど、春、秋に行くのも初めてだったような…
 そして「僕の願い」は知っていたのですが、これはアニメ版の曲なのかな? 今回はタイトルも歌詞も違っていましたね。そして何度も変奏される、メインテーマ曲なんですね。なるほどなるほど。
 タイトルといえば、『ノートルダムの鐘突き男』とか『ノートルダムのせむし男』とされることもあるお話だと思うので、主人公はカジモドなのかなと思うのですが、実質的にはフロローの物語のようでもあるんですね。というかカジモドってフロローの甥なのか、そしてそもそもカジモドの父である弟にフロローはなんかこう…執着というか過剰な愛情というか、を抱いていた設定なんですね。それはもう、なんかこう…濃いわ。ハナから歪んだ、濃い、重い想いが絡んで立ち上がった物語だったんですねえ…
 異形の者が人目から遠ざけられて育つ、という意味では『ファントム』(『オペラ座の怪人』というよりはむしろ)や『美女と野獣』っぽくもあり、まあこういう要素ってお話の種になりやすいんだな、とも感じました。それでいうとフィーバスは、でも全然ガストンみたいなキャラじゃなくて、よかったです。ただ、わかりやすい二枚目ヒーローだったり王子さまキャラ、ってことでもないんですね、そこがいいですね。戦場勤めに倦み疲れた兵士で、街の教会でガードマンめいたところに再就職してちょっと骨休め、みたいな…マッチョでも単純でもあるようですが、その分竹を割ったようにさわやかで素直でもあり、意外と心が広く屈託がない。エスメラルダもイケメンにコロッとまいるような形ではなく、対等な男女として双方アグレッシブにくっつく展開なのがいいし、カジモドとも凸凹コンビみたいな友情がちゃんと成立するのもいい。
 カジモドももちろんエスメラルダのことが好きで、それは純粋な友情よりは一歩恋愛に踏み出したものだったろうけれど、恋愛はひとりでできるものではないし、エスメラルダの方はカジモドにそういう感情は抱いてなくて、だから三角関係としてこじれるとか煮詰まるとかいうことはなくて、そのまま時間があれば奇妙なバランスのよき友情が三人で築けたようにも思えるんだけれど、そんなふうになる前にもっと面倒臭い感情を抱えたフロローがつっこんできての四角関係になるので、そういう意味ではもうこの関係は破綻するしかなかったのでした。
 だからエスメラルダは、死にます。これもまた物語都合で殺される女性キャラクターのひとり、と言っていいでしょう。フロローもまた殺されますが、それはこの報いだからいいでしょう。カジモドの死が告げられてこの物語は終わります。彼はエスメラルダの亡骸をひとり守り、抱きしめたまま、おそらくは飲まず食わずで日々を過ごし、やがて果てて白骨化して発見されたのでしょう。
 そういう意味で、サバイバーはフィーバスだけであり、逃げ延びたとも言えるしドラマの中核に絡めなかった部外者にすぎなかったのだ、とも言えます。書き手は男性でこのあたりに都合良く自分を置いているんだろうしな、とも思ったりします。いやフィーバスは本当にナイスガイだったので、このあとは平凡でいいから幸福な人生を送ってくれよ、と願わずにはいられないのですけれどね…
 アニメでは、孤独なカジモドは大聖堂のガーゴイルたちとおしゃべりして過ごす、みたいな描写があったようですね。舞台では、グレーのマントを羽織ったコロスたちがガーゴイルとなり、マントを脱げばパリ市民となり、さらには聖歌隊にもなって、アンサンブル大活躍舞台でもありました。セット(装置デザイン/アレクサンダー・ドッジ)もとてもお洒落で、舞台の魔法に満ちた作品でした。
 確かに暗いというか重いというか、でまったく子供向けでもファミリー向けでもない作品だとは思いますが、愛されるに足る作品だということはわかりました。そして四季なのであたりまえにみんな上手い、耳福でした。
 ジプシー差別、障害者差別、マジョリティの狂信や暴力が描かれていて、それは本当に今日的でもありました。最後の最後に、バリ市民を演じていたアンサンブルたちが顔を汚して四肢を歪めて固まり、カジモドを演じていた男性が肩につけた瘤を外してのびやかにまっすぐに立ち顔を拭い、世界が逆転する様子が怖ろしいほどに鮮やかで残酷で、ぞっとさせられました。どうして人は、「でもおんなじだよ、何も変わらないよ、友達になろうよ、なれるよ」となれないのか。何を恐れ、何に怯えて他者を拒むのか…人は神から本当に何かを学べているのか、絶望しそうになりますね。
 そういうことを訴えた、世界がもっと完全に良くなるまでは決して廃れない、物語のひとつなんだな、と思いました。




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