駒子の備忘録

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『キングアーサー』

2023年01月29日 | 観劇記/タイトルか行
 新国立劇場中劇場、2023年1月26日18時。

 その昔、英国の偉大なるユーサー王がこの世を去り、サクソン族が侵入して危機が迫っていた。魔術師マーリン(石川禅)は混沌とした時代に終止符を打つべく、新しい王を王座に就かせるために動き出す。自分が王の血筋であることを知らずに育ったアーサー(浦井健治)は義兄ケイ(東山光明)の従者として騎士決闘場に赴き、マーリンの導きによって伝説の剣エクスかリバーを抜くが…
 音楽・脚本・歌詞/ドーヴ・アチア、日本版台本・演出/オ・ルピナ、翻訳・訳詞/高橋亜子、音楽監督/竹内聡、振付/KAORIalive、美術/二村周作。2015年パリ初演、16年宝塚歌劇団月組で上演、19年と22年には韓国で上演されたスペクタクルミュージカル。全2幕。

 ダブルキャストは、この回はメレアガン/加藤和樹、ランスロット/平間壮一、グィネヴィア/小南満佑子。
 宝塚歌劇月組『アーサー王伝説』の感想はこちら。一週間ほど前に予習として久々にDVDを見てから臨んだので、「おおまゆぽん! あっあーさ出てきた、あああったねこの歌!」みたくワクテカしながら観ました。でも珠城さんサヨナラショーでもやった「♪畏れられる王でなく愛される王に…」みたいなメインテーマ曲がなかなか出てこないな?と思い続け、そして結局出てきませんでしたが、あれは『アーサー王~』のために書き下ろされた新曲で、その後の公演でも使われていないオリジナル曲となっているようですね。さすが珠城さん…(笑)イヤ今見ると珠城さんもちゃぴもまだまだ硬いというか初々しくて、おもしろすぎましたけどね。あともともとの伝承がどうにも整合性がつけづらく、メインとなるエピソードもなかなかしょっぱいものなので、お話としてとにかくしんどい、というのはあり、それは今回の上演でも改善、解消されていないなと感じました。
 アーサーがユーサー王の隠し子である、しかも王が部下の妻を孕ませ産ませた子供である、というのが、自分の出生の真実を知って以降アーサーの屈託になるのですが、アーサーのせいではないんだけれどどうにも取り返しがつかないことでもあり、いかにも据わりが悪いです。マーリンは何度も「ユーサー王は本気で彼女を愛していた」みたいなことを言いますが、それはなんのフォローにもなっていないんですよね。王が本気だろうと相手の女性がどう思っていたのかは語られないし、たとえ当人同士が本気だろうとお互いの配偶者は不承知だったに違いないんですから、やっぱり罪は罪でしょう。この時代の結婚というものの固さや重要度はよくわかりませんが、この関係に問題があるとされているからアーサーも悩むわけでさ…罪ある男の罪から生まれた息子であっても、血を引くというだけで聖剣が抜けるのか、そんなんでいいのか、という大問題がそもそもある物語になってしまっているワケですよ、そもそも。
 モルガン(安蘭けい)はアーサーを産んだ女性とその夫との間の娘なので、アーサーの父親違いの姉になります。彼女は母親をユーサー王に汚されたことを恨みに思い、ユーサー王はもういないのでその恨みをそのままアーサーにぶつけているわけですが、これもよくよく考えるとちょっと謎です。母親がユーサーをそしてアーサーをどう思っていたのかの説明がないから、というのもありますが、彼女は結局夫のもとでアーサーを産み、モルガンとともに育てたんでしょうか? それともすぐにケイの父親に預けちゃったのかなあ? そのあたりも説明がなく、でもどう解釈しても上手く納得できないんですよね…それとも浮気した女として村八分にされ魔女扱いされ、モルガンは母親からも引き離されてかつ魔女の娘として周りから忌み嫌われ、それでグレて魔女になっていった…とかなのかなあ? 彼女が歌う子守歌はアーサーが生まれる前、自分がまだ一人娘だったころに母親に歌ってもらったもので、なので母親への思慕はあるようですが…
 モルガンがアーサーを逆恨みに近い形で憎む、のはわからなくはないし、アーサーがグィネヴィアと出会ってキャッキャウフフしてるのが腹立たしくて邪魔したろ、ってなるのもまあわかります。だがグィネヴィアに化けてアーサーをたぶらかし、性交し、息子を孕み、やがてその息子にアーサーを殺させることで復讐を遂げようとする、というのは…かなり遠大な計画ではあるまいか。このあたりが苦しいので、なんか感情移入しづらいというか共感しづらいというか、何がどうなれば正義でゴールでハッピーエンドなんだろうかこの話は??と観客が迷子になってしまうのではないかしらん、と思うのです。
 マーリンはユーサー王が部下の妻と通じるのに魔法で協力しているようなので、モルガンが憎むべきはむしろマーリンの方が自然なのかもしれません。アーサーの方も、過去のいきさつを知らされてなおマーリンを師と仰いでいますが、むしろ彼にキレて怒ってもいいくらいじゃないですかね? なのになんかただうじうじするだけなので、主人公としてヒーローとして精彩を欠きますよね。それで寂しくなったグィネヴィアがランスロットに流されるような展開になるんですけれど、それもなんかオイオイって感じで、みんなもうちょっとよく考えてちゃんと行動して?って言ってやりたくなっちゃいます。
 むしろ、いわゆる悪役とされているメレアガンの方が筋は通っていて、役者がプログラムで彼を「至極真っ当」と評していましたがまったく同感です。一国の王子で、研鑽を積み、婚約も決まっていて、決闘に勝ち上がり、けれど聖剣は抜けなかった。まだ修行が足りないということなのか…などと反省していたら、騎士でもない田舎者の小僧が勝手に引き抜いていった。なんならそのまま婚約者をさらっていった。それは怒って当然ですよね。彼の心情や行動はとてもわかりやすいし、共感できるのです。その他のキャラは行動原理がみんななんかよくわからないのでした。
 あ、ランスロットは、お花畑の「湖の騎士」、傾国の美青年なので、まあアレでいいんだと思います。道化担当にさせられていたケイも、無口で真面目にアーサーに仕えるガウェイン(小林亮太)なんかも、それぞれそれなりに素敵でした。
 なので問題はやはり主役周りのメインキャラたちにあるのであって、なんかもうちょっとやりようがある気がするんですよね、今なら。今あえてこの題材を扱うというのなら。ラインナップでトリの主役のひとつ前に出てきたのはトウコさんでした。グィネヴィアではなくモルガンがトップ娘役格(違)、ヒロインなのです。だからやはり物語としてはモルドレッドまで出して、アーサーが死ぬまでを、モルガン主人公でやるべきなんじゃないんでしょうかね、むしろ。完全なるフェミニズム劇として。アーサー自身に罪はなくても男であるという罪はあるのだし、そんな義弟を憎み愛してしまった女の物語として再構築できるなら、このカビの生えた神話も生きる道があるのではないかしらん…
 ウラケンはヒーロー役者だと思うけれど、アーサーってどちらかというと受け身のキャラになっちゃってるので、これをリアル男子にやられると本当にイラッとさせられるんですよねー。そういう白い受け身の役ってホント宝塚歌劇の主役でないと成立しないんだと思います。加藤さんは難曲も気持ちよく歌いこなしていて楽しそうでした。小南さんも歌えるのは知っているので…でもこの役の演技は難しいよね、って感じでした。別に嫌われてもいいとは思うんだけれど、ある種の魅力は役として必要だから…でも今のホンではグィネヴィアにそれはないですよね。平間さんはニンじゃなかったかなー、なんとか雰囲気イケメンを作っていましたけどね。そして石川さんのええ声はなんでも納得させてしまいそうだけど、やはりこの人がガンだと思うのよ…トウコさんはもうバリバリに素敵でした! 影のような分身のような侍女のレイア(碓井菜央)も素敵だったなー、見とれました。狼(長澤風海)と鹿(工藤広夢)もものごっついいダンスを見せてくれましたが、これは原作準拠のキャラなの…?
 などとぐるぐる考えつつ、つまり芝居としては、物語としてはアレだったのですが、なんせ楽曲が素晴らしくアンサンブル含めてダンスも素晴らしく、カッコいいナンバーがバンバン連続するスペクタクルな舞台に仕上がっていたので、もうこれはダンス・コンサートだな、と割り切れば実に楽しく観られたのでした。席も後方ながらもどセンターを買ったので、フォーメーションも美しく見え、観ていて本当に楽しかったです。映像(上田大樹)もうるさすぎなくてよかったですしね。楽曲のキーや編曲やアレンジは宝塚版とそんなに大きく違わない印象でしたが、より『1789』感を感じました。スケールが大きい感じ、ドラマチックな感じが、同じ作曲家だしやはり共通していますよね。振付は圧倒的にカッコよくなっていたと思います。
 そんなわけで観劇としてはなかなか楽しめたのですが、芝居としては納得できなかったし、物語、ドラマとしてはなんかヘンだった、というのが私の印象です。
 でも平日夜でも満席だったし、客入りがいいのはひとつの正解でもあるのでしょうから、まあいいのかな…私は引き続き自分が納得できるアーサー王の物語という聖杯を探し続けたいと思います。



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