宝塚バウホール、2023年6月15日11時半、22日14時半。
江戸後期。幕府の市街拡大策に伴い「江戸」に加えられた大川(隅田川)の東岸「川向う」は、新興地ゆえに町奉行の手が及ばず、岡場所や賭場が人々を引きつけて独自の発展を続けていた。欲望が交錯し、利益にたかる人々が群がり、そして故あって「江戸」にいられなくなった人々が逃げ込む場所、それが「川向う」だった。二番組町火消ろ組の平人・次郞吉(彩海せら)は、ろ組の頭・丑右衛門(悠真倫)と共に、新川大神宮の境内で、川向うの通り者・伊七(真弘蓮)や端唄の町師匠・文字春(天愛るりあ)に賭場の借金の形として連れ去られそうになっていた火消仲間・伊之助の妹・お橘(澪花えりさ)を助け出そうとしていた。次郞吉はなんとか思いとどまらせようとするが、彼らは江戸の常識が通用しない川向うの流儀を振りかざし、ついには次郞吉に斬りかかる。そのとき、向両国の通り者を仕切る幸蔵(礼華はる)と呼ばれる男が助け船を出し…
作・演出/大野拓史、作曲・編曲/高橋城、高橋恵、振付/山村友五郎、峰さを理。2002年花組初演のバウ・ミュージカル、待望の再演。全二幕。
初演は未見。スカステで見たことがあるかもしれませんがまったく記憶がなく、長くファンに愛されている作品だという知識しかないままに観ました。
初演はユミコとまゆたんのダブル主演で、でもまゆたん次郞吉が主人公の物語だったんだそうですね。それを今回はぱる幸蔵を主人公に、多少のリメイクをして(二幕冒頭が足された場面なのかな? 他にもちょいちょい場面の順番が違ったり足されたりしている、とも聞きました)再演したようです。
なるほどなるほど、確かにね! なんせぱるよりあみちゃんの方がぶっちゃけ上手いので、目立つし出番もまあまあ多いし、お話としても次郞吉の方が視点人物になるよな、などと思いつつ観ていたのですが、事情がわかってくるとやはりこれは幸蔵の物語なのだな、となりましたし、タッパがあって目が効いて舞台姿が映えるぱるが、地味ながら耐えるいい芝居をしていることもよく伝わってきたので、納得の仕上がりでした。フィナーレもあって晴れやかに終われる、でもとてもせつなく悲しく美しく愛しい作品だな、と感じ入りました。これはファンの多い作品というのも納得です。スカステ、早く初演を放送してー! 見比べてみたい。あと脚本読みたい、粋な江戸言葉の素晴らしさを堪能したい、「ル・サンク」出してくれよー…
期せずして紫陽花の季節に再演、というご縁も素晴らしいし、初演から続投のはっちさん、まりんさん(初演のお役は今回ぐっさんの同心・大八木)もさすがでしたし、若くても達者な今の月組のこの座組で再演できてとてもよかったと思います。観られてよかった、無事に幕が開いて無事完走できそうでよかった…!
わかって二度目に観ると、冒頭の大八木さん(春海ゆう)の台詞からもういろいろぐっときますし、そこでピンで踊り出す喜の字(天紫珠李)は「現在」の姿なのではと思うのだけれど、それは最後の場面でもそうだけれど、結局彼女は自前の芸者なので今もひとりで立派に自活できているということだと思うんですよね。でも新助(一輝翔琉。ちょーっと足りなかったかなあ、当人比では前進していると思うんだけれど…大詰めの居方次第ではこの場面はもっと盛り上がり、この物語はもっと重くまた締まったと思うのですよね…)はどうだろう。もちろん髪結いとして一人前になっているかもしれないし、元吉(咲彩いちご)とめでたく所帯を持っているかもしれないけれど、でも身を持ち崩して、なんならもうこの世にいないからこの場面にはいないんだ、とも解釈できる嘘寒さ、現実の過酷さ冷酷さも感じるのでした。それくらい、シビアで悲しい、苛烈な、しかしよくある物語だとも言えるのでしょう。よくできていました、本当に良き舞台でした、さすが大野先生でした…
また、形としてはホント『BANANA FISH』でした。淀辰(夏美よう)がゴルツィネで、父親の借金の形に売られた姉・お勝(麗泉里。よかったんだけど、でも天愛るりあと配役が逆でもよくなかったか?などとも思ったりするのでした…)を救うために人情沙汰を起こして江戸にいられなくなった幸を、親切ごかしに助けて、手懐け、なんならそれ以上の今を流行りのグルーミングまでして(! だってあの、わざわざぺたぺた触る手つきの嫌ったらしいこと、いやらしいことといったら…さすがははっちさんです)自分の手下にし、その後離反されて距離を取るものの、実は未練たらたらで…という構造です。幸/幸蔵がアッシュで、次郞吉は英二なワケです。ここはでっかくてシャイな兄貴分にちっちゃくてにぎやかな弟分がまとわりついているようなコンビに見えて、実は兄貴分の方がずっと相手を必要としていて依存していて、弟分の方は確かに気のいいわんこみたいなんだけれど、誰の痛みに対しても敏感ですぐ鼻つっこみ寄り添い世話を焼いて回り、あげくしんどいところを全部引き受けちゃうような人で…というコンビなのでした。
ナンバーツーの粂八(大楠てら。毎度こういうポジションがホント上手い!)が言うなればショーターないしアレックスで、幸蔵の子分から淀辰側に寝返る伊七がオーサーです。三吉(彩路ゆりか。またホントこういう子分芸、三下芸が絶品なのよ…!)は死なないスキッパーかな…てか彼のような、ある種いじらしく可愛らしい弟分キャラでさえ、これまでどんなひどいことに手を汚すことを強いられてきたのだろうと思うと、もう爆泣きでしたね…
新助はまあラオなんだけれど、要するにおまえが甘い考えで博打に手を出すのがすべての発端なんだよ!と言ってやりたいワケで、そりゃそれを悪用しつけ込む文字春たちが悪いんだけどでも、博打で当てた金で買った物を贈られたってフツーの女は喜ばないって学んで男子ー!とホント学級会を開きたいです。反省してー!!
もちろん、最初に彼らを突っぱねなかった幸蔵も甘いんです。それは本人も反省している。痛い目に遭わせてでも追い払い、線を引かなきゃいけなかった。素人は相手にしない、ってのはそういうことです。賭場での遊び方を親切に指南してあげるなんて、そんな社会勉強の手引きはすべきではなかったんです。でもそれが人の情だから…幸蔵だって次郞吉との再会が嬉しくなかったはずはないんだから…それを、まあ妬いてるんだけどお壱(花妃舞音。日本物のメイクも似合う! カワイイ! 歌もいい! 好きー!!)にねちねち言われてしまうわけですが…ちなみに彼らのうち、他はみんな生まれたときから川向こう育ちなんでしょうかね? 江戸生まれで途中から川向こうに来た人たちとは、そんなに何かが違うものなんでしょうかね…でもそれだけこの環境が過酷だということなのでしょう。
鼠小僧のオチは要らなくない?と言う人もいるようですが、私は初見はニヤリとしましたし、亡くした友の名で義賊となり世の悪しき権力者に喧嘩を売る生き方は、ちょっとカッコよすぎな気もしますが幸蔵の生き様としてアリだし、ひとつのアイディアとしてもとてもおもしろい、と純粋に思いました。それにそういうことでもないと、あのあと絶望した幸蔵は大川に身を投げるくらいしかできないだろうし、それで泳げちゃったら死ぬこともできないし、それはやはりつらかろう、と思うのですよ。死んだように生きるより、死に場所を求めて突っ走り、あえなく捕縛、打ち首獄門となっても本望…というのが彼の生き方だったのでしょう。
季節は巡り、また紫陽花は咲き、お祭りの時期がやってきて、かつての幸と次郞吉のように三味線の手習いをする少年ふたりがいて、そこに幸が、次いで次郞吉が現れて、それは実はフィナーレの男SとAで、楽しげな連れ舞になって…そりゃ泣くでしょう! ずるい、ひどい、すごい、素晴らしい。
そしてぱるが残って娘役ちゃんたちに囲まれ、次にあみちゃんとあまし氏のデュエダンでチューで締め(きゃー! てか簪の少女漫画シーンもホントよかったわー! 「あいよ」って応えたいわー!)、最後はぱるセンターの男役勢揃いで手ぬぐい片手に火消しの群舞、かーっこいーい! もう明るくニコニコ笑って踊るぱるがいなせで素敵で、配役が誰か知らないけど(るうさんか? ギリギリか? もういないからヤスか?)父親がバカやらなければそのままこんな頼れる火消しの兄さんになったろう、と思うとときめくやら泣けるやらで大変なのでした。
そしてパレードとなり、晴れやかな終演となるのでした…大号泣。
通り者たちの歌もよかったし、二幕冒頭のお祭り場面も鮮やかでしたねー。とっぱしのぱるターンは九年前で、あみちゃんターンはその五年後…って計算になるのかな? ともあれこういう時空の自在さが舞台の醍醐味だと思うのです。あと、花火をバウホールの壁やら天上やらに映す光で表現するのも素敵でした。
逆に、セットが簡素だということもあるけれど、場面が江戸なのか川向こうなのかはよくわからないことも多く、人も頻繁に行き来していて入り交じっているわけで、そんなに違うこともないじゃん、とつい思っちゃうんだけれど、やはり何かのときに官憲が機能しない無法地帯なのだ、というのは何かのときにこそ差が際立つわけで、やはり怖ろしいものがあるのでしょう。
それでも人は友達になるし、恋も生まれるし、情でつながれるというのに…ううぅ…せつない…結局のところうまい汁を吸って高鼾のワルはそのままなワケでさ…きいぃ…
ぱる、いい演目、いいお役でのバウ初主演、おめでとうございました! 前回の本公演でもひとつ覚悟ができたかな?という押し出しを感じましたが、今回も立派な真ん中力、素晴らしかったです。歌声がヨレるのはご愛敬ですが、もう少し情感込めて歌えるようになるといいかもね。ま、これは場数かな。
あまし氏は何度ヒロインをやってもバリバリのラブロマンスの相手にならないのが不憫なんだけれど、さすがに手堅かったです。でも歌は不安定に聞こえたな、苦手な音域だったのかな?
そして雪組で日本物もバッチリやってきましたよお任せあれ!なあみちゃん、早晩彼女自身もバウ主演を果たせる逸材だと思っていますが、ホント上手いし華がある。きっちり助演、お疲れ様でした。
あとは蝶之助の妃純凛姐さんがさすがええ声でよかったなあ。蘭くんはホントなんでも上手いんだけど、もう二の線はやらせないようなのももったいなくないですか…まひろんもホント上手いです頼れます。あと静音ほたるちゃんが前回から識別できるようになったので、まのんたんとニコイチで出てきてくれてありがたかったです。彼女たちは、未だ巾着切りという犯罪者ではあるけれど、身は売ることなく生きて「現在」にいるようだったので、ちょっとほっとしたかな…てか粂八はお壱を好きなの? ここも甘酸っぱい幼馴染みだったりするの? そこのスピンオフはないの!? 急いでいるからとはいえあのしっかりした手繋ぎとパレードの目配せにときめきましたよ!?!?
そして新組長のみとさんのおゑん(梨花ますみ)がホント怖くて素晴らしかったです。我関せずみたいにしているけど、船宿のお内儀ってことは家付き娘で、辰五郎の方が婿なくらいなんじゃないのかしらん、いや淀屋って家号はあるワケですが…夫が地回りの元締めで、ってことはいわゆる極妻で、そんな夫がちょいちょい浮気もつまみ食いもしつつ女を売り飛ばして沈め死なせているのを冷めた目で見ていて…このあとも涙ひとつ流さずにさっさと夫の葬儀を出したことでしょう。大八木さんの上司が男のワルなら女のワルはこっちが頂点ってことですよね、くわばらくわばら…
千秋楽のころには花のみちの紫陽花もさすがに終わりかもしれません。配信見ようかな、それくらい、ホントよかったです。タイトルは実はよくわからない雰囲気ものだけれど(「燈」ってのは行灯とかランプとかのことで、その灯りでできる物の影が「燈影」ですよね? 月光が作る影は月影で、あるいは月の欠けた暗い部分のこともそう呼ぶのかもしれないけれど、でもこれは月を燈に見立てている…のですかね?)、これからお月様を見たら、そして紫陽花を見たら、私の中で思い起こす演目になるのかもしれません。
江戸後期。幕府の市街拡大策に伴い「江戸」に加えられた大川(隅田川)の東岸「川向う」は、新興地ゆえに町奉行の手が及ばず、岡場所や賭場が人々を引きつけて独自の発展を続けていた。欲望が交錯し、利益にたかる人々が群がり、そして故あって「江戸」にいられなくなった人々が逃げ込む場所、それが「川向う」だった。二番組町火消ろ組の平人・次郞吉(彩海せら)は、ろ組の頭・丑右衛門(悠真倫)と共に、新川大神宮の境内で、川向うの通り者・伊七(真弘蓮)や端唄の町師匠・文字春(天愛るりあ)に賭場の借金の形として連れ去られそうになっていた火消仲間・伊之助の妹・お橘(澪花えりさ)を助け出そうとしていた。次郞吉はなんとか思いとどまらせようとするが、彼らは江戸の常識が通用しない川向うの流儀を振りかざし、ついには次郞吉に斬りかかる。そのとき、向両国の通り者を仕切る幸蔵(礼華はる)と呼ばれる男が助け船を出し…
作・演出/大野拓史、作曲・編曲/高橋城、高橋恵、振付/山村友五郎、峰さを理。2002年花組初演のバウ・ミュージカル、待望の再演。全二幕。
初演は未見。スカステで見たことがあるかもしれませんがまったく記憶がなく、長くファンに愛されている作品だという知識しかないままに観ました。
初演はユミコとまゆたんのダブル主演で、でもまゆたん次郞吉が主人公の物語だったんだそうですね。それを今回はぱる幸蔵を主人公に、多少のリメイクをして(二幕冒頭が足された場面なのかな? 他にもちょいちょい場面の順番が違ったり足されたりしている、とも聞きました)再演したようです。
なるほどなるほど、確かにね! なんせぱるよりあみちゃんの方がぶっちゃけ上手いので、目立つし出番もまあまあ多いし、お話としても次郞吉の方が視点人物になるよな、などと思いつつ観ていたのですが、事情がわかってくるとやはりこれは幸蔵の物語なのだな、となりましたし、タッパがあって目が効いて舞台姿が映えるぱるが、地味ながら耐えるいい芝居をしていることもよく伝わってきたので、納得の仕上がりでした。フィナーレもあって晴れやかに終われる、でもとてもせつなく悲しく美しく愛しい作品だな、と感じ入りました。これはファンの多い作品というのも納得です。スカステ、早く初演を放送してー! 見比べてみたい。あと脚本読みたい、粋な江戸言葉の素晴らしさを堪能したい、「ル・サンク」出してくれよー…
期せずして紫陽花の季節に再演、というご縁も素晴らしいし、初演から続投のはっちさん、まりんさん(初演のお役は今回ぐっさんの同心・大八木)もさすがでしたし、若くても達者な今の月組のこの座組で再演できてとてもよかったと思います。観られてよかった、無事に幕が開いて無事完走できそうでよかった…!
わかって二度目に観ると、冒頭の大八木さん(春海ゆう)の台詞からもういろいろぐっときますし、そこでピンで踊り出す喜の字(天紫珠李)は「現在」の姿なのではと思うのだけれど、それは最後の場面でもそうだけれど、結局彼女は自前の芸者なので今もひとりで立派に自活できているということだと思うんですよね。でも新助(一輝翔琉。ちょーっと足りなかったかなあ、当人比では前進していると思うんだけれど…大詰めの居方次第ではこの場面はもっと盛り上がり、この物語はもっと重くまた締まったと思うのですよね…)はどうだろう。もちろん髪結いとして一人前になっているかもしれないし、元吉(咲彩いちご)とめでたく所帯を持っているかもしれないけれど、でも身を持ち崩して、なんならもうこの世にいないからこの場面にはいないんだ、とも解釈できる嘘寒さ、現実の過酷さ冷酷さも感じるのでした。それくらい、シビアで悲しい、苛烈な、しかしよくある物語だとも言えるのでしょう。よくできていました、本当に良き舞台でした、さすが大野先生でした…
また、形としてはホント『BANANA FISH』でした。淀辰(夏美よう)がゴルツィネで、父親の借金の形に売られた姉・お勝(麗泉里。よかったんだけど、でも天愛るりあと配役が逆でもよくなかったか?などとも思ったりするのでした…)を救うために人情沙汰を起こして江戸にいられなくなった幸を、親切ごかしに助けて、手懐け、なんならそれ以上の今を流行りのグルーミングまでして(! だってあの、わざわざぺたぺた触る手つきの嫌ったらしいこと、いやらしいことといったら…さすがははっちさんです)自分の手下にし、その後離反されて距離を取るものの、実は未練たらたらで…という構造です。幸/幸蔵がアッシュで、次郞吉は英二なワケです。ここはでっかくてシャイな兄貴分にちっちゃくてにぎやかな弟分がまとわりついているようなコンビに見えて、実は兄貴分の方がずっと相手を必要としていて依存していて、弟分の方は確かに気のいいわんこみたいなんだけれど、誰の痛みに対しても敏感ですぐ鼻つっこみ寄り添い世話を焼いて回り、あげくしんどいところを全部引き受けちゃうような人で…というコンビなのでした。
ナンバーツーの粂八(大楠てら。毎度こういうポジションがホント上手い!)が言うなればショーターないしアレックスで、幸蔵の子分から淀辰側に寝返る伊七がオーサーです。三吉(彩路ゆりか。またホントこういう子分芸、三下芸が絶品なのよ…!)は死なないスキッパーかな…てか彼のような、ある種いじらしく可愛らしい弟分キャラでさえ、これまでどんなひどいことに手を汚すことを強いられてきたのだろうと思うと、もう爆泣きでしたね…
新助はまあラオなんだけれど、要するにおまえが甘い考えで博打に手を出すのがすべての発端なんだよ!と言ってやりたいワケで、そりゃそれを悪用しつけ込む文字春たちが悪いんだけどでも、博打で当てた金で買った物を贈られたってフツーの女は喜ばないって学んで男子ー!とホント学級会を開きたいです。反省してー!!
もちろん、最初に彼らを突っぱねなかった幸蔵も甘いんです。それは本人も反省している。痛い目に遭わせてでも追い払い、線を引かなきゃいけなかった。素人は相手にしない、ってのはそういうことです。賭場での遊び方を親切に指南してあげるなんて、そんな社会勉強の手引きはすべきではなかったんです。でもそれが人の情だから…幸蔵だって次郞吉との再会が嬉しくなかったはずはないんだから…それを、まあ妬いてるんだけどお壱(花妃舞音。日本物のメイクも似合う! カワイイ! 歌もいい! 好きー!!)にねちねち言われてしまうわけですが…ちなみに彼らのうち、他はみんな生まれたときから川向こう育ちなんでしょうかね? 江戸生まれで途中から川向こうに来た人たちとは、そんなに何かが違うものなんでしょうかね…でもそれだけこの環境が過酷だということなのでしょう。
鼠小僧のオチは要らなくない?と言う人もいるようですが、私は初見はニヤリとしましたし、亡くした友の名で義賊となり世の悪しき権力者に喧嘩を売る生き方は、ちょっとカッコよすぎな気もしますが幸蔵の生き様としてアリだし、ひとつのアイディアとしてもとてもおもしろい、と純粋に思いました。それにそういうことでもないと、あのあと絶望した幸蔵は大川に身を投げるくらいしかできないだろうし、それで泳げちゃったら死ぬこともできないし、それはやはりつらかろう、と思うのですよ。死んだように生きるより、死に場所を求めて突っ走り、あえなく捕縛、打ち首獄門となっても本望…というのが彼の生き方だったのでしょう。
季節は巡り、また紫陽花は咲き、お祭りの時期がやってきて、かつての幸と次郞吉のように三味線の手習いをする少年ふたりがいて、そこに幸が、次いで次郞吉が現れて、それは実はフィナーレの男SとAで、楽しげな連れ舞になって…そりゃ泣くでしょう! ずるい、ひどい、すごい、素晴らしい。
そしてぱるが残って娘役ちゃんたちに囲まれ、次にあみちゃんとあまし氏のデュエダンでチューで締め(きゃー! てか簪の少女漫画シーンもホントよかったわー! 「あいよ」って応えたいわー!)、最後はぱるセンターの男役勢揃いで手ぬぐい片手に火消しの群舞、かーっこいーい! もう明るくニコニコ笑って踊るぱるがいなせで素敵で、配役が誰か知らないけど(るうさんか? ギリギリか? もういないからヤスか?)父親がバカやらなければそのままこんな頼れる火消しの兄さんになったろう、と思うとときめくやら泣けるやらで大変なのでした。
そしてパレードとなり、晴れやかな終演となるのでした…大号泣。
通り者たちの歌もよかったし、二幕冒頭のお祭り場面も鮮やかでしたねー。とっぱしのぱるターンは九年前で、あみちゃんターンはその五年後…って計算になるのかな? ともあれこういう時空の自在さが舞台の醍醐味だと思うのです。あと、花火をバウホールの壁やら天上やらに映す光で表現するのも素敵でした。
逆に、セットが簡素だということもあるけれど、場面が江戸なのか川向こうなのかはよくわからないことも多く、人も頻繁に行き来していて入り交じっているわけで、そんなに違うこともないじゃん、とつい思っちゃうんだけれど、やはり何かのときに官憲が機能しない無法地帯なのだ、というのは何かのときにこそ差が際立つわけで、やはり怖ろしいものがあるのでしょう。
それでも人は友達になるし、恋も生まれるし、情でつながれるというのに…ううぅ…せつない…結局のところうまい汁を吸って高鼾のワルはそのままなワケでさ…きいぃ…
ぱる、いい演目、いいお役でのバウ初主演、おめでとうございました! 前回の本公演でもひとつ覚悟ができたかな?という押し出しを感じましたが、今回も立派な真ん中力、素晴らしかったです。歌声がヨレるのはご愛敬ですが、もう少し情感込めて歌えるようになるといいかもね。ま、これは場数かな。
あまし氏は何度ヒロインをやってもバリバリのラブロマンスの相手にならないのが不憫なんだけれど、さすがに手堅かったです。でも歌は不安定に聞こえたな、苦手な音域だったのかな?
そして雪組で日本物もバッチリやってきましたよお任せあれ!なあみちゃん、早晩彼女自身もバウ主演を果たせる逸材だと思っていますが、ホント上手いし華がある。きっちり助演、お疲れ様でした。
あとは蝶之助の妃純凛姐さんがさすがええ声でよかったなあ。蘭くんはホントなんでも上手いんだけど、もう二の線はやらせないようなのももったいなくないですか…まひろんもホント上手いです頼れます。あと静音ほたるちゃんが前回から識別できるようになったので、まのんたんとニコイチで出てきてくれてありがたかったです。彼女たちは、未だ巾着切りという犯罪者ではあるけれど、身は売ることなく生きて「現在」にいるようだったので、ちょっとほっとしたかな…てか粂八はお壱を好きなの? ここも甘酸っぱい幼馴染みだったりするの? そこのスピンオフはないの!? 急いでいるからとはいえあのしっかりした手繋ぎとパレードの目配せにときめきましたよ!?!?
そして新組長のみとさんのおゑん(梨花ますみ)がホント怖くて素晴らしかったです。我関せずみたいにしているけど、船宿のお内儀ってことは家付き娘で、辰五郎の方が婿なくらいなんじゃないのかしらん、いや淀屋って家号はあるワケですが…夫が地回りの元締めで、ってことはいわゆる極妻で、そんな夫がちょいちょい浮気もつまみ食いもしつつ女を売り飛ばして沈め死なせているのを冷めた目で見ていて…このあとも涙ひとつ流さずにさっさと夫の葬儀を出したことでしょう。大八木さんの上司が男のワルなら女のワルはこっちが頂点ってことですよね、くわばらくわばら…
千秋楽のころには花のみちの紫陽花もさすがに終わりかもしれません。配信見ようかな、それくらい、ホントよかったです。タイトルは実はよくわからない雰囲気ものだけれど(「燈」ってのは行灯とかランプとかのことで、その灯りでできる物の影が「燈影」ですよね? 月光が作る影は月影で、あるいは月の欠けた暗い部分のこともそう呼ぶのかもしれないけれど、でもこれは月を燈に見立てている…のですかね?)、これからお月様を見たら、そして紫陽花を見たら、私の中で思い起こす演目になるのかもしれません。
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