駒子の備忘録

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近代ナリコ『女子と作文』(本の雑誌社)

2013年08月27日 | 乱読記/書名さ行
 随筆、エッセイ、手紙、詩、ポエム、投稿…戦前から現代までの「女子本」で出会った、文章と人生のリアリティ。「書く」女性たちの切実な声を共感をもって蘇らせる、類のない読書エッセイ。

 新聞の書評に惹かれて書店まで出かけて買い求め、英題の「Girls Write Alone」というのも実にいいなあと思い、この著者の本を読むのは初めてですが名前は聞いたことがあったし略歴によればほぼ同い歳じゃんとドキドキワクワクでページを開いたのですが…
 期待はずれでした。
 でも今、帯の惹句を書き写していて気づいたのですが、私の期待の方が筋違いだったのかもしれません。
 私は「女子と作文」に関する論考ないし評論、ないしはせめてそれに関するエッセイが読めるものと期待してこの本を買ったのでした。
 私が読みたかったのは、読むことで考えたかったのは、何故「女子」は「作文」するのか、ということです。女流作家が文学作品を書く、ということとは違って、「女子」がする「作文」です。例えばこのブログだったそうでしょうし、私がここ最近絶賛どハマり中のツイッターだって基本は140字のつぶやき、作文です。男性だってするけれど、それこそ男もすなるものを女もしてみんとて、じゃないけどユーザーは女性の方が多い気がするし(実際はどうか知りません)、とにかく女が書く創作や作品とはつかない何か、あるいは女が書くということ、について考えたかったのです。それについて書かれた本だと思ったから買ったのです。
 でも違いました。これは「読書エッセイ」でした。そしてその意味でもあまりおもしろくないものでした。
 だって基本的には「こんなものを読みました」というしか書かれていないんだもん。何故その本を読み、どこをどう読み、どう思い何を考えたのか、についてはあまり書かれていない。だからそれこそエッセイですらなくて作文なんですよ、子供が学校の課題に書いて出すつまらない作文、の方の「作文」です。朝起きてご飯食べて夜寝た、式の駄目な日記みたいな作文レベルでした。
 文学よりその周辺のもの、例えば随筆などが好きだし、書き手もタレントなど文学の領域でない人のものが好き、というこだわりがあるなら、それのどこがどう何故好きなのか語ってくださいよ。でなきゃ他人にはわかりません。「私、好きなんだー」だけじゃ「へー」しか返しようがないじゃん。ああつまんない。
 おもしろい視点、切り口だなあと思ったのになあ。女性周辺ものを古本屋でせっせと買ってるんだったら蔵書もたくさんあるだろうし、いくらでも論考できそうなのになあ。
 まあ自分で考えろよってことなのかもしれませんから、考えたいとは思っていますが。
 それが女性であれ、プロの作家が小説とか詩歌とかの創作作品を書くこととは別に、ノンプロの女性が、自分のためとも他人のためともつかない、日記とも空想ともつかない文章を綴り発信しがちなのは何故か。男社会にもの言う形としてそういうスタイルが選ばれているというだけのことなのか、それとも。
 自分が例えばここに何かを書くことも含め、ちょっと考えてみたいと思いました。
 ちなみにここについて言えば本当にまずは自分のための「備忘録」として書いているのであり、でも自己顕示欲としてまた誰かに読んでもらって同意なり賛意なりの反応が欲しいから公開しているのであり、そして最終的にはそれで自分がひとかどの何かになっているような気になるためのものである、というような気がしています。あいまいで申し訳ない。

 

 追記。「小学館ミニレディー百科シリーズ」の『あなたも詩人』(著者は詩人の清水哲男、1978年刊)が紹介されているのですが、これ、持ってた…!
 書影にも記憶あるし、「詩とは、なんですか。/あなたが詩だと思ったらそれが詩なのです」も、その例文も、すっごい覚えていて驚愕しました。
 でも詩人にはならなかったんだな私は…でも「作文する女子」にはなった。というかまさかの就職先…すごいわあ人生って。

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