駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

『ジーザス・クライスト・レディオ・スター』

2009年12月29日 | 観劇記/タイトルさ行
 恵比寿エコー劇場、2005年6月8日ソワレ。
 押してくる時間、迫りくる罠、場違いな曲…12人の怒れる優しく何よりいいかげんな男たちが繰り広げるノンストップ120分生番組。作・演出/西田大輔。再演。

 生放送のラジオ番組のスタジオを舞台とする、シチュエーション・コメディ。よくできていたと思います。メンバーがそろって場が温まってきてからは本当にノンストップで突っ走り、おもしろくて客席もノリノリでした。それだけに、最初の方が滑り気味だったのが残念だったかな…
 人数が少ないうちは台詞の掛け合いも広がりにくいし混乱やドタバタが演出しにくいのでつらいのはわかりますが、でももったいなかった。思うにこの舞台の主役はやっぱりディレクターであるキャプテン(これはのちにみんなにつけられたあだ名でホントの役名は鳥谷翼。演じるのは作・演出でもある西田大輔)なんだから、もっとキャラ立てていいんじゃないでしょうかねー。いつも背中向けて、長い前髪でうつむき気味で表情も見えないんじゃ、共感を誘いにくくてもったいないです。
 彼を支えるサブディレクターといった役所の大山和馬(徳秀樹)、彼がまた地味ではありましたが、ラストなんかはほとんど儲け役かという輝きがあったので、やっぱり前半もっと前に出てもよかったと思います。
 新人ADの一之瀬彰(窪寺昭)は役者も二の線だししっかり演じていて合格。業界にこういう人いっぱいいる、という感じのすちゃらかプロデューサー山根平蔵(須間一彌)も憎らしいくらいそういう感じで良かったです。
 占いコーナーの担当者、しかしてその正体は…という児玉清志(塚本拓弥)は、最後に黒縁眼鏡外したらソ・ジソブそっくりで仰天しました(笑)。そして六本木の借金取り・海老根四郎(三角大)はイ・ビョンホンかと思った…ここらへん、個人的にツボ(笑)。
 番組ゲストに呼ばれたリスナーの川口博史(市川雅之)、本番前に出かけてかえってこないカリスマDJとその弟・吉田健康(川畑博稔)もいかにもな感じ。ピザ配達人の森永明治(村田洋二郎)はやっぱりちょっと森山未来に見えるし、これまた番組ゲストの演歌歌手・八代あきら(佐久間祐人)のアヤしさもいい。スポンサー社長かと思われて実は…の桑原義男(北野恒安)はややギリギリだったかしら…そして番組内で交通情報を担当したベンゴさん(加藤靖久)は、もっと出番が見たかったわ…
 小劇団の役者さんが劇団の枠を越えて寄り集まっての公演だったようです。おもしろかったです。
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『ナイン THE MUSICAL』

2009年12月29日 | 観劇記/タイトルな行
 アートスフィア、2005年6月6日ソワレ。
 映画監督のグイード・コンティーニ(別所哲也)は、妻ルイーザ(高橋桂)とともにイタリアを訪れる。次の映画の撮影が始まろうとしているのに、企画にまだ煮詰まっているのだ…台本/アーサー・コピット、作詞・作曲/モーリー・イェストン、翻案/マリオ・フラッティ、翻訳/青井陽治、演出/デヴィッド・ルヴォー。

 パンフレットに、ストーリーとか、企画の概略が書かれていなくて、よくわからないのですが、日本では多分これが再演。初演の主役は別の人だったはずです。
 さらに教養がなくて申し訳ないのですが、多分これはフェリーニの映画『8 1/2』の舞台化で、そもそも映画監督自身を主人公になぞらえた自伝的な作品?なんですよね?
 コピット&イェストンと言えば『ファントム』のコンビですが、今回はオペラっぽいというか難しい楽曲が多く、とても覚えて歌って帰れませんでした。

 「私の体を通り過ぎていった男たち」の男版というか、最初のうちは「俺がいかに偉大でモテたか」自慢みたいな話に見えて、バカじゃないのこいつ、と辟易していて観ていたのですが、落ちぶれて女たちに見放され始めるあたりからいい感じになってきましたね(笑)。
 やはり因果は巡るというか、ちがうな、プラマイゼロというか、大切なものしか残らないというか、手に入るものは本当は意外と少ないものだけなんだとか、そんなまっとうなことになってよかったです。そう、結局は誠意が一番大切なんだと思うので。

 パンフレットにコラムが載っている橋本治は原作の映画を「夫婦愛の映画」として絶賛していますが、確かについに堪忍袋の尾を切って去っていったルイーザが帰ってきて舞台は終わるので、そういうことなんでしょうねえ。
 事実もそうなのか知らないのですが、ルイーザはグイードの古くからの一番の熱心なファンで妻になって、グイードは誰と何度浮気しようと彼女と離婚はしなかったようなので(自分は離婚までしてぼろぼろになったカルラ-池田有希子-という愛人もいたのに)、結局はそういう者だけが残った、ということなのでしょうね。
 いい映画が作れなくなれば女優クラウディア(純名りさ)は去っていき、売れる映画が作れなくなればプロデューサーのリリアン(大浦みずき)は去っていく。寿命が来れば母親(花山佳子)だって去る。
 だけど男に妻は残った。そうして妻に残ったのは、ただ「妻の座」というものだけに私には見えましたが、それは負け犬の私のひがみだろうか…英雄が色を好むように、女もまた英雄の妻の座を好むものなのですよ。

 その他の女性たちの中では、「スパのマドンナ」というものすごい役名の剣持たまきが謎めいていてよかったです。
 子役の、というか本当に9歳の主人公の、リトル・グイード(この日は向笠揚一郎)が歌う「Getting Tall」が泣かせました。
 あと、席が下手側最前列だったのですが、非常に見づらくて首と肩が痛くなって仕方がありませんでした。劇場設計を考えてほしいです。
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『シンデレラストーリー』

2009年12月29日 | 観劇記/タイトルさ行
 ル テアトル銀座、2005年6月3日ソワレ。
 昔々、小さいながらも人々が穏やかに暮らす平和な王国がありました。仲睦まじい王様(尾藤イサオ)と王妃様(高嶺ふぶき)の最近の悩みと言えば、跡継ぎの大切な王子・チャールズ(浦井健治)のお相手捜し。国同士のおつきあい事情も絡む大事な問題ですが、当の王子は「本当の愛」を捜すロマンティストで、政略結婚など受け付けそうにないのです…一方、庶民の家庭でもいざこざが。ベラドンナ(池田成志)はお人好しのシャルル(デーモン小暮閣下)の後妻に収まるや、先妻の娘・シンデレラ(大塚ちひろ)を女中扱いでこき使い…脚本/鴻上尚史、演出/山田和也、音楽/式部聡志、作詞/斉藤由貴。初演からロイヤルファミリーのキャストを一新した、2年ぶりの再演。

 子供のできたプロデューサーが、「大人も子供も楽しめるミュージカルを」と企画した舞台だそうです。確かに子供が観るには楽しいしいい舞台だと思います。ただ、大人も満足して鑑賞するにはやはり題材として苦しいというか、たわいなさすぎるというか、ですよね、『シンデレラ』は…
 王国が経済的に苦しくて他国の援助を必要としていて、そういう意味でも王子には政略結婚をしてほしいと期待されているのだが…とかの、リアルというより生臭い設定をするんだったら、結局はシンデレラを嫁として認める経緯にもリアリティが必要になるでしょう。初演では靴が合ってハッピーエンド結婚式、だったそうですが、今回は王妃が身分違いの結婚は苦しいしお互いのためにも国のためにもならないので身を引いてくれ、とシンデレラを諭すシーンが加えられたようです。それを聞いた王子は「だったら自分が王子をやめる」と言うのですが、王位ってそういうものじゃないと思うのね。だからここはシンデレラが、葡萄踏みの技術だろうとなんだろうと、王家に、王国に貢献できるものを見せるべきシーンなのですよ。だけどそれはうやむやになっちゃうんだなあ。「愛こそはすべて」でオッケー、とするんだったら、そもそもの王国の経済事情なんて設定はやめるべきです。

 21世紀の視点からすると、シンデレラが単純に舞踏会に行きたがるのもホントは疑問。
 今時の女の子ってそんなに素直じゃないと思うし。よしんばミーハー気分で行きたがるとしても玉の輿なんて夢のまた夢、あるいはたとえ乗ったって真実はそんなに楽なもんじゃないってわかっているから、そんな簡単に王子に惚れるかなあ…というのはあまりに斜めに見過ぎでしょうか。
 でも一目惚れというのは今や弱いと思うんですよね…あるいは最初は一目惚れでも、そのあと、ホントにお互いに惚れ込む経緯をもう少し描いてもいいんじゃないかと思いますが。ある種の「シンデレラストーリー」である『エリザベート』もそこいらの少女漫画も、そこはもっと細かく描写しますよ?

 とまあ、脚本的には、というか構想としてはつっこみたいところはあるのですが、たわいないし深く感動はしなかったけど楽しくなかったというわけではもちろんありません。
 なんてったって王子が10頭身くらいあってとにかく見目が良かったし(笑)、シンデレラは第一声がとってもチャーミングでそれだけで許せるくらいだったし、もちろん可愛くて大満足(しかしドレス姿は劇画チックで美しくなかった。ヘアスタイルも、特に額のあたりが良くない。わざと? 大団円のウェディングドレスはぐっと現代的ないいデザインで髪型も元のままのワイルドカットでよかったけど…)。

 新感線出身の大臣ピエール役の橋本さとし、第三舞台の池田成志、デーモン閣下と怪演・熱演。
 ユキちゃんは…宝塚退団後の舞台を見るのは確かこれが初めてだと思うのですが、もっと綺麗で高貴な姿を見られるものとばかり想っていたのでちょっとびっくり。もちろんわざとやっている…んですよね?あの浮世離れした台詞回しや歌や化粧は…
 楽曲はポップでしたが、ミュージカルっぽくはなくリプライズもあまりなく、覚えて歌って帰れる感じではありませんでした。残念。
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宝塚歌劇月組『エリザベート』

2009年12月29日 | 観劇記/タイトルあ行
 東京宝塚劇場、2005年4月22日マチネ、5月17日ソワレ。
 19世紀末。ヨーロッパ随一の美貌を謳われたオーストリアハンガリー帝国皇妃エリザベート(瀬奈じゅん)が、イタリア人アナーキストのルイジ・ルキーニ(霧矢大夢)に殺害された。煉獄の裁判所でルキーニの尋問が始まる。ルキーニは、エリザベートは死神トート(彩輝直)と恋仲だった、と主張する…脚本・歌詞/ミヒャエル・クンツェ、音楽/シルヴェスター・リーヴァイ、潤色・演出/小池修一郎、翻訳/黒崎勇。1992年ウィーン初演。宝塚版は1996年初演、5組目の公演。

 すごーくよかったです。私は宝塚初演の雪組版から、星、宙と、前回のミドリちゃん(大鳥れい)ファイナルの花組版以外は全公演1、2回ずつ観ているはずなのですが、こんなにいい舞台だったっけっかなー、という印象でした。
 演出がどんどん洗練されていっていてまったく過不足がなくなっており、スピーディーで華麗でゴージャスな展開は健在で、仕上がりも現代的になっているのだと思います。リプライズというかリフレインが多く印象的な楽曲もすばらしいの一言です。
 個人的に、心配された主役カップル以外のメインキャスト三人、皇帝フランツ・ヨーゼフ役のガイチ(初風緑)・ルキーニのキリヤン・皇太子ルドルフのユウヒ(大空祐飛)のファンだ、というのはあるかと思うのですが。

 そしてこの主役ふたりが大健闘だったと思うので、本当に舞台として成功していたのだと思うのです。歌が心配されたサエコちゃんは、癖があるものの全然ちゃんとしていたと思いますし、次期トップで今回は女役という重責を負ったアサコは、本当にきれいに高音を出していたと思います。感心したし、感動しました。サエちゃんにもうちょっとだけ背があったらなー、アサコがもうちょっとだけほっそりしていたらなー、というのは、もう望みすぎなのでしょう。
 歴代エリザベート役者はハナちゃん(現宙組娘役トップスター花総まり)、アヤカ(当時の星組娘役トップスター白城あやか)、そしてミドリと、花も実もある大型の娘役たちが演じてきましたが、本来は男役である生徒が演じたのはこれが初めて。そして当然、役の線は太くなるわけです。でもこれがやはり成功したのではないでしょうか。トートとしっかりと拮抗し、生涯戦い続けたエリザベートになっていたと思います。

 以前の公演の印象で、ラストシーンに違和感を覚えたことを私はよく覚えているのです。天上へ上がっていくトートとエリザベートの絵ですが、まっすぐに立つトートの腰のあたりを抱きかかえて、跪くエリザベート、というのがこれまでの構図でした。今回のふたりは、共に立ち並んでいました。これが象徴的だったのではないでしょうか。私は以前は、エリザベートがトートを受け入れるということは死を受け入れることであり、人生を投げ出すことや自殺を容認することに通じるようで、なんか嫌だったんですね。
 でも今回の演出では、エリザベートはトートをはねつけ続け、抗い続け、ぼろぼろに傷つきながらも必死に生きて生きて生きて、その最後に、ふいに現れた死に抱かれただけ、というように見えました。エリザベートに避け続けられながらも、彼女を見守り、彼女を待ち続けたトートは、死神というよりはむしろ、彼女の一生を併走し続けた、「生」そのものの化身のように思えました。
 生をまっとうした者だけが、人生の最後に、満足な死を得ることができる。死の向こうで待つ者はだから、死神というよりはむしろ、神と呼んでもいい、愛ある者なのだ…エリザベートが生きている間は、ふたりの間に色恋の匂いが弱かった分(それは本来は男役である役者がヒロインを演じたからかもしれません)、最後に成就された愛は、より大きなものに見えました。

 最初に観た回に同行した知人は大阪出身で宝塚観劇は久しぶり、『エリザベート』は初見、という人で、
「エリザベート、わがままやなー」
 と、批判的ではない口調で感想を述べていました。トートの愛に溺れたり頼ったり逃げ込んだりせず、自分ひとりの力で、我を貫いてがんばってしまったヒロイン、それが今回のエリザベートだったと思います。その強さ、悲しさが、現代的だったと思うのですね。本当に良かったです。
 ではラブ・ロマンスとしては弱かったかというと、わりとそうでもありませんでした。エリザベートはそんなでも、トートもフランツもエリザベートを愛していて、男ふたりに女ひとりの典型的な美しい三角関係メロドラマにもちゃんとなっていたからです。
 と言うか、私、フランツ・ヨーゼフってキャラクターとしてすっごい好きなんですよねー。
 イヤ実際にはこんな男とつきあいたくはないんだけどさ。お坊ちゃんで優等生、生真面目で神経質で気が弱く、自分を押し殺してでも周りの期待に応えようとする、優男。妻エリザベートと母ゾフィー(美々杏里)の間で板挟みになるところ、娼婦マデレーネ(城咲あい)の誘惑に乗ってしまうところ(娼館の女主人マダム・ヴォルフ役はこれまた本来は男役の嘉月絵理。エリちゃんもファンなんだ、よかった!)、みんな好きだなー。エリザベートの寝室の前で「扉を開けてくれ」と歌うシーンが一番好きかも…って、ヒドいですよね。
 その昔のユキちゃん(雪組公演時、高嶺ふぶき)もノル(星組公演時、稔幸)もタカコ(宙組公演時、和央ようか)も、ファンだったので好きでしたが、今回のガイチは本当に本当によかったなー。黒い役も上手い人なんですけどねー、あああ、好きだ。
 従姉妹のヘレネとのお見合いの席で、その妹のエリザベートを選んでしまうという、ほとんど生涯唯一のわがままを通した彼が、エリザベートに歌う「嵐も怖くない」のなんて甘いこと! エリザベートは舞い上がって応えているだけに見え、でも若いふたりは恋の喜びに輝く。ライトの当たるふたりをよそに、銀橋から幽鬼のようにゆらりと黒い影になって現れるトートは、恋人たちの甘い幻想を打ち砕くには十分の災いの象徴そのもの。一方で、嫉妬に狂うただの男にもちゃんと見える。すばらしい!
 トートがエリザベートに初めて出会い、見逃して帰してあげたあとに歌う「愛と死の輪舞」を、フィナーレで、歌詞の「俺」を「僕」に替えて歌うガイチの「歌う紳士」の歌声の甘いこと! 絶品でした。

 そして第二幕中盤の主役、ルドルフ。これまたよかったなー。
 ユウヒっぽいルドルフだったと思います。
 必要以上に繊細そうだったり気鬱っぽそうだったり狂気があるように演じてしまうと、重過ぎると思うので。愛に恵まれずに育った、さみしい、青年。それで十分で、なりきっていたと思います。
 思えばトートが彼に渡した銃は、ハンガリー独立闘士から奪った銃だったのですね。その銃が、父皇帝に反抗しハンガリー独立に肩入れした皇太子の命を奪う、その皮肉にしびれました。
 宝塚的には、銀橋でトートとルドルフがデュエットする「闇が広がる」のシーンは、女性ふたりが演じる男の役同士がキスしそうになるのを女性の観客が見るという二重、三重の倒錯があって、名シーンのひとつに数えられているのですが、東宝版の演出はどうなんでしょうかね…今年の公演は観てみたいと思っているので楽しみです。

 全編通して狂言回しになるキリヤンはもちろん実力を発揮して台詞が聞きやすく、どの場面に紛れ込んでいても邪魔にならず埋もれず、歴第一のルキーニになったのではないでしょうか。これまたよかったです。
 うーん、久々に充実した舞台を観ました。
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